<英華発外の章> 『それは”水の戯れ”の如く』
失意の中、なんとか気持ちの整理を付けようと、心や感情を押し殺して帰路につく道中。
「……チュッ?(おっ?)」
ボトムタウンを出て、喧騒のある町へと戻ってほどなくして。どこからともなく声が聞こえてきた。
それも、ただの声ではない。跳ねるような、流れるような、美しい旋律を連ねる声。……誰かがどこかで歌っているらしい。
気分が沈んだ俺にとって、この歌声は一種の希望だった。空虚な心に音楽が染み渡っていく。安堵とも高揚とも取れる複雑だがポジティブな感情が、胸に込み上げてきた。
少しでも好きなものに触れて、悲しみや怒りや、ごちゃごちゃとした感情を忘れたい。
そう思って、自然と声のする方へと足を運ぶ。
ここにきて、人間のものより敏感なネズミの耳が役に立った。どうやらこの歌は、大通りを隔てた場所にある、小ぶりな建物から聞こえてくるみたい。ちょっと忍び込んでみようか。
『マスター? いったいどこへ?』
「チュッチュカ(いいから)」
魔が差したというか、救いのようなものを求めて、俺は声のする方へと一目散で駆け出す。
『…………』
ルティは何も言わなかった。
どうやらそこは食事処らしかった。入口と思しき場所に扉などは特になく、ビーズのようなものでできた“ひものれん”が人々の腰くらいの高さまで伸びているだけだ。
入口付近に立つと、中から程よい風と共に、良い匂いが漂ってきた。なるほど、換気扇替わりか。客寄せもできて一石二鳥ってわけだな。
「……チュッ」
『あっ、マスター。さすがに正面からは……』
営業はしているらしいが、今は食事の時間帯ではないのか、客はまばらで人気はあまりなかった。おかげですんなりと入り込めてしまう。
『……入っちゃいましたね』
歌声の主を探すのに夢中で、ルティに返事をすることもなかった。
~~~~~~
しばらく店内を歩き回っていると、厨房のような場所に出る。
そこには準備中らしい2人の女性がいた。
濃い金髪で頭上のでっかいアホ毛が目立つ細身の少女と、雪だるまのように丸いおばさんだ。
このアホ毛の少女、よく見ると、えらくぼろい服を着ている。エプロンすら使っていない。緑と青のオッドアイをしていることから、どうやら彼女は無資格者のようだ。
芋の皮むきをさせられているらしい。
「それが終わったら食器を洗っておくんだよ! それと、風呂掃除もね! 悪臭がお客のとこまで届いたら大ごとだ。芋や皿のついでに、自分の体も磨いておいで! その芋と同じように、あんたも皮まで剥げば、その不快な臭いも落ちるだろうにね、まったく……」
店主らしい横太のおばさんが、メスクの少女を突き飛ばすように押した。
「うっ……。……ごめん……なさい……」
メスクの少女は文句も言わず、突き飛ばされた拍子に落としてしまった芋を拾い上げる。その手はささくれと擦り傷だらけで痛々しかった。
「……チュウ……(……あいつ……)」
俺は「酷い仕打ちだ」と憤慨した。これじゃあまるで、召使い……いや、奴隷のようじゃないか。
そんな俺の気持ちを察したのか、ルティが語り掛けてくる。
『……。辛い現実ですが、貴方様はご理解のあるお方だと踏まえて、あえて言わせていただきましょう。メスクである彼女には、仕事があるだけマシなのです。屋根と壁のある寝床、なにより汚れを落とす機会があるということは、彼女らにとって大変幸せなこと。恵まれるなけなしのお金は、腐っていない新鮮な食物を得ることができる数少ない機会になります。誰も見向きもしないような小銭でさえ、これ以上にない希望の種なのです。持たざる者というものは、そういうことです』
……。…………わかってるよ、そんなこと。
俺は無言で少女から目を背けた。
持つ者と持たざる者がいれば、世界には自然と“格差”が生まれる。“格差”はやがて“差別”となり、“差別”は“虐待”へと繋がるってわけか。
やはりこれも、俺にはどうすることもできない。
頭ではわかっちゃいても、気持ちの整理がつくわけではなかった。どうしても込み上げてくる義憤や悲哀の感情が、「なんとかできないものだろうか?」と考えを巡らせるきっかけになる。
考えて、考えて考えて考えて。
でも、やっぱり……どうしても、ダメだ。
俺には政治とか社会とか難しい話はよくわからん。「みんな優しくなればいいのに」とは昔から思っていたけど、だからと言ってできることも限られていたし、具体的な案なんか思いつかなかった。
それでも胸に秘めたこの感情を誰かに伝えたくて、誰かと共有したくて……だからミュージシャンなんか目指してたんだ。自由に自分の感情をぶちまけて、誰かと共有できる職業だと思ったから。それはとても凄いことだと思って、憧れていた。
世界を変えるなんてそんなでかいこと、できるとは思っていなかったけど。でも、やってみようって気持ちはあった。「もしかしたら」って希望もあった。少しずつでも伝わっていく実感があった。だからどんな困難にも負けず、自力で夢を追いかけ続けて。やっと夢への第一歩を踏み出したところだったのに……。
ああ。この話はこの辺でやめておこう。
どんなに恋しくても、過去は二度と戻って来ない。
それよりも、今ある時間と、そして未来の希望に目を向けるべきだ。
とはいえ。過去を思い出したことも一概に無駄というわけではなかった。
生前に持っていた情熱が、心のどこかでくすぶり始めたのだ。
やはり、「どうせ無理だから」と諦めて何もしないのは、俺の性には合わない。
そういえば、前の人生でもこんな風に自分の無力さを感じることはあったよな。音楽を作ったり、創作したものを他人の目が触れるところに投稿したりしていると、どうしても行き詰まったり、なかなか先へ進めなくなるなんてこともある。いわゆるスランプってやつ? んなもんしょっちゅうだったよ。
今、俺が感じているこのもどかしさとかやるせない感情は、その時のものによく似ている。頑張っても手ごたえがない。考えても打開策がない。どうしていいのかわからない。肩に力が入りっぱなしで、自分の力を発揮できていないんだ。
よくよく思い返せば、まだ転生して半日も経っていない。1曲の1小節をしたためるのに1か月かかることだってあるんだ。この程度の期間つまづいただけで諦めてたまるもんか。
スランプの時ってのは、一旦プレッシャーを全部忘れて、好きな事に没頭するに限る。
そこまで考えて、「そうだ。曲でもしたためて、世界に配信してみようかな」なんて思い立った。政治とか文化とか難しいことを考えず、自分に得意なことで勝負を仕掛けるのだ。
幸いにもメンデルスゾーンには「最初から有名で注目されている」という利点もあることだし、多くの人の耳に届けることができるかもしれない。
後は俺の感情や想いが聞いてくれた人に伝わって、少しでも心に変化を来たしてくれたら万々歳。もしかしたら、少しずつでも世論が変わって言って、いつかは世界全土の人々が、自主的に平和的な解決法を思いついてくれるかもしれない。
魔法世界版のアメイジンググレイスだな。うん。それは理想的だ。
やっぱり俺は、差別が蔓延している世界で生きたくなんてないよ。
みんなもそう思ってくれたら、どんなに幸せな事だろう。
思いを馳せると、少しだけ勇気と力が湧いてきた。少しずつでも、動き出してみよう。
とくれば、だ。この世界における音楽の歴史や、楽器の特性なんかも学ばないとなぁ。嫌々聞かせるのでは意味がないから、ちゃんと人々の心を引きつける物に仕上げなきゃだし。
近代オーケストラの巨匠ラヴェルも、「作曲家は創作の際、個人と民族性の両方を意識する必要がある」という言葉を残している。新しい事を始めるにしても、まずは基本と流行りを理解しなければ。
そういう点も含めて、帰ってから改めてルティと相談してみよう。
そこまで考えを巡らせたところで、ふと「そういや俺、何しにここにいるんだっけ?」と現実に戻る。
ああ、そっか。さっきの歌声……。音楽を追いかけて、ここに辿り着いたんだっけ。
せっかく作曲しようと思いついたところだ。もしかしたら、ネタになるかもしれないし、インスピレーションが掻き立てられるかもしれない。この世界でキャッチーな旋律を知るきっかけにもなる。どうせだから、ちゃんと特定してきちんと聞いておこう。
そう思い立って、再び歩き出す。
『マスター? まだ散歩を続けられるのですか? そろそろお休みになった方が……』
「チュンヂュン、ヂュヂュウ~(いいじゃん、もうちょっとだけ)」
心の中に燻る熱を冷ますためにも、もう少しだけ粘ってみようと店内を駆け回った。
~~~~~~
しばらく店内をうろうろしていたら、とうとうあの意地悪だった横太おばさんに見つかっちまった。
とはいえ。
「おーやおや。かわいいチュンスケだこと。どうしたんだい? 迷っちゃったの?」
おばさんはさっきとはまるで正反対の優しそうな笑みを携えて、俺を見下ろしている。メスクの少女を突き飛ばした奴と同一人物とは思えない程の穏やかな表情だ。
「チュ……」
「お腹でも空いてるのかねぇ? 野菜の切れ端だけど、食べるぅ? ほれ」
さらに食い物まで俺の鼻先に投げてきた。余りものだろうか。結構立派な葉っぱ系の野菜だった。
食物店でネズミなんて嫌がられるかと思ったが、そうでもないんだな。やっぱりこの世界にとっては猫くらいの感覚なのだろう。食事中の客にさえ近づかなければ、問題視されることもなさそうだ。
ま、こんな奴から受け取るなんてまっぴら御免だったけど。
ネズミに余りものをやるくらいなら、さっきのメスクの子にちゃんと良いもん食わせてやれよ。馬鹿だな。いや、クソだな。俺、このオバハン嫌いだ。ふんっ。
俺はそっぽを向いて、そのまま店の中へと入っていった。
「あらあら。そっちはなんもないよぉー」
声をかけられはしたけれど、止められる様子もなかったので、遠慮なく上がり込ませてもらう。
~~~~~~
探索を続けても、歌声の主はなかなか見つからなかった。
「チュウ? チュッ、チュカ……(あれぇ? どこだよ、ったく……)」
確かにこの店から聞こえてきたはずなのだが。いつからか歌声も聞こえなくなり、誰があの声の主だったのかもわからない。
もしかして先ほどの歌は客のもので、もうこの店から出てしまったのか? だとしたら、すぐにでも追いかけた方がいいけど。うーん……どうしよ?
判断に迷う。だが、もし外に出てしまっていたら、この広い町中で沢山の人の中から探し出さなければならなくなる。そうなれば、もう会うのは絶望的だ。だとしたら、この中にまだいると仮定して、隅々まで探索してからでもあまり変わらないだろう。
そう考えて、店の奥を目指す。もしかすると隣の屋敷だったかもしれないと気付き、捜索範囲を少し広げてみた。
壁に開いていた穴や排水溝らしき管と、道なき道を進んでいく。すると、従業員の休憩所らしいところへと出た。
「……。チュ?」
周囲を見渡してみると、隣の部屋から明かりが漏れているのが見えた。どうやら、あっち側に誰かがいるらしい。
「チューン……(うーん……)」
残念ながら部屋へ続く扉は閉まっており、ここから中へ入ることは難しそうだ。
「チュッチュべチュッ、チュ(んなら別のとこを通って、っと)」
周辺をぐるっと回って部屋を観察してみると、天井付近の壁に張られた金属製の管が目に付いた。いわゆる通気口だ。
「チュ。チュイーッ(あそこか。それっ)」
力を込めてジャンプして、机や棚を経由してダクトを目指した。多少じたばたしてしまったが、なんとか辿り着くことに成功する。這って進めそうだったので、そのままダクトの中を通って、隣の部屋を目指した。
『マスター? 一体何を?』
「チュチュイ、チュバッカ……キッ?(ちょっとね、人探し……おっ?)」
薄暗いダクトの先から、灯りが漏れてきていた。思惑通り、隣の部屋に辿り着けたらしい。
ダクトの端に立つと、人影がすぐ下を横切った。驚いて頭を引っ込めて、もう一度ゆっくりと中を覗き込む。
「うん……しょ……」
中にいたのはなんと、先ほどのメスクの少女だった。浴場とおぼしき空間を、例のボロ服のまま掃除している。
「チュウ、チュウチュウ(ありゃ、これは当てが外れたなぁ)」
『どうして……隠れているのです?』
ルティがいつもの調子で不思議そうに“ぴかぴか”と光る。
「チュウッ、チュバッカ。キン!(ちょっと、光抑えてくれよ。見つかっちまう!)」
『おっと。失礼しました』
ルティが小声になると同時に、発光の強さも弱まった。
「……ん~?」
おっとまずい。少女が不穏な気配を悟って周囲の様子を伺っている。
俺は少し下がって息を潜めた。
数秒もすると、少女は「ふーん?」と肩を竦めて、掃除に戻った。
『かくれんぼ。なんだかわくわくしますね』
ルティが無邪気な事を言う。
「チュッチュウ……(遊んでるわけじゃないんだけどな……)」
俺は唇を尖らせながら不満を垂れた。
なんて話している間に、事が動きだす。
メスクの少女がおもむろに衣服を脱ぎ始めたのだ。
「チュッ!(なんっ!)」
『そういえば、先ほどの店主らしき女性は「風呂のついでに自分の体も洗っておいで」と言っていましたね。これから入浴するのでしょう』
ああ、そうか。なるほど。
でも、待てよ。そういやあの子って無資格者だよな。メスクってこの世界の技術を使えないから迫害されているって話じゃなかったっけ? 風呂なんてどうやって入るんだろう?
少し興味が沸いたので、俺はその場に留まって観察を続けることにした。
少女が壁に備え付けられたいる突起をひねると、温泉施設にある滝風呂のように、天井付近の管から水が流れ出てきた。水圧や位置エネルギーを利用した原始的なシャワー……というか、水打ちだ。そうか、メスクは魔法への適性を持っていないってだけで、魔法に頼らない技術は普通に使えるのか。物理法則様様だな。
少女はその水を浴びながら、全身の汚れを手でこすり始める。湯気は出ていないから、きっと本当にただの水なのだろう。春先とはいえ、寒いはずだ。
水を温めるのは魔法の力を利用した技術なのかもしれない。魔法技術に対する適性を持たない彼女では、水で体を洗うのが精いっぱいってことなんだろう。
なんだか可哀そうだな。……なんて思ってみていると、不意にルティが呟きだす。
『……ほう。先ほどは汚れていましたが、こうして汚れを落としてみるとなかなか……端麗な容姿の女性ですね』
「チュチュ? チュウッチュ?(え? 君って杖の癖に女の子の可愛さとかわかるの?)」
『そりゃあもう。個人を特定する能力は誰よりも高いという自負があります。優劣といったものを付けるつもりはありませんが、“好まれる傾向”という観点においてのデータは十分に蓄積されているのです。わたくしの長年の分析から言うと、彼女はとても“カワイイ”部類に入ると思います』
少し興奮気味に早口で喋るルティは『ムフフ……』と怪しい笑い声を出した。
……なんだか危険な香りがしますね、コレは。
「チュッチュチュ。チュチュイ、チュイチュイチュンチュクチュン?(なあ。今更なんだけどさ、これってもしかしなくても立派な犯罪なんじゃないか?)」
『我々は今、ネズミと骨ですから。人間の法など知ったこっちゃですよ。気にしない気にしないデュフフフフ』
「チュウー、ッチュ……(君は杖のクセに、そういうところだけやけに人間臭い言い訳するのな)」
『長く時を共にしていれば、性質も似てくるものですよ。それに、杖というものは普段、人間の裸体とは縁のないものですから。ウフフ、目の保養……もとい、後学のためですっ。ええ、そうですとも!』
杖のクセにそっちの気が!? それに声だってバリバリ女性じゃんよあんた!?
ネズミの声で「なんだかなぁ」と相槌を打ちながらも、俺自身、つい少女の方へと目をやってしまっていた。ああ、男という生き物は、皆総じてバカなものさ。しょうがないじゃない、それが本能ってものなんだから。
閑古休題。少女の話に戻ろう。
彼女は栄養不足のせいか発育こそそれほど良くないものの、確かにつややかな髪を持ち、整った顔立ちをしていた。くりっとした目つきに、卵型の輪郭、左目のところにある小さい泣き黒子が印象的。体の方も線が細すぎるような気もするが、見ようによってはモデル体型とも取れる。総じてかなりの美少女だ。
あっ。その愁いを帯びた表情で、くっと顎を上に向ける角度いいね。心のシャッターをパシャパシャパシャッ。
……。べ、別にやましい意味じゃないですけど? 何か?
薄い紫色のメッシュがかかった濃い金髪に、目は深い緑と青色をした美少女だぞ。芸術的だろうが。そういう意味での保存です。
と、犯罪者まがいのアホ2名――1人と1本――が、なんだかむっつりドキドキしていた――まさにその時。
「~~~~♪~~~~」
少女がハミングで歌いだした。
その歌声は……先ほど、俺の耳に届いたものと同じものだ!
「チュッ!? (おおっ!?)」
これにはさすがの俺も驚いたね。さっき俺に元気をくれた歌声は、迫害されているはずの存在、メスクのものだったんだから。
少女の鼻歌は、音楽としては整合性もとれておらず、適当な音の羅列といっても差し支えなかった。しかしよく聞いてみると……シャワーから流れ落ちる水が体を伝って床に落ちる音を的確に拾い、その様子を上手く表現しているように思えた。
類稀なる観察力により環境と音楽の接点を見つけ、体の内側から自然とあふれてくる“音”に、心を乗せて発散させる。自然体から滲み出る無作為の感性は、一種の爆発とも呼べる芸術だ。頂点、あるいは原点とも呼べるほどに美しかった。
そう。まさにラヴェルの『水の戯れ』のように。
ネズミの髭やら背筋やら腹の底に“ビビビッ”ときて、全身に鳥肌が立つような刺激が広がっていく。彼女の歌声は、俺の鼓膜を柔らかく繊細に刺激した。
なかなか鋭い感受性を持った少女だと、俺は感心する。
感心すると同時に、どこか心の内にひっかかるものを感じ始めていた。
なんだろう。凄く大事なことを忘れているような気がする。もうちょっとで頭の奥の方にある“もやもやしたもの”が出てきそうなんだけど……。
眼玉をきょろきょろと動かして考える。うーん? あれでもない、これでもない、ソーダもない、コーラもない。
少女が歌っているだけなのに、何を思い出すことがあるってんだ?
……。ん? ……歌? ……つまりは……音楽?
これって……俺が目指していた……。……あっ!
そして俺は、ある可能性に気が付いた。
胸の内に湧き上がってきた興奮を抑えきれず、口で加えていた杖を、壁に何度か打ち当てた。
“ガンガンガンガンガンガンガンガン!”
『ちょっとマスター、乱暴です! 第五元領域に用があるのなら、直接私に伝えてくださればいいのに!』
勢いに任せて適当にやったことで、ルティに怒られてしまった。
悪い悪い、ちょっと興奮しててさ。
そんな言い訳を口にする間もなく、俺はさっさと次の行動へと移る。
精神の空間へと入って時を止めた俺は、するりと通気口を抜け出し、少女へと近づいていった。
『……はあっ……』
未だダクトの中にある濃い方のネズミの肉体に咥えられたままのルティが、呆れた様子で嘆息した。少し苛立った様子で、強めに。
『ちょっと、マスター。時間を止めてまで、少女のあられもない姿をまじまじと見つめたかったんですか? それではただの変態さんですよ。完全にアウト、悪質です!』
『ちっ、違うよ。俺はただ、この子のステータスを見たかっただけだ』
『それにわたくしが見えない方向から見て! わたくしだって見るなら正面からの方がいいです。マスターだけ、ずるいっ!』
もうルティの後半の暴走気味な発言は無視して、少女の方に目をやる。
後ろ足で立って、前足で枠組みを操作しようとやってみると、案外すんなりと動いてくれたので、彼女が持つパラメータを眼前で見ることができた。――つまり、前に回り込まずともダクトの中から操作して能力詳細を見られたということだが、ルティが気付いてごねると面倒なので秘密だ――。
『えっ。この娘、この見た目で18歳!?』
ふと見上げて、胸元を凝視してしまう。……この大きさだから、中学生くらいかと思ってた。
って、これじゃあただのセクシャルハラスメント発言じゃん。ふるふると首を振って我に返り、別の言い回しを考える。
身長はともかくとして、骨格が華奢だ――じーーっ――。痩せているせいもあって、さらに細い――じーーっ――。成長が遅れてるんだなぁきっと。栄養失調ってコワイ。コワイよなぁ――(躊躇せぬ凝視)――。
……。あまりまじまじと見続けたらそれこそただの犯罪なので、ここらで自重して視線を落とし、他の数値へと目を向ける。
おおよそは先ほど見てきた人々と同じ程度なのだが、“記憶力”や“器用さ”といった部分に関しては思いのほか高く、100前後といったところだ。こういった秀でた部分があるからこそ、メスクであるにも関わらず、飲食店で雇ってもらうことができたのだろう。
体の小ささ故か、筋力は10にも満たない。魔法が使えないことから差別を受けている無資格者なので、当然魔力と適性は0となっている。“知性”もそれほど高くないようだ。数値的な弱点と言えばそんなところか。
後は固有能力と特殊技能なわけだが……ステータスよりもこっちが酷い。
<薄幸>や<口下手><人見知り>といった、いわゆる不利特性がついているらしい。それも大量に、対人関係の類ばかり。当然ではあるが、どのアビリティの説明文も、デメリットしか書いてない。
「チュチュッピ、チューチュウ。チュギッ(うわぁよく見たら結構細かく書いてあるぞ、このステータス画面。便利だな)」
ほう。好物は甘い物。嫌いなものは大きい人や怖い顔の人、大声を出す人etc。新陳代謝は良い方で、“毒”や“病気”に対する抵抗力がちょっと高めなんだな。この辺は過酷な環境で生きているメスクらしい特徴と言えるだろう。
ああ、一応は有効そうなアビリティもあるな。<敏感な耳>だって。字面からすれば、「小さな音も聞き逃さない」的な感じだけどどういう能力なんだろう。なになにー、『大きな音に驚きやすい』……? それだけ? ああ、普通にデメリットだこれ。
しかもスキルは一切なくて、アビリティもこれだけかよ。もう固有能力っていうかただの個性じゃん。能力詳細じゃなくてプロフィールにでも書いとけよこんくらい。
以上がおおまかな彼女の能力値といったところだ。
まあ、ひと言で言って「出来損ない」としか評価のしようのない能力値だな。なんていうか……ゲームなんかで出てきても、縛りプレイ以外では使われないような感じ。上級者向けの超ベリーハードな人生を歩んでいらっしゃるご様子だ。
……が。
さっき聞こえた歌声は確かなものだった。これほど詳細に書かれたステータス表に、何故明記されていないのか不思議なくらいに。
音楽活動で稼ぐことを目指していた俺の耳に狂いがなければ、彼女は羨ましいくらいの才能を秘めている。なんの訓練も積まずにこのレベルに達しているとしたら……俺なんか足元にも及ばない、本物の逸材。いわば天才だ。
全知全能と呼ばれるインモータル・テオスでも、音楽ってものはさすがに数値化できなかったんだろうな、きっと。
そもそも音楽、特に歌っていうものには、“決まり”こそあっても“正解”はない。正解がなければ基準も作れず、計ることもできないわけだ。歌のうまさや発声のセンスは、いわば隠しステータスのようなものらしい。
これは、使えるんじゃないか?
そう、ふと思い立つ。
音楽ってものは、常に誰にだって平等だ。
極論を言ってしまえば、音が聞こえなくても、音楽ってものは楽しめるはずさ。
例えば、そう。和太鼓の演奏を生で聞けばわかる。
胸の内側でビンビンと響いて、そこでしか味わえない迫力を感じられるだろう。
完成したオーケストラの演奏は、一糸乱れぬ弓捌きも相まって、まるで踊っているように見えて美しい。
ちなみに、楽譜には弓を上下させるタイミングまで事細かく書いてあるからね、あれ。乱れちゃうってことは、それだけ間違えているから下手って意味。音がよければ良しじゃないんだぜ。これ豆な。
そもそも。フィギュアスケートやダンスのような競技だって、音楽を“体現する”ことを原点としたスポーツだろう? 音楽がなくては始まらないが、音が聞こえなくとも、その美しさは理解できるはずだ。
手で触れることで耳が聞こえない人にも音楽を楽しんでもらうというプロジェクトもあると聞いたことがある。
耳が聞こえない人のために出てくるテレビの字幕にだって「~♪~」と音楽が流れて盛り上げている様子を伝える表記があるほどだ。これはまあ、実際には諸事情あって音を出せない中で映像を見ている人に対する配慮ってのもあるだろうから、ただのこじつけなんだけれども。
ともかく。それくらい、音楽というものには力がある。“音”を“楽”しむという、人間だけが持つ進化した娯楽だ。最近のものは完成されているが故に、一部の感受性豊かな動物でさえ楽しめるときた。
ちょっと大袈裟かもしれないが、俺は音楽のことを、ただの空気振動と7つの音階によって構築された、宇宙共通の芸術だと思っている。宇宙共通と言えるものは、数学と音楽を置いて他にないくらい偉大なはずだ。
原始的でありながら、もっとも人間味の出る芸術のひとつ。科学や物理なんかも超越した、人々の心を突き動かす大いなる力。
そう。いわば音楽は、俺が元いた世界に唯一存在した“魔法”。少なくとも、俺はそう信じていた。
音楽って凄い力をもっているんだぜ。ほら、アイドルなんかだってさ、多くの人に夢や希望を与える存在だったじゃんか。俺らの世界における流行りのアイドルなんて、可愛さもそこそこで歌もそこまで上手かったわけじゃないけど。それなのに沢山売れて、多くの人に愛されて、無数の人々に元気と活力を与えて。とにかく人々を引きつける魅力があった。
人の評価ってのは難しく、だからこそ芸術というものは常に進化を続けなければならない。だからこそ正解がなく、いつだって不安定。
そして不安定であるが故に、どんな人にでもチャンスがあるのが、芸術関連の良いところ。とりわけ音楽は理解も弁論も必要なく、共感さえ得られれば成功と言えるので間口が広い。生きている間にこそ評価される、確実なチャンスだ。
レディー・ガガやスーザン・ボイルのような、本物のシンデレラストーリーを作り出した人物までいる程にね。
ジャスティン・ビーバー? ああ、ごめん。俺の趣味じゃないわ。趣味じゃないってだけで、例に出せるくらいのし上がった人物ではあるけどさ。
とにかく。歌ってものには、魅力があって、魔法に負けず劣らずの絶大なパワーがあるってこと。
ん? “魔法に負けず劣らずのパワー”……?
ちょ、っと待てよ? 俺、さっきなんて言ったっけ?
思考の中でまた何かが引っかかる。……ジャスティン君はちょっと黙っといてね。ガガも違う。生肉着ないで。
“正解”――違う――、“進化”――違う――、“不安定”――違う――……。もっと前に、何か俺、とても大事なことを思いついたよな?
“音楽って凄い力を持ってるんだぜ”……そう。その後。
これだ。“アイドル”。この言葉だ。
そもそもアイドルってのは“偶像”を意味する。偶像っていうのは、大仏様とかキリスト像みたいな、「信仰の対象を具現化したもの」を指す宗教用語。
そ。よくアニメやアイドルの熱烈なファンを「信者」って言うことがあるが、あの表現はあながち間違ったものじゃない。
金をかけようがかけまいが、熱心に追いかけて、心の糧にしたならば、それは既に立派な“信仰”なのだ。
信仰というものは、馬鹿にしているような相手には抱かない感情だ。尊敬していたり、愛していたりしなければ、信仰とは呼べない。文字通り“信”頼を以て“仰”がなければ。
つまるところ何が言いたいかというと、“アイドル”ってのは、それだけで“愛される存在”なのだ。“偶像”であるが故に、“信仰”を集めるものだからね。……そこで。
もし。もしも、だ。
この目の前の美少女を、その“偶像”にすることができたら? 世界は……俺が干渉するまでもなく、自主的に変化するとは思わないか?
彼女をアイドルとして育てれば、あるいは彼女にもファンが付くかもしれない。ファンが付けば居場所ができ、注目を集めれば多くのメッセージを伝えられるようになる。
魔法が使えなくても凄い事ができるし、人を引きつける魅力を持つことができると世に知らしめることができる。その事実は、確実に人々の見方を変えるだろう。そうなれば、他の無資格者と呼ばれ迫害される人々にも、希望を与えることができるかもしれない。
俺なんかが出しゃばって、“持つ者”に対してのみ説教臭く歌うよりも、“持たざる者”が自主的に変わっていく方が、ずっと効果的で民主的で、かつ美しい方法なんじゃないだろうか。
アイドルというものがある種の信仰を持つならば。その力は……絶大なものになるだろう。
愛を強要するのではなく。人々が愛するように仕向ければいい。
力で押し付けるのではなく、人々の良心を信じて、新たな境地へと挑戦するのだ。
『うっ……』
思いついた。この世界を変える方法。
『え? マスター、もしや……? ダメ、ダメですよそんな! うらやまもとい不潔です! わたくしのマスターとしてもっと厳格なる態度を取り、威厳と尊厳を以て、然るべき準備と期間と動機を元に、生物としての究極の愛を体現すべきでしょうっ!?』
これが、これが叫ばずにいられるかってんだ!
『ううううをををををををおおおおおおおおおもぅぅぅい、ついいいいたぁぁぁぁああああああああああああっっっ!!!』
俺は精神の空間の中で、天に向けて咆哮した。
魂の底から湧き上がってくる叫びを、興奮を、情熱を、どうしても止められなかった。
『うわぁっびっくりしました! マスター、突然どうしたのです?! “恋は一種の化学反応”とは言いますが、マスターの中で一体何が起こったというのですか!?』
困惑するルティに向かって、俺は堂々と言い放つ。
『ルティ! この子を“アイドル”にするぞ!』
『……。…………。………………』
しばし沈黙の後。
『はぁっ???』
裏返った困惑の声が聞こえる。
しかし俺にはそんなこと、もはやどうでもよかった。
俺は、この世界における差別と格差を払拭することを目標に、動き始めることにしたのだ!
やっと本編が始まりました(苦笑)
……長いよね、ごめんよ。