帝国からの留学生ルゥリーの暗躍(下)
「奉納試合を?」
ガーダルフ教頭が怪訝な表情を浮かべた。
「はい。異国の文化と伝統に興味がありまして」
にこやかにルゥリーが応じる。
奉納試合は参加者が限られる。生徒会長候補と当選後に指名予定の副会長候補、あとは立会人として現役生徒会長のキルビスと選挙管理人のガーダルフ教頭だけ。
残念ながらルゥリーに参加資格はない。
大勇者の霊前は神聖視されており、誰でも気軽に入られる場所ではないのだ。
ルゥリーはその場所が武術大会の予選で使われたダンジョンの下層だということまで把握しているが、そこから先がわからない。
だから、その場所を知る数少ない人物のひとり――選挙管理人である教頭の協力が必要なのだ。
教頭は少しの沈黙の後、首を横に振った。
「ダメだ」
「え?」
「君の言うとおり国には国の伝統がある。そして、それは尊重し守られるべきものだ」
教頭が自分の言葉に納得したかのようにうなずく。
「奉納試合は部外者を一切いれない形でずっと続いている。帝国からの留学生である君の気持ちは理解できもするが――我々にも守るべき伝統がある。理解してもらいたい」
そう言ってから、ルゥリーの提出した写真をルゥリーの側へと押し戻した。
「それにこの写真も聞かなかったことにしよう。私の立場上、一生徒が不利益になる交換条件を提示されても困る」
「そうですか」
ルゥリーは抑揚のない声でそう言うと写真を回収した。
落胆などしていない。
すべては計算どおりなのだから。
ガーダルフ教頭が話を断ってくるのは想定していた。教頭は伝統を重んじる貴族らしい貴族だ。口にしたとおりの思考をしてくるのは充分に予想できた。
今までのはただの雑談。自分がオウマを嫌っている貴族主義の人間だと親しみを持たせるためだけの会話。
次に展開するための布石にしかすぎない。
「……さすがはガーダルフ伯爵。それだけの強いご意志をお持ちのようで。だからこそ信用できますね」
「……?」
教頭が怪訝な表情を浮かべる。
「ですが、王国には見る目がない。主家たる五公爵ファーブル家が失墜してからいろいろ苦労されていると伺っております」
「……何が言いたい?」
「ここからは帝国の留学生ではなく――」
じっとガーダルフの目を見てルゥリーが続けた。
「帝国からの使者としてお話しいたします。今からの言葉は他言せぬようお願いいたします」
「……!」
教頭の顔が驚愕に変わり、空気が一変する。
かまわずルゥリーは続けた。
「大勇者の霊前を視察するというのはわたしの意志ではなく――より高き意志、帝国においてもっとも高き意志、帝王エシフィアさまのご命令です」
「……なんと!?」
教頭の背中がイスに張り付けられたかのようにのけぞった。
「ご配慮いただければ、それなりの報酬は約束いたしましょう」
そう言うと、ルゥリーはふところから取り出した複数の大きな宝石をごろりと執務机に並べる。
その大きさと輝きの鮮やかさがその価値を物語っていた。
「つまらないものですが」
「い、いや、しかし……」
露骨な買収に教頭が狼狽していた。だが、宝石の価値も教頭にはわかっている。むげに断れない事情が彼にはあった。
ルゥリーは優しげな声色でそっとささやく。
「伯爵家の台所事情は存じております。お役立てください。なにも裏切れと申しているわけではないのです。少しの配慮、ただそれだけ。その程度のことで伯爵の忠義が疑われるものでもないでしょう」
教頭は何も応えない。
応えずにじっと宝石を見つめ――何かを考えている。あるいは何かに抗っている。
もう少しだ、ルゥリーは内心でほくそ笑んだ。
「これは証拠の残らない贈り物です。今このとき、この瞬間だけ存在するもの。今回のご配慮だけ履行していただければ、この件が伯爵を縛ることはないとお約束いたします」
教頭は何も言わない。ルゥリーは話を続けた。
「ああ、そうだ。ひとつだけ影響の残る部分がありますね」
「……なんだ?」
「わたしのほうから帝王エシフィアさまに伝えておきます。ガーダルフ伯爵はよくしてくれました、と」
ルゥリーの言葉を聞き、教頭が息を呑む。
「ファーブル家が没落してあなたは苦労なされている。もしものときの手段は多いほうがいい」
「バカな! 私には王国貴族としての――」
「責務と矜持がある? ご立派です。ならばこうお考えください。ツテを作るだけだと。ツテを使うかどうかはあなた次第。わたしたちからは何も求めない。もしも本当に困ったとき、あなたは手を差しのばすことができる」
ばっと右手を閃かせてルゥリーが叫んだ。
「覇王エシフィアさまに! あなたが手を差し伸べるのなら帝国はその手を決して払いはしない!」
沈黙。
その沈黙が部屋に染み込むのを待ってからルゥリーが口を開く。
「……必要であれば証文でも用意しましょうか?」
「欲しいと言うはずがないだろう」
教頭は断った。
だが、これは必ずしも否定ではない。そんな証文が露見すれば困るのは教頭も同じだからだ。
教頭はしばらく押し黙った後、大きく息を吐いた。
「私は何も聞かなかった。お前は何も言わなかった」
「はい」
にこやかに応じながら、ルゥリーは思った。
堕ちたな、と。
「その宝石は置いていきます。私が取りに戻ることはありません」
教頭はちらりと宝石を一瞥しただけだった。
「……ひとつだけ理解してもらう必要がある」
「なんでしょう?」
「奉納試合への参加は認められない。伝統を汚すわけにはいかない」
「なるほど」
「だが、大勇者の霊前に立ちたいだけならば奉納試合である必要はないだろう? 私ならば選挙期間中ならばいつでも出入りできる。別の日に案内しよう」
ルゥリーは吹き出しそうになるのを我慢した。
なにが『伝統を汚すわけにはいかない』だ!
奉納試合の当日であれば他の連中の目がある。ルゥリーを一存で連れていけば問題になる可能性がある。それを恐れているだけだ。
そして、そんなことはルゥリーにもわかっていた。
もともと別の日で考えていた。奉納試合を提示したのは掛け金をつり上げるためだけ。もしも教頭が奉納試合の日を飲んでいたら、仮病でも使って休まなければならないところだった。
「そうですか」
そんな内心をおくびにも出さずルゥリーは悲しげな声で応じる。
「ですが、伯爵の精一杯のご配慮と理解いたします。大勇者の霊前に立てるだけで本望。それでかまいません」
「そうか。ならよい」
ほっとした様子で教頭が言った。
ルゥリーはすかさず言葉を紡ぐ。
「ですが、こちらもひとつだけ条件を。日時ですが投票日の前日の夜にしていただけないでしょうか?」
「かまわないが、何か理由でも?」
ルゥリーはすべての感情を隠す笑みを浮かべてこう答えた。
「意外と多忙な身でして。その日以外は暇がないのですよ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
話を終えてルゥリーは教頭の部屋を出た。
首尾は上々。
思い出した様子でルゥリーは手に持った一枚の写真を見た。オウマとミファーが映っている写真だ。
その写真にルゥリーは笑みを向ける。
「この写真をばらまく必要ももうないんだけどね……。劇的な展開のほうが君も面白いよね、オウマくん?」
翌日、学校のあちこちに怪文書がばらまかれた。
『学校の英雄オウマの真実! 深夜の林で女子生徒と密会! 彼は生徒会長に足る人間なのか? その品格を問う!』
そんな内容の文章を添えられて。




