戦士の誕生
私は、コンクリートの上につっ立っていた。
「ここは……」
あたりを見回した。自宅前の住宅街。
「なんで……、家出てるんだ……?」
ふと、目を落とすと、毛むくじゃらの何かが落ちていた。
一目で分かった。あのアノンとかいう化け物だ。
「えっ、うわぁ!」
反射的に退いて、尻もちをついた。
本能的な恐怖で、すぐにこの場から立ち去ることを考えた。
だが、その必要がないかもしれないと感じられた。
そのアノンが、ピクリとも動かない。
徐々に記憶が回復してきた。
そうだ、こいつに襲われたんだ。
もう助からないと思って、それから……。
こいつを……。
思い出したように、右腕を見た。
あぁ、やっぱり……。
私の右腕は、赤黒い化け物のようなままだった。
指の先から肩の辺りまで、鱗のような模様があった。
左手で触ってみると、少しデコボコしていて、本物の鱗が張り付いているだった。
指は先の方が尖っていて、太い針のようになっていた。
柔らかいものなら、刺さりそうだ・・・・・・。
この手で、あの化け物を、殴り殺したんだ……。
「起きたか」
顔を上げると、目の前に神崎さんが立っていた。
「やっぱりな お前もそうだったか」
そう言いながら、彼女は私の目の前でしゃがんだ。
「すまない こちらの都合でお前を危険な目に合わせた」
そう言いながら、彼女は頭を下げた。
やはり彼女は、私をアノンと会わせようとしていたのだ。
「…… この状況が呑み込めないんですが 説明してくれますか」
「まぁ、それが筋だよな」
間接的にではあるが、彼女のせいで私は死にかけたのだ。
だが、怒るより先に状況をまとめることを選んだ。
一度は助けてもらったのだ。意味はあるはずだ。
彼女は立ち上がり、歩き出した。
「アノンの細胞の話したよな 自分以外の細胞を侵食すると」
動かないアノンの前で止まり、その身体から細かい肉片のようなものを拾い上げた。
それを持って私のところへ帰ってくる。
「だが例外もあってな 見てろ」
そういうと、彼女は自分の爪で自分の指を傷つけた。
指先から鮮やかな色の血が流れている。
その傷口に、彼女は肉片を押し付けた。
「えっ、何してるんですか!?」
私は叫んでしまっていた。自殺が目の前でされているように感じた。
だが、そんなことはなかった。
指先に付いた肉片は、彼女の身体を蝕もうと動き始めた。
しかし、しばらくするとその動きは鈍くなり、やがて地面に落ちた。
「特異体質ってやつだ」
そう彼女は言った。
「アノンだけじゃない 人間にだって侵入者をつぶす能力がある」
彼女は傷ついた指を舐めながら続けた。
「アノンに対する免疫力と言ったところか それがアノンの侵食力と同等の者もいる」
彼女は立ち上がり、肉片を踏み潰した。
「そういうやつがアノン細胞を取り込んだ場合、体内で共存することになる」
彼女は手を差し出した。
「それがあなたと……、今の私ですか」
「そういうことだ」
私は差し出された手をつかんで立ち上がった。
「必要最低限はこんなところだ 詳しくはまた後で話してもらえ」
「…… 誰にですか?」
「うちのしつちょ――、団長にだ お前はこれからこっち側だ」
「説明不足ですよ、神崎さん」
「だから言っただろ お前はもう異常者なんだよ そんなやつを野放しにしとけってか」
「…… はい?」
理解するまでに数秒かかった。
私にはそのアノンの細胞が入っているのだ。
そして、それがどういうわけか、私をおかしくしている。
……。
そんなこと、少し考えれば明らかだった。
目を落とせば、赤く光る右腕。
こんな異形の腕で、あんな化け物を……。
こんなのもう、人間じゃない。
そうなのだ、私は……。
化け物になったのだ。
あんなものを倒してしまうぐらいなんだからな……。
そう顔を上げて顔を上げた。
しかし、彼女の背後にあるはずのものがなかった。
ひび割れたコンクリートだけが、その場に残っていた。
「神崎さん、後ろのアレ、何かしました?」
「ん? いや――――」
そう言って彼女が振り返った。
その時、自分の影が急に濃く――――。
背後から、またあれが襲ってきた。
見なくても感じる、あの感覚。
今日、何度目かの戦慄とともに。
振り返りながら、異形の右腕でそれを振り払う。
だが、それは急に止まった。
アノンが片腕でそれを止めていた。
また前と同じように、飛びかかるように迫っていた。
空中で私の腕を受け止め、残った腕で私の顔を狙っていた。
腕が迫る。
防御策もない。
その時、アノンが急に離れていった。
いや、吹っ飛ばされた。
「悪い 詰めが甘かった」
そう言いながら、後ろから彼女が言った。
その手には、刀が握られていた。
鞘であれを殴ったのか?
呆然としながら、私は歩いていく彼女を見る。
吹っ飛ばされたアノンが、立ち上がって吠えている。
「ちょうどいい 一瞬だから、よく見てろ」
そう呟いて、彼女は刀を抜いた。
美しい、日本刀だった。
またアノンが迫ってくる。
標的を彼女に切り替えたようだ。
それでも、彼女は歩き続ける。
そして、彼女が構えた。
「カマイ断」
一瞬だった。
まだ彼女とアノンの距離は、近いとは言えなかった。
その数mを、彼女は瞬間移動した……ように見えた。
そして、その時にはもう――――。
アノンの腹が裂かれていた。
アノンが倒れるとともに、彼女は歩いて戻ってきた。
「見えたか?」
少し自慢気に、彼女は言った。
「そんな次元じゃなかったです……」
おそらく今、斬りつけながら移動したのだ。
斬りつけるところなど、全く見えなかった。
「よく考えれば、頭部強打なんかで死ぬはずないんだ 油断したな……」
少しかがんで、アノンの足をつかむ。
死体を引きずりながら、こちらへ帰ってくる。
「というかお前、よく反応できたな」
「はい?」
「だって、それで払おうとしたじゃん」
「あぁ…… 無意識でした」
「えっ?」
自分の右腕を見つめる。防衛本能的なのが働いたのだと思う。
……。いや、あれは完全に守るだけじゃなかったかもしれない。
あれには、確かに殺気が混ざっていた……。
「まぁいいや とりあえず家戻るぞ」
「あなたの家ではないんですけど」
歩き出す彼女に付くように一歩出した時だ。
右腕から、ボロボロと何かが崩れる感覚。
右腕についていた鱗のようなものが、はがれて落ちていった。
地面につくと同時に、砂になって消えていく……。
鱗が外れた右腕は、見慣れたものに戻っていた。
……。
少し安心した。
まだこの手は、母が作ってくれた人の手は、残っていたのだ。
「どうした、早く来い これから支度して、休んだら出るぞ」
右腕から視線を外し、前へ歩いた。
具体的には何も教えてくれなかったが、逆にそれが、この高揚感を生んでいるのかもしれない。
先ほどの瀕死体験でさえ、今では自らを高揚する糧になってしまっている。
このまま進むことにためらいはなかった。
捨てるような人間関係も地位もない。
……。
一瞬感じた引っ掛かりを、私は無視して歩いた。
いつの間にか下を向いていた顔を、前に向けた。
彼女はもう玄関についている。
そこで、あることに気づいた。
「ちょっと、その死体、家に上げないでくださいよ!?」