運動帯
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、そこの学校では今日が運動会なんだ。懐かしいねえ、クラス対抗リレーでは毎年アンカーを務めたのを、よく覚えているよ。時にはトップを守り、時には後ろから前にいる選手をゴボウ抜きしていく……一年を通して数少ない、僕が英雄になれる日だったなあ。
僕が子供のころは、秋に運動会を多くしていた印象があるけれど、最近は運動会の時期を春に設定している学校が多いねえ。
生徒の体調第一に考えた場合、本格的に暑さが来る前の春にこなしてしまう方がよい、という考えや、年中行事の分散のためとか、色々と聞いたことがあるよ。
まだ社会へ深く関わる前に、自分をアピールできる機会のひとつ、運動会。それをめぐる不思議な話を、最近、友達から聞いたんだ。耳に入れておかないかい?
友達の学校も、夏休みが終わると途端に教室は運動会モードに突入。休み時間や放課後を使って、集団競技の練習を盛んに行うようになる。
当時、友達は5年生。まだ「勝ち色」を経験したことがない。
友達の学校の運動会は、全学年のクラスを青、赤、黄、緑の四つに振り分ける。そして各競技の順位に基づくポイントが、色のスコアに加算されていき、一番得点を稼いだチームが総合優勝となるんだ。
来年もチャンスがあるとはいえ、それをアテにして、気楽に臨むのは危ない。来年の今、自分が健康な状態で迎えられるとは限らないんだ。
あえてラストチャンスにすべてをかけたものの、思わぬ事故にあったがために、永遠に機会を失う……そんなのは、たわけ者の所業。
友達は色ごとのハチマキを締める練習のたび、自分のみならずクラス全員の取り組みにも気を配る。「絶対に手を抜くんじゃねえぞ」と言わんばかりにね。
そんな中、自分と同じくらいに張り切っていると思われる女子がいた。友達は運動会の練習時間が終わった放課後にも、グラウンドに残って徒競走の練習をしていたんだけど、そこに彼女の姿もあったんだ。
自然、二人はお互いにタイムを計ったり、一緒に走ったりする。男子の中ではそこそこ足が速い友達だったが、彼女も女子の中では指折りのスピード。二人の差はほとんどなかったらしい。
しかもそろって意地っ張りと来た。相手が休もうとすると、自分が実際にボロボロだろうが、設定したスタートラインへ向かい、また走り出す構え。
そしてちらりと、相手に視線を向ける。
「そんな程度でへばっちまうのかよ。だせぇー!」
言外に煽るんだ。すると友達の場合も彼女の場合も、「きっ」と相手をにらみつけて、横並びになるんだ。
これは、先生にグラウンドを追い出されるまで続いた。
「な、なかなか根性あるじゃねえか……」
「あんたもね……」
ぜーはー息を切らしながら、とぼとぼと帰る二人だったけど、友達には少し気に食わないことが。
両者の格好、半袖であることは共通していたけれど、下に履いているものが違う。友達が短パンなのに対し、彼女はベルトをきっちり締めた長ズボン。友達よりも走りづらいのは明白だった。
「おい、次にやる時はズボン脱げよ。あっ、別に変な意味じゃねえかんな。俺が短いパンツなのに、お前は長ズボンとか明らかに手を抜いてんだろ。気に入らねえんだよ」
彼女はその言葉に、眉根を寄せる。すっとズボンに手をやると、ベルトループの辺りをつまんで、くいと持ち上げて見せた。
ベルトは真っ黄色。今回の友達のクラスが所属するチームを示すものだった。
「私はもう黄色の一員のつもり。勝つために、自分ができることをやるわ。このズボンだってそのグッズのひとつ」
「へん、筋力増強ズボンか何かってか? 漫画か何かの真似っこか? ぷぷぷ……」
こう笑ったのは、何も彼女の発言ばかりじゃない。彼女のズボンを見た時、ベルトに重なるようにしてもう一本、帯が入っているのがのぞいたためだ。ハチマキに見える。
変な格好をしながら真面目にものをいうのが、おかしかったんだ
「せいぜい茶化していればいい。あんたこそ、明日以降も手を抜かないでよ」
「上等だ」
喧嘩腰のまま別れた二人。
それからも友達は彼女と張り合い続いたけど、じょじょに彼女の方が友達と差をつけ始める。長ズボンのまんまでだ。
「あれあれ〜、えらそうなこと言う割に、走りづらい長ズボンの私に勝てないの? どんどん差がつくとか、手を抜いてんのはそっちじゃない?」
「ほざきやがれ……女子だって本番は体操着じゃねえか……ちっと調子が良くたって、当日と同じ格好じゃなきゃ……意味ねえよ」
肩で息をする友達の前で、彼女は余裕しゃくしゃくとばかりに手を振る。
「はいはい、負け犬理論。走りやすくなったら、もっとみじめな差がつくこと、わかんないかなあ?」
「うっせ! とっとと脱げ!」
「きゃ〜、ヘンタイ、近寄らないで〜」
「まじめにやれや!」と突っ込みたかったけど、もう息が続かない。事実、彼女の方が自分より速いんだから、むしろ自分がもっと罵られる側。
逃げる素振りを見せる彼女だったけど、それもわずか数メートルだけ。友達が追ってこないのを、見越していたのだろう。
足を止めると、またウエスト周りに指を入れながらぽつりとつぶやく。
「ま、そろそろ大丈夫かな?」
「何が」とは突っ込まず、友達は黙っている。
空は明るいけど、そろそろ完全下校の時間だ。二人は最後に軽く100メートル程度走り、解散の流れになった。
翌日から友達の言葉にこたえるように、彼女は体操着姿になった。長ズボンに通していた黄色いベルトの代わりに、黄色いハチマキを締めている。
変化はそれだけじゃない。彼女は目に見えて、太り始めていた。
もともとスリムな体型だったのが、ハチマキを締め始めた数日間で、体操着の下からも、腹部のふくらみがはっきりわかるほどになってしまう。
だが、足はますます速くなっていた。友達はもう完全に水をあけられて、勝負にならない。こんな走りができるなら、過去四年間のどこかしらで目立っているはずなのに。
「まさか全て手を抜いていたのか」と、帰り際に詰め寄る友達だったけど、彼女は首を横に振る。相変わらず、ハチマキを頭に巻いたまま。
「私ね、今年に入って見つけたんだ。私の束ね方」
「束ね……? どういうこっちゃ」
「ほら、これ」と彼女がランドセルの中から、ひもとじの本を取り出してくる。劇の台本だったが、彼女はくくってあるひもが大事らしい。
「台本は、綴じられて初めて、人に見せられる形になるの。でも必要に応じて、途中で付け足したり削ったりしている。それを何度も重ねて完成に近づくわ。
私の身体も同じ。運動会の練習が始まって、あんたと一緒に走った時からずっと、速く走れるものを探して、この帯で束ねてきたのよ。
最初は慣らしで下半身だけだったけど、今は上半身も、こうしてね」
彼女はハチマキを指さすけど、友達には意味不明。ついに病気をこじらせたかと、かわいそうな目を向ける。
むっとした顔をする彼女は、「実際に見せてあげる」とのたまうと、すぐ右手にある公民館の裏手へ回り込んだ。昔からここは、ひと気がない。
「今から、私を『ほどく』よ。確認したら、すぐに私を束ね直して。このハチマキでね。いい? 絶対よ? 守ってくれなきゃ、やだよ?」
何度も念を押してきて、勢いに飲まれるまま「お、おお」とうなずく友達。向き合うように立った彼女は目を閉じると、頭に巻いたハチマキに手をかけた。
彼女の姿がぱっと消える。同時に、地面の上へうすだいだい色の液体が広がっていく。彼女の着ていた体操着たちがパサリと落ち、そこから「早く、早く!」と叫ぶ声。
見ると体操着の襟の中に、彼女の顔が埋まっている。だが、その下へ続くべき、肩より下がさっぱり見えない。
あたかも目玉焼きのようだ。白い体操服を白身に見立てたら、彼女の顔は黄身に相当する位置関係。そして額の上には、解かれた彼女のハチマキが乗っかっている。
一瞬、ぽかんとした友達だけど、慌ててハチマキを手に取り、その額へ巻いていく。自分のものを巻くのは慣れていても、向き合う相手の後頭部に手をまわして、蝶結びをするのは案外難しい。もたついてしまう。
「ブブブ……」という虫の羽音。カナブンがうすだいだい色の池の端に足をつけるのと、友達がハチマキを締め終えるのは、ほぼ同時だった。
彼女が戻ってくるのも、あっという間。そこには体操服をまとった彼女が、再び目を閉じたままで立っていたんだ。
目を開いたものの、すぐにその口の中で何かがもぞもぞと動く。後ろを向くと、彼女はそばへ転がしたランドセルからポケットティッシュを取り出し、口に当てた。ややあって、そのティッシュを丸める。
ポキッ、プチッと何かを潰すような音をティッシュから立てつつ、「だから早くって言ったのに……」と彼女はぼやいた。
再度、ハチマキのしまり具合を確認すると、これに関してはもう突っ込まないことと、引き続き運動会まで手を抜かないことを、友達は約束させられたそうな。
そして迎えた、運動会の本番。友達の所属する黄色組は見事、優勝を収めた。接戦だったものの、ノーマークだった彼女によるクラスリレーでつけた大差が、そのまま決勝点となった。
優勝が決まった時、ますます太った彼女が出してくる手のまま、ハイタッチをした友達だったけど、どこか背筋が冷える思いもした。敵対するチームのエースたちが、そろって欠席してしまっていたからだ。
この日限りの欠席で、大きく騒がれることがなかったけど、うわさでは運動会を行う時間中、行方が分からず、記憶も残っていないとのこと。
彼女はというと、運動会が終わったとたん、信じがたい勢いで肉を落とし、元の体型に戻ってしまった。圧倒的だった足の速さも、以前と同じように、友達と互角に落ち着いたとか。
「一度、ほどいちゃうと、またほどけやすくなるの。しっかり締めないとね」
そう語る彼女は、体育の時間も先生に許可をもらって、ハチマキを締め続けたらしいんだ。