虚仮を剥がす
やってやれないこともないぜ!
次の瞬間には言葉も無く千の剣が、ダイムに向かって襲い掛かってきた。
しかし、ダイムは焦らず、恐れず待つのみ。
亀裂が開き、目の前の怪異が正体を現すであろうその時を。
やがて完全に空間同士の仕切りを破壊した。
その時、ダイムの目の前に現れたのは剣を持った手にあらず。
そこにあるのは鎧に身を固めた武者。槍を持ってダイム目掛けて突撃する騎馬の武者の姿があった。
流石のダイムもこれには吃驚仰天。
今日三度目の天夢剣を使い、夢の世界を跨いでから一時撤退した。
だが、これは反撃に転じる好機を得る為の戦略的な意味での撤退なのだ。
ダイムの中では既に敵陣を攻略する策があった。
正体不明の巨人が相手ならばともかく目くらの軍隊が相手というのであれば話が違ってくる。
上手く行けば天夢剣の効力と己の武技で、あの悪鬼どもを懲らしめることが出来るだろう。
巨人の肉体が霧とともに薄れて、ややあってから姿を現したのは騎馬武者たちの姿だった。
勿論のこと、これらの術を解除したわけではないからすぐに元通りの千手の巨人の姿に戻ってしまう。
天を衝くような巨人の姿で敵を圧倒して、しかるべき陣形を敷いた武者たちによる変幻自在の攻撃とは頭の固い老人にしては考えたではないか、とダイムは感心する。
もしあの戦術に欠点があるとすれば最初の地点から移動できないことだろう。
これは予測の域を出ない考え方には違いないが、自分の方から敵に向かって移動すれば巨人の姿を維持できなくなってしまうのかもしれない。
そして、もう一つ気がついたことがある。
敵側の眼となる役目は背負ったものはあの陣の中とは別の場所にいる。おそらく今は見ることは出来ないが、天井のどこかに潜んでいるに違いないのだろう。
そもそも、この部屋事体がまがいものだったのだ。
よくよく考えれば千人もの人間を一度に収容すること出来る場所など、義王の邸宅の敷地にはなかったはずだ。
ダイムが注意深く眼を凝らして周囲の風景を見ると、距離感も何もかもちぐはぐでバラバラな場所だった。不思議空間とでも言うべきものだろうか。
ダイムは義王の術中に知らずのうちに引きずり込まれていたのだ。つくづく義王天狼とは、抜け目がなく侮れない爺様だった。
そこでダイムはまず天夢剣の力で真上の眼を欺くことにした。目には目を、偽りには偽りをである。
ダイムは再び、神気を集中させて天夢剣をその身に纏った。
意識を鋭敏化させて、周囲の気配の変化にも気を配りながら静かに天井に向ける。例えるならば、眼を閉じてから心眼で敵の姿を捉えようとするとか、そんな感じだ。
すると驚く事に、天井は無くなっていた。
代わりに見事なまでの時折、稲光が見え隠れするほどの曇天が姿を現す。
こういった仕切りを設けて外界からこれらの空間を隔絶させているのだろう。あの老人、なかなかに芸が細かい。
しかし、それもそのはずだ。生前の現実世界での義王天狼は剣士としてよりも画家として有名な男だったのだ。
今さら考えても仕方の無いことなのだが、師匠の雷蔵が心酔していた孤高の剣客にして世紀の大芸術家であった義王天狼はどんな事情でこんなことをするようになってしまったのか。
何よりもどういう事情で仇敵、九怨春歌の軍門にくだってしまったのか。
ダイムは機会があれば是非にも問いたださなければならぬと思った。
そして光すら通さぬ漆黒と闇を塗りこんだような雲の合間を縫うようにして浮遊する何かを発見した。
ここからでは観察するには遠すぎると感じたダイムは意識をより対象に向けて近寄る。
だが、こちらの存在を気取られては計画が台無しになってしまうので以前よりもさらに注意深く接近する。一歩、二歩とそういう感じで。
「ッッ!!」
遂に見つけたそれのあまりにも異様な姿に凍りつくダイム。
幻想の空を泳ぐ巨大な金魚のような生き物の姿を発見した。しかし、それは決して金魚の仲間などではなかったのだ。
ヒレの部分は魚類には似つかわしくない鳥の翼が、尾びれにもまた尾長鳥のような飾りがあったのだ。
しかも頭部にはいくつもの眼がついている。眼光らしいものは確認できなかったのでこちらの目で見ているかどうかはわからない。
そんな怪魚のような存在が雲と雲の間をぬらり、ぬらりと漂っているのだ。こんな状況でもなければ真っ先に眼を逸らしてしまいたい存在だった。
先程、こちらの眼と表現したのには確たる理由が存在する。
そいつの腹についている人間のような目がぎょろり、ぎょろりと周囲を探っているのだ。
これは明らかにダイムの存在、もしくはこちら側の世界の変化に気づいたのだろう。
ダイムは、この怪物の偵察役としての役割を確信する。
この怪物は大きな目で下のダイムの様子を確認し、間髪入れずに下の武者たちにどのように動くかを指示していたのだ。
義王がたまに上を見ていたのも呆けていたのではない。これと連絡をとっていたに違いないはずだ。
あの眼を一時的に使いものに出来なくしてやれば、敵の目を少しでも欺くことが出来る。
ダイムは天夢剣が解除される前に怪魚の目を塞ぐために接近する。敵の姿は夢の世界でしか存在せず、また敵はこちらの存在を夢の世界から把握しているのだとすれば天夢剣を使ってどうにかできるかもしれない。
どれも憶測の域を出ない方策だが、このまま武者の群れと真正面からぶつかり合うよりは幾分かマシだ。
ダイムは心の目がある場所に自分の本体を送ろうと試みる。
このような現実では到底不可能な行為も、認識の世界ではある程度だが融通を利かせることが可能だった。
そもそも認知だけによって構成される世界においては時間や距離、質量はこちらの世界ほど重要な存在ではない。
無論、何でも出来るというわけではないが、経路さえ把握すれば認識から認識へと飛び越えることさえ可能になるのだ。
はっきり言ってダイムがそんな理屈を知っていたわけではない。その時の彼は直感的にやれると判断しただけなのだ。
両手でつかまったロープを辿るようにして、ダイムは心の目の場所まで移動する。
もしも今、天夢剣が解除されるようなことがあれば空の上から地面にまで落下する破目となる。かの奥義に関しては正しい知識を持っていないダイムでもそれくらいのことは理解できた。
雲と雲間を飛び越えて、ダイムはついに翼の生えた魚のような姿をした怪物の前に辿り着くことに成功した。
意識の世界では不安定ながらも空を翔ることが可能になるらしい。
途中、幾度となく下を見て気が遠くなりそうになったのも今この時を迎えてみれば良き思い出だったのかもしれない。そう良い思い出だったのだとも。
ダイムは天夢剣から発せられる神気を帯びた愛刀を、宙を漂うにして遊泳する怪魚へと向ける。
だが、今までの手間と苦労を考えればあの憎憎しい額などを柄で殴ってやろうかと思ったのだが一時の気の迷いで苦労が水泡に帰してしまうのも難儀なので、これら一通りの仕返しは事が済んでから灸を据えてやることで合点承知とする。
ややあってから、ダイムは刀の切っ先を目の前の敵に向けた。
そして、怪物に向かって刀を振り上げて背中から胴へと縦に一刀両断した。
これは相手を実際に斬っているわけではない。言うなれば相手の連続に繋がることで保たれているであろう意識を途中からぶった斬ってやっただけなのだ。
もし意識が完全に遮断されて墜落でもされたら鈍い義王でもすわ何事かと勘付かれてしまう可能性がある。あくまで一時的に意識を失う程度には威力を調整したつもりだ。
この怪物についてるものが普通の目玉ならこういった芸当は不可能だ。
天夢剣は万能ではないから、たとえ相手が夢の世界を泳ぐ怪物だったとしてもを傷つける事は出来ないだろう。
しかし、この怪物は夢の世界と現実の両方に視線を介して干渉し得る存在である。同様の力を振るう天夢剣で何か出来るのではないか。危ない綱渡りには違いないが結果として、怪物の腹部についてる目は光を失った。これは成功といっても間違いではあるまい。
そして、ダイムは意識の綱を伝って地上を目指す。怪物の目が一時的に塞がれた今ならば地上の武者の群れに紛れ込むことは可能だろう。
その時、ダイムの体に宿ったはずの神気が消え失せた。予定した時間よりも早く天夢剣が解除されてしまったのだ。
落下して怪我をする確率が五分五分といったところか。
ロクな決心も定まらないままにダイムは地面に降り立った。
ダイムは地面に降りた際に何度か転がって衝撃を分散しながら鮮やかではない受身を取った。
だが、武者たちはまるで動じる様子はない。
彼らはダイムの予想通りに頭上の怪物の傀儡だったのだ。ダイムは当初から予定した通りに目ぼしい相手に向かって突撃する。
実はこの武者たちは皆、同じ姿をしているわけではない。手にした獲物は槍を持っている者がいれば、弓や太刀で武装している者もいる。中には特例として大きな盾を持った者たちもいた。
おそらくは先程までのやり取りは頑丈な大盾でダイムの剣は防がれた後に、槍や太刀を持った武者がダイムに向かって殺到して来たという感じなのだろう。多勢に無勢とはよく言ったものだ。ダイムは皮肉いっぱいに口を歪ませる。
だが、これほど多くの武者たちをあのそもそもからして知性があるかどうかすら判断がつかない怪物が操っていたとは考えられない。
必ず武者たちの中に統制する役目を持った者がいるはずだ、とダイムは考えた。
そしてはダイムは突撃の最中に周囲の目を引くような豪奢な甲冑をつけた武者を発見する。
内心、舌を舐めずり獣のような笑いを浮かべる。
これまでの散々な仕打ち、飲まされ続けた苦汁辛酸をまとめて返す絶好の好機。
逃す手は無し。
ダイムは馬上まで疾風のように駆け上がり、呆けたように立ち尽くす武者の大将首をざん、と一刀のもとに切り落とす。
「やはり死人か」
跳ね飛ばされた武者の首は地面に向かってごろごろと転がり落ちる。
兜の隙間から見えたそれは髑髏の貌だった。ダイムにとっては予想通りの事態だったが胸糞の悪さは変わりようがないというものだった。
生きるものから命を奪うだけでは飽き足らず、死者までも弄ぶ悪鬼外道のふるまい。
決して許すわけにはいかぬ、と堅く心に誓うダイム。
ダイム一念発起すると、今度は刀を鞘に納めて次なる獲物に向かって駆けて行った。
たかが千人、されど千人。
武者に差配している大将が先の一騎だけとは限らない。
なぜならば、頭上の怪物が目を覚ます前に倒せるだけの武者の大将を斬っておかねばならないのだから。
「これはどうしたことだッ!一体、何が起こっているというのだ!」
一方、義王天狼は困惑と苛立ちから激しく動揺していた。
彼が屈辱に満ちた一度目の死を迎えてから、こうまでも調子を狂わされたのは初めてかもしれない。
まず一つ目に、目の前にいたはずの小僧の姿がいつの間にか消えていたこと。
小僧は大した相手ではないにせよ、あのような不愉快な存在が急に消えてしまえば不安にもなるというものである。
加えて目上の者を敬おうとしない傲岸不遜な態度はどういうことなのだろうか。
己が若い頃は、若者が目上の者を敬うことは至極当然の心構えであり世俗の美徳であったはずだ、などと如何にも老人が考えていそうなことが原因で苛立っていた。
次に上で待機しているはずの監視役と連絡が途絶えたことが気になっていた。
そもそも意思疎通が出来ていたかどうかもわからないような相手である。
一応は自分の身に宿るとある妖魔の眷族という説明は受けていた。その気になれば念じて己の意のままに従わせることが出来るのだが、あのどうにも見慣れることができそうにない異形の姿を考えると余程の用事がない限りは近くに置いておきたくはなかったのだ。
だがもしもの時に何かがあってからでは遅すぎる。
そもそも義王の牙城に侵入者があった時点であの思い出すのも胸糞が悪くなる九怨春歌に連絡を入れなければならなかったのだ。
なぜこうまでも己の身の上に不都合が続くのだ、と義王は今日の運の巡りの悪さを呪いたくなっていた。
「ようやく戻って来たか」
上空を飛んでいた怪物、生ける死者の血肉を喰らうことで不老長生を得るという骸喰い(むくろぐい)と呼ばれるものから連絡があった。
これと意志を通わせる時には言葉ではなく、骸喰いの見たままの画像が義王の頭の中に直接送られてくるのだ。
義王はダイムがどうやって自分の前から姿を消したのかを知りたかったので骸喰いが持って来た報せをすぐに確認した。
おかしい。
途中までダイムが巨人に向かってくる記憶の画像は残っているというのに、ある時を境にダイムの姿が骸喰いの目に映らなくなってしまっているのだ。
骸喰いの目はある種の呪術が施された千里眼とも言うべき代物で、この部屋くらいの大きさならばどのような瑣末な出来事でも見過ごすはずはないというのに。
ダイムの正体は転生管理局の捜査官だろう。それが義王の見立てだった。
前にもここにやって来た捜査官たちは全て捕縛し、九怨春歌のもとに送り届けてやった。今頃どういう末路を辿ったかなどと考えたくもなかった。
また、義王の予想が正しければ彼が呪術に関する知識を持っていたのかもしれないのだ。この手の対策をしっかりと立てていなかったのは、やはり自分の失敗だったのか。
だが、今は自らの無策を嘆く時ではない。逃げた小僧の行方を捜さなくてはならぬ。
義王は骸喰いに新しい命令を下す為に、自らの裡に潜と妖魔へと語りかけた。
と、その時だった。上空の骸喰いが何かを見つけて大きく取り乱している。
骸喰いは激昂し、怒気を撒き散らしながら雲間を飛翔する。
だが、それもそのはずだ。
自らの使い魔たちがほんの一瞬だけ気を逸らしているうちに倒されている光景を目の当たりにしたのだから当然だろう。
騒ぎを引き起こしたであろう張本人の姿を見つけることが出来ないことでさらに怒り狂っていたのだ。
「ええいっ!いい加減にせんか!煩わしいっ!」
義王も怒り心頭を発した。
ただでさえも不愉快な異形の怪物が耳障りなほどの大きな声で上空を飛んでいる。そして、一向に状況が改善されない。
義王はそういった状況に心底、腹を立てているのであった。
「あの小僧、見つけたらタダではおかんぞ」
「へえ、俺を見つけたらどうしてくれるんだ。義王天狼」
気がつくと背後からダイムの声が聞こえてきた。
解き放たれた幻夜の魔光が交錯する。
ガキンッ!
振り向き様に現れたダイムの奇襲の一刀を反射で鞘から抜いた刀で受け止める。
それは猛獣の強かさと速さを兼ね備えた一撃だった。
わずかに体勢を崩す義王。
してやったりと口の端をわすかに歪ませるダイム。
義王としてはすぐに反撃に転じる局面だが、今になって異常事態に気がついた。
この小僧はどうやってここまで来た。そもそも今の自分は千手の巨人の一部として小僧の目に映っているはずなのに。
「しかし、アレだな。ジイサン。一騎当千のツワモノってならともかくよ、千騎当千ってのは数で押してるだけみたいでカッコ悪いよな」
ハッと気がつく。今、自分はどういう状況にあるのかと考えた。
死人の武者に囲まれた状態であったとしても、千手の巨人の姿であったとしてもこうまで敵の接近を許すことがあるのだろうか。
魔人によって授けられたあの術は余程のことが無い限りは解除されることがないというのに。
「貴様ッ!無礼にもほどがあるぞっっ!この己をどこの誰だと思っている!世紀の大英雄、義王天狼だぞ!」
義王は事実関係の確認を最優先させなければいけない状況で素っ頓狂な発言をする。
動かしがたい事実をひっくり返されたら大抵の人間はこういう感じになってしまうものなのか。ダイムは狼狽するしかない義王の姿を見て妙に納得してしまった。
ようやく落ち着いて周囲を見渡した義王の視線の先には、いくつもの武者たちの残骸が転がるばかり。これは一体どういうことなのだろうか。
「あの馬に乗った鎧をきたガイコツどもな、その辺にいた目ぼしい大将首をやっつけたらどうなったと思う?」
と、得意満面にダイムは語った。
「なんと残った奴等で殺し合いを始めたんだよ。俺は止めたんだよ。ケンカはよくないです。仲良くしましょうってな」
「それを言いにっ!わざわざ殺されてに来たのか、この青二才が!」
骸喰いとの交信の断絶。そして突然の暴走。
すべての出来事の筋が通った。
おそらくは何らかの手違いで意識を失った骸喰いが覚醒した瞬間に、地上の武者たちが現場指揮官を失ったことにより統制を失い同士討ちを始めてしまったというところだろう。
加えてあの武者たちは骸喰いの感情から直接的に影響を受けやすい性質なのだ。
当の骸喰いといえば未だに状況が飲み込めぬままに空を彷徨うばかり。これでは地上の武者たちも全滅するまで同士討ちを続けても仕方あるまい。
義王は、他人任せの戦いなど最初から気に入らなかったがあまりの気分の悪さに地面に唾を吐いた。
「そろそろ決着をつけようぜ。義王天狼」
おそらくはここからが本番だ。その時のダイムには稀代の剣士、義王天狼の底力を嫌でも拝むことになるのだろうという確信があった。
「良かろう。名乗れ、小僧。その決闘を受けてやろうではないか」
義王の表情から険しさが消える。
目の前の男は手習いの小僧ではなどではない。
今さらながらだが敵であることを認識したの瞬間だった。
「問われて名乗るのもおこがましいが、人呼んで転生者殺しのダイム・コールだ」
次回、さらなる血を血で洗う決闘が始まるッ!
次回は偽ヒュドラとか出ます