1 聖剣伝説 その1 現実的に考えて
新作をはじめました。
ブクマを付けといてお暇な時にでも読んでいただけると嬉しいです。
「現実的に考えて逃げよう!」
おっさん冒険者であるレイは今、霧の森と呼ばれる場所でアルラウネ──裸の女性の下半身が大きな花弁になったような魔物──と戦闘中だった。
レイは目の前のアルラウネが放つ棘が付いたツタを剣で斬り裂く事で防ぎつつ、パーティーメンバーである三人の少女に叫ぶ。
その間もアルラウネの足元から生えるツタを使ったムチで攻撃をされているが、彼もこの歳まで冒険者として活躍してきた経験と技術によって、なんとか防ぐことができていた。
レイは冒険者としてはベテランと呼べる40歳近い年齢(正確には38歳)であり、いつからか「現実的に考えて退こう」だとか「現実的に考えて逃げよう」などの、よく言えば慎重な……悪く言えば臆病な発言が口癖となっていた。
そのため現在のレイは彼を詳しく知らない同業者達から、王国最強とも噂されるワイルドローズでただ一人の臆病者などとバカにされている。
しかし、今ばかりはレイの発言は正しいと言えた。
「ウフフフフフフフフフフフ」
アルラウネはツタを斬られても、狂ったように笑いながら新しいツタを次々に繰り出してくる。
先程までは岩のような種子を弾丸のように飛ばしていた。
霧の森の魔物モンスターはワイルドローズでも一筋縄ではいかなかった。
「伝説のお宝を前にしてッ! 退けるわけ無いでしょッ!」
「ギャ”ーッ!」
アルラウネは、女性部分を正中線から両断され、気色の悪い断末魔の悲鳴をあげた。
啖呵を切った女騎士はアンジェという。
ワイルドローズでレイと共に前衛を担っていた。
ただし、その実力はレイとは比べ物にならない。
無数のツタ攻撃を躱し、アルラウネの懐に潜り込み一閃するという離れ業を見せた。
レイが手の甲で額の汗を拭う。
「なんとか勝てたな。けど、この森は危険だ。もう撤退しよう」
ワイルドローズのメンバーはレイ以外は女性という珍しい構成のパーティーだ。内心ではレイの提案に同意している。
けれども彼女達には退けない理由があった。
「古代図書館にあった文献通りね。やはり、ここに〝聖剣〟があるんだわ」
パーティーのブレインの女魔法使いが、今回の冒険の目的を言った。
古代図書館は、いにしえの書物を集めたイセリア王国が誇る図書館である。
神話の時代の伝説が書かれた文献もあり、その希少性や価値から、本来冒険者に入館許可などでない。
古代図書館に入る事を許されることは、ワイルドローズの功績と名声を顕していた。
「聖剣伝説か……」
パーティー内で主に、回復役を担っている女神官がつぶやく。
――聖剣伝説。
神話時代の伝説が書き記された文献によるとオスティア大陸の中心には、古代の魔物がはびこる森があるとされていた。
森の奥にはあらゆる毒を浄化する聖水が湧き出る泉があり、そこには一振りの剣が刺さっている。
剣は命があり、傷つけることすら難しい魔族をも軽々と倒すことができる。
実際には魔族と呼ばれる種族は存在しているが、聖剣を使わなければ倒せないという魔族は存在していない。
さらにはオスティア大陸の中央とされる場所には、伝説にあるような森も存在していなかった。
王朝が滅びる度にされる埋蔵金の噂話ぐらいにしか聖剣伝説も信じられていなかったのだ。
アンジェが握りこぶしを作る。
「オスティア大陸の中心では無かったけど、出現する魔物は古代の文献に出てくるヤバイのばっかり……ここに聖剣はある!」
大陸の北東の山間部には、昔から不思議な霧がかかる地域があった。
つい数週間前、その霧が晴れて強力な魔物が出没する森が現れたのだ。
ワイルドローズはその森に近い街エステオを拠点にしている。昔からこの地域にはまれに強力な古代の魔物が現れて稼げたからだ。
パーティーの誰が口にせずとも、古代の魔物は森から迷い出ていたのだと確信している。
現代における魔物と古代図書館の文献に書かれている魔物では、同じ魔物とは思えないほどにその強さが違う。
ドラゴンなどは最たる例であり、現代にもまれに出没するのだが、普通に暮らしていたらまず出会うことなど無いと断言できるくらい、非常に珍しい。
そのため世界各地に点在する古代の魔物が現れるとされる場所には、国中から名うての冒険者パーティーが集まっていた。
そんな冒険者パーティーのなかでも最強と噂されるワイルドローズでさえ、古代の魔物ばかりが集まるこの森では苦戦を強いられていた。
「私、聖剣を手に入れるまでは絶対に帰らないわよ」
アンジェの言うことも間違いではない。伝説通り聖剣があるなら、もちろん早い者勝ちだ。
ワイルドローズは最強と噂されているからこそ、他のパーティーに聖剣を手に入れられたら、その座を明け渡すことになりかねない。
それは実入りのよい仕事が回ってくるかどうかにも大きく影響するのだ。
レイはアンジェの気持ちがわからないでもなかったが、ともかく止める。
「ちょ、ちょっと待て。現実的に考えようよ」
「考えてるわよ! これはチャンスなのよ! 私達が名実ともに最強のパーティーであることが認め……」
言い終わる前にアンジェに音速のごとき刃のムチが飛んだ。
彼女は上半身をひねって躱かわす。
大きくは躱さない。大きく躱せば隙スキになり、少しの動きで躱せば反撃のチャンスとなる。
だから彼女はツタの攻撃をギリギリで躱す。そのためアンジェの頬が傷つく。
本人も美しいと自覚している肌に、すぐに治るだろうとはいえ、赤い線をつけられた。
アンジェは怒りの火をぶつけてやるという勢いでアルラウネの懐に飛び込もうとする。
「ぐっ!」
だが踏み込めなかった。
アンジェの目の前の地面が爆ぜる。
新しい敵のツタのムチ攻撃を辛うじて躱し、それが地面に激突したからだ。
目の前のアルラウネの影からさらに二匹のアルラウネが現れる。
新手は一匹ではなかった。
「ウフフフフフ」「アハハハハハハ」「キャハハハハハ」
レイならずともパーティー全員が思っただろう。一匹でも手こずっているのに、と。
だがアンジェは果敢にも前に出た。
「私が一匹ずつ斬るわ。皆で援護して」
「待て、現実的に考えてくれ! 無理だ!」
アンジェを止めつつも、彼女に向かったツタの一本を剣で弾くレイ。ところが。
――カキンッッッ!
その瞬間、剣が根本から折れてしまう。
「えっ?」
レイの剣は安物の剣ということもあったが、ここに来るまでに戦ったグレイスライムの体液で腐食していた。
その瞬間、パーティーは前衛の一人が完全に無力になったことを悟る。
聖剣という大きな目標があっても、経験豊富なワイルドローズは撤退のラインを守った。
こうして、レイはまた足を引っ張ってしまったという思いを抱きながらパーティーと撤退した。
◆◆◆
「さすがワイルドローズだな」
「あの森を足を踏み入れて帰還するとは」
「ブルーフォックスも一歩足を踏み入れた瞬間にメンバーを半分も失なって逃げ帰ったと言うのに」
オスティア大陸北東にあるクレンカ地方の辺境都市エステオの冒険者ギルド兼酒場でレイは受付嬢に探索の報告をしていた。
ワイルドローズに次ぐと言われる冒険者パーティー、ブルーフォックスも霧の森からはほうほうの体で撤退している。
ギルドに併設している酒場の冒険者達は生還してくるだけで褒めたが、パーティーの仲間はそうとは考えないだろうとレイは思う。
「それでどうして撤退したんですか?」
「俺の剣が折れたんだ……」
その瞬間、酒場が大爆笑に飲み込まれた。
「なんだワイルドローズが撤退したんじゃなくて、レイのドジが理由か。ガハハハ」
「そりゃそうだろ。いくら霧の森がヤバイって言っても、ワイルドローズならレイがドジらなきゃ聖剣も取ってきたろうぜ。ハハハ」
笑われたレイは恥ずかしそうに頭をかく。
しかし、ギルドの受付嬢は頬を膨らませて抗議する。
「そんなことありませんよ! レイさんが言うように現実的に考えてすぐに退くべきだったんです」
また酒場は笑いの渦に巻き込まれた。
この受付嬢はレイを尊敬しており、最近では口癖まで伝染ってしまった。
冒険者の笑いはさらに大きくなる。
「皆さん! これ以上レイさんを笑ったら今日はもうお酒出しませんからね!」
受付嬢がレイのかばうのには理由があった。
冒険者は酒の席で調子に乗って、内心では自分でも危険だと思っている依頼クエストを受けたり、探索をしてしまうことが多いのだ。
レイはそういった冒険者の強がりを見聞きする度に止めるので、冒険者達から臆病者と言われることもあるが、受付嬢にはありがたかった。
無謀の末に帰ってこなくなった冒険者の捜索クエストを出し、辛い報告を聞くことになるのは彼女なのだ。
さらにレイが、親に捨てられたとか、親が魔物に殺されて孤児になったとか、娼館に売られて逃げてきたとか、そんな理由で冒険者をやらざるを得なくなった若者の面倒をよく見ていることも知っていた。
だからレイを尊敬しきっていて、それを言ってはばからなかった。
だが、まだ若い受付嬢は知らなかった。
かつてはレイも剣鬼と言われ、恐れも退くことも知らない冒険者だったことを。
「霧の森の報告ありがとうございます。金貨2枚です」
まあ今のレイは帰ったらパーティーの仲間から怒られることを恐れるおっさんになっていた。
聖剣を手に入れられるつもりが、未踏破地域の報告の報酬金貨2枚になってしまうのだから。
酒場の冒険者達からは霧の森からの生還だけでも凄いと言われたが、王国最強パーティーとも噂されるワイルドローズの面々は好ましく受け取ってはくれないだろう。
「あ~帰りたくないな~」
レイは冒険者ギルドを出て、街を歩きながら家に帰りたくないと思った。
スモールドラゴンを倒した時に龍の逆鱗を採取できて売ったお金で建てた家だ。
レイと三人の女冒険者が一緒に住んでいる。
「あの時は皆でドラゴンを狩れて大喜びしたんだっけかな」
これで宿代を払わなくていいとか、ひょっとしたら三人のなかの誰かと……と、思ったものだ。
まあ、他のメンバーは20歳前後、自分は38歳、親子といってもいいほど年が離れている。
アンジェも他のメンバーも、10年ほど前はレイが面倒を見ていた冒険者だった。いや冒険者と呼ぶこともできないただの少女だった。
それがいつの間にか、実力をあげて……今ではレイを超えてしまったのだ。
面倒を見ていた彼女達も今では教えられることはほとんどないし、というかあまり聞いてもくれない。
そろそろ冒険者を引退して食堂でも開こうかとも思っていた。
イライラしたアンジェから足手まといと言われたこともあり、レイはずっとそれが引っかかっていた。
「ただいまあ」
誰からもおかえりという返事はない。
数年前までは元気な「おかえり!」の声が聞こえたのに。
「ご飯作るから~」
掃除洗濯炊事はレイの仕事だ。彼女達は新しい冒険に出る準備をする。
だが変だ。家の中に人がいる気配がしなかった。
いや、小さな気配は感じる。
レイは剣士であるにも関わらず、斥候のようなスキルを持っている。
足手まといと言われるのは、やはり嫌なもので戦闘以外の能力を伸ばそうとしたのだ。
気配はアンジェの個室の中だった。アンジェだろうか。
彼女にしてはあまりにも弱々しい気配。入ろうとしたが躊躇する。
一度、着替え中に入ってしまって思いっきり叩かれた。
ノックしてから声をかける。
「アンジェ、入るぞ」
「レイ? ダメ入らないで?」
声がおかしい? レイは慌てて部屋に入った。
アンジェはやや散らかった部屋のベッドで横になっていた。
脂汗をびっしりとかきながら。
「ど、どうした?」
「アルラウネのツタが私の頬をかすめたでしょ?」
「あ、あぁ」
「どうやら毒を持ってたみたいなの……レイの言うとおり早く逃げ出してれば良かった……」
アンジェが部屋にある机の本を指差す。
古代図書館から借りてきた本で、開きっぱなしのページにはアルラウネのことが書いてある。
長い解説の文中に下線を引いてある箇所があった。
遅効性の強力な毒を持つ個体あり……ツタのトゲの毒を受けると二晩苦しんで死ぬ……。
「げ、解毒魔法は? リンスはどこいった?」
パーティーのリンスは神官だ。解毒魔法が使える。
最近ではパーティーの女同士でも喧嘩ばっかりしているが、命の危険に魔法を使わないこともないだろうとレイが思う。
「リンスの解毒魔法は効かなかったの……それで高位の解毒魔法を使える人を王都に探しに行ってくれたの……」
「マジ……かよ……」
それはアルラウネの毒のレベルが、リンスの解毒魔法のレベルを上回っていることを示していた。
王都と言えどもリンスより解毒魔法のレベルが高い人物をそう簡単に見つけられるわけがない、とレイは思う。
「ルシアも私のために錬金ギルドで薬の精製を……でも……」
魔法使いのルシアもアンジェを救う方法を模索しているのだろうが、古代の文献にのみ残る魔物の毒の解毒剤など簡単に調合できるはずがない。
レイはベッドの横に座る。二人と違って励ますことぐらいしか出来ないのが、歯がゆかった。
「そうか……ルシアもお前のことを思っているのさ」
「いつもは喧嘩ばっかりしてるのにね」
「すまない。俺がお前ぐらい強かったらこうならなかったかも。本当の足手まといだ……」
今日ばかりは、足手まとい呼ばわりされるのがお似合いだとレイ自身も思った。
ふと、アンジェから初めて足手まといだと言われた日を思いだし、あの時に凹んでないでどうして鍛え直さなかったんだろうと後悔する。
「違うの……違うのよ。リンスやルシアと喧嘩してるのも、足手まといってつい怒っちゃったのも……あなたの取り合いで……」
「取り合い?」
アンジェはそう言ってベッドのシーツを上げて赤くなった顔を隠す。
「お、おい! どうした痛むのか?」
アンジェが顔を隠したのは別の理由だが、もちろん全身に痛みと苦しさがある。
そのための弱気が普段は素直になれない彼女に本音をつぶやかせた。
アンジェが顔を隠したまま、シーツの脇から手を出す。
「お父さん……手を握って……」
「それは……」
レイはアンジェの要求に応えられないと思った。
11歳で冒険者になったアンジェに、レイが冒険者のイロハを教えて、今日まで一緒にパーティーを組んでいる。
しかし、年端のいかない少女がたった一人で冒険者ギルドの門を叩いた事情は聞いたことはない。
当然、父親のことも聞いていない。
このような時に小さな望みを叶えてあげられないことに悔やむ。
「お父さんってレイのことよ……」
「え?」
俺がお父さん? とレイは混乱する。
「え? じゃなくて手を握ってよ……握ってくれないの?」
アンジェの声がいつもの「ご飯作ってよ」「洗濯してよ」といった口調に変わって、レイはつい反射的に言うことを聞いてしまう。
「うふふふ。ありがとう」
レイがアンジェの手を握ると、彼女の声が優しくなる。
「お父さんって……」
「だってレイって私のお父さんみたいなもんじゃない……小さい時から私を助けてくれて……」
「ア、アンジェ……お前……」
「ま、まあ、今はもうお父さんじゃなくて……うっ!」
アンジェがなにかを言おうとして苦しみだす。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「はぁっはぁっ。大丈夫」
「眠れるなら少し眠れ」
「レイ。私が死ぬまで……ずっと……手を握っててね……離したらダメよ……」
「ああ。握っているから」
どうやらレイの手を握りながらアンジェは気を失ったようだ。
アンジェがまだ冒険者ギルドに入ったばかりの時のことをレイは思い出していた。
まだ胸もまったいらで足も棒のような少女が一端に剣を持って、危険なダンジョンに一人で入ろうとしていた。
レイは彼女を止めて、草原での薬草取りに付き合ってあげたのだ。
「お父さんか……生意気に育ったけど、あん時は可愛かったよな」
毒と聞いた時からずっと考えていた。
アンジェを救える方法が一つだけある。
霧の森の奥、一振りの剣が突き刺さるという泉から湧き出る聖水は、あらゆる毒を癒やすと言われている。
だが、それはワイルドローズのルシアやリンスですら早々に捨てた選択肢だ。
なんとか森に足を踏み入れていたのはアンジェという前衛がいたからという理由が大きい。
ましてやアンジェ以下の戦闘能力しかないレイ一人では無謀だろう。
それは経験豊富なレイが一番わかっている。
「無謀か……」
レイはアンジェの気が付かれないようにそっと手を離して、代わりに彼女のミスリルの剣を手に取る。
手早く冒険の支度をし、静かに家を出て、隣のドーラおばさんに金貨2枚を渡して頼んだ。
「明日の夜までには帰ってきます。アンジェを頼みます」
おばさんもレイとの付き合いは長い。
いつもダラダラしているレイとは全く違う雰囲気を感じている。
「レイ。アンタ、危険なことをしようとしてるんじゃ?」
「大丈夫。いつものように現実的に考えてるよ」
現実的に考えて……娘のためならば、なんでもやるのが父親ってもんだろ。
それがたとえ、勝算が無いことでも。
レイは一人、霧の森を目指して走るのだった。