襲撃
私は歩いている。
これまで知りもしなかった闇に向かって。
もう後戻りはできない。
この奇怪な右腕を見たとき、瞬時に悟ったんだ。
もう自分は人間じゃないかもしれないことを。
それでも、どこか興奮に似た感情があった。
この闇に入り込む好奇心が、私を歩かせていた。
事の始まりは三日前。
私は"峯川龍牙"。どこにでもいるといえば間違いだろうが、普通の高校一年生だ。
「よぉ、リューガ 相変わらず陰湿な顔だなぁ」
校門前に、いつもの奴が立っている。
「お前はもう少し暗くなった方がいいぞ ウゼェ」
「またまたぁ 照れるじゃないかぁ」
「今のどこに褒める要素があった」
「いや、なんとなくそんな気がした リューガのことだからさ」
「…… 高校入ってからその調子じゃ、また友達ゼロか」
「いいよぉ お前がいるし」
「離れろ 俺の周り半径5cm以内に入るな」
「結構狭いよな、それ」
「お前が抱き着かなければ別にいいって話だよ!」
「あ、やさしっ」
私の学校生活は、このウザいやつと会うところから始まる。
この約一週間前に私の高校生活はスタートした。特に何かを極めた学校ではない。本当にただの、何もつまらないところだ。
こいつは"伊上倞助"。ウザいという情報だけ残しておく。まぁあれだ。腐れ縁的な奴だ。結局、また同じ学校になってしまった。
そして、今からただただつまらない時間が流れる。
私は人付き合いを好まない。あまり他人と接することに興味も好意も持たない。むしろ、避けたい。
だが、別にできないわけではない。先生や同級生から頼みごとがあれば進んで引き受ける方だ。それをこなせば、とっとと立ち去るだけ。
中学生のころから、基本そうやって時間をつぶしていた。
勉強は普通にできるし、嫌いではない。ただ、奴隷のように何かをやらされるのは好きではない。授業も教科書で十分に分かり、そこまで先生の教え方がうまいとは思わない。
まぁ、宿題はこなさないとかえって面倒だからするけど。
異常者ではあったろう。何事にも興味がなく、目的もなく生きる亡霊のように思われているかもしれない。
しかし、私は時に、とてつもない好奇心に突き動かされる時があるのだ。
ふと何かに出会ったとき、その何かに興味を示し、徹底的に研究するときがある。
昔から、それを主な目的として、生きてきた。
ただ、中学二年生あたりから、それはなくなった。
というか、その"何か"に出会わなくなった。
この世のすべてを知ったとか、そういうわけではない。
ただただ今は、すべてがつまらないのだ。
そんな私は、今日も都合のいい先生のお手伝いロボットとして働くのであった。
地元の高校で、私のことを知っている人も少なくはない。
というか、前の中学校から、見事に引っ越してきた先生が多々いるのはどういうことなのか……。
それはさておき、四月は非常に忙しいらしい。私たち、つまり新入生を迎えたことによって、色々とドタバタしている。そこで、生徒にさせても問題のない範囲の雑用を私に頼んでくる。
家に帰ったところで人はいないので、私はその手伝いをする羽目になる。
ちなみに、このつまらない学校にわざわざ来ている理由は家に誰もいなくて暇になるからだ。
それなら学歴を作るために、高校に通っていた方がいい。
いや、あのクソウザい奴も目的の一つかもしれない。
そして、働き続けて、午後7時。知らない間に夜である。
さすがに先生は、俺に帰るように言った。
ここまでこき使わせたのは誰だよ、とか思ってみる。
しかし、ここまで学校に残ったのは初めてだな……。
私は徒歩で約一時間の通学路を、ほぼ毎日往復している。
明らかに現実的ではないが、私の家は孤立した場所に会った。
学校からほど遠いところにある住宅街。普通に見えるその住宅街の一角。それが私の家だった。
だが、その家以外の建物は、何故か無人だった。
そして、その住宅街の周りには、何もなかった。少なくとも、人がいそうな施設は一切なかった。
人気のない家が立ち並ぶ中を進み、自分の家へと帰ることになる。
この生活を今まで続けてきた。抵抗はない。
とはいえ、この時間にこの道を歩くのはちょっと嫌だな。
そう思いながらふと空を見上げた。
それは、普通ではなかった。
"何か"が住宅街のの真ん中に立っていたのだ。 真ん中の家の屋根に。
最初はカラスだと思った。だが、カラスにしては大きい。
しかも、四本の足のようなものがあった。いや、前の二つは腕か?
その"何か"の後ろにちょうど月が上っている。月の光が邪魔でよく見えない。
私は月を隠すように、右手を上に掲げた。
目の前の"何か"を掴むように、周りの月を手で覆っていく。
横を何かが過ぎ去ったような気がした。
視界のなかから、その"何か"が消えた。
残っていたのは、雲に隠れ始めた月。
そして現れたのは、真っ赤に染まった自らの右腕だった。
感じたことのない痛みが襲った。
私はカバンを放り投げて、地面に倒れた。
何か叫びながらその場に転がっていた。
ジタバタと醜くその場に倒れながら、私は必死に右腕を見た。
手の甲から肩近くまで、刃物で抉り取られていたように見えた。
傷は深く、血が止まらない。
痛みを堪えながらなんとか頭を動かし、周りを見る。
人がいないことなど明白だった。それでも、あるはずのない助けを求めていた。
だが、そこには"化け物"が立っているだけだった。
全身が毛におおわれている。
二本の足で立っている。
明らかにサイズのおかしい両腕。
そして、人に似た人ではない顔。
一言で形容するなら、"サル"だった。サルの化け物だった。
その状況は、私が死を感じるのに十分すぎる環境であった。
目が掠れ、痛みがなくなってきた。
掠れた目で化け物がこっちに歩いているのが見えた。
それが、私の最後の景色になろうとしていた。
しかし、上から別の"何か"が降ってきた。
人間……か……?
化け物と……戦っている……?
刀を持って……
私の意識は、そこで途絶えた。
目を覚ました。
見慣れた景色が、目の前にあった。
そこはあの世ではなく、家の天井だった。
紛れもない、私の家の天井だった。
まだ冴えていない頭で、自分が生きていることを理解した。
顔を横に向ける。
そこにあったのは、家のリビングの風景。
私はリビングのソファーに寝転がっていたのだ。
なぜ自分がここにいるのかは分からなかった。
だが、右腕の痛みはハッキリと感じ始めていた。
あれが夢でないことを理解した。
顔を動かし、周りを観察する。
すると、明らかにおかしいものがそこにはあった。
人がいる。私一人しかいないはずのこの家に。
椅子に座っていた。どうやら眠っているようだった。
暗くて顔が見えないので、おおよその年齢も性別もわからない。
この人が手当てをしてくれたのだろうか。
とりあえず、このままでは何もできない。
起き上がって現状を把握することを決心した。
腰を曲げて、起き上がる。
その瞬間、あの痛みが右手を襲った。感覚が戻ってきたようだ。
「いっ! ……てぇ」
私は一瞬大声を出していた。しばらく右腕を抑えていた。その時、右腕が包帯で巻かれているのが分かった。
それと同時に、何かが崩れるような、大きな音が聞こえた。
その方向を見ると、椅子がひっくり返っている。
見覚えのある家の椅子が、ひっくり返っている。
「脅かすなよ…… もうちょっと優しく起こしてほしいな」
そう椅子から聞こえた。倒れた椅子から、人が立ち上がってくるのが見えた。
今の声に驚いて、ひっくり返った……のか?
背の高い女性だった。髪は肩より少し長いぐらいで、顔は比較的きれいに、そして非常に若く見えた。
「やっと起きたか 私は子守じゃないんだからな!」
そう言っているのが聞こえる。
「意識はあるか」
その女性はそうつぶやいた。
驚きのあまり私は声が出なかったので、首を軽く縦に振った。その程度で頭が少し痛む。
「まず初対面の人には、自己紹介からしろって言ってたっけ……」
「私は、アノン殲滅部隊『白銀の騎士団』の戦闘班班員、神崎愛だ」
その言葉が、目覚めたての頭に響いた。