死都の大火 ➁
結局、天水の危惧は現実になることはなかった。
一行は予定通りに大通りの突き当たり、千年城の入り口に相当する大きな門の前にまで来ることが出来たのだ。
いかに銅垣武智が白虎の化身であるとはいえ、ここで暴れるような真似をすれば命を失う結果になるだろう。銅垣は白虎の一部であって彼の主というわけではない。白虎の主は過去に身内同士の争いで死んでしまっている。
つまり銅垣は祭司として白虎の領域を管理している者の一人にすぎないのだ。守護者がどれほど寛大な心の持ち主でも立場を弁えない無礼者を許すことはないだろう。
「よく見るとは奇怪だな。ここは」
柊は大きな門を見ながら言った。
中央の大門は古代建築によく見られる壁の部分は土、枠組みは木という造りだった。
しかし、目を凝らして注視すると全体的に造りが大雑把だった。柱一本にしても珍妙な印象を受ける。普通なら整地した後に土台を組み立て、それから柱を地面に打ち込む。
だが目の前の建物は全てが一体化して存在している。ようするに構造物に隙間のような一切存在しないブリキの玩具のようになっているのだ。
近くを歩いている人々も、ぼやっとした春の陽炎のような印象を受ける。これが白虎なる大妖怪の限界なのかと一人合点する柊だった。
「白虎には基本的に、内と外しかない。そして彼は基本的に外の出来事には無関心だ。これでもかなり頑張っている方だと思う」
天水は柊の心を読んで、説明をしておいた。人間には無理からぬことだろう。人間は身体的な意味合いで土地に縛られるようなことはないから、ゆえに時間の経過と共に外界に興味を持つようになる。妖怪たちにはこういった好奇心の類が存在しないのだ。柊は内心を見透かされて恥ずかしそうにしていた。
「すまない、天水。お前の説明に何かしらの不満があるというわけではないんだ」
「ただ理解してくれ、柊。本来はそういった好奇心や執着心を持たない白虎がここまで努力してかつての都の姿を再現しているんだ。彼にとってこの場所はそれほどまでに思い出深い大切な場所なんだ」
柊との会話に安田が突然割り込んでくる。普段よりも凝り固まってしまって柊や素人の天水に対する彼なりの配慮なのかもしれない。
「俺たちはゴミのポイ捨てなんかしねえよ。なあ、イナよ?」
安田の軽口に、苦笑いで答える稲葉。稲葉は安田によって強引に肩を組まれている。両者には目立った体格差はないが、それでも痛いには違いあるまい。あのどことなく引きつった稲葉の苦笑いは曖昧な返事以外の意味合いがあるはずだ。張本人である安田は親愛の情を表現しているつもりだろう。
そこで天水は稲葉を解放させる為に安田にとある話題を持ちかける。
「安田。お前の目には千年城はどう映っている?」
安田はしばらく大門の奥に見える城の姿を見た。遠くから見る限りは奈良、平安時代を思わせる建築物だった。城の内部に通じる門までは緩い坂道になっていて、階段がある。城自体は三階もしくは四階建てという見立てで間違いはないだろう。
「ああ、なんつうかバラバラだな。建物の材料や建築方法は古いものを使っているが、配置とかそういうのは完全にそれ以降のものって感じだ。江戸時代の人間が資料をもとに飛鳥寺をつくりました、みたいな感じだな」
安田の持つ知識はあくまで趣味の延長上に成り立つものであり、図書館や書店で販売している一般向けの書籍で得たものばかりだ。専門的というには程遠い。既存の知識との相違点の幾つかを列挙することは出来ても自分の抱く違和感の原因さえわからないという始末だった。天水は高慢な男だが、無意味に人を見下すような人間ではないと今の安田は考えている。
安田はどういった意図で自分に質問を投げかけてきたかを知る為に、天水の返答を待った。
一方の天水は、安田の印象の中に自分の求める回答のいくつかを見出していた。
おそらくは安田は昔の出来事に関するものならば、柊とその部下たちの中では一番の知識を保有している人間だろう、粗野な外見からは全く想像がつかないが。
であるとすれば、この都の姿にはやはり意味があるのだ。そもそも妖怪が人間の世界に興味を抱くことは、天水自身も含めて異例中の異例だ。そこに違和感の理由がないわけがないのだ。
「結論から言えば、やはりこの都には外界の人間が出入りしている。都市の構造に関する知識の大半は現代の人間の手によるものだろう」
柊と安田は、天水の言葉を聞いてその中の意図することを理解した。
この都市の建築物は古代のものに違いない。しかし、配置や構造といったものは現代の都市に通ずるものばかりなのだ。
「やはり、銅垣がここを出入りしていたということで間違いないのか?」
やや焦り気味に柊は、天水に詰め寄る。いつもとは違う柊の雰囲気に彼の部下たちは戸惑うが、それも無理からぬことかもしれない。銅垣は彼の家族の仇敵なのだから。
天水は目を閉じたまま二、三度首を横に振るばかりだった。彼は焦る柊を嗜めるような口調で、彼に靄のかかったような推論を告げる。
天水にも今の自分はあまりにも慎重すぎるのではないか、という懸念があったが柊のような冷静沈着を旨とする男にはしつこいくらいの慎重さを説いても問題はあるまいと考えた末でもある。
「銅垣が白虎の化身であるという推論を検討していけば、その可能性は十分にあるだろう。だが、それを結論とするには早急すぎるというものだ。過去に大妖怪の化身となったものが複数いたという例はないわけではない。やはり、千年城に乗り込んで鍵の在り処をはっきりさせるまでは下手に動くべきではない」
天水とて、白虎が秘蔵する鍵に触れることが出来れば鍵から流れ出る神気を辿って銅垣の悪行を突き止めることは可能だ。
しかし、彼の秘蔵する鍵とはそもそもが彼の起源や正体に触れるものだ。
どういった理由であれ、他所からやってきた天水や柊たちは鍵の所在を探り当てた時点で白虎に敵視されることは間違いないだろう。
そして、自分以外のものが白虎と敵対することは天水にとっても不本意な出来事なのだ。第一に怒れる白虎を相手にして人間ごときが無事で澄むわけがない。
「柊、たしかにお前の境遇には同情すべきものがある。だがそれと同時に今のお前には守らなければならない者たちもいるはずだ。彼らの行く末を考えれば、焦りは禁物のはずだ。一度、頭を冷やせ」
天水はそう言った矢先に後悔する。彼の叱責とも受け取れる忠告をおとなしく聞いていた柊の悔しそうな表情が天水の胸のうちを抉ったのだ。
だが、天水の助言は間違ってはいないはずだ。この場で息子とその家族を失った柊が、家族同然の部下たちを失えば再起不能になるほどの大きな心の傷を負ってしまうことは間違いないのだから。
柊は歯を食いしばり何とか自分に言い聞かせて、天水の忠告を受け入れることにした。
「お前の言う通りだ、天水。だが、私が決して失ってはならないものの中にはお前も含まれているということは忘れないでくれよ」
柊のまっすぐな言葉を聞いて、天水は自分が予想以上に人間かぶれになりっていることに気がつく。同時にその中でかつて人間に関わって行こうと考えた時の自身の選択が誤りではないことにも今さらながらに深く実感することになった。
柊と天水は互いの言葉の上でのやりとりが不要であることを察し、目下の問題について検討することにした。その問題とは、千年城内部の侵入方法についてである。
「隊長、天水よう。そろそろさっきの話の続きを聞いてもいいか?」
安田が二人に向かって気まずそうな顔をして聞いてきた。
柊の部下たちは天水は柊の旧知の間柄くらいにしか事前に知らされていなかったので、親密な話題になると彼らは極力干渉しないように努力してきた。そして、今もまたその態度に変わりはない。これらは偏に柊の人望に拠るものだろう。
「わかった。皆、聞いて欲しい。私は今の今まで千年城に入るのは自分一人だと考えていた」
安田は心外そうな顔をして天水を見た。安田の中では天水のような頭でっかちは他人を顎で使うばかりで自分からは何もしなと相場が決まっていたからである。
柊は天水の変心にある程度、勘付いていたようでわりと素直にこの言い分を受け入れることが出来た。他の隊員たちは安田ほどの偏見を持っていないにしても実務作業は自分たちで行うものと考えていたので、天水の発言にただ驚くばかりだった。
柊とその部下たちと見比べてどこか頼りない体格の天水が単独の潜入行動を取ることなど、想定外だったのである。
「しかし、ここに来て事情が変わった。この都の力の源流は白虎によるもので間違いはないが、都市の外観を形成する情報の発信源は銅垣のものではない可能性がある。つまり、銅垣と白虎以外にもここを出入りしている人間の存在について考えなければならなくなった」
「有り得ねえよ。相手は唯我独尊の異種格闘技団体のチャンプ、銅垣武智だぜ。間違ったって誰かの風下に立つような男じゃねえよ」
安田の言を要約すれば銅垣は協力者や誰かの指示で動いているということは無いということだろう。安田がかみついて来ることは、天水にとって想定内の出来事だった。
天水は稲葉、窪田、佐久間、志賀の安田と同じような反応を見た後に柊の言葉を待った。何しろ天水にとって銅垣武智は伝聞でしか知らぬ人物である。
今回の諜報活動をするにあたって事前に探りを入れている柊たちの持っている銅垣に関する情報を確認する必要がある。柊は少しの間考えた後に口を開いた。
「私も安田の言葉に賛成だ。奴は自分以外の何者も信用しない性質の人間と考えて間違いないだろう。しかし、柊。ここに来て第三者の存在がそれほど重要になるのか?」
「そいつの白虎との関連性だ。仮に白虎の化身が二人存在したとしよう。その場合、どちらの化身が白虎にとって重要かが問題になってくるのだ。さらに捕捉するが、大妖怪の化身が複数存在することは実は珍しいことではない」
最悪、二人の化身を敵に回した場合は白虎との直接対決さえ覚悟しなければならなくなる。これだけは何としても回避しなければならない事態だ。
仮に白虎と戦いになったとしても天水の本来の実力が発揮できる場所ならば、白虎に遅れを取るようなことはない。だが白虎の領地の中では苦戦どころか何かをする前に敗北することだって十分に考えられる。
白虎と二人の化身の関係を明確にするまでは下手をうつわけにはいかなかった。
「そこまで言うからには何か考えがあるってことだろう。天水よ」
「まあな。千年城の内部に安置されている白虎の宝から直接、銅垣とのつながりを探り出す。この手段は最初から考えていたことだが非常に危険度合いが高い為に今まで伏せていた」
「かかっ。今ならどんな危険があるっていうんだよ」
安田はいつのなく深刻な空気をまとう天水を笑い飛ばした。
安田は、天水の弱気を馬鹿にしたわけではない。今の今さら命を懸けることにどんな不都合があるのだ、と安田は考えていたのだ。
それは他の柊の部下たちも似たような考えだったようである。彼らは天水の言葉を聞いて、各々が無言で肯く。
ここに来て、この場で天水の言葉を疑うような者はいないということなのだろう。
天水は彼らの配慮に感謝しながら、尚も慎重な姿勢を崩さずに言葉を続けた。
「そこで私が自分の力で、千年城の扉を開く。ここまでは白虎は無事に見逃してくれるだろう。だが、ここから先は千年城の内部に入ってしまえば我々は白虎にとって彼の領域を荒らす賊となる。十分に警戒して欲しい」
天水は少しだけ話の内容を盛っていた。
白虎は非常に穏やかな性格の持ち主である。彼の宝を盗んだり、森の獣を傷つけたり、あるいは呪いのような穢れを持ち込みさえしなければ襲ってくるようなことは無い。
しかし、天水にさえ計り知れないような不確定要素が存在するのだからこういった話題の水増しは仕方のないことだろう。現に、天水の話を聞いて安田は逆境を楽しむかのように口笛を吹き、柊はよりいっそう寡黙になり、佐久間は上司や先輩たちを心配するような素振りを見せている。
稲葉が天水に向かって質問をした。
「天水さん。これの出番はありそうか」
稲葉は上着の下に隠し持っている拳銃を指差す。城に潜入する際には、山の下から担いできたライフルを持ち込むつもりはなかった。彼らが隠し持つ拳銃は護身ようのものだが、どれも軍用の殺傷力が高いものばかりだ。
稲葉は生粋の軍人だが、やはり町の中で銃を使うことに抵抗があった。安田、窪田、志賀も同じような気持ちだったのだろう。彼らも天水の返答を待っていた。
「私も可能な限りは拳銃の出番が来ないように努力はしてみるつもりだ。だが、万が一ということもある。不本意だろうが今回は拳銃を携帯してくれ」
「わかった。安田、張り切りすぎるなよ」
「はいはい。わかりましたよ、委員長先生」
天水の言葉を聞いて年甲斐も無くはしゃぎ出しそうな安田を、稲葉は嗜めた。安田は心の中を見事に明かされてしまったようで、バツが悪そうに頭をかいている。こういったやりとりは旧知の仲だからこそなのだろう。
悠久の時を一人で生き続けるしかない天水は事の成り行きを静かに見守っていた。
「ぬしは何者だ」
その時、天水の近くに門番の兵士の一人と思われる者の姿があった。背丈は柊と部下たちよりも低く、天水よりも少し低い。
しかし、黒い侍烏帽子の下から見せる眼光は歴戦の勇士たちを釘づけにしてしまうほどに鋭いものだった。
これは金縛りの術だ。
兵士の放つ眼光が、妖術の類であること察した天水は一喝してこれを弾き返す。天水は山の中なので本領を発揮することはできないが、この程度の束縛を破るくらいならば造作もなかった。
術を破られた兵士は天水を睨みつける。その姿は身を潜らせて威圧しながら敵の動向を窺う野生の虎のそのものだった。




