<英華発外の章> 『いざ、世界へ!』
お茶を持ってきた女の子を振り切って、ようやく外の世界へと出る事ができた俺は、そのスケールと世界観に圧倒されていた。
部屋を出るとすぐに庭園が現れた。美しい女性の彫刻が象られた噴水を中央に、水路で繋がった花壇には色とりどりの見たこともない花が散りばめられている。
小鳥の鳴き声と小川の流れるような音に混じって、楽器を奏でるような音がどこからともなく聞こえてきて、暖かく柔らかい光が差し込んでいた。
とても安らかな空間だ。
ところどころに支柱が立っていて、芝生の部分から伸びた植物のツタが、支柱に沿って伸びている。
その支柱につられて視線を上げていくと、いくつかの層に分かれた回廊が遥か上まで続いているのが見えた。
遠すぎて外見までは判別できなかったが、人影が往来している姿が見て取れる。
「ほえー。ファンシーだこって」
光の強さから屋外だろうと思っていたのだが、天を仰いで目を凝らしてみても、太陽らしきものは見当たらない。どうやらここは屋内で、かなり高い天井が広がっているらしい。周囲を取り囲む回廊の形から判断するに、ドーム状になっているようだ。
ついでにぐるっと回って見渡してみたところ、俺がいた部屋は、このドーム状の巨大な建物の吹き抜けになった空間の中央付近に位置するようだ。
「……ありゃ絶対上の方暑いな……」
これだけ広い空間が余すところなく明るいということは、相当強い光を照射しているのだろう。舞台の照明とかカメラのストロボだってあんだけ熱くなるんだから、きっと上の方には熱気がこもってすんごいことになっているに違いない。
そんな想像をしながら、ふと呟く。
って、魔法の世界にきてまで、んな夢の無いこと言わなくてもいいか。魔法でぺかーってやって謎技術でふんわりさせてんだよ、きっと。そうであって欲しい。
まあ、そういった技術的なことの観察は後々にするとして。
今はまず、外だよ、外。本物の外に出て行って、どんな世界なのか確かめなきゃ。
「っよーし。んじゃ、今度はここから出よう。どっちだ? あっちか?」
ひとまず、部屋から出たところにある階段を降り、噴水をぐるっと回り込んで、まっすぐ伸びる石畳の通路を進むことにした。
道中、物珍しい植物や見事な彫刻品、流れる水路を泳ぐ小魚などを眺め、時には鳥の鳴き声を探して周囲を見渡しながら進むのは、安らぎつつもどこか高揚感のようなものを覚えた。子供の頃の探検ごっこを思い出す。
それにしても、だ。
植物園と図書館と鳥かごと魔法使いの秘密基地を、全部まるごと足してしまったようなこの空間は、いったい何のための場所なのだろう?
この場所にいるだけで、魂が解放されるような気分になるというか、なんか自分はとても凄い存在なのではないかと感じられる。不思議な空間だ。
天国って場所があったら、もしかするとこんなところかもしれない。
そんなことを考えながら進んでいると、道の先に人影があることに気付く。第一異世界人、発見だ。
遠目からみたところ、槍のような物を持ったその人物は、つばのある帽子型の金属ヘルメット――俗にケトルハットと呼ばれる物に近い形状――を被っていた。衣服の上から身に着けている胸当てや、ベルトから直接伸びている前掛けといった特徴から、兵士だと判断がつく。
よくRPGに出てくる“モブの兵士”と言えば、きっとそのままの恰好を想像できるだろう。多分、警備の人だ。
初めて見る本物の兵隊に、少しばかり気圧された感じはしたものの。いうなればあれは、”イベント会場なんかで警備をしている制服のおじさんと同じようなものだ”と気付く。やましいことがないのに恐れる必要などない。
そのまま目の前を通り過ぎてしまおうと、ちょっと速度を上げて歩いた。
すると。
“ガシャッ!”
「えっ?」
兵士の前を通ろうとした瞬間、なにやら金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。
つい驚いてしまい、足を止める。
見ると、兵士が鎧の踵部分を当てて、わざと音を立てたようだった。
「……ッ!」
顔を向けると、兵士は驚いたように肩を強張らせ、さらにビシッと背筋を伸ばして胸を張る。
ああ、なんだ。「ちゃんと仕事してますよ」ってアピールか。びっくりしたなぁ、もう。
「ご、ご苦労様です……」
ただ立ち止まったのでは不審に思われるかもしれないと思い立ち、ひと声かけて、軽く会釈をしてから、兵士の前を通りすぎる。
「……っ!? っ!!?」“ガチャガチャッ!”
後ろから、兵士が驚いてこちらを振り返るような気配を感じた。
なんか知らんがヤバいと思って、足早にその場を去った。
~~~~~~
道なりに進んでいくと、また別の人影が見えてきた。今度は集団だ。
小さな水路を挟んだ向こう側が芝生になっていて、そこに生えた木の木陰に座り込んで、数名の美男美女が音楽を奏でていた。
なるほど、どこからともなく聞こえてきた音楽は、ここで弾いていたのか。
少し気になったので、足を止めて演奏に耳を傾けてみることにした。
彼らが奏でている楽器は主に横笛や竪琴といった原始的なものだった。そのせいか、音もより自然に馴染む音色をしており、この庭園の空気と非常によくマッチしている。
一定の旋律を繰り返す“規律”の中に、時折「ン~♪」とか「ナ~♪」とハミングを入れることで、“無邪気な妖精”がぴょこぴょこと跳ねながら入り込んでくるような、微笑ましい音楽になっていた。
北欧の民族音楽風でありながら、どこか大人しいジャズのような雰囲気も帯びる彼らの音楽は、この空間にいることで感じられる幸福感を、上手くまとめこんで増長しているように思える。素朴でありながら、完璧な“音の遊び”だ。
全身で音を噛み締めるように楽しむ姿は、とても魅力的だった。
目を閉じると、さらにイメージはさらに増大していく。
小鳥のさえずり。水路のせせらぎ。澄んだ空気。小動物たちが静かに息づく場所。水が踊るように跳ね、青々と茂った若葉が生命の息吹を風として運ぶ。……そんな風景がまぶたの裏に広がっていった。
ここは屋内だから風など吹いていないはずなのに、のどかな風を肌に感じるようだ。
「ふむ……。こういうのもいいなぁ」
ふと感想が漏れる。
すると、急に音楽が止んでしまった。
どうしたのだろうと目を開けると、音楽を奏でていた人々が一様に目を丸くしてこちらを見つめていることに気付く。
「「「ッ!!?」」」
そして目が合うと、皆一様に緊張した様子で立ち上がって、背筋を伸ばした。
「……? あの……?」
「「「ッッッッ!!?!?」」」
「演奏、続けてください。上手かったですよ?」
「「「「「!!!!!」」」」」
そう声をかけると、音楽家たちは一瞬固まった後。わっと一斉に動き出した。喜ぶように跳ねたり、お互いの肩を叩きあったりしながら、涙ぐんで喜んでいる。
声をかけられただけであんなに喜ぶなんて……。ここはストリートパフォーマーには厳しい世界なのかな? 一応、元ミュージシャンとしては、音楽に興味を持った世界観の方が嬉しいわけなんだけど……。
その辺も含めて、もっと見聞を広めたいところだ。
楽団が演奏を再開したところで、「ついでにおひねりでも投げてやろうか」と衣服を探るが、あいにく小銭らしきものは持っていなかった。そういえば相場や金銭感覚もわからないため、今回は挨拶だけに済ませて、俺はさらに進むことにした。
「んじゃ、その調子で頑張ってー」
最後に声をかけて会釈をしてからその場を去る。
「――――――ッ!」
「!! !!!」
「…………ッ。…………!」
去った後で、後ろの方からなにやらコソコソと喋る声が聞こえてきた気がするが、「変なの」と呟くにとどめ、あえて振り返ることはなかった。
~~~~~~
ようやく庭園の出口が見つかる。真っ白い壁に茶色の扉が目立って、わかりやすかった。
それにしてもどんだけ広いんだよ、この庭。広い公園か、あるいは動物園くらいあったぞ。これが全部、この大理石みたいな白い壁で覆われてんのか? 世界観っていうか、物理的な問題とか金銭感覚どうなってんの?
まさか……環境汚染だとか厳しい自然現象が原因で、人々は密閉されたドーム内で暮らすことを余儀なくされている……みたいな、唐突なSF展開が待っていたりやしないだろうなと、少しばかり不安になってきた。
「まあ、そんなこと出てみればわかるだろ。とうっ」
意を決し、扉を開く。
すると今度は、赤いカーペットが敷かれた長くて広い廊下が現れたではないか。
どうやら、まだ外には出られないらしい。
「……。よし、進もうっ」
気を取り直して、さらに突き進む。
廊下の光源は主にランタンだった。近づいてのぞき込んでみると、ガラス越しに蝋燭が燃えているのが見える。
「ほう。ここは意外と普通なのな。おっしゃれ~」
この廊下は特に見るところもなかった――脇にいくつかの扉が見えるが、いちいち全部の中を覗いていたら大変だし、明らかに不審だろ?――ので、ちゃっちゃか進んで次の扉を開けた。
~~~~~~
次は聖堂のような場所へと出る。しんと静まり返ったこの場所は、先ほどまでの庭園と比べると明かりも抑えられていて、粛々とした印象を受けた。
しっかし。これまた天井の高いこと高いこと。上の方に小さく見えるのは、おそらくシャンデリアなのだろうけど……それがちゃんと見えないくらいに高い。今まで見た中で一番近い高さは、野球場の一番低い客席から見た天井かなぁ? もはや何十メートルって規模だ。
あんな高い場所の蝋燭、どうやって変えてんだろ? 掃除とか滅茶苦茶大変そうだなぁ。
しかも石材でできた壁をよく見ると、継ぎ目が一切見当たらないときた。これまたどうやって加工したのか見当もつかない。
まさか、大きな岩山を削って形を作り、全部を磨いてこんな“てかてか”にしたわけでもないだろうし……。いやあ、不思議だ。これぞ、ファンタジーって感じだね。
建造物のスケールの大きさ、不可思議さにいちいち驚きながらも、周囲の神聖というか格式高い感じの張り詰めた空気の中あまりはしゃぐわけにもいかず。息を殺して、なるべく足音も立てないように、慎重にこの場を通り抜ける。
この時に抜けた回廊のような場所がまた凄くてさ。
絵画だの彫刻だの金銀宝石をちりばめたアクセサリだのに始まり。なんだか滅茶苦茶強そうな武器だったり、格好いい鎧だったり、イケてる盾だったり杖だったりといった、芸術品とも古美術品とも取れる高価そうなものが沢山飾ってあったんだな、これが。
不気味な程の静けさといい、薄暗い感じといい、美術館や博物館のような雰囲気だ。
見てみろよ。この鎧なんて、全体がピッカピカだよ。ダイヤかなんかで出来てんのか? あっちの剣の柄には、親指の爪くらいの大きさのルビーっぽい宝石がはめ込まれているし。こっちの杖だって、ねじれている胴部分といい鹿の角みたいに枝分かれした先端といいめっちゃ格好いいぜ。あ、あのでっかい斧、あんな鉄の塊、人間じゃ持ち上げられないだろ。いったいどんな化け物が振り回すんだ?
ああ、もう。見てるだけでなんかわくわくしてくるなぁ。
なんたってこんな凄そうなものが、ショーケースにも入れられず、普通に立てかけてあるんだろう? 最新式のセンサー魔法的なもので管理されてるのかな?
道中で何度か立ち止まり、「へぇ」「ほぉ」と感嘆の息を漏らしながら、あれこれと見学して進んだ。
司書というか、学者っぽい格好の通行人とすれ違う度に、後ろから視線を感じたりひそひそとした話声が聞こえたりした気がするけど、面倒事に巻き込まれても困るので、あえて無視して進み続けた。
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植物園のような庭園、美術館のような聖堂を抜けると、ようやく外に出ることができた。
外と言っても、まだ建物の敷地内らしかったが。
深呼吸をすると、春のような香りがした。空気は新鮮で、なんていうか……清々しい印象を受ける。
肌に触れる風は少しだけ冷たく、空気も澄んでいることから、ここは高所なのではないかと推測できた。
目の前にだだっ広い石畳の広場があって、その先にもう一つの庭を挟んで、門のようなものが見える。さらにその向こうには橋があり、続いて町があるみたいだ。距離としてはかなりある。
「……遠っ……」
さすがにちょっと気後れしたが……。しかしまあ、せっかく異世界に来たのだから、普通の人々の暮らしも見てみたいし。頑張って歩きますかね。
これまでの建築様式やすれ違った人々の服装から、世界観が中世ヨーロッパ風なのは想像がつく。となれば、また別の興味が沸いて、いろいろと想像を駆り立てられた。
やっぱり移動は馬車だったりするのだろうか? 女性は質素なドレスを着こんで頭に無地のバンダナを巻いていて、男性は上半身裸でムキムキの筋肉を見せつけていたりさ。口ひげを蓄えたり武骨な武具を身に着けた、いかにも冒険者風って集団が酒場に溜まってたり、あるいはドラゴンみたいな魔法生物がペットとして飼われていたり。蚤の市“たり”、掲示板“たり”、ギルド“たり”。たりたり“たり”するんだろうか?
ああ、止まらない。この世界の人々の暮らしをこの目で見てみなければ気が済まない。
「早く見たい! 知りたい! 待ちきれない!」
もはや妄想が先走り過ぎて、なにも言葉が思いつかなくなった俺は、「どんな世界が待っているのだろう」と胸を躍らせ、町へと向かった。
~~~~~~
広場を抜け、鉄格子の門を超えて、橋に差し掛かった辺りで。
俺の歩みは、不意に止められてしまった。
「……お?」
どうやら前方の道で、大勢の人々が立ち往生しているらしい。
こちら側には兵士が沢山いて、町の側からやってきた大勢の人々をとうせんぼうしているようだった。
「あーあ、渋滞してやんの。他に渡る道、あったりしないかなぁ?」
何気なくそんなことを呟き、回り道でも探そうと顔を背けたところで。
「はっ!?」
すぐ近くの集団がざわついた……かと思えば。
振り返った兵士が顔を青ざめさせて、まだこちらに背を向けている隣の兵士を小突いて合図を送る。小突かれた兵士は振り返ってまた驚いた顔をして、隣の兵士を小突く。その無言の合図が全員に行き渡ったかと思えば、兵士たちはただちに“ささっ”と身を引いて道を明け渡し、深々と頭を下げてきたではないか。
「え……なにこれ?」
兵士たちの仕草にあっけにとられていると、今度はひとりだけ色の違うヘルメットを被った、偉そうなおっさんが前へと出てくる。
「申し訳ございませんでしたっ。ど、どうぞ、お通りください!」
そして、やっぱり深ぁく頭を下げると、道を丁寧な手つきで指し示した。
それを合図にしたかのように、兵士たちの向こうで渋滞していた普通の人々も一斉にこちらを振り返り、ずざざざざっと身を引いて、道を明け渡していく。
全員。年端もいかない子供までが等しくお辞儀をして、俺と目を合わせようとしない。
「…………は?」
な、なんだこの対応は? いやまあ、そりゃ確かに今までだって割と特別視っていうか緊張されるような素振りは沢山あったけどさぁ。
こんな大人数に見せつけられちゃあ、見て見ぬふりをするわけにもいかなくなってくるじゃないか。
俺は王様か何かなの? 皆、時代劇なんかでよく見る大名行列が通る時の平民みたいなことになってんだけど。
もしかして俺の後ろにもっとヤバいのがいて、そっちを恐れているのか? そう危機感を覚えて振り返ってみるが、別にそういうわけではなさそう。
「んなっ……?」
というか、後ろも別の意味で、相当におかしなことになっていた。
どこから集まって来たのか、大勢の人がびしっと整列して、こちらを向いていた。頭を下げる者、恭しく目を伏せる者、ちらちらと顔色を窺ってくる者。その形は様々だが、どっからどう見ても、誰かに気を使っているのは確かだ。挟まれている状況からして、その”誰か”は”俺”なのだろう。
わざわざ奥の中から出てきて、その列に加わる者までいる始末。
人がどんどん増えていく。金髪、茶髪、黒髪、赤毛。白人黒人黄色人。毛深い人々に小さな人々。そして見るからに獣人っぽいデカブツ。多種多様な特徴を持つ人々が、際限なくどんどん集まってくる。
「……なんじゃこら……」
まさに、開いた口が塞がらなかった。
「えっと……。う、うん。とりあえず、御見送りかな? あ、ありがとう」
会釈をして声をかけると、全体の空気がぴんと張り詰める。
……俺、またなんかやっちゃいましたか……?
さっすがに気まずい。っつーか普通にコワイ。
「あのー……じゃあ……その…………サイナラ?」
じりじりと移動して、相手が動かないことを確認してから橋を渡る。なるべく急ぎ足で。すぐその場から離れるように。ぶっちゃけ小走りになっていた。
しばらく進んだ辺りで、「なんか静かだなぁ」と思って振り返ってみたら、人々はまぁだお辞儀をしていた。絶対にこちらにお尻を見られないよう、しっかりと体をこちらに向けた状態で。
「ンだよアレ。宇宙から飛来した寄生生物が人々を操っているレベルで挙動がおかしかったんだけど。……まさか、背中を見せないのは、寄生生物の本体がそこにいるから!?」
なんて、B級パニックホラーの見過ぎか。
だってそれくらい異様な光景だったんだもん。ホント、なんだったんだ、アレ?
ようやく橋を渡り切ったところで、後ろから歓声が聞こえてきた気がした。
怒号とかではなく、拍手混じりの賞賛の声だ。
「なぁんかおかしい……。どうなってんだぁ?」
俺はようやく奇妙な事実に気付き、少々不安を覚えながらも、当初の目的通り町を目指した。
~~~~~~
はい。町なんて目指すもんじゃなかったね。
突然なんのこっちゃと思われるかもしれないが、これが俺の素直な感想だ。
そりゃ、凄かったよ? ここは魔法の世界でさ。どうやらみんなが魔法を使えるみたいなんだよ。
あちこちで魔法の実験をしていたり、指輪から光が出て映像を映し出したりしていてさ。うん。パンとか空中に浮いてたね。編み物なんかも自動でした、浮遊して。
手紙なんかも、魔法で済ませてね。自動書記っていうの? 空中に浮いた羽ペンが勝手に紙に文字を書いてさ、さらにその手紙が勝手に折りたたまったかと思えば、羽ペンがくっついて、そのままぴゅーんとどっかへ飛んでっちゃうんだもん。
不思議だなぁと思いつつ、なんとなく携帯電子機器でメールを打つようなものだって想像がついて、妙に納得したりね。
ああ、生活水準は高いんだな、と。
街並みだって綺麗だったさ。全体的に石っていうかレンガ造りで、時々は木造で、煙突なんかがあったりして。ファンタジーとしては理想的なヨーロッパ系の風景だったよ。よくわかんないけど、イギリス辺りの、古いけど古臭くはないって感じでちょうどいいの。
町も結構広くてさ。そこそこ高い建造物もあって、一番高い時計塔……? いや、灯台? 何かはよくわからないけど、とにかく町中どっからでも見える塔のようなものがあって、迷うこともなかったし。
遠目だけど沢山の長い煙突から黒い煙をもくもくと出し続ける施設なんかもあるみたいだったから、文明としてのレベルも結構高いみたいだ。
とにかくここは、とっても平和で、のどかで、活気のあるファンタジーの町。
備え付けのベンチでうとうとする老婆。かけっこをする子どもたち。井戸端会議を本物の井戸の隣でする奥様方。朝から精を出す鍛冶屋のおやっさん。大きな声で客を呼び込む市場の人々。魔物の討伐でもするつもりか、掲示板の周りに集まった武器を持つ人たち。王道ファンタジー感のほとんどを踏襲している感じ。
それが、遠目からみた、町の人々。うん、平和だね。のどかだね。普通だね。想像していた通りのファンタジー世界だね。
それが、だよ。
「「「「「……………………」」」」」”ザザザザザーーッ”
俺が近寄った瞬間、“コレ”だもの。
やっぱり、まるで大名行列か裸の王様でも前にしたかのように、道の端に寄って、こちらと顔を合わせないように深々とお辞儀をする。
誰も彼もが手を止めて、必ずこっちを向き直り、頭を下げてくるんだもん。居心地悪いったらありゃしない。
ああっ、じいちゃん、そこのおじいちゃんっ。いいから、頭なんか下げなくていいから、まずはその肉を焼いている火を止めてっ。コゲちゃう、燃えちゃうっ。
ってワンコ――っぽい生物。いや、これ、狼? 小っちゃい狼じゃね?――まで!? あっ、よくみたら屋根の上のニャンコ――っぽい生物。……だけど、黒いもぞもぞにしか見えない。目だけ光っててコワイなにあれ――もじっとして頭下げてるしっ。どうしてみんなそんなにお利口なのっ? 実は動物に変身した人間だったりするのか!?
世界全体に監視されているような錯覚さえ覚える。だんだん気味が悪くなってきた。
とにかく注目されすぎて気まずい。
そこで、すぐ傍の人に声をかけて、こんなこと止めるよう催促しようとすると……。
「ああああ、こんな俺みたいな人間にお声をかけていただくなど、光栄の極みっ! あ、ありがとうございますっ。ありがとうございますぅ!」
なんか、涙ながらにお礼を言われてしまった。
ナニコレアラテノシュウキョウカナニカ? チョーコワインデスケド。
困惑する俺を他所に、周囲からは「おおっ」という軽い歓声まで上がっている。どうやら……たった今、俺が声をかけた人物を羨んでいるようだ。
余計に気味が悪くなって、周囲を振り返りながら全員に告げてみる。
「み、みなさん。俺のことなんか気にしないで、普段の生活に戻ってください」
すると、またどよめき。歓声。驚きの声。
見世物にでもなっている気分だ……。
「そんな注目されても、俺困っちゃいますから。ね? た、頼みますよ~」
さすがに困って軽く頭を下げると。
今度は人々が“ぎょっ”と目を丸くして、次の瞬間には「わっ」と慌ただしく動き出した。
また悪いことでも言っちゃったかな? と不安になる。
人々は、まるで恐る恐るといった様子で、こちらに気を配りながら、個々の日常に戻り始めた。
只ならぬ様子に恐怖感すら覚え、俺はすぐにその場を去る。
ああ、逃げたのさ。
だから最初に言ったろう? “町なんか目指すもんじゃなかった”って。
しばらく走って人気のない場所までたどり着き、ほっと一息ついていると。今度は杖が光り出した。
「んっ? 今度はなんだってんだよ……」
もしかして何か伝えたいことでもあるのではと思い立ち、その場で杖の柄を地面に3回押し付け、精神の空間へと入り込んだ。
~~~~~~
『ところでさぁ、杖さん?』『ところでご主人様?』
入った瞬間杖に声をかけると、見事に杖とハモってしまった。
杖が「はっ」と驚いたように光る。
ま、呼ばれたのはこっちの方だし、杖の話を最初に聞いてやるかと思い立ち、『どしたん?』と問いかけてみる。
杖は『あっハイ、お先に失礼しますね』と一言断ってから、話を続けた。
『わたくし、先ほど翻訳できなかった言語について考えていたのですが、やはりどうしてもしっくりきません』
なんだ、そんなことかよ……。と思いつつ、一旦気持ちの整理をつけるために、話題を切り替えるのも手かと考え、『そうなの?』と杖の話に乗ってみる事にした。
『はい。そこで理解をもっと深めたく思い、わたくしからご主人様にご提案したいことがあります』
『何さ? 言ってみ?』
『まことに恐縮なのですが、ご主人様に対してこの言語を利用することで、その表現が正しいものかどうかを、評価していただきたいのです』
それは……俺の世界でいう外国語を喋りたいってことか?
別に許可を取るようなことじゃないと思うんだけど。まあ、スマホやパソコンがいきなり英語表記になったら困るのも事実。“物”としては、至極当然な思考だったのかもしれない。
『うんいいよ。つっても、俺も英語とかほとんど喋れないし、正しいか完璧に判断できるかわからないけど』
『ああ、いえ。本来わたくしの目的としましては、”ご主人様の言葉を正確に相手に伝え、相手からの言葉も正確にご主人様を伝えることで、可能な限り不要な齟齬が発生しないよう、練度を積む”ことです。なので、根本的に大事なのは、貴方様が“どのように表現すると理解できるのか”、であり、言語学的に正しいかどうかは二の次で構いません。それと……もし間違えて使ってしまった場合にも、ご容赦いただければと思いまして』
あー、なるほど。
試しにやってみるけど、発音とか表現がおかしなことになっても許してね、ってことか。
予防線を張るなんて、こういうところは“物”らしくないよな、この杖。
『おっけー了解、ご容赦しますよっと。新しい知識を身に着けることは悪い事じゃないし、その過程における失敗なんて気にすることはないさ。誰だって、言葉や表現を間違ってしまうことはある』
そう伝えると、杖が表情を輝かせた気がした。まあ、相手は杖なので顔などないのだが。そういう雰囲気と言うか、空気を感じた。
『ありがとうございます、さっそく検出してみますね! ……ふむ。ふむふむ……。では、少しやってみます。聞いていてくださいね?』
『おう』
杖はこほんと咳ばらいをして、続けた。
『ヘイ・マザファッカ! アーユークレイジー・ンハァ~ン? ユーサノバブィッ――』
あーーいはーいはいはいはいはい。
『はいはいはいはいストップストップ。それめっちゃ口汚い。下手すりゃ殺されても文句言えないやーつーだーよー』
言語の意味的にも発音的にも聞くに堪えなかったので、さっそく止める。
どこでそんな汚い言葉覚えたんですかっ。お父さんびっくりしたぞおっ。
『も、申し訳ございません。沢山喋られて多くの人種に幅広く認知されているはずの”エイゴ”を選出したつもりなのですが……難しいなぁ……』
しかも本気で悩んでるっぽいし。
うーん、こっちとしては何が難しいのかよくわからないから、フォローのしようがないしなぁ。
『まあ、もっと単純にさ。単語とかから徐々に慣れていけばいいんじゃない? 完全な翻訳じゃなく、俺に伝わるかどうかが重要なんでしょ?』
そもそも「言語の複合が複雑で難解」という話であり、英語をマスターしろって話じゃなかったはずだが。
『徐々に、ですか? 単語を、使って?』
『そ。難しく考えすぎなんだよ。こっちとしたって、なーんにも考えずにそれっぽい感じの言葉をなーんとなく当てはめてみてるだけなんだしさ。どうせ正解なんてないんだから、好きにまぜこぜして使ってみればいいんだ』
『はあ……? その、せっかくご教授していただき恐縮なのですが、やっぱりよくわかりません』
『うんと、そうだなぁ。……あ、例えばさ、俺を“ご主人様”以外の表現で呼んでみるとかどう?』
『メンデルスゾーン様?』
『いや、そうじゃなくて……。複合した言語の解析を進めるための練習がしたいんじゃなかったっけ?』
すると杖は『ああ……』とどこか納得したように感嘆し、黄色くチカチカ光った。適切な言葉を検索しているらしい。
『では、ご主人様のことを……“マスター”とお呼びしてもよろしいですか?』
『うん、いいね。そんな感じ』
コツを掴めば覚えは早いね。さすが補助杖。
『では、マスター。何かわたくしに質問してみてください。練習がてら、いろいろな言葉を合わせて、表現してみます』
おっ。いきなり難しそうなこと始めやがったな。
でもまあ、ちょうどいい頃合いかもしれない。堅苦しい喋り方をされるのも、おっくうだったことだしね。
気分をリフレッシュさせるためにも、そしてこの世界の世界観への理解を少しでも深められるよう、世界観的な質問をして、こちらの知識も深めてしまおう。
頭の体操のお時間です。
『じゃ、この時間を止めてる時の状態ってどんな原理なの?』
『はい。第五次元領域は時空におけるスペクトルを超越した新たな概念であり、無限の情報フィールドにアクセスする権限を持つ領域です。ご主人様――じゃなかった。マスターの世界においては、まだ概念部分のみの考察に留まり、実態を定義はできていなかったようですね』
うあお逆に難しくなってやがる。
『ごめん、俺の頭じゃ理解できない……』
『はて? 頭はインモータル・テオスのものですから、理解自体は可能なはずなのですが……』
『なんていうんだろ、うーん……。心が難しいお勉強を拒否っちゃって、頭まで入ってこないや』
『つまり――まだその肉体に慣れておられないのですね。仕方のないことかもしれません。魔法の無い世界から来訪されたようですし、その根本を直感的に理解するのには、少々の時間を要するのも納得がいきます』
えーっと。じゃあ、もうちょっと簡単な質問にしようかな?
『魔法の原理ってどんな感じなの?』
『魔法とはすなわち精神と現象の構造を具現化した、万能言語ですね。マスターのいらっしゃった世界においては、”アストラル体”と呼ばれる原理が最も近い理論かと思われます』
『魔法なのに……言葉? 超能力とかとは違うってこと?』
『“法”、ですからね。何事にも“理論”と“記録”は必要で、それを表すには“言語”が必要なのです。そして“音”というものは、それだけで空間に干渉する引力を有していますから、人間の体躯から最も素早く魔力を伝え“法”を象る手段としては「即ち言葉の発声」となるのですよ』
うーん? “魔法には詠唱が必要”みたいな感覚でいいのかな?
『ちなみに。残念ながらマスターのおられた世界におけるアストラル体の定義は、惜しくも魔法原理に則っていないため、不成立な構築となり、実証は不可能だったと思われます。魔法というものは精神や肉体には影響を及ぼさず、自然界的な必然エネルギーを元に発揮される列記とした学問であり、物理や宇宙理論といった分野の方が近しい性質を――』
『はいストップ』
『……あら?』
『今はお勉強会じゃなくて、君が多言語を複合でうんちゃらかんちゃらの練習だったよね?』
『あっ。そうでした、そうでした。申し訳ございません、マスター。マスターとお話することが嬉しく、ついお喋りになってしまいました。不快な思いをさせていなければいいのですが』
『不快ってわけでもないから、その心配はいらないよ』
『そうですか。安心しました!』
杖は無邪気に“ぺかっか”と光った。
この時、俺の心に新たな感情が芽生え始める。
こんだけ強い個性を放つ杖を、いつまでも「君」とか「杖」って呼ぶのはなんだか忍びない気がしてきたのだ。
なんていうか、愛着がわいてきちゃったんだよね。手伝ってくれるし、素直だし、無邪気で可愛げがあるし。“ただの便利な杖”って認識よりも、“助けてくれる仲間”って感じの方がしっくりくると思い立ってしまった。
『ねえ、こっちからも一つ提案なんだけどさ?』
『はい。なんでしょう?』
『君に名前をつけてもいいかな?』
『名前……ですか……?』
『うん。ほら、会話をする以上、いつかは固有で君のことを指示さなきゃならない時がくるかもしれないし……』
『わたくしの知る限り、第五元領域に侵入することが可能な人物は究極の魔法を得たマスターだけです。よって、この領域ではわたくしとマスターしか存在しないことが大前提となります。二人だけの状態で相手の固有名詞が必要になるのか、少々疑問に感じます』
『例えば……杖を叩けず、この場所に入れないこともあるかもしれないしさ』
『その時は、わたくしに命令していただければ対応しますよ? 元より、危機的な状況にあれば自己判断で危機を回避するための防衛行動をオートで発動する場合もあります』
うーん、なんつーのかなぁ。そういうことじゃないんだけど。
『とにかく、仲良くしたいってことだよ。いいじゃん、俺にだって固有の名前を付けたろ? だから、君にも名前をつけてやろうかなって、そう思っただけだよ』
杖は『はあ?』と不思議そうに光った。
『マスターは不思議な感性をお持ちのご主人様ですね。…………』
しばし沈黙ののち。一瞬黄色く光ったかと思うと。
『わかりましたっ。では、わたくしに名前をつけてください、マスター!』
そう言って元気に光った。
『自分で好きな名前は付けないの?』
『考えたこともなかったので、思いつきません。なにかヒントはありませんか?』
『うーん? そうだなぁー』
じゃあー。
『補助杖だから、ジョジョってどう?』
『それだとおじいちゃんが持っている杖も指揮者が持つ指揮杖も、みんなジョジョになってしまいます!』
杖は焦った様子で否定した。
へえ、やっぱり“好み”はあるんだな。感情のないロボットってわけじゃなさそうだし、一安心だ。
『ははは、冗談冗談』
どっかからか怒られそうだしなぁ。
『えーっと、じゃあなにか所縁のある名前にしよう。君の正式名称ってなんだっけ?』
『はい。“ルッティアーの上椎体骨製複合知能付き補助杖”です』
『ルッティアーのじょうついたい……え?』
『ルッティアーの上椎体骨製複合知能付き補助杖、ですよ』
どこからどこまでが1個の言葉なのかわかんねぇ……。辛うじてルッティアー“の”って部分だけがわかる程度だ。
ついでにそれも聞いてみちゃおう。
『ルッティアーってなんぞ?』
『ルッティアーは、古代神幻期に生息した超巨大な魚類だと言われています。その生物が生きていた時点ではわたくしはまだ存在し得ず、さらにわたくしに知能という機能が付属したのはその何世代も後の話なので、本当に存在していたかどうかは判別しかねますが、伝説上ではこのルッティアーの死骸が世界の大地になったと言われています。いわば、長らく語り続けられる伝説の生物です』
魚なんだ? じゃあ、コツってもしかしなくても骨か。
『つまり、魚の小骨から生まれたってこと?』
『“コボネちゃん”も嫌ですよ、わたくし!』
『え、ええっ? いやいや、そんな名前はつけないよ、さすがに……なあ?』
あっぶねぇ。言うところだった。
意外と選り好みが激しいな、この杖。
『じゃあさ、もう単純に“ルティ”ってどう? 言いやすいし、個性的だろ? その、ルッティアーってのが伝説の生き物なら、尚更さ』
『ええと。……。確かに、その語感であれば、この世界における人名に似た響きでありながら、併合する著名人や魔法はわたくしの知る限り存在しません。……ルティ……わたくしの、名……?』
杖はやっぱり不思議そうに黄色くチカチカっと光った。
そして、“パチッ”と今までにない紫色の光を瞬かせると。
『そのように設定しました。わたくしは不滅の神格者を補助する杖、“ルティ”です。改めまして今日からよろしくお願いします、マスター!』
元気に蒼白い光を放って、挨拶をしてきた。
心なしか、今まで以上に深みというか、温かみのある光を放つようになったような気がする。
気に入ってくれたようで何よりだ。
『さて。気分も落ち着いてきたし、そろそろ散歩を再開しようかな?』
『あら? もうご自分の立場は理解されたのではないですか? それでもまだ散歩を続けます?』
『うーん。やっぱり魔法って不思議だし、もうちょっといろいろと見て回りたいからさ。観光も兼ねて』
『そうですか。マスターがそうしたいのであれば、わたくしは全力で補助しますよ』
『うん、ありがとルティ。助かるよ』
名を呼んで声をかけると、ルティはどこか感激した様子で嘆息するような音を出し、淡く光り、それから。
『では、行ってらっしゃいませマスター。また何かあれば、このルティをお呼びくださいっ』
元気に挨拶をして、『えいっ』と元の空間に戻るための“ぎゅぎゅーん”をしてきた。
その後、やはり余所余所しい態度を取ってくる町の人々に少なからず気を散らされることになるのだが。それでも楽しい散歩は続くのだった。