73
「突然押しかけてごめんね。また2学期に待ってる」
「ううん、今日はありがとう。頑張ってもう一度学校行ってみようかなって思う。このままだと先輩たちに負けたみたいで悔しいから」
柚乃の目にははっきりとした決意の色が滲んでいた。私は柚乃にいじめられているとき、彼女みたいに立ち向かおうとは思えなかった。だから柚乃はたぶん強い。私なんかよりもずっと。
私は柚乃の目を見て頷いたあと、そのまま彼女の部屋を後にした。扉を開けるとすぐ近くにお母さんが立っていて驚く。
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど」
柚乃のお母さんは麦茶とお茶菓子を載せたお盆を抱えていて、小さく頭を下げ
た。
「いえ、すみません。お気遣いいただいて」
「これ、届けようと思ったのだけどね。あなたと柚乃が自然に会話してたから
邪魔したくなくて」
「そうなんですね。柚乃さん、元気そうで良かったです」
「元気だったかしら?」
「ええ。柚乃さんは強いからきっと大丈夫ですよ。2学期になったら学校にも来てくれると思います」
「そっか。あの子とたくさん話してくれてありがとう」
「お母さんも、話してみてください。私も自分の母親とは上手く会話できない
ことが多いので人のことは言えないんですけど。たぶん、柚乃さんはお母さんと話したがっていると思います」
今日初めて会ったばかりの柚乃のお母さんに、図々しくもすらすらと言葉が出てきてしまった。お母さんは私の勧めに驚いている様子だったが、「そうね」と頷いて小さく笑った。
「では今日は失礼します。お邪魔しました」
「ありがとう。ぜひまた遊びに来て」
柚乃のお母さんに「また遊びに来て」と言われるなんてとても不思議な気分だった。私は、アプリを使ってからどんどん自分の心境が変化していくのを感じていた。どこからともなく現れた謎のアプリに、まさかこれほど助けられるなんて思ってもみなかった。
「そんなに悪いものでもない、か」
確かに、穂花や神林の記憶から私と話をした記憶が消えてしまったのは辛い。その時に感じた感情まですべて否定された気分になった。
でも、アプリを使ったことで良い方向へ変わったこともある。一概に悪いものではなかったのだ。
遠藤家の門から出て、外の空気を吸い込むと肺の中だけでなく、心まで新鮮な気分で満たされた。柚乃が2学期からちゃんと学校に来ますようにと、青空に向かって祈った。




