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父は知っていた

「……ちょっと。あんたがあんな不吉な事言うから、余計なアクシデントが起きちゃったじゃないの」

私はつい数分前の小鬼の台詞を思い出し、舌打ちをしたくなった。気分のせいか、ついさっきまで軽かったリュックがやけに重く感じる。

「これは僕のせいじゃないですよ。ただ全部筒抜けだっただけです。

現にほら、僕達より先回りをしています」

私の足元に立っている小鬼は、真正面を指差した。

――わかっている。わかっているってば。でもその現実直視したくないんだって。

薄暗い廊下のその先。つまりは家の玄関前――そこに体を大の字に広げた大男が立っていた。

色や柄までここからだと暗くてわからないが、ポロシャツのような物とズボン姿だということまでは見ることが出来る。

時刻は深夜一時四十分。そんな時間なら寝ているはずなのに、なぜか玄関にいるのだろうか。しかも、日中に着る服装で。これはまるで私が夜中に家を抜け出す事を知っていたかのようではないか。


「――……お父さん」

玄関に零れる月明かりが、ゆっくりとその人に降り注ぎ、その表情をだんだんと映し出していく。

般若だ。そう思うぐらいに怒りは最大まで膨れあがり、隠しきれず表情と雰囲気に醸し出されている。

最初暗闇にその姿を発見した時に、真夜中なのに叫び声をあげそうになり、とっさに両手で口を塞いだ。でも今はその口を使い、なんとかこの場を丸め込まなければならない義務感に押し潰されそうになっていた。


「どういうつもりだ、桜。高校に入って不良になったのか!」

一応深夜という事もあり、おじいちゃん達を考慮してか、お父さんの声は押さえてくれているらしくギリギリ怒号。

むやみやたらに声を張り上げない所から、もしかして少しは話を聞いてくれる余裕があるのかもしれない。そのような希望が見えてくる。

「いや、これにはワケが……ごめん。実はどうしてもやらなきゃ事があるの。絶対に帰ってきてから、必ず事情を話す。だから今回は見逃して下さい」

「こんな時間に娘が家を抜け出すのを、見逃す親が何処にいるんだ」

「いないよね。でも、事情を話している時間がないの。人待たせてあってさ。ほら、お父さんも常日頃から口を酸っぱくして言っているでしょ? 約束の時間に遅れるなって。五分前行動を取れと。だから大原がそろそろ来るから、だからそろそろ行かないと……」

「大原だと?」

お父さんの米神が大きくぴくりと痙攣した。

それと同時に「馬鹿ですか」と小鬼の呆れ返った声が私を切りつけた。


あぁ、なんでいつも私はこうなんだろう……


激しい自己嫌悪に襲われ、たまらずこのまま自分の部屋に逃げ込むという、現実逃避がしたくなった。

どうしてお姉ちゃんみたいに口が回らないのだろうか。これは確実に墓穴掘ってしまったようだ。

「大原とは、この間言っていたクラスメイトの男か!」

「生物学上は。でもほんと、そういうのじゃないの。たぶん……あれ?」

何故たぶんと口にしたのだろうか。きっぱり否定すればいいのに。


自分で口にした事なのに、首を傾げてしまう。

自分の事なのに、自分が一番良くわかってないようだ。

だが、今はそれどころではない。この場を切り抜けるのが先だ。

「と、とにかく大丈夫。すごく優しくて頼れる人なの。あっ、頭も良いんだよ。生徒会に入っているし、カッコイイから学校でも女の子に人気で」

「小娘。もう口を閉ざした方がいいですよ。段々自分の首を絞めていますから」

「わかっているわよ。だから大原について少し知って貰おうとしているんじゃないの! それで一緒に居ても大丈夫な人だって分かって貰えばいいなぁって。そしたら道は開けるかもしれないじゃん」

「……貴方は相変わらず頭が晴れやかな人ですね」

「じゃあ、どうすればいいのよ?」

「しょうがないですね。このまま悟様をお待たせするわけには行きませんし。ここは僕が人肌脱ぎます」

「よっ」と言いながら小鬼がジャンプし、一回転すれば忽ち煙に包まれた。

そしてそこから現れたのは、あの公園で見たあの姿。見目麗しい狩衣を着た青年だ。


右手には太刀を持ち、左手で肩に掛かった絹糸のような長い髪を払う。

その姿すら様になり、わずかにあった眠気すら飛ばすぐらいの色気を持っているから性質が悪い。

「お父さんの前で何やっているのよ。これでますます誤魔化せなくなったじゃない」

「誤魔化すも何もこの男は最初から知っていましたよ――……どうやら、話している時間がないようですね。きっと悟様は心配されております。あの方にそのような心をさせるには忍びない。さっさとこの場にケリをつけましょう」

「どうやって?」

つい不安になり小鬼の袖を握ると、あいつは振り返って器用に片側だけ口角を上げた。


「眠らせます」

「なんか術でも使えるの?」

「単純にこれで」

小鬼が右手を上げて私の前にかざして見せたのはあの太刀。

「ちょっと……!」

それを見て貧血状態のように血の気が引かないはずがない。

うちのお父さんは確かに筋肉で出来ているような体だ。でも人間。

そんな刀で切られたらどうなるかなんて安易に想像が出来る。そんな暴力的な事は絶対に駄目絶対。

「お父さん怪我しちゃうじゃない!」

さすがに阻止しなければ。私は小鬼の腕を両手で掴み引き留める。

「大丈夫ですよ。ちゃんと峰打ちにします。多少痛みますが、やむを得ません。ならば他に考えがあるのですか?」

「え? そうなの?」

「叩き切れと?」

「いや、そうじゃなくて。うん、まぁそれならいいかな……?」

怪我するわけではないと思うから。痛みは我慢して貰うしかない。

なぜならば、他に方法がない。


――ごめんなさい! 仕方ないんだって、お父さん。


私は言い聞かせるようにし、掴んでいた小鬼から手を離した。

「小鬼から人に化けただと……やはり悪鬼の類か……」

「――やはり視えていたのですね。月山道男」

小鬼の言葉を受け、お父さんの顔は歪み、その瞳が月明かりに反射され光る。

「おかしいと思っていたのですよ。貴方とは視線が何度も合っていましたから。それにその体」

「体? まぁ、たしかに筋肉すごいよね。着る服があまりないって、お母さんが愚痴っていたよ。お父さんに似合う服見つけても、腕とか首とか通らないって」

「……なぜそこで服の話が出てくるのですか。お願いですから、ちょっとだけ黙っていてくれませんか? 貴方がしゃべると話がややこしくなりますので」

「何よ、それ。まるで私が空気読めないみたいじゃないの!」

「実際、読めていません。僕が話しているのは、あの男が纏う神気の事ですよ。微かですが、山ノ神の気配を感じます」

「ヤマノカミ?」

私の裏返った声に、小鬼は大げさにため息を吐きだした。

そして、「この小娘は本当に」と呟き、頭を左右に軽く振り出す。

その仕草はまるで私が落第生のようではないか。


「月山道男。貴方、実は零感持ちの上に霊媒体質ですね? 故に、酷く子供の頃体調を崩していた。そのため山ノ神の加護を受けた守りを身につけ、ある程度力を制御している」

「なぜそれを……」

お父さんの乾いた声が、静まりかえった廊下にやけに響き渡る。

どうやら小鬼の言っている事は事実らしい。

零感があるならば、どうりで小鬼と目が合っていたわけだ。だって視えていたんだから。

しかし、初耳。まさか、あんなに幽霊とか否定していたのに――


「僕は閻魔様の優秀な右腕ですよ? これぐらい造作もないこと。地獄で調べさせて頂きました」

小鬼は腰に手をあて、顎をほんの少し上向きにし、偉そうにお父さんに告げた。

「だったらどうだというのだ。お前らはこの世には存在しない幻覚。脳内物質が生み出しただけだろうが」

「貴方が過去の経験より、視えざる者を否定したい気持ちはわからないわけではありません。ですがそんな事はどうでもいい。そこを退きなさい」

「退かぬ。貴様、やはりうちの娘に憑いていたのだな。害がないようだから様子を見ていたが、やはり悪鬼。うちの娘を拐かす奴は成敗してくれよう」

お父さんは空手の構えを取ると、小鬼を見据えた。

うちのお父さんはごく普通の会社員。

でも趣味で空手を嗜んでいる。これは中学生の頃から今も続けているので、ある程度は強い。

しかも、体型が筋肉質な熊。

そのためお母さんと付き合っている頃、美女と野獣と言われていたそうだ。

どのくらい強いのかはわからないけど、そもそも鬼に勝てないと思う。

昔から鬼や妖と戦っているのって、刀とか術。体術は聞いた事がない。


「実に笑止な事」

小鬼はそれをカラスの羽色をした瞳で捉えれば、口元をあの細い手で隠すようにしクスクスと笑いを漏らす。

それが酷く妖艶で思わず心臓が跳ね上がった。小鬼如きに不覚な。激しく自分を罵ってやりたくなる。

胸のムカつきを抑えるために、小鬼の背を睨んでいれば、奴は急にこっちを振り返って来た。

もしかして睨んでいたのに気付いたのだろうか。と思っていたけれども、どうやら違っていたようだ。


「――拐かすならば、もっと良い女にしますよ」






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