穴
瞼越しに網膜を刺激する朝の光。
目を覚ますと、私は1人だった。
そうか、結局帰ってこなかったんだ⋯⋯
大丈夫かな⋯⋯
いや、寂しいわけではないからね。ただ、モグラさんに何かされてないかなってちょっと思っちゃって。
心配すぎてシャワーも浴びず、顔も洗わずにただ立ち尽くしていた。また臭くなってしまう。
「おはよ〜」
モグラさんがいつもと同じ調子で挨拶をした。
「おはようございます」
シマが乗っているんじゃないかと思いながら後部座席のドアを開けたが、そこに彼の姿はなかった。
「ユキちゃん、シマくんのことなんだけどね」
意外にも、先にシマの話題を出したのはモグラさんだった。
「トリヤマくんに急遽帰って来るように言われてね、昨日のうちに帰っちゃったんだ」
は!? あんなに心配したのに!? 帰っただけ!?
ていうか、トリヤマから正式に島流しを言い渡されたって言ってたのに、戻ってこいって言われたの? 私を逃がしてくれるって話は? なんなんだあいつ! 私に惚れてたくせに! 良いですね! 帰る場所がある人は! 死ねぇーーーー!!!!
「大丈夫? ユキちゃん、やっぱりショックだった?」
「いやそんなことないです」
「強がらなくても大丈夫だよ〜、せっかく仲良くなってきたとこだったのにね、急に呼び戻すなんてひどいよねぇトリヤマくん」
「いや全然、めっちゃ大丈夫ですから。あんなやついなくても私は元気ですから」
マジむかつく! もし次会うことがあったらボッコボコのぬっぺんぬっぺんにしてやる!
現場に着いた私は、1人で穴を掘った。
「そろそろ手伝うよ〜」
1個は穴が欲しかったらしく、途中から私の掘っていた穴をモグラさんも手伝うことになった。
こうしてなんとか穴が1個完成した。いつもより2時間ほどオーバーしてしまい、真っ暗になっていた。
「お疲れ様〜、さ、帰ろうか」
はー疲れっぴ。モグラさんもいい人なんだけど、やっぱシマの方が話しやすいんだよなぁ。
いや、あいつは裏切り者だった。ダメだ。あんな奴のことは忘れよう。うん。
やがて食堂に着いた。駐車場に車を停め、2人で外に出た。
⋯⋯ん? 2人?
「あれ? モグラさん?」
「シマくんがいないと寂しいかなって。今日だけぼくも一緒に食べようかなぁと思ってね〜」
なるほど、優し⋯⋯あっ。
どうしよう、モグラさんの前で肉残すわけにはいかないよな。お腹痛いとか言って食べずにやり過ごすか? さっきまで元気だったから通じないか。
よし、今はとりあえず食べて、部屋に戻ってから吐こう。
「はいユキちゃん、どうぞ」
考え込んでいる間にモグラさんが私の分をよそってくれた。
「さぁ、食べようか」
モグラさんは白飯だけだった。なんで?
「モグラさん、カレーは⋯⋯?」
「来るのが遅かったみたいで、ユキちゃんの分しか残ってなかったんだ」
「あ、じゃあ交換しましょ! 申し訳ないですから!」
「いいのいいの、ユキちゃんには明日も頑張ってもらわなきゃならないんだから、力つけてよ」
これ以上言うと怒られそうなので、私は身を引いた。
人肉カレー⋯⋯
改めて見てみると、とんでもないゲテモノに見えてくる。普通の見た目のはずのに、知っただけでこんなに変わるとは⋯⋯
「大丈夫? ユキちゃん。やっぱり寂しいの?」
寂しくないっ!
パクっ!
!?
肉が硬い! いや、もはやかっっっっったい! なんだこの肉! カッチカチじゃん! どんだけ筋肉詰まってんの? 赤身すぎるだろ! 本当に人間の肉かお前!!!!
⋯⋯いや、ちょっと待てよ? 別に誰かに人間の肉だって言われたわけじゃないよな?
そうじゃん。じゃあこれ、やっぱ人の肉じゃないよね。こんな硬いなんて動物しか有り得ないもんね。よかった⋯⋯
もぐもぐ。
もぐもぐ。
まだ硬い。どれだけ噛んでも硬い。まさに自然の賜物。極限まで詰まった筋肉の結晶のようだった。
やむなく粗さを残した状態で嚥下する。飲み込んだ肉がゆっくりと私の食道を撫で、するりと腹に落ちてゆく。
隣では嬉しそうな顔をしてモグラさんが私を見ている。孫みたいに思ってくれているのだろうか。
モグラさんの手前、なんとか食べ進めていったが、すべての肉が硬かった。顎の筋肉が疲れてきた頃に、カレーの中に丸いものを見つけた。
カレー色に染まってはいるが、明らかに他の具材とは違っていた。なんだこれ? フルーツ? 1個しか残ってなかったけど、何個か入ってたのかな⋯⋯
「モグラさん、これなんだと思います?」
モグラさんは相変わらずの嬉しそうな顔で、私のカレーを覗き込んだ。
「食べてみれば分かるよ〜」
恐る恐る口に運んだ。トゥルン、という食感で甘みはなく、フルーツではなさそうだった。
例えるならなんだろう、マグロとかの⋯⋯はっ!
「モグラさ――
「そう、『シマの目』だ」
!?
「モグラさん、今なんて⋯⋯?」
「シマくんの目ん玉だよ〜」
頭が真っ白になった。
「あいつは帰ったんじゃなかったんですか!」
「帰ってないよ〜、昨日死んじゃったよ〜」
シマが⋯⋯死んだ!?
「最後まで君を逃がしてくれって言ってたよ〜。命乞いは一切しなかったねぇ、男前だったねぇ⋯⋯」
「どうしてですか! どうしてそんなことを!」
「そんなの決まってるでしょ? ぼくに楯突いたからだよ〜」
こいつ⋯⋯!
「許さない! このクソジジィイイイ!!」
私は持っていたスプーンを力いっぱい握り、モグラの顔めがけて振り下ろした。
――はずだった。
気がつくと、私は深い穴の中にいた。頬が痛い。血の味がする。
上を見ると、数人の男が私を見下ろしていた。月明かりしかないので顔がよく分からないが、モグラだけはシルエットで分かった。
「やっと起きたね〜」
「モグラァ!!!!」
私はモグラに飛びかかろうと、土の壁に手と足をかけた。
「無駄だよ〜」
モグラがそう言った次の瞬間、周りにいた男たちが私に泥を放った。
目は閉じていたが、口に入ってしまった。泥と血の混じった嫌な味がすぐに広がった。
「死ねぇ! モグラ! 死ねぇ!!!」
私は必死に登ろうともがいた。やがて壁と指先に血が滲み、爪が少し浮き始めた。
膝下あたりまで土が積もった頃、
「ユキちゃん、痛いでしょ〜? そんなことやっちゃダメだよ〜」
そう言ってモグラが私の左腕を掴んだ。チャンスだ! 今しかない!
そう思った瞬間、薬指の先に激痛が走った。
「ペリペリペリ〜〜〜」
モグラのニヤついた顔の手前で、私の爪がペンチで引っ張られていた。
「いやああああああああああ」
自分の身体ではないような力で私は暴れた。その結果、腕を振りほどくことは出来たが、爪は肉ごと持っていかれてしまった。
「も〜、いきなり動くから〜」
相変わらずニヤニヤ顔のモグラ。
私は足元の土を右手で握り、モグラの顔に投げつけた。
「ぺっ! ぺっ! ぺっ! この糞餓鬼がぁ! お前ら、やっちまえ!」
頭に鋭い痛みが走った。
私はまた、意識を失った。
目を覚ますと、すでに土が胸元まで来ていた。動こうとしても土が重すぎてビクともしない。手も足も出ないとはこのことだ、と思った。
「もうすぐだからね〜」
いつもの調子に戻ったモグラが私に言った。
「ここから出せーっ!」
私は泥にまみれた唾をモグラのほうに吐きながら、必死に叫んだ。
「届きませ〜ん」
くそ! くそ! くそーっ!!!
「そろそろ飽きちゃったなぁ〜」
なんだ、やめてくれるのか!? 生き延びたら絶対に殺しに行ってやるからな!
「ぼく帰るね〜。あと、頼んだよ〜」
なんだとォ!? そんなのありかよ! これだけ私をこけにしておいて、最期も見ずに帰るのか!!
「待て! おい、待てーっ! モグラー!」
声が聞こえたのか、モグラは引き返してきた。
「危ない危ない、忘れるところだった」
は?
「ユキちゃん、実はこれも入ってたんだよ〜」
モグラはそう言って茶色い棒状のものを見せてきた。うんこか? 入ってたって、もしかしてカレーにか!?
「目玉だけじゃなく、うんこまで入れてやがったのか! クソジジィが!」
「なわけないでしょ〜、それは絶対にダメ! カレー界のタブーだよ〜」
知るか!
「これは君がとってもとってもだーい好きなシマくんの、ペ・ニ・ス」
「⋯⋯⋯⋯!!」
怒りのあまり言葉が出ない! クソジジィが!
「あげるね〜」
そう言ってモグラは私の顔に投げつけた。
ちょうど左目に落ちた。
⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯ぎゃああああああああああああああ!
「痛てぇえええええええ! ジジイ許さねぇ! 許さねぇえええええええ!!!!!!」
私は我を忘れて叫んだ。目を拭うことも出来ないこの状況でこの仕打ち! 許せるものか!
「ごめん、目のところに落ちるとは思わなかった」
「謝っても意味ねぇよ痛てぇんだよクソがああああああああぁぁぁあああああ!」
やがて私は完全に土に埋まった。
目も開けられず、音も聞こえず、躰にあたる冷たい土の感触と、左目のカレーペニスと爪を剥がされた指の激痛だけを感じて、私は永遠とも思える時間を過ごした。
これにて完結です。最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。感想などいただけると励みになりますので、もしよろしければお願いいたします。