人外京 ①
三回、出だしを書き直しました。新記録更新中です。
とある国のどこかに小高い山があるという。
いつの頃からか、その山にはいつの日か神様が降り立つと言い伝えられていた。伝承の真偽を確かめるために多くの人々がその山を訪れたが、神様に会う事は出来なかった。
なぜならば、山の天辺にある神様が現れるという祠の前には大きな虎が誰も近寄れないように見張っているからである。その虎は安易に祠に近寄るものがいれば唸り声を上げて追い返した。もしも、唸り声に臆する事無くさらに近寄るものがいれば大きな口から伸びた鋭い牙と鉄より硬い爪で招かれざる客たちを次々に亡き者にしたという。今となっては実際に虎の姿を見たものはいないが、恐ろしい言い伝えだけは残っていたので山にはいる者はいなくなっていた。
だが、自分たちは古い時代の言い伝えを軽んじているわけではない。この山に住むという白い虎の目撃証言は現代でも決して少なくは無いのだ。怪談の主は、天変地異の前触れには麓の村にまで現れて村人に警告までしていくという情報さえ残っている。
ゆえに第三者からの伝聞とはいえ軽視するべきではない。今回に限っては時間も事情も特例という他はないのだ。頭の片隅に沸いたいくつかの疑念を払拭する。柊は隊列の先頭をベテランの窪田と志賀の二人に任せ、殿の天水のところに移動した。
その男、天水怜院は柊の所属する組織とは無関係の人間だった。本来ならば組織の性質上、部外者の協力は求めるべきではない。おまけに天水から神の使者や伝説の秘境というこの上なく胡散臭い話ばかりを聞かされた。部下にも天水の話など聞く価値も無い、と意見された。
しかし、あらゆる意味で打つ手無しの現状を打破する為には天水の正気が疑われそうな途方も無い話に耳を傾けざるを得なかったのも事実だった。さらに山に入れば嫌でも思い知らされる、徹底して人の侵入を拒むような雰囲気。
今の柊は毒喰らわば皿まで、という気分になっていた。
その頃、天水は黙々と前を歩く佐久間の後ろにいた。出発した時よりもかなりペースが落ちている。天水は軍人ではない、民間人だ。体力的に限界が近いのだろうか。柊は息をするのも辛そうな天水を心配して、彼に声をかけた。
「大丈夫か、天水。そろそろ休憩するか」
天水は心底から辛そうな表情をしていた。柊の問いかけに対して少し考えるような素振りを見せた後、首を横に振る。
「今は一刻も時間が惜しい。急ごう」
この得体の知れない男にもこういった弱みがあるのか。天水のひどく人間じみた対応に柊は安堵する。
やがて柊の行動を見守って行軍を停止していた窪田と志賀が、二人の様子から事情を察して再び歩き出した。普段よりも数段劣る速度で。天水がこういった状況に不慣れな人間であることを知った上での行動だった。
柊は天水の持っていた荷物を佐久間と二人で分けて持つことにした。佐久間は全て自分が引き受けると言ったが、柊は首を横に振る。
天水は気つけの為に口に水を含み、間もなく地面に吐き出す。こういった場合は一度、飲んでしまうとまた欲しくなる。わずかに口に潤いを取り戻すことで心を落ち着かせた。
天水は額の汗を首にかけたタオルで拭うと、再び頂上を目指して歩き出す。今は一刻も早く目的地に辿り着かねばならないのだ。
その時、列の真ん中にいた稲葉が左手を払って一時停止の指示を出した。隊の中心に配置された安田は右側、稲葉は左側の担当をしている。
「!!」
彼らのすぐ後ろに配置されていた佐久間が銃を構えた。左肩から右脇腹に掛けられた固定ベルトを緩めて、猟銃の前床を左手で抑えた。そして床尾版を右肩に当てて固定し、引き金に人差し指をそっと添える。
前方を歩くを稲葉がカバー出来ない方角から少しずつ視線を移動させて、周囲の警戒に務めた。急増された隊の中では佐久間は一番、若い。彼は何かがあれば真っ先に自分が駆けつけるべきだ、と気負っていた。
稲葉は口に手を当てて、佐久間に非常警戒を解くように指示をする。しかし、佐久間は銃を構えたまま動こうとしない。現場に不慣れな後輩を心配した安田が佐久間に駆け寄った。安田は左手を下げて、銃口を下げるように指示した。佐久間は安田の指示に従って銃を降ろした。
安田は佐久間を安心させる為に、彼の肩を二、三回叩く。佐久間は稲葉と安田の方に向かって何度も頭を下げた。それからすぐに後方から柊と天水が合流した。
柊は状況の説明を稲葉に求める。稲葉は一度、前方を確認してから柊たちに説明した。
「柊隊長、ここから少し歩いて行ったところの山道に何かいます。例の虎ですかね」
柊たちはわけあって祠に通じる正規ルートである山道を使っていなかった。現地の人間だけが知る獣道を使っていたのだ。
「天水」
「おそらく違うだろう。そもそもあれが近くにいれば、ここからでも見える」
天水は稲葉の示した方角を睨んだ。彼の言うように何かがいるのは間違いないだろう。だが、例の祠まではまだかなりの距離があるのだ。あれの性質を考えれば、自分たちを探しにここまで移動してくるとは考え難い。
「稲葉。その場所まで俺を案内してくれるか」
稲葉は柊の方を見た。柊は無言のまま、頭を縦にふる。
「天水さん。どうぞ、こちらへ」
天水は稲葉と共に何かがいる場所まで歩いて行った。天水の体力は限界に近く、稲葉は天水の様子を確認しながらそこまで案内した。獣道からいくつかの林を越えて二人は大きな藪の前に辿り着いた。こういった場所に不慣れな天水が入ればおそらく一人で脱出することは不可能だろう。
「この奥か」
天水は大小の木々に囲まれた藪に向かって指をさす。




