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清くうららに、うつくしく。  作者: 吉野 諦一
第二章 遥か彼方の憧れは
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愛されるための必要条件


 午後七時。本屋でのアルバイトを終えて店先に出ると、通りがかった山瀬さんに遭遇した。


「あ、染井くんだ。こんばんは」

「こんばんは」


 お互いに立ち止まって会釈する。丁寧すぎやしないかと思うものの、彼女との関係性を鑑みればこのくらい慎重であったほうがいいのかもしれない。


 山瀬さんは薄いベージュのトレンチコートを羽織っていた。小物含め秋の訪れを感じさせる装いで洗練されている。それと比べてしまうと、自分のパーカーにジーンズという恰好が恥ずかしく思えてくる。


「そういえばここでバイトしてたんだったね。お疲れさま」

「え、知ってたの?」

「まあ色々と耳に入ってくるものでして」


 おどけて言った山瀬さんだったが、俺の視線を受けてきょとんとする。


「やだなあ、不審なことはしてないよ?」

「疑ってるわけじゃないんだけど」

「安心して。染井くんが嫌がることは、わたしもしたくないから」


 山瀬さんが歩き始めるのを見て、俺も彼女の隣に並ぶ。ゆっくりとしたペースで、街灯に照らされた駅へと続く側道を進んでいく。


 大学の夏季休業期間が終わり、二週間が経った。登学する学生が増えたことで本屋の前の通りは人が増えたけれど、客足はほとんど変化がない。今日もレジ裏で腰掛けている時間が長かったからか、歩いてすぐに膝の関節が固まっていることに気がついた。


「蝦夷川先輩が勝手に報告してくるの。染井俊の目撃情報」


 前を向いたまま山瀬さんは話し出す。


「だけどそれも夏休み前までの話。今は無視してる」

「そうなんだ」

「あんまり興味なさそうだね」

「蝦夷川先輩にも同じこと言われたよ」

「あはは、やなこと聞いちゃった」


 そう言いながらさして気に留めていないようにも見える。負の感情があまり顔に出ないのか、口で言うほど先輩のことを嫌いではないのか。どちらにせよ本心はわからない。


 見かけの馴染みやすさに反して、山瀬さんは自分を表に出したがらない部分があった。おそらく本人もそれを自覚している。動物園でのとき、自分が怒りの感情を出せているかを俺に確認したように。


「染井くんのそういうとこ、かっこいいと思うんだ」

「人の話に興味がないところが?」

「じゃなくて、相手の反応を気にしてないところ」


 揺れる毛先を指でつまんで、くるくると回す山瀬さん。春頃と比べると、頬をくすぐるぐらいに髪が伸びているのがわかる。


「わたしはね、気にしちゃう。これを言ったら駄目かなあって色々考えてみて、当たり障りのなさそうな言葉を選ぶタイプ。でもそうして出てきた言葉って、なんの意外性もなくて面白くない感じがする。新鮮さがないっていうか」

「言葉に面白さも新鮮さもいらないと思うけど」

「染井くんならそうなんだろうね」


 その返事は、俺の返答を予測していたかのように早かった。


「必要だよ。面白さも新鮮さも、自分を好きになってもらうためには必要。染井くんにはそうしなくても好きでいてくれる人がいるから、そう思うだけ」


 平静な調子のまま放たれた言葉に、俺はすぐに答えられなかった。


 考えたことがないわけじゃない。退屈なことしか言えない人間は飽きられてしまうというのは、往々にして在ることだと知っている。


 けれどそれは、自分とは関係のないものだと思っていた。たとえ飽きられたとしても関係性が続くものは続くし、続かないものは続かない。言葉で左右されるようなものではないと、そう考えていた。


「責めてはいないよ。わたしは、むしろそういう染井くんに憧れてる。自分をちゃんと持ってるのって、それだけでかっこいい」

「……憧れられるほど立派な人間じゃない。俺は」

「いやいや。そういう謙虚なとこも、染井くんのすごいところだよ」


 何故この人はこんなにも俺を褒めたがるのだろう。何とも腑に落ちない。


 真っ先に思い当たるのは意趣返しだ。事実上俺は、彼女から向けられた好意を誠実でない形で拒んでしまっている。だから山瀬さんが恨み言を投げかけてきたとしても、俺にはそれを甘んじて受ける義務がある。


 なのに山瀬さんはそうしない。彼女の発言に裏があるように思えるのは、その不可解さが原因だった。


「何か言いたそうだね、染井くん」


 山瀬さんは少し歩を速め、前から俺の顔を覗き込んでくる。俺もまた避けるようにして歩く速度を上げた。


「言いたかったら言っていいんだよ」

「別に何もない」

「ほんとに? わたしの反応も気にしなくていいのに」

「気にするよ。だって――」

「だって?」


 たった一言の圧が、俺を立ち止まらせる。


「『だって俺は自分に気がある相手に不意打ちで恋人を見せつけたから』――とか言うのかな?」


 山瀬さんは笑っていなかった。怒っているのとも違う。単純に、探っているのだ。きわめて冷静に、俺の反応を。


 言葉を返すまでにひと呼吸の間を置いた。そうすることで、俺は嘘偽りなく山瀬さんに向き合う用意が整う。


「彼女は、恋人じゃない。でも、大切な人だ」

「うん。そうなんだろうと思ってた」

「だから山瀬さんの気持ちには応えられない。ごめん」

「……うん」


 前から決まっていたことだった。冬華だけが俺の最優先事項で、そんな彼女を差し置いて他の誰かと交際することなんてできるはずがない。


 それを俺は、山瀬さんに自ずから理解させる形で知らせてしまった。忙しさにかまけて先延ばしにし、自分の口から告げるよりも深く彼女を傷つける結果になってしまった。まったく不誠実で、人の思いを踏みにじるような行いだ。


 山瀬さんは口許をきゅっと結んで、それから目を伏せる。心の整理がつくのを、俺はその場で待ち続けた。


 一台のバスが傍を通り過ぎた後、山瀬さんは顔を上げる。


「わたし、染井くんは本当にすごいと思ってるんだよ」


 その目には透明な涙が浮かんでいた。


「いつも他人のことなんて気にならないですよーって顔をしてるのに、その顔のまんまで他人に当たり前に、親切にしてる。それがあなたにとっての、自然なんだよね」


 頬を流れる涙をコートの裾で拭う。水気を含んだベージュが一滴分、濃い色に変わる。


「振ってくれてありがとう。あなたがはっきり言ってくれる人じゃなかったら、ずっと諦めきれなかったかもしれない」

「感謝されるような筋合いはないよ」

「そうかもね。だけどもし、染井くんがわたしと付き合ってくれることになったとしても、わたしはずっともやもやしたままだったと思う。だから、それでいいんだよ」


 透きとおる涙はもう見えない。


 清々しいくらいの笑顔で、山瀬さんは言った。


「大切にしてあげてね。冬華さんのこと」


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