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「何が違うの」
「お母さんは私のことを考えてる?」
「何言ってんのよ、当たり前じゃない。そうじゃなきゃ、成績一つにこんなに
躍起になったりしないわよ。全部、あなたの将来のため」
「それが違うんだよ。私はお母さんに未来を決めて欲しくない。そんなものは自分で考える。確かにこの成績じゃどうしようもないことぐらい分かってる。でもだからって、そこまで騒ぐ必要がある? 私の気も知らないでっ」
分かっている。これが高校生の私の生意気な言い分だってこと。自分も子供を持てば母の気持ちが分かるのかもしれないということ。でも、今の私はどうあがいたって春山家の娘であり、母の庇護なしでは生きられない。その母に、これまでの努力や我慢してきたことを肯定されないで、一体誰に認められたらいいの?
「お母さんは日和のことが心配なだけ! それなのにこんなふうに反抗するならもうご飯も作らないわよっ」
「だったら、そうすればいい。私はお父さんとお母さんのために生きてるんじゃない! 別の人間なんだよ。そんなに私に消えて欲しいならはっきり言ってよ!」
こんなにも頭が熱く、血液が全身を駆け巡る感覚は初めてだった。
昔から母や父に「勉強しなさい」と言われても諦めることしかできなかった。近所の友達が私を遊びに誘いに来ても、休日に動物園や水族館に行きたいと思っても、両親はそれを許してはくれなかった。そういう二人の元で、どんどんと自我を失っていった。そのうち、二人の期待に応えるためだけに生きるようになって。反抗したり歯向かったりすることが無駄なことだと悟って。心は予想外にも凪いでいった。
それが、今はどうだ。
言いたいことをぶつけて、はあはあという荒い呼吸が止まらない。吸っても吸っても息が苦しくなる。鏡を見ていないから分からないけれど、今自分はひどい顔をしている。額や鼻の頭に汗が吹き出て、耳は赤く染まっているに違いない。
母の表情が、怒りから絶望に変わってゆくのが見て取れた。目の前にいる自分の娘が、本当に血を分けた我が子なのか疑っているように。鬼の子にでも出会ってしまったかのように。恐ろしい生き物を見る目で、私を見据えていた。
それは些か予想外の反応だった。
母のことだから、私が反発すればより激昂してくるかと思っていたのだ。母の方が数倍も激しくほとばしる熱を放出させるとばかりだと。けれど母はそうしなかった。あまりの衝撃に、返す言葉も失っているようだ。
テーブルの上のクリームシチューからはもう湯気は立っていなかった。私は、大好きなご飯を食べられなかった未練を振り切って、固まったままの母に背を向ける。もう話をきくことはない。母にかける言葉も見つからない。
「……明日の予習があるから」
そのまま階段を上り、部屋の扉を閉めた。一階からは何の物音も聞こえない。
私は母の心を砕いてしまったのかもしれない。それでも、後悔はなかった。こんな娘ならば、母は本当に消えて欲しいと願うかもしれない。
そうしたら教えてあげよう。便利なアプリがある。消したいものを即座に消すことのできるアプリがあるんだよって。
ふう、と息を吐き気休めに部屋のカーテンを開ける。月明かりがいつもより暗く感じる。プールから上がった後のように、全身がふわふわと浮いているような感覚に襲われた。ようやく整ってきた呼吸と、冷めてきた全身の熱。自分がこれほど母に対して抗戦的になれるとは思ってもみなかった。成績のことだけじゃなくて、親友とその幼馴染みとの関係で心が乱れているせいだ。穏やかな高校生活を送ることをずっと望んでいた。最近まで、3年間の平穏な日々の夢を叶えられると思っていた。
でももう、後戻りできない。
私は十分壊れてしまっている。




