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<序章> 『お約束の展開』


 気が付いた時には、目の前は真っ暗。ぷかぷかと浮かんだような感覚で、どこかもわからないだだっ広い空間を漂っていた。


 どうしてこんなところにいるのだろう?

 何故、浮いているような感覚がするのだろう?


 ぷかぷかと浮き沈みを繰り返しているような感覚のまま、ぼーっとする頭で考える。ほとんどが意味を成さない問いだった。


 俺は今、仰向けなのだろうか? それともうつ伏せなのだろうか?

 俺はどこを目指し、何を目的としているのだろうか?


 重力を感じないこの暗闇の空間では、何もかもが曖昧で、多くの事象が滅茶苦茶だった。

 自分の体が存在しないような感覚に囚われる。どういうわけか、周囲が360度全て見渡せるような錯覚に陥った。


 このようにわけがわからない状況下でも、心の中はなんというか……穏やかだった。

 暗いのに怖くはないし、静まり返っているのに寒くもない。たった1人でいるのに、寂しさすらも忘れていられた。ただぬるま湯の中で流れに身を任せて漂っているような、脱力した空気に包まれる。


 その時。視界の隅に何かがチラついた。小さな輝きだったように思う。

 興味を駆られた俺は、重くなる瞼を動かして、周囲の様子を探ろうと目を開いた。


 すると、そこは――なんと、宇宙の只中だった。


 俺は無数に輝く星々の輝きに囲まれていたのだ。


 思わず「おお」と感心のため息を漏らす。通りで浮いているような感覚がするはずだ。

 そしてようやく思い出した。俺がこの場所にいる理由と、目指している場所。



 そういや俺は――死んだんだった。

 きっと“あの世”に向かう途中なんだろう。



~~~~~~~


 小さい頃から音楽が好きで、それなりの才能にも恵まれた俺は、物心ついた頃から音楽関係の仕事に就くことを目指していた。

 専門学校にも通い、ストリートミュージシャンの真似事をやって、自作の曲を動画サイトにアップなんかして、「いつか大物になってやろう」と、がむしゃらに挑戦を続けていた。そんな努力が幸いにも実り、巷で多少流行っているらしいライトノベルのアニメ版の主題歌を歌わせてもらうことに決まったのが、ほんの数週間前のこと。

 そりゃあ、初めてのプロ契約だったし、喜びのあまりはしゃいでいたのは事実さ。苦労をかけてきた両親にもようやく親孝行できると思ったし、常々「どうせ無理だよー」なんて茶化して来た生意気な妹も見返せるわけだ。


 だが、死んだのは羽目を外しすぎたからじゃない。ましてや、誰かの妬みを買って殺されたわけでも、作品作りに苦悩して自殺したわけでもない。

 単純に、事故ったんだ。しかも悪いのは歩道を渡っていた俺じゃなくて、無謀運転をしていた車の方ときた。

 動く速度も進む道も違うはずの車と人。それがある時突然、真正面から“ごっつんこ”なんて、相当運が悪かったとしか思えない。ああ、間違いなく悲劇だ。笑えるほどに、ありきたりな。


 どうせ死ぬなら、「車道に飛び出した子どもを救おうとして犠牲に」とか「若き才人、病魔には勝てず」みたいな、英雄的な死に方をしたかったものだなぁ。と、まるで他人事のように考える。


 まあ、殺伐とした現代ならば、別に珍しくもないありがちな話さ。

 将来有望な若者が、何の脈絡も理由もなくいきなりお陀仏。あまりにありふれ過ぎて、お昼のニュースにもされてもらえない程度の、虚しい終幕だよ。


 ……………………。


 そう考えると、なんだか腹が立ってきたな。


 俺はまだ若いつもりだし、未来だって明るく開けていたんだ。

 少数ではあるが友人にも恵まれ、サイトに上げていた動画にだって結構な数のファンがついていた。生放送を配信すれば、多少のおひねりだって飛んできた。人生は順風満帆、これからだって時に、永遠のお預けを食らうなんてありえない。


 もっとやりたいことがあったのに。

 まだまだできることがあったのに。


 激しい未練と後悔の念に苛まれる。

 せめて俺をひき殺した馬鹿野郎の夢枕にくらい立って、恨み言のひとつでも言ってやらないと気が済まない。


 ドチクショウ。何が「俺、死にました」だよっ。ンなの「はいそうですか」と納得できるか!


 俺は怒りを虚空にぶつけた。


 即、虚しさを覚える。


 なんたって俺は死んでいるから、ぶつける何かを持ち合わせていない。動かせる体も、叫ぶための口すら存在しない。

 主観では怒りをぶちまけたつもりでも、客観的に言えば“何も起こらなかった”。

 いわゆる“魂”って呼ばれる物になっていたのだと思う。これが虚しくなくて、なんだというのか。

 動かせないって感覚は妙に窮屈だ。拘束された不快感というよりも、“解放され過ぎた虚無感”に邪魔をされているという感じだ。多分、誰にも伝わらないであろうことがもどかしい。そのもどかしさが、さらに苛立ちだけを加速させる。


 死んで宇宙の只中に居ると言うことは、きっと、おそらく、俺(の魂?)は昇天している最中なのだろう。地上から見上げた空の先には宇宙が広がっているのだから、死んだ者の魂が天に昇るというのならば、天国だか地獄だかとにかくあの世って場所に辿り着く前に、広大な宇宙を経由するのはあり得ない話じゃないだろうさ。

 でもそれって、裏を返せば、「俺はまだ、完全にあの世に到達したわけじゃない」ってことだろう?


 だったら、まだ後戻りのしようはあるかもしれないじゃないか。

 宇宙って場所は、まだ物理と科学の範疇だ。俺の肉体はまだ地上に健在で、いわゆる危篤状態なのかもしれない。

 戻ることができる可能性が1パーセントでも残っているなら、俺はその1が0に変わるその時まで抗い続けてやる。


 だってまだ、生きていたいから!




 だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーー!!




 ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーっッッッッ!!!!




 俺は叫び続けた。腹――ないけど――の底から。胸――これもない――の奥から。魂――これだけはいつだってなくならない!――底から。

 意味など無くても。これは間違いなく、“魂の叫び(ソウルフル)”だ。

 不幸中の幸いか。俺は作詞や作曲だけでなく、自ら歌うことも好きだったから、そのおかげで、“喉を震わせる”という感覚だけは魂にまでしっかりと刻み込まれていた。


 肉体がないってことは、限界がないってことでもあった。

 空気は必要ないから、息継ぎをすることなく延々に叫んでいられた。

 真空の中では音など鳴らなかったかもしれない。口も喉もない2.5グラムの光の粒では、何ひとつとして物理的な現象を起こせなかったかもしれない。


 それでも俺は、叫び続けた。

 いつだって同じ。これまでも、これからも。


 音楽ってものは、「誰かに届く」と信じて、魂を震わせて放つものだ。



 俺はどうしようもなく諦めの悪い、純粋な単細胞(バカ)だったのだろう。



~~~~~~



 そんな馬鹿にも取柄はある。

 何があっても“諦めない”ってこと。

 決して無視することはできない“情熱がある”ってこと。


 そして。


 存外に“運が良い”ってこと。


 叫び続けて、数分か、数時間か、数日。

 基本は暗闇で、定期的に巡ってくるお天道様もない宇宙では、時間の感覚が曖昧だったが、とにかくしばらく経った頃。


 頭の中の後ろの方で、何かが“ズビシィン!”と繋がるような感触がした。

 ほら、推理もののアニメなんかで主人公が時折感じるアレだ。“灰色の脳細胞が活性化する瞬間。青天の霹靂(へきれき)のような衝撃。その時、脳裏に稲妻走る。”そんな感じの奴。


 虫の知らせとも呼べる予感に、はっと口を噤む。

 神経を研ぎ澄まし、耳を澄ますと――肉体がないから耳鳴りも感じず、音は非常にクリアに届いてきた――、あり得ない程遠いどこかから、微かに魂を揺らす“声”が届くのを感じた。


 俺はここだ! ここにいるぞ!


 そう返事を返す。なんて言っているかは聞こえないが、確かに返事が届いた気がした。


 やっぱり無駄なんかじゃなかった。俺は喜びに胸を躍らせる。あれほど動かすことができなかった魂となった体も、微かに上下したように感じた。


 そこで、体の中心にほど近い場所――“胸”と表現するべきだろう――が“ぐんっ”と引かれる感覚がした。

 クラゲが海を漂うようにゆったりと流れていた景色が、物凄い速度で流れ始める。その指向性のある勢いはどんどん加速していって、周囲が光に包まれた。

 ついには光さえも超えて、言葉ではとても言い表せない、緑と白と暗黒のブロックが、桃色の格子の中をくるくると回る、万華鏡のような世界へと引き込まれる。

 見えている物ももはや意味不明で、嘔吐感を伴わずにぐわんぐわんと目を回しているような感覚に耐えていると。


 体が急に“ビタァッ”と止まった。


 何やら……異次元の香りがした。上手くは言い表せないのだが。都会に出て故郷に帰って来た時の逆というか、初めて海外旅行に行った時のような、本能が「何かが違う空気」を瞬間的に感じ取ったのだ。


 気付くと、目の前に眩しい光を放つ物体が現れていた。この物体の光り方がまた妙なもので、物体そのものではなく、その後方から光が漏れ出して、物体の影を作り出しているような感じだ。

 俺と平行して漂うように寄り添う光の塊からは、はっきりとした気配を感じられる。目を凝らしてみると、どうやら影は人の形をしているらしい。

 後方から鋭く伸びる光が翼かあるいは輪っかのようにも見えて、綺麗だった。


 これは一体なんだろう? 天使のようでもあるし、宇宙人のようでもある。

 俺は興味を引かれつつ、警戒しながら、その光の塊の様子を伺った。


『…………。……もし……?』


 その時だ。俺の中で何かが震えた。

 はっきりと“声”が聞こえてきたのだ。

 耳も鼓膜もない魂だけの存在となった俺だが、この時確かに、身の内に響く力を感じることができた。


 人……なのか?


 恐る恐る返事を返してみる。すると、光の塊は安堵したように脱力したため息をついて、さらに続けた。


『ようやく見つけた……魂……==う者。頼む、どうか私の願いを聞いてくれ』


 光の声は途切れ途切れで一部上手く聞き取ることができなかった。光の塊から“声”として届く何らかの力は、まるで周波数が微妙に合っていない無線のように雑音が多い。

 相手の言葉を聞き取ろうと集中していると、光の声はさらに続けた。


『私と……魂の行方を交換してはもらえまいだろうか?』


 全く意味が分からない。

 天使だか宇宙人だかはわからないが、会話は通じるようなので問い返してみる。


 あの、あんた大丈夫? ここがどこなのか、あんたが何者なのか、一体全体どんな状況なのかさえ、まったくの意味不明なんだけど?


 光の塊は『ふむ』と考え込むように唸って、しばらく考えを吟味した後、再度口を開く。


『なかなか澄んだ波長を連ねるものだ。その純朴さがあれば、きっとこの肉体が持つ役目も果たせよう』


 やっとチャンネルが合ったらしく、相手の声から雑音が取り除かれたと思ったら、今度は相手の独り言が届いてきた。どうやら俺の意見は置いてけぼりらしい。


 おーい。会話は言葉のキャッチボールだぞー。


『おっと、すまない。長年待ちに待った瞬間が不意に現れたので、少し高揚を覚えてしまった』


 光の声は「エヘン」と咳払いをして、再び神妙な口調になって俺に語り掛けてくる。


異元(いげん)よりの来訪者よ。君は今、常命(じょうみょう)をまっとうし、新たなる境地へと辿り着かんとしている。そして私は、この世に無限の生命を縛り付けられた哀れな死不(しらず)の者だ。遠出より届いた生命への渇望、今ここで果たさなりや?』


 なるほど、やっぱりわからん。

 外国語を粋な翻訳した造語で表現するせいでわけくちゃわからなくなった文章のようなことを淡々と言われても、さっぱり頭に入って来ねぇですよ。

 これだからインテリは嫌いだ。


『……。すまない、君の世界の言葉は非常に高度且つ乱雑だった故、様式を理解す迄に時を要した。言い換えるとすらば、“私は君と同じ行方に向かいたい”ということだ』


 は? いや、俺フツーに死んだんだけど? 行く先もなにも、同じ方に行くってことは、あんたも死ぬってことだぞ?


『結構。終末を知らぬ我が肉体は、幾千の時を以てしても、この魂を開放してはくれないのだ。貴の魂が持つ指向性を借りれば、あるいは彼岸へと渡れよう』


 ちょ、ちょっと待て。あんたの言葉を整理する時間をくれ。

 えーっと……それは、つまり……。あんた、不老不死なの?


『如何にも。死不(しらず)変不(かわらず)。悠久の時を、無限の空間で過ごす者なり。我が世の原初に最も近き時代より存在するこの肉体が縛呪(しばり)となって、私を苛み続けている』


 興奮した様子の光の声は、こちらの返答を待たず、さらに難解で独特な言い回しの言葉を連ねた。


『感じるところ、君はまだ生命の車時(ときぐるま)を回したりないとみる。そこで、魂の行方を交錯させ眩ますことで、私と糸定(さだめいと)の行く先を入れ替え――』


 待った待った。また何言ってるかわけわかんなくなってるぞ。


 情報処理と言葉の変換が追い付かなくなったところで、俺は待ったをかける。

 すると光の声はハッとした様子で息を飲み、深呼吸をした。


『……。……すまない、君の()……せ、かい? じ、じ、次元? の言語は、単純なようで実に難解だ。一方では候補が多く、一方で漠然としている。実に……実に豊かだ。不安定であることが当然で、あるいは流動しつつ完成されている。まことに美しい。我が愛杖にも、最後に刻み付けておくとしよう。この言語の解析が、私から送る最期の“余韻”だ』


 はいはい、今度はまた1人の世界に入ってるし。なんだあんた、コミュ障か? 酷いぞ。よくそれで、友達から嫌な顔されないな。

 ……というのは、あくまでも思いついただけの言葉で、実際に口に出したりはしなかった。さすがに初対面の相手に、そこまでする度胸は俺にはないよ。礼儀ってものは表面上だけでも大事だと、今までの人生でさんざん学んできたからね。


 それよりも、だ。もっと気になったことがある。

 この光の声の主、彼の言うことはいまいち完全には理解できないわけだが、話の節々に見受けられる単語からすると、かなり凄い相手なんじゃないか?

 だってまず、不老不死だろう? はい既にヤバい。それに、魂と交信する力も持っていて、俺の生きていた国……ってか世界の言葉を瞬時に取得したって感じだ。まるで物理だの自然だのっていう法則なんて全く無視したみたいなことを、いとも容易く短時間でやってのけている。


 相手に恵まれたと感じた俺は、相手の言葉を理解する前に、こちらの要望を出してしまおうと考えた。あわよくば、上手く言いくるめて力を貸してもらおうという算段だった。


 なあ、あんた。神様か何か知らないが、そんな凄い力を持っているなら、俺を元の世界に戻してくれないか? 魂の行方を操れるのなら、俺を生き返らせてくれよ。


 そう言うと、光の声はしばし沈黙した。

 やっと口を開いたかと思えば、少しトーンを落とした残念そうな口調で、こんなことを言う。


『すまない。それはできない。私は“損失”を知らぬ。知らぬことを補うことはできない。それに、魂の持つ指向性は、私が認知する次元を超越して定まっている。君の過去を知ることはできても、君を過去に戻すことはできない。新たな巡り“時”へ連れ出すことはできようが、それでは空間を根源より一巡させねばならず、また、新たに定まった世の君と、今の君の存在が併合することになり厄介だ』


 なぁんだ。


 光の声が長々とわけくちゃわからんことを喋っている間。俺はがっかりしてため息をついていた。

 この声が言うことはやっぱり難しすぎて要点を掴めないけど、無理ってことだけはなんとか理解できたからだ。


 こちらの落胆を汲んだのか、光の声は無駄に長い解説を中断し、『すまない……』と小さく答えた。

 そして『……だが』と、少し力を込めて付け加える。


『君が魂の根底から思い描く願いならば、叶えられるかもしれない』


 と、言うと?


『魂の指向性とは、1つの魂が持つ、方向に対する強弱だ。それは予め大いなる目的について定められている現象であり、不可変、あるいは不滅である。引力と表しても良いかもしれない。結論として、私が君の持つ魂の指向性を得た場合、君の魂は、新たな指向性を得るしかないことになる。……私が持つ、魂の指向性だ』


 ……。ごめん、わかんなかった。もっかい、もちょっとわかりやすく。


『君の“死”をもらう代わり、私の“生”をやろう』


 ???


 あんたの? どゆこと?


『私は不老不死で、不滅の肉体を持つ古の魔術師だ。もう、生きることに疲れてしまった。永遠に続く別れと、自らだけが失われない孤独に耐えられない』


 ああ。そういやさっき、そんなこと言ってたな。じゃあ……死にたいってこと? それまたどうして?


『……。私は負けてしまったのだよ』


 何に?


『過去と、未来に。……フッ。我ながらつまらないことを言った。歳を、食いすぎたかな』


 光の声は真面目な口調で臭い台詞を吐いた後、自らが発した言葉を嘲笑するように冗談めかしく笑った。

 今の今までまるで生気を感じられない喋り方をしていた光の声が、元から持っていた人間性を垣間見せた瞬間だった。

 そのしぐさがあまりに人間臭くて、俺はどこか親近感のようなものを覚えてしまう。

 そして同時に、思い浮かんだ疑問を、自然な流れで口に出していた。


 そんで。ちょうどいいところに死人がいたから、利用しようっての? そりゃあちょっと、虫が良すぎない?


『……。いや、違う。君を救いたいのだ』


 ははん。今、心にもないこと言ったろ?


『だが、聞こえは良いだろう?』


 2人して小さく笑う。やっぱりよくわからなかったが、俺にとって特な事を提案してくれているようだということは理解した。


 なんだか安心したよ。魂を交渉材料にしてくる相手なんて、俺の中では悪魔か捻くれた死神くらいしか思いつかなかったから。そういう、よからぬ存在に絡まれてしまったんじゃないかと内心焦ってきていたところだった。

 でも。この光の声の主からは、そういった恐ろしい感情や企みは感じられない。どちらかといえば哀れに思える程弱弱しく、本当に困っているような様子だ。

 もしかしたらこの提案を受けてもいいんじゃないかって、俺の心が動き始める。


『かつてあった物と同じものを与えることはできない。が、虚無を前にしても輝きを失わぬ君の魂には、まだ価値がある。私のような淀んで腐ってしまった魂などよりもずっと、多くの事を成し遂げられるはずだ』


 光の声は、心に澄み渡るような暖かな口調で言った。


『私の代わりに、“私”になってくれ。そうして……自由に、この世界に足跡を残してくれ。思うままに書き換え、好きなように歪めてくれて構わないから』


 そして、魂に響くような力強い口調で付け加える。


 それはまるで、歌っているように饒舌で、心に響く語りだった。


 この声が、俺の魂を揺さぶった。

 消えかけて燻っていた心の情熱に火をつける。


 こいつが何を言っているかなんかもうどうでもよくなっていた。やっぱり俺は生きたい。この持て余した情熱を吐き出せる場所が欲しい。

 そのチャンスが与えられるのなら……なんだって差し出すし、どんなことだってやってみせるさ。



 要は俺が主題歌を歌うことでCDデビューを果たすはずだったアニメの原作の、ライトノベル小説みたいなものだろう?

 よくしらない異世界で、新たな命を授かる。いわば“異世界転生”ってやつ。

 それってなんだか、面白そうじゃん?

 この好機を逃す手は無いね。


 そう確信した俺は2つ返事で首を縦に振った。ああ、首も……ないんだっけ……。まあとにかく、承諾したってことだ。


 よし、わかった。そこまで言うなら、交換してやるよ。魂の行方ってやつを!


 そんなことを言ってね。

 すると声の主は緊張がほぐれた様子で嘆息した。全身が光っているので表情はうかがい知れないが、ほっと安堵した顔をしていることだろう。

 そして一言。

『ありがとう』

 とだけ呟いた。

 感謝を言いたいのはこっちの方なんだけどな。ま、利害の一致ってやつだろ、きっと。


 そこで、空間にも動きがあった。

 周囲を取り囲む宇宙という虚空に、波というか、うねりの様なものが響き渡ったのだ。

 時空になんらかの干渉があったのだと思う。気付けば声を発していた光の塊は消えていた。


 その代わり。目の前の空間にぽっかりと穴が開いていた。直感的に、空間と空間を繋げる抜け道のようなものなのだろうと理解する。俗にはブラックホールだとかワームホールと呼ばれる類の現象なのだろうが、見た目的には、どちらかというと鏡や水面に近い印象を受けた。


 その鏡の向こう側で、フードを被った誰かがこちらに微笑みかけているのがうっすらと見えた。表面が波打つせいで顔がはっきりと見えるわけではなかったが、どこか疲れた様子で笑っているような印象を受ける。

 きっとあれが、さっきまで見えていた光の塊が持つ、本来の姿なのだろう。


 俺の魂はその水面に吸い込まれるように近づいて行って、そして触れた。“とぷん”と粘り気のある液体に物が落ちるような音が響いたかと思えば、今度は音が急にぼやけて、耳の中で“ごうごう”と耳鳴りのような音が響いた。本当に水の中にいるような感覚に陥ると、徐々に軽かった体が重くなり、急に息苦しさも感じだした。

 俺は再び、「生きる」事とはどんなことなのかを、思い出そうとしていたのだ。


 まるで深淵へ昇るように。あるいは新天地へ落ちるように。

 目には見えない、魂だけが感じることのできる強い力に引っ張られていくようだった。


『ありがとう。……本当に、ありがとう」


 さっきまでは頭の中で響くように聞こえていた彼の声が、耳元で囁くような声色になって聞こえた。魂が“形”を思い出し始めていた俺は、首を回して音のした方を振り返る。


 水面の向こう側で、蒼と黄色と白が混じった、炎のような球体がゆらゆらと揺れていた。さっきまで自分はこんな形をしていたんじゃないかと、容易に想像ができた。あれこそが人間の魂なのだろう。イメージのまんま、人魂そのものだ。その炎のような球体に、自分の顔が映っている。いや、その表現は間違っていたかもな。だってそれは今や「かつて自分だった顔」なのだから。


 そうして不思議に思ったところで、視界の隅が少しずつ暗くなっていった。星屑もガス溜まりも輝きを失い、世界が暗黒に飲まれようとしていた。全てがスローで再生されて、浮遊感もなくなり、落ちていく感覚だけが残る。

 何かが始まった事は確かだ。もう後戻りはできない気がした。

 でも俺の心の中には、後悔や恐怖といった感情は一切浮かび上がってこない。むしろ高揚感を覚えていた。


 まだ生きることができる。新たな生を受けることができる。それがなによりも、嬉しいことに感じられたから。


「おっと、忘れるところだった」


 暗くなった視界の中で、俺のものだったはずの声が、後ろの方から聞こえてきた。


「私を永久の苦難から救ってくれたキミに、ひとつの助言を与えよう。困った時は、傍に立てかけられた杖で、適当な場所を3度ほど叩くと良い。全能たる無限の力の片鱗を、垣間見ることができるだろう。君の助けになるはずだ」


 声を聴いている最中にも、視界はどんどん暗くなっていく。


『そして……――』


 何か大事なことを語っているのはわかったのだが、もはやきちんと聞き取ることはできなかった。視界が暗くなっていくと同時に、耳も聞こえなくなってしまったからだ。


 ついには目の前が完全な暗闇に包まれた時。俺は肉体と呼吸の感覚を思い出す。


 ドクンと脈打つ心臓が、自らの生をこと大げさに訴えてきた。


 これは、愚かな俺に与えられた、もう一つの新たな人生と、異次元への転生の物語。


 いわば、第二人生(セカンドチャンス)の幕開けだ。



いわゆるオプローグ


本格的な展開は次回から!

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