灼炎姫フレイア・パーティキュル
「彼女はフレイア・パーティキュル。パーティキュル伯爵のご令嬢で、非常に優秀な生徒です」
「どわっ!?」
いきなりの声に俺は心臓がどきりとするのを感じた。慌てて口を押さえる。おそるおそるダークレットの髪をした少女――フレイアを見たが、よかった、俺の声に気付いていない。訓練に夢中なのだろう。
俺が後ろを見ると、ルシフェルが突っ立っていた。
「お前は部屋にいたんじゃないのかよ……」
「主の警護も副官のつとめですから。二四時間常に監視されていると思ってください」
俺に心の安らぐときはないのか。
「灼炎姫とも呼ばれていますね」
「灼炎姫? なんで?」
「さあ? クラスメイトがそう呼んでいるのを聞いただけですが。必要であれば調べましょうか?」
「いや、いい。フレイアね……見覚えあるんだけど、気のせい?」
「クラスメイトですからね……ええ、忘れてるんですか? 引くわあ……」
「え、いやいや! まだ始まって二週間だから!」
「彼女はですね、バカ息子が魔王さまに負けた関係で入学生の主席になった女性です。主席なので、学生代表として入学式で式辞を読み上げていますね。それで見覚えがあるのでは?」
「ああ、あの……」
俺は入学式を思い出した。確かにダークレッドの髪をした少女が威風堂々という感じで式辞を読み上げていた。
「この最高峰の学び舎に入学を許可していただいたことを感謝いたします。ここでの経験、時間を無駄にすることなく、わたしたちはただ強くなり、さらに高みへと邁進していきます。そして、わたしたちはここに誓います! 打倒魔王を! この血も肉も骨も、われらの青春のすべてとともに捧げて魔王を倒し、この世に平和をもたらしてみせることを! その日までわたしたちは不断の努力と研鑽をつむ所存であります!」
そんな挨拶だった。
なかなかに立派な式辞だと俺は感心していた。
「魔王さまの感想はどうなんですか? 公式の場でお前をぶっ殺すぞ宣言されましたが?」
「やる気があって大変よろしいと思うぞ。とても楽しみだ」
俺はにやりと笑った。
前にルシフェルは「経歴の飾りとしてこの学校に入学しているやる気のない貴族もいる」と言っていた。
そういうのは実につまらない。
だが、彼女は違うのだろう。あの式辞から伝わってくるのは間違いなく本気。本気の殺意だ。
この魔王を確実に仕留めるという本気。
俺は大好きだ。俺に挑戦しようという気概のあるすべてが。
それこそが、絶対強者であるこの俺の、永遠の飽きを終わらせてくれる唯一の薬なのだから。
「フレイアの理力はいくらくらいなんだ?」
「入試の結果としては六〇〇〇ですね」
「なんだ、たったの六〇〇〇か」
あの貴族のバカ息子ですら八〇〇〇。六〇〇〇では特筆するほどでもない。
「ですが授業の様子から察するに、ルシフェル調べだと実際は一万以上だと思われます」
「ほぅ、一万越えか……」
俺からすればどちらもたいした違いではないのだが、バカ貴族の数値くらいは超えてもらわないと張り合いがない。
「ん? 待てよ。さっき入試だと六〇〇〇とか言ってなかったか?」
「おそらくは手を抜いていたのでしょう」
「ほう?」
俺はフレイアのほうを見た。あの熱の入った訓練の様子からして手を抜く人間には見えないのだが。
俺の疑問に気づき、ルシフェルが答えを言う。
「あの貴族のバカ息子に遠慮したかと」
「なるほどね。つまりバカ息子に主席をとらせるためか」
「はい」
「くだらないな」
俺には理解できない感情だった。魔族の世界では強者こそ絶対真理。強いものが道を譲るなど、そんな道理はありえない。
「はい。くだらないですね」
「となると、あのフレイアはさっきのお前のグループでいうところの、親バカ息子派というところか」
「いえ。彼女は反バカ息子派です」
「え? そうなの? それで遠慮するの?」
ますます意味がわからない。
「貴族社会はいろいろと複雑なのです。彼女自身はバカ息子をよくは思っていないのですが、それで彼の鼻をへし折って親が迷惑するのはよくないと判断したのでしょう」
「やれやれ。面倒なことだ……」
とはいえ、俺のなかで彼女の株はぐんぐん上昇していた。
魔王を倒すと言い切った心の強さ。鍛錬を怠らないきまじめさ。それでいて親や周りに迷惑をかけたくないという謙虚さ。
なかなかいい人物ではないか。
「あの子と友達になるってのは悪くないな」
「いいところに目をお付けになりましたね」
ルシフェルが俺の意見を認めた。実に珍しい。
「日々の鍛錬で磨かれたボディーライン。筋肉質ではあるが女性らしい豊満さを失っていない肉体。もちろん顔立ちは言うに及ばず。魔王さまのすばらしい性奴隷になってくれ――」
俺はルシフェルの頭を殴った。
「マジで痛いです……魔王さま」
「そういう冗談はダメ」
「はい……肝に銘じます……。マジメに答えると、バカ息子とは違い公明正大でできた人間です。彼女を慕う人間は多いですから、おすすめいたします」
フレイアは修行を終えたのか、剣を鞘におさめ、タオルで汗を拭いている。
さて、今ここで俺が出ていって話しかけるべきだろうか?
それともここは退散して明日、学校で話しかけるべきか?
俺がそんなことで迷っていると――
「やあ、フレイア。こんな夜まで訓練とは頑張るね」
先を越されてしまった。
出てきたのはバカ息子と一緒にいた取り巻き貴族Aだ。たぶん、ルシフェルに聞けば名前が出てくるのだが、面倒なのでAで通す。
「君か……何の用だ?」
「単刀直入だね……さすがは武門のパーティキュル家だ。まあ、いいや。じゃあ、用件だ。お前にオウマを倒して欲しい」
解説しよう。
オウマとはこの学校での俺の登録名である。
つまり、俺を倒せと取り巻きAはフレイアに言っているのだ。
「……ラーロットを倒したあの男子か。なぜ?」
「わかっているくせに。貴族が平民に倒されるなんてあっちゃいけないんだ。平民どもはすぐに調子に乗るからな。早いうちに貴族の力を示さなければならない!」
「興味がない。ラーロットはお前のボスだろ。わたしには関係ない。ボスの敵討ちがしたいならお前がやればいい」
「ぐっ……!」
容赦のない正論に取り巻きAが唇を噛む。
「ま、まあ! 平民ごとき俺でも勝てるだろうがな! だ、だが、あのラーロットさまですら運悪く負けたのだ! 次の負けが許されない以上、確実を期してお前に頼みたいのだ!」
「言っていることは勇ましいが……オウマという男が怖いのだろ?」
「くっ……貴様、侮辱するのか!?」
「口が過ぎたのなら謝ろう。だが、興味がないという返事は変わらない。悪いが他を当たってくれ」
「いいのか……そんな口をきいて」
「なに?」
「これはラーロットさまからの命令なんだ。お前にオウマを討つようにとな。ラーロットさまの命令とは五大公爵家のひとつ、ファーブル家の命令でもある! そんなものに背いても大丈夫なのか? パーティキュル伯爵?」
にやにやとした顔で取り巻きAが言う。
「さあ、お前の返事はどうだ、灼炎姫フレイア?」
フレイアはふぅと大きく息を吐いた。
「わかった……考えておこう」
フレイアは肩を落とすとその場から去った。即答しないのがせめてものプライドの表れだったが――
彼女がどうするかなど、わかりきったことだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
俺とルシフェルは学校の食堂で昼食をとっていた。
この食堂もいつものように、貴族と平民でおおざっぱに席の場所が決まっていた。
面倒なことだとあいかわらず俺は思ったが、そんなことで揉めるのも本意ではないので平民枠の席に座って飯を食べている。
俺が食事をしていると――
ざわりと空気が揺らぐのを感じた。周りの平民たちが動揺しているからだ。
その揺らぎはだんだんと大きくなり、やがて俺の前に誰かが立ったところで最大まで膨らんだ。
「やあ、面と向かっては初めてだな。はじめまして、オウマ」
「……こちらこそ、はじめましてかな。フレイア」
俺が顔を上げると、そこには学校の制服を身をまとったフレイア・パーティキュルが立っていた。
「一緒に食事をさせてもらってもいいかな?」
「どうぞ。そこ空いてるよ」
俺は目の前の席を手でさす。
確かに貴族さまが平民枠の座席にやってきたらみんな驚くよね。もちろんそれは俺に用事があるからなわけだが、さてどんな話をしてくれるのかな?