「あらゆる言語を理解する」って、ひょっとしてチートなのでは?
ギルドの喧騒の中、勇者と俺は、掲示板に張られた依頼書を眺めていた。フェルガルフ討伐隊に参加するには、力を示すことが必要らしい。「力を示すって何?」と聞いたら、討伐隊のマーカスは不敵な笑みを浮かべたまま、肩をすくめた。
『ま、2人で銀貨20枚くらいは明日までに稼いでもらわないとな』
『むう……なかなか高いハードルですが、私たちなら大丈夫です。無事に超えて見せましょう』
銀貨20枚だって。全然相場が分からなかったが、それらしきことを言ってマーカスとの会話を打ち切り、俺は俺様勇者の元に戻った。
ちなみにさっきのペットの捜索依頼は銀貨2枚、遺物の解析は銀貨10枚~、フェルガルフの討伐は銀貨100枚の報酬らしい。フェルガルフの討伐に行ったら一発なのだが、討伐に行くためには試験をクリアしないといけない。袋小路であった。
「この依頼とかどうよ?」
勇者が指差したのは、ダンジョン調査の依頼だ。なになに、ダンジョンの最深部まで行って、遺物を取ってこい、と。報酬は銀貨30枚。それなりに手応えがありそうな内容だが、明日までに成果を出すには時間が足りないかもしれない。というか俺は今更ながらに気付いた。「銀貨20枚を稼いで来い」というのは、ひょっとしたら、体のいい断り文句だったのでは……。
「少々時間が足りないかもしれませんね。もう少し効率のいい方が……」
俺がそう答えたとき、ギルドの入口が勢いよく開いた。そして、小さな子供が飛び込んでくる。乱れた服の裾を揺らしながら、泣き腫らした目で受付に駆け寄る姿は、周囲の注目を一気に集めた。
『見つかりましたか⁉ 僕の鳥、まだ見つからないんですか⁉』
彼の声は震えていて、その手がぎゅっと胸元の服を掴む仕草に焦燥が滲んでいた。受付嬢が何かを言おうとするが、子供は一方的に心配を訴え続けていて、どうにも言葉を挟むタイミングがないみたいだった。
俺はその様子を横目で見ていたが、隣に立つ勇者の表情に目が留まる。いつもの「俺様」な態度は影を潜め、その目はどこか遠くを見るように揺れている。
「……勇者様、どうしました?」
声をかけると、俺様勇者は少し考えた後、ぽつりと呟いた。
「……昔、犬を飼ってたんだよ」
「犬、ですか?」
「年取ってさ、弱っていくのを見てるしかなかった。あの時、何でもいいから元気になってほしいって……必死に思ったんだ。あの子供、なんかその時の俺様に似てるんだよな……」
俺は、今の言葉を自分の中で繰り返した。だから、俺様勇者はこの子を助けたいと思っている。しかし、助けたら討伐隊には参加できない可能性が高くなる。だから、迷っている。……うん。なんとなく、すとんと胸に落ちた。なんだ、勇者らしいところ、あるじゃないか。
俺は小さく微笑み、彼の背中を軽く押した。
「行ってあげてください」
俺様勇者は驚いたように振り返り、眉を寄せながら言う。
「お前、1人でどうすんだよ?」
「大丈夫です。こっちは任せてください。何とかしてみせますから」
そう。俺はただの通訳だ。直接何かを成し遂げる力はないし、直接舞台に立つわけでもない。けれど、誰かがその力を発揮できる舞台を整えるのが、俺の役目だ。それはずっと変わらない。
俺様勇者は少しだけ迷ったようだったが、やがて「仕方ねぇな」と呟きながら、貴族の子供の方へ足を向けた。俺はその姿を見送りながら、深く息を吸い込んだ。
――さて、じゃあ。やるべきことを、やりますか。
ギルドのざわめきの中、俺は次に取るべき行動を思案しながら、再び依頼書の群れに目を向けた。……確か、さっき、何とかなりそうなのがあった気が……。
『……あ、ない』
俺様勇者を見送った後、カウンターに戻ってみると、さっき気になっていた依頼は、既に他の冒険者たちが受託してしまったらしい。しまった、俺、何とかできないかもしれない。
『さっき持って行かれちゃって。ほら、あそこで鑑定始めるみたいよ』
受付嬢が指し示した先は、ギルドの奥の方だった。そちらはホールになっていて、ホールの中央にはいくつもの大きなテーブルが配置されており、その上には発掘された遺物や古文書が所狭しと並べられている。冒険者たちがテーブルを囲み、複雑な表情でそれらを手に取り始めていた。
……そう。古代語だろうが何だろうが、俺って読めるんじゃないかな。だって、あらゆる言語を理解できるってお姉さんも言ってたし。改めて聞くとヤバい。チートじゃん。
俺は、さりげなくテーブルに近寄って、ちらりと遺物を眺めた。テーブルに広げられている大きな紙を、冒険者たちが覗き込んでいる。いずれも深刻そうな顔で、首を何度もひねっていた。紙は遺物の説明書か何からしく、見たこともない符号がびっしりと記され、図解と共にパーツの取り付け位置が示されている。しかし、それらの符号は自然と俺の頭の中で意味を成し、図解の意図はすぐに理解できた。
……ていうか見てるあの紙、そもそも向きが反対だと思う。
『何語だよこれ……』
『えーっと、ここが接続部分のはずだろ? でも、穴が微妙にずれてる!』
『他の部品か? でも、この形状に合うのがないし……」
さて、どうしよう。もうこの人たちが依頼を受けてしまっている以上、俺がいきなり乱入して「アンタじゃムリだオレがかわる」と言ったとしよう。襟首を掴まれて叩き出されるのがオチである。うーん……。とりあえず俺は、壁にもたれて目立たないようにしながら、テーブルの様子をあくまでさりげなくうかがった。
『なんか明らかに場違いな女の子がずっとこっち見てるんですけど』
『ていうか可愛いなおい。見たことない子だけどあれ新人か? 誰かの彼女が彼氏を応援しに来たとか言い出したら、俺はそいつを殺してしまうかもしれん』
『だからモテないんだよ……。そういやさっき、マーカスと話してたぞ。……あ、寄っていった。やっぱ彼女だ。あいつ、すげー年下と付き合ってるんだな』
『……バレない死体の捨て場所って、やっぱ山? 海?』
『だからお前はモテないんだよ』
俺が方針を決めかねていると、マーカスが俺の側に寄ってきた。そして、笑顔で口を開く。俺は少しだけ身構えた。さっきのお断りの台詞といい、こいつはどちらかといえば敵だと思う。
『よう、依頼は決まったか? 鑑定の作業が気になるみたいだが』
『ええ、たぶんあれ、私なら力になれます。結構色んな言葉がわかるので』
『ほう? 遺物は解析されていない言語が記されていることも多いから、それが本当ならとんでもないが……なら、やってみるか?』
……あれ? ひょっとしていい人? すると、俺の様子を見て、マーカスは少し笑った。
『遺物の鑑定は、何か月もかかるんだ。たぶん今回も難航してるっぽいから……手掛かりは、あればあるほどいい』
そして、俺はマーカスに連れられ、鑑定しているテーブルの前まで連れてこられた。一部の冒険者からマーカスに対し、殺気を込めた視線が向けられているところを見ると、あまり人望がないのかも。親切なのに気の毒である。
『みんな、ちょっと手を止めて聞いてくれ。みんなに紹介したい子がいるんだ』
すると、ざわざわと冒険者たちは揺れた。それとともに、殺気を込められた視線の数は、なぜかさっきと比べて3倍ほどに増えた。
『それよりマーカス。海と山だとどっちが好きだ?』
『どっちかと言うと海かな……なんでそんなこと聞くんだ?』
『お前の希望を聞いてやろうと思ってな。わかった、続けてくれ』
マーカスは、こちらに向き直り、少し口をつぐんだ。……あ、そうか。
俺は冒険者たちを見回し、直角に腰を折り曲げて大きな声で挨拶した。こういうのは、元気が肝心だと思う。
『あの、私、サヤと申しますっ! 実は、その遺物の文字、私、もしかしたら読めるかもしれなくて……! どうか、お手伝いさせてくださいっ!』
すると、冒険者たちは怪訝そうな顔で何か相談し始めた。やっぱり、新顔がいきなり手伝おうなんて図々しかったのか……?
そして、冒険者の1人がすっと手を挙げた。すごく真面目な顔だった。
『1つだけ教えてくれ。サヤちゃんって、今、付き合ってる奴とかいる?』
『えっ? いませんよ?』
『ならいい、こっち座ってくれ』
……? 付き合ってる相手がいるかどうかがどう関係あるんだ……? やはり、冒険者の道は奥が深いな……。
俺は椅子に座り、テーブルの上の説明書と遺物の山に向き合った。えーっと。とりあえず、2つの遺物を手に取り、設計図を指差し確認しながら、ゆっくりと組み合わせる。部品が「カチリ」とはまる音が響き、その瞬間、周囲の冒険者たちは目を見開いた。……うん。ハモさんを組み立てるよりも簡単だ。よし、次。
『……えーっと、これで終わりですね。全部で……78個ですか? とりあえず、使い方と効果をメモで置いておきます。分からないところがあれば、私に聞いてもらえたら……』
3時間ほどが経過した後、テーブルの上には修復された遺物がずらりと並んでいた。しかし、腕がつりそう。プルプル震える両腕を押さえ、俺は立ち上がる。腰がボキボキと危険な音を立て、体の限界を伝えてきた。……この体マジでヤバいよ。3時間座ってたら限界って。学校通えないじゃん。
途中からどんどん口数が少なくなっていった周囲の冒険者たちを眺めると、みんな口をポカンと開けていた。マーカスも開けていた。ホールにはなぜか先程から重苦しい沈黙が降りており、それに耐えられなかった俺は、とりあえず、意味もなく「えへへ」と笑ってみた。……誰も笑ってくれなかった。
『えっと、報酬は……はい。金貨5枚と銀貨15枚。見込みだと数か月は掛かったはずだから、早く終わった分の追加報酬と、書いてくれた説明書きの分も加算されてるわ。いちおう、効果も確認したしね』
カウンターに行くと、受付嬢が少し引きつった笑みを浮かべて、俺に報酬を手渡してくれた。……? 金貨5枚、かぁ……。銀貨20枚と比べてどれくらいの価値なんだろう。俺がまじまじと手のひらの金貨を眺めていると、受付嬢が親切にも教えてくれる。
『金貨1枚はね、銀貨1000枚分の価値があるわ。……えっ知らないの? あんな文字読めるのに⁉』
『やったぁ、じゃあ試験突破ですね!』
銀貨20枚でいいところを、5015枚も稼いでしまった。1泊が銀貨1枚なんだから、銀貨1枚1万円として、ほぼお小遣い程度の持ち金から、所持金5015万円? 桃鉄でしかこんな金の増え方見たことないわ。しかし、きっと俺様勇者も喜んでくれるだろう。
夕方になって、その俺様勇者は意気揚々と帰ってきた。その後ろには、胸元でペリカンみたいに大きな鳥を抱きしめている少年。無事に依頼を達成できたらしい。俺様勇者の顔は泥で汚れていたが、どこか達成感に溢れていた。
「いやー、疲れたわ……。逃げ回るのなんの。じゃあ、残り銀貨18枚だっけ? 急いで稼ぎに行くか!」
「いえ、もう試験は大丈夫らしいですよ! だから今日は宿に帰って休みましょう。鳥の話、もう少し詳しく聞かせてくださいっ!」
「え? いいの? ……そういやお前、いくら稼いだ?」
「ふふ、秘密ですっ」
――マーカスはギルドのホールの中央に立ち、机の上にきれいに整理された設計図と組み上げられた遺物を見下ろしていた。遺物の各部品は正確な場所にはめ込まれ、完全な形を取り戻している。数時間前まで、無理難題に見えた復元作業が、たった一人の手で片付けられてしまったのだ。
最初は、難題を引き受けてくれた仲間に、癒しを提供してくれたらいいと、そう思っていたのだ。何せ、彼女は今日初めてギルドにやってきたようなとびきりの新顔だったが、見たことのないほどの可愛らしさを持っていたから。
まず目を引くのは、ミルクティー色の柔らかな髪。それは光を受けるたびに淡い輝きを帯び、自然にふわりと揺れる。その下にある大きな瞳は、金色に輝き、まるで宝石のよう。見る者を吸い込むような深い輝きがありながら、その表情にはどこか親しみやすさが漂う。
小さな動きも目を離せなくさせる。例えば、何気なく首を傾ける仕草。そのたびに髪がふわりと揺れ、瞳が自然に輝きを増す。薄い唇が微かに動き、何かを言おうとするたび、その声を聞く前に心を奪われるような感覚に陥る。……しかし……。
『マーカス。サヤちゃんって言ったか……あの子、何だ……?』
『わからん、何もわからん』
マーカスは頭を振りながら、さっき彼女と交わした会話を思い出す。彼女は、テーブルにいた全ての冒険者に手伝ってもらったことのお礼を丁寧に述べた後、腕をさすりながら腰を後ろに反らしていた。彼女の形のいい胸が服を突き上げているのが見えたマーカスは、少し目のやり場に困り、取り繕うように聞いてみたのだ。
『他の言葉も分かる、のか……? 例えば、エルフ語とか、神聖古代文字とか』
『大体の言葉はわかりますよ。ふふ、私のこと、歩く国語辞典と呼んでくださいっ』
『……ともかくギルドマスターを呼べ! 今すぐ! ヤバい新人が来た‼』