死都の大火 ①
主人公のダイムはまだ出ません。
柊たちが霧を抜けたその先には大門が立ち塞がっていた。どれほど昔に作られたものかは歴史の専門知識を持っていない柊にはわからない。ただそこには建物の大きさという言葉だけでは説明できない見る者をを圧倒するような存在感があった。今この場において幸いにも門番の姿は見えない。柊は先頭の天水に次にどうするべきか指示を仰ぐ事にした。
「天水。あそこから中に入るか」
天水はやや大門から離れた場所から中の気配を探っていた。実のところ天水は視力という真新しい感覚に馴染んでいないのだ。今は視覚によって取り入れた情報を旧態に合わせて再度分析せざるをえない。天水にとっては何とも不便な話である。天水は目先の問題を切り上げて柊の質問に答えることにした。現在の状況をいくつか柊に聞けば人間としてどう対処すべきがわかるかもしれないと判断したからである。
「あそことは都の正面に建っている門のことか。白虎から特に警戒されているわけでもないので問題はないのだが、それとは別に気にかかる点がある」
天水は地面を指差した。柊は彼につられてその場所を見るが別段目を引くようなものは存在しない。強いて挙げるならば整備された歩道、少し先の林の出入り口にある掘り返された土、山奥でしか見られない珍しい野草くらいのものだろう。しかし、これらのものについて天水が悩んでいたとは考え難い。柊は自分は察しの良い方だとは考えていなかったので、天水から疑問点についてもう少し詳しく聞いてみることにした。
「天水。下に何かあるのか。それとも土に何か異変が生じているのか」
「都市の、俺たちの真下を流れているものに異常がある。今は、平時に比べていささか流れが急すぎるのだ」
天水が以前に来た時はこうではなかった。この場所を流れる人間の体でいうところの血流のようなものは早くも遅くも無く穏やかで安定していたのだ。こういった命そのものを流動するものは人間同様に真上にあるものに様々な影響を与える場合が多いものだ。
「こんな風に脈が乱れていると俺の持っている情報がまるで役に立たないかもしれない。例を挙げれば、あの大門の向こう側が都市の大路に繋がっていない可能性も出てくる。だから別の道を使いたいのだがどうだろうか?」
今回の行軍においては、安全という側面から考えれば正面の大門を使うのが常道というものだ。しかし、神気の脈の乱れで白虎の自己認識が変化している可能性が出てきてしまった。完全に実体化している都市ならば絵地図通りに存在するはずだが、白虎のような妖怪に守られた都市ならば勝手が違ってくる。霊的に都市の実態と都市を守護する妖怪の認識が同調して、妖怪の精神状態によって都市の構造が変化してしまうこともあるのだ。生憎今の天水は都市が健全だった頃の姿しか知らない。
柊たち全員を無事に帰すという誓いを立てた以上は危険が付きまとうような選択肢は避けるべきだ。ある程度、自分が非難されることを考えながらも天水は真剣に語った。柊に組織の長としての責任があるならば、天水にも彼らより長い時を生きるものとしての責任がある。柊は天水の言葉の裏にある意志を汲み取って、無言のまま頭を縦に振った。他の隊員たちもそれに続く。
「まずは都の向かって左側まで歩い行く。そこに抜け道用の小さな門があるはずだ」
「天水。お前ずいぶん詳しいな。ここに住んでいたのかよ」
安田が皮肉交じりの笑顔で茶化してきた。安田の顔には以前のような敵愾心は感じられない。おそらくは彼なりに天水怜院という人物を受け入れたのだろう。天水は知らずのうちにほほを緩める。安田のような見るからに粗暴な人間は苦手だったが、彼の天水に対する印象の変化を好ましく思うようになっていたのだ。そして、安田と天水の人間関係の変化に周囲も胸を撫で下ろす想いだった。
「今は詳しい説明を省かせてもらうが、概ねそんなところだ。白虎の気が変わらないうちに都市の中に入ってしまおうか」
人間同士の会話というものはこんな感じだろうか。天水は今さらながらにそんなことを考えていた。安田はいつものように仕方ねえやと軽口を叩きながら他の面子を率いて素直に天水の後を追う。天水は記憶に残る小さな門に向かって歩き出した。
天水は一番最後にここを訪れた時のことを思い出していた。
あの頃はまだ都市が健在であり、正面の城砦としての機能を持つ大門には多くの人間たちが様々な目的の為にある者は与えられた目的を果たす為に、またある者は何らかの役割を求めて利用していた。入り口には数人の門番が見張りを勤め、警護役の兵士たちが碁盤の目のように広がっている道を正面の大きな道から順に回っていたのだ。門を行き来する人々は兵士たちの熱心な働きぶりに感心し、畏怖し、また後ろめたい心を持った者は彼らとなるべく目を合わせないようにしてこっそりとやり過ごしていた。当時、正体が人間ではない天水は兵士たちの気を引かないように穏便な風を装っていた。思えば最初に柊から部下たちを紹介された時も同じように考えていた気がする。
やがて天水たちは焼け焦げた小さな門の前に辿り着いた。ここだけ焼け焦げているのは、おそらくこの都が焼け落ちた時の姿がそのまま再現されているからだろう。いや天水がここに近づいた為に天水の中にある小門を使って都から逃げ出した光景が再現されたのかもしれない。天水にとっていずれにせよあまり思い出したくない記憶だった。
このままでは出入りするには不向きだろう。そう考えた天水が扉に手を当てると、その部分だけが元の姿に戻った。天水は金具に手を当てて、扉を開く。
「おいおい。今のはどういう手品だよ」
安田は出来上がったばかりの扉に手を当てその感触を確かめた。先ほどまでこの門は過去の火災のせいでいつ壊れてもおかしくないほど損傷していたのにも関わらず、天水が手で触れた直後に新築同様の姿に変化してしまったのだ。この場合に限っては疑問を抱くな、という方が無理だろう。
「都市が俺に合わせて扉を新しく作り直してくれたんだ。まあ、こんなことが出来るのは今実際には都市が存在していないからなんだけどな」
安田に続いて窪田や他の隊員たちも扉に触れていた。繰り返しノックや開閉することで新しくなった扉に問題がないか調べているのだろうか。
「天水さん、一体これはどういうことですか?感触があるから蜃気楼やお化けってわけじゃないですよね」
慌てた様子の佐久間を諭すように天水は質問に答える。
「まあな。実際にこれらのもの触れてみるとわかるが実によく過去の情報が再現されている。ここでは人も建物も存在はしているが生きてはいない。白虎の力によって維持されているだけだ」
おそらくはそうすることによって白虎の存在意義も支えているのだろう。白虎にとって守るべきものたちが内部で生じた争いで滅びてしまったのだから。彼にも言い分はあろうが、妖怪には人間のように自分で考えて行動するような自由は与えられていないのだ。これらの善し悪しは天水にもよくわかっていない。
「まあ、とにかく中に入らなければ話にもならないだろう」
柊は扉に手をかけた。そして、天水にこのまま扉を開け放ってもよいかを確認する。すでに佐久間、安田をはじめとする他の隊員たちもそれなりの準備を終えたようだった。
「いや。俺がやろう」
柊に先んじて天水は扉を開けた。今の状態ならば問題が生じるようなこともないだろうが、もしもということもある。柊も天水も、白虎にとっては体内に侵入してくる異物でしかないのだ。少々邪険に扱われても文句は言えない立場である。
天水の記憶によって重量までもが再現された木製の小さな扉はぎい、と音を立てながら開け放たれる。ところがどうしたことだろうか。ここは山の中だというのに扉の外は住人たちの活気溢れる喧騒で満たされていた。
「なるほど。これは確かに信じがたいというか受け入れがたい話だ。ここは山の天辺だというのに」
柊は何かに誘われるようにして門の内側に入って行ってしまった。先ほどまでずっと人気のない場所にいた反動もあってのことだろう。
「こりゃあ何というか時代劇だな」
目の前に立つ柱を擦りながら安田が率直な感想を漏らした。柊の後に続いてずかずかと他の隊員たちも門の内側に入っていく。彼らの任務中は隠密行動であることも含まれてはいなかったか、と天水は考えた。しかし彼らの今の姿は素性を考えれば当然だろう。もしも彼は訓練を受けた軍人だが、こちら側の世界については何も知らない普通の人間なのだ。この世界は夢と現実の境にある成り立ちからして全てが曖昧な幻想世界なのだ。未知の存在に接触して心躍ることもあろう。人間の世界に入ったばかりのころの天水にも似た経験があった。
柊は目の前に広がる光景に感嘆を禁じえなかった。なぜならばそこは古の都の姿が今の時代にそのままで残っていたからだ。通りを行き交う人々の姿も、建物も、それらを一度見ただけで現代のそれとは異なるものであることを思い知らされる。正直な感想を言ってしまえば、天水の言うような贋物には見えない。だが、この都市のどこかには部下たちの仇敵である銅垣武智に関係する何かが存在することを考えると暗鬱たる気分になった。既に敵の身中に入り込んでしまったのだ。部隊の長である自分が今さらジタバタするのは、隊員たちにとっても快い出来事はないだろう。
「天水。我々が向かうべき場所、千年城への案内を頼む」
柊の口から千年城という言葉が出た途端に、隊員たちは口を閉ざした。柊としても快活な雰囲気に水をさすのは本意ではない。幻影の都の姿を見てしまった以上は銅垣武智がさらに不気味な存在になったのもまた事実だ。用心するに越した事はない。
「この細い道から大路に向かって出る。なるべく目立たないように行動してくれ」
「わかった」
天水は柊の軍人然とした態度に信頼と不安の両方を抱いていた。今の柊は焦っている。今の彼が持つ平時には決して見られぬ気負いが悪い方向に行かなければ良い、と天水は願わずにはいられなかった。
次回もダイムは出てきません。




