「男との距離感を考えろ」と人生で初めて言われました
お姉さんから館を出ていいよと言われ、俺はちょっぴりショックを受けた。あんなに積極的に俺をバイトに誘ったお姉さんはどこに……。でも同時に納得してしまう自分もいた。だってお客様全然来ないもん。俺も含めてみんな暇そうにしてるもん。でも、死にに行けっていうのは違わないか⁉
「お姉さんの裏切者! なんでですか⁉ なんでそんなひどいことが平然と言えるんですか⁉ はっきり言って最低ですよ! 最低っ!」
「なあ、俺様と一緒に行くのって、そんなに嫌か……?」
「だって勇者だろう? 君1人くらい守ってくれるだろう、たぶん……」
「その「たぶん」が外れた時って私死んじゃいません?」
すると、お姉さんは何やら「ふむ」と頷き、俺様勇者にくるりと向き直った。そして、真剣な目で彼をじっと覗き込む。
「ねえ、勇者の君。この子はとても弱いんだよ。トンボと同じくらい簡単に首はもげるし、誰かと握手したら手首を痛める。ジャンプしたら着地で両足首を捻挫するくらいなんだ」
さすがにそこまでではないんだが……。俺様勇者の顔に「マジかよ」と書いてあるのを見て、俺は理解した。大袈裟に言ってやめさせる気だ……! ナイスお姉さん! でもその流れだと俺の首がもげたことあるみたいに聞こえるんでやめてください。
ところが、俺様勇者は、腕組みしながら自信ありげにニヤリと笑った。
「楽勝っす。人1人くらい守れなくて、世界なんて救えないんで」
おお、勇者っぽいことを言ってる……。すごいな、俺なら無理だわ。関係ない世界をいきなり救ってくれとか言われても。だからたぶん俺は勇者になれないんだろう。
……あ、そういえば。お姉さんにこっそりと、異世界語で聞いてみる。
『ここって夢の中ですけど、私って死んでも大丈夫なんですか? あと、館以外で朝になったら?』
『夢だから、死んだら現実で目が覚めるだけだ。痛みもない。死んだ場合、次の夜になれば君は館に現れる。生きていれば、現実で起きた瞬間に君は消えて、次の日に現実で寝たら、同じところに現れる』
『死んでも大丈夫ならまあ……いややっぱり良くない!』
『いや、行ってきたまえ。彼は、君のクソザコっぷりを舐めてる節がある。足手まといを守りながら戦う苦労もね。……私の読みが正しければ、君は明後日にはここに戻ってくるよ』
「……すんません、ということでこいつ借りていきます! 任してください! 俺が守るんで!」
そのまま手を引かれ、俺は門を抜け、あれよあれよという間に俺様勇者と館を後にした。台所の窓からリリーさんが顔を出して、いつまでも心配そうにこちらを見つめてくれていた。
だが、強制連行されてしばらくやさぐれていた俺も、歩いているうちに、次第に理解する。要はここは夢の中で、死んでも死なないんだろ? なら、異世界の他の街を見回るチャンスでは。
そして、俺たちは、隣の街まであっという間にやってきた。こちらの街並みも、道も建物も、茶色のレンガ造りで統一されている。ただ、館の下の街よりさらに人通りは多かった。こちらは城下町らしく、少し丘を上がったところに、大きな城が鎮座しているのが街の通りからも見える。城はその威容を誇り、町全体を見下ろしていた。
城には、尖塔や高い城壁が周囲を守るように立ち並び、石の表面には風雨の歴史を刻んだ細かい模様が浮かんでいる。そして、その背後にある丘の頂には、まるでこの世界の時間そのものを支配しているかのような、巨大な砂時計がそびえていた。砂時計の透明なガラス部分は、淡い輝きを放ち、太陽の光を反射してキラキラと輝いて見える。砂時計の砂は、ちょうど半分くらい減っていた。
……というか、砂時計、でっかい。普通に城よりでかい。何だあれ。城も大きいのに、砂時計がでかすぎて、それどころじゃない。
俺は、口をほへーっと開けて城と砂時計を眺めた。やっぱりここって異世界だったんだなぁ、というよく分からない感慨が胸を満たす。
「こら、口閉じろ。すげー間抜け面になってるから」
「……はっ」
急いで閉じ、両手で口を隠すと、こちらを見ていたらしい街の人達が、くすくすと笑った。俺は、恥ずかしさをごまかすため、改めて通りを見回してみる。
通りに面した鍛冶屋では、装備を整えた男たちが、武器の手入れをしながら次の旅の計画を話していた。彼らの近くには、魔法使いのローブをまとった女性が、小さな杖を手にして魔法を実演し、子どもたちの相手をしている。集まっている子供の視線は、彼女の杖先から生まれる小さな火花や光の動きに釘付けだ。
カフェテラスでは、旅人たちが焼き立てのパンや香り豊かなスープを楽しみながら談笑している。その後ろでは、楽器を奏でる吟遊詩人が心地よい旋律を奏で、時折通行人が足を止めてその歌声に耳を傾ける姿がぽつぽつと見られた。
「そういや、あんたの生まれ故郷って近いのか。ついでに里帰りでもするか?」
「……えーっと、私の実家は遠い空の向こうにあるので簡単に行けないというか」
「なんだその煮え切らない感じ」
文句を言いながらも、俺様勇者は楽しそうに歩き出した。
「やっぱ誰かと話しながらっていうのがいいわー」
……いちおう役には立っているらしい。一緒にいるだけで幸せを与えられる俺。お手軽。
とりあえず、宿屋を取ろうか。聞いてみると、館を出てからは、勇者は野宿でずっと暮らしていたらしい。どこが宿屋かもわからず、街の人には怖がられ、店の人には恨めしい目で見られと散々だったとか。ヤバいよそれ。立ち位置がもう魔物寄りじゃん。
俺は通りにあった宿に入ってみた。俺様勇者いわく、まだ王様から何か指示があったとかじゃないらしいから、この街で待機しておく必要があるらしい。うーん、とりあえず1週間くらいか……?
『えーっと、2名で1部屋、1週間、って空いてます?』
『すみません、ベッドが1つのお部屋しか、あいにく空いていなくて……』
若い女性のスタッフさんは眉を下げ、申し訳なさそうな顔をした。なんでも、強力な魔物が近くに出現したとかで、今のこの街には、冒険者たちが大勢泊まっているらしい。
しかしよく考えたら、現実の俺が起きたら消えるって言ってたっけ。なら俺のベッドはいらないな。
『あ、じゃあベッド1つで大丈夫です。布団も枕も1つでいいですよ』
すると、スタッフさんは俺様勇者とこちらを交互に見て、ぴたり、と完全に動きを止めた。固まった、というのが正しい。
『あの、あなた、若く見えるけど……年齢は?』
『17歳ですけど……駄目ですか?』
『ああ、ならいいです。大人になったばっかりなんですね。どうぞ! 2名様1泊で銀貨1枚です!』
あ、こっちの世界では17歳で大人なんだ。そういえば、お姉さんも17歳になったら仕事を手伝って、みたいなこと言ってたもんな。
そして、スタッフの女性からは、すごくいい笑顔を向けられた。なぜか赤くなった頬を両手で押さえながら『まあまあまあ』と何度も呟いている。うん、笑顔っていいよな。俺も見習わないと。
『あとすみません、この人、勇者なんですが……勇者って無料で泊まれるんですか?』
『……勇者???』
『あっなんでもありません。じゃあ、銀貨7枚で』
続いて、彼女の反応で、俺は何となく察知する。お姉さんの言っていた勇者は無料システム、全然機能してないのでは……? だって、ピカピカ光ってる奴が物を勝手に持って行って、「最近強盗が出た」ってなるのがおかしいじゃないか。とすると、まずは金を稼ぐ必要があるような……。
スタッフさんは、部屋に案内してくれる途中、何度もこちらを振り返った。やたら俺様勇者を見ているのでどうしたのかなと思って振り向いたら、俺様勇者は渋い顔をしてスタッフさんを睨みつけていた。こら、やめなさい。
『すみません、緊張してるんですよ。彼、恥ずかしがり屋なので』
『いいんですいいんです! こんなに可愛い彼女さんですし仕方ないと思います! お若いお2人で、ひょっとして、初めてのご旅行ですか?』
……なんか今、「彼女」とか言わなかった? 俺は微笑みながら、いちおう否定しておく。
『いえ、私たち、姉弟なんです。「一緒に冒険に行こう」って半ば無理やり引っ張って来られまして』
『あらあらあら。分かってます分かってます、姉弟なんですよね。若いっていいですね。広いお部屋を準備しますから』
その言葉に違わず、案内してもらえた部屋は、2人で泊まるには十分な広さを備えていた。扉を開けると、木の香りが漂う落ち着いた空間が広がる。冒険の疲れを癒すのにぴったりの、ほのかに懐かしさを感じさせるような場所だった。隅には机と小さなランタンが設置してあり、部屋の端には、シンプルながらもしっかりとした作りの大きなベッドが一つ置かれている。
荷物を置いて、俺たちはまず、街の探索に出発した。
その道中、俺は勇者からこの街がどんな場所なのかを聞き取ることとした。いつでも情報は大事である。……ふむふむ。
……なんでも、すごい酷い目に遭ったらしい。次から次に絡まれ、人相の悪い人間に喧嘩を売られ、急いで逃げたのだとか。
俺様勇者が指さした先には、デカデカと看板が立てられていた。えーっとなになに。『関係者以外立ち入り禁止』……? え? 絡んできたのって警備員的な人だったんじゃないの?
あれは防具屋。あれは宿屋。あれは武器屋。あれは教会。なぜか防具屋と武器屋の店主からは、怒りの混じった視線が飛んできた。
とりあえず、立ち入り禁止の表示と、店の看板について一通り説明すると、俺様勇者からは「ゲームみてーな種類の店ばっかだな」と率直な感想をいただいた。そんな俺様勇者には、俺とお客様が発見したお菓子屋さんをぜひ紹介したい。
しかし、この調子だと、俺様勇者は色々とやらかしてしまっているのでは……?
「あの、街の人って今のところ反応どうですか?」
「なんだいきなり」
唐突過ぎたか。しかし、「人として扱ってもらえてますか?」とストレートに尋ねる勇気は、俺にはなかった。
「いえ、やっぱり勇者だともてはやされるのかなって」
「なんか遠巻きにはされる。ま、勇者ってだけでちょっと近づき辛いのはあるのかもなー」
全然気にしてなかった。この状態なのに、辛いのは話し相手がいないこととは。……ふむ。まず、地に落ちるどころか地面に潜りまくっている俺様勇者の評判を回復させた方がいいかもしれない。
俺は、まず、これまで勇者が食事をした店に回って、お金を払って回った。食い逃げ犯という汚名を返上せねば。一生懸命に俺が頭を下げて謝ると、みんな文句は多少言っていたものの、最後は許してくれた。よしよし。
さらに、武器と防具を勝手に持って行っていたらしく、店の人から怒られた。「なんでうちには払わないんだよ!」だって。そういえば剣持ってたな……と今更ながら気づく俺。怒鳴られて、勇者が不思議そうな顔をしてこちらを見てくる。
「なんて言ってるんだ? 喧嘩売られてるのか?」
「いえ、あなたの熱烈なファンらしいです。私が話をつけてきますからしばしお待ちを」
「芸能人のマネージャーみてーだな」
満足そうなので、信じたのだと思う。マジか。熱烈なファンって。ちなみに、店の人には俺が裏でめっちゃくちゃに謝ったら、これまた意外なほどあっさり許してくれた。俺の外見が超絶美少女なことに感謝したのは初めてかもしれない。
そして続いて、現在困っていることがないか、街の人に聞き込みを行ってみた。俺が街の人と話している間、俺様勇者は俺の背後で腕組みしながらじろじろ相手を睨みつけていたので、街の人から大いに怯えられていた。こら、だからやめなさいって。
……詳細な聞き込みの結果。最近町の近くに出る狼型の魔物の話が浮上する。暴れてるので追い払ってほしいんだって。ふむふむ。地理的には草原に向かう道を行けばいいらしい。
その後は、宿に戻って作戦タイム。さっき街で買った地図を机で広げながら、草原の場所を確認する。草原は、街から北に徒歩で30分程、か。俺様勇者がなんか離れて見てるので、手招きする。そんなところからじゃ見えないじゃん。ほら、隣に座った座った。
すると、俺様勇者は何やら不服そうな顔をして、俺の隣に腰を下ろす。なんだ、俺の隣は不満なのか。こんなに可愛い姿なのに。
「ここが今いる街です。で、……あ、ごめんなさい」
草原の方を指さそうと身を乗り出すと、隣にいた俺様勇者に体が思い切りくっついてしまった。俺が視線で謝ると、勇者は視線を少しそらし、口をきゅっと一文字に結んでいた。その表情には、何か言いたいけれど言えない葛藤がありありと見て取れる。……なんだなんだ。
「お前さ、誰にでもそうなの?」
「……そう、とは……?」
「男への距離感、もう少し考えた方がいいんじゃねーの」
「はあ……」
男との距離感だって。初めて言われたそんなこと。だって、これまで男の友人なんていなかったから。まあ、確かにちょっと悪友みたいな感じになれたらいいなと思って調子に乗ってたかもしれないな。これから、気を付けることにしよう。
明日、街で情報をもう少し集めた後、草原に出かけようという計画を立てたので、今日は休もうということになった。もうすっかり、窓の外は暗くなってきている。
部屋の中は、さっきつけたランタンの小さな明かりだけが、穏やかに揺れていた。暗闇の中で灯されたその光は、どこか温かく、それでいて頼りない。ガラスの中の炎がゆらゆらと揺れるたび、周囲の影もまた、不規則なリズムで踊るように揺れ動いている。
「そういや、お前も自分の部屋に戻れよ」
「自分の部屋? ないですよ?」
俺はベッドに視線を動かした。……あ。出掛けてる間に、枕と布団が1個増えてる。
ベッドの上にはふかふかのマットレスが敷かれ、白いシーツと枕が2つ並んでいる。その上には2人分の厚手の毛布がきちんと重ねられていた。……よし、俺様勇者、枕と布団2つ使っていいよ。俺が許す。
俺の視線を追ったのか、勇者もベッドに顔を向けた。そして、不思議そうな表情を浮かべる。
「なんで枕2つなんだ……? っていうか、部屋がないってどういうことだよ」
「あ、部屋が空いてないらしいので、1人部屋にしました。私は大丈夫なので」
そういえば言ってなかったっけ。ごめんごめん。
「だから! 距離感を! 考えろよ……っ‼」
「???」