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小鬼、すぐさま戻る

最初は起こった事に対して、脳が停止。だがそれもつかの間。

すぐさま正常運転し、否が応にも理解してしまった。

どうやらタイミングよく第三者が緑茶を奪ったのだ。

しかも犯人は顔見知りのため、私はその犯人に目を奪われた。

そいつは大原と私の間に座っているあの灰色の物体。

しかもあの奪ったものを、一気に喉で音を立て食堂へと流し込んでいる。


「小鬼っ!」

そつはぶはっと、夏に炭酸を飲んだ時のように口を離すと口元を手で拭った。

「いやぁ~。緑茶というものは、実に日本の心を現していますねぇ。渋みの中に広がる甘み。これは実に奥深い。今度地獄に土産として持っていきたいですよ。しかもどこでも飲めるようにと、缶やペットボトルという持ち運びに便利な商品まであります。これを発明するとは人間もやりますね」

「……早かったな。私の平穏が終わるのは」

つい口からそんな呟きが漏れる。


どうやら私の平穏な日は、午後四時までだったようだ。時計塔の鐘がシンデレラに魔法が解けるのを知らせてくれていように、私に日常から非日常へと切り替えられた事を知らせてくれた。


「あっ、クレープだぁ。何味ですか?」

相変わらず甘いものには目ざといらしい。

小鬼の次のターゲットは、私の右手にあるそれへと狙いを定められてしまう。

「ストロベリー」

「えー。カスタードって気分なのですが。まぁ、良いです。それで我慢します」

両手を差し出し、さも当たり前のように受け取る気であるようだ。

「じゃあ、食うな。なぜそうも上から目線なのよ」

「いいじゃないですか。こっちは調べ物して疲れ切った体なのですよ。この体を回復させるには糖分が必要なのです」

「何が糖分必要よ。小鬼は元々食べなくてもいいはずじゃない。まぁ、いいわ。その代わりそのお茶と交換ね」

私は喉の渇きに勝てず、小鬼と交換した。だがすぐに襲いかかって来た違和感に、眉を顰める。

ちょっと待って。これってまさか――


確かめるために缶を数回左右に振るが、ほんのわずかしかばかりの水音だけが耳に触れる。

それに留めを刺すのが、この軽さ。

「あんたこれ空じゃないの!」

つい力が込められたせいか、缶が音を立てて変形してしまった。

甘さで喉が乾いているのに、こんなに叫んだせいか、渇きがより酷くなってしまっている。

やっぱりこいつが帰って来ると、私の生活は忙しなくなるようだ。


「だってとても美味しかったんですもの。それ、帰り僕に買って下さい」

「あのね~、これ大原の物なの。勝手に人の物飲んでおいて、しかも全部飲み干すなんてしちゃ駄目でしょうが。全く……」

自由すぎる。

反省の色ゼロでクレープに齧りつく小鬼を見て、今宵こそは閻魔様にクレームの手紙を書こうと決めた。そう思って何度めになるかは忘れてしまったけれども。


「大原、ごめん。小鬼が……――って、どうしたの?」

小鬼としゃべっていて気付かなかったが、ベンチの左を見れば、大原が落ち込んでいた。

両手を膝の上に置きそこに頭をのせ、それから重苦しい空気を羽織っている。

以前教室では近づきにくかったけど、今は違う意味で近づきにくい。

ほんの数分間にいったい何があったというのだろうか。

すぐ傍に居たのに、全く彼の変化に気付けていなかった。

物音もしなかったし、何かトラブルに巻き込まれたって事もないはずだ。


「ねぇ、もしかして具合悪い?」

「……いや。違うんだ……ただあんなに葛藤したのに、これかと思って……。俺って考えすぎなのかもしれないな。小鬼ぐらいがちょうどいいのかも。俺も見習わないと」

「それはない。この傍若無人な小鬼がちょうど良いレベルの訳が無い。あるはずないよ」

「でもいつも楽しそうだ。そういう所は月山と一緒だな」

大原は体を起こすと、あいつを見つめ眩しそうに目を細め微笑んでいる。

そんな目で見られているとは知らずに、小鬼はまるで掃除機のようにどんどんクレープを吸い込んでいっていた。

それを見て私は思った。これと私は大原にとって一緒に見えるのかと。

そう言えば飼い主に似るって言う。まさか小鬼が私に似て……いるわけない。あってたまるか。それに私そんな食べ方しない。もっとゆっくり味わう。そう。ちゃんと五百円分。


「あっ、そうでした」

小鬼は最後の一口を放り込むと、口を動かしながらある一定方向を顎で指した。

それは私を通り越してその隣。

「あれ? いつの間に……」

丁度私が座っている場所の右隣りに鞄が置いてあるのだけれども、そこへ一緒に紫色の風呂敷包みが置いてあった。

「ねぇこれは?」

ふっくらと何かを包んでいるようで、存在感ありまくり。

ちょうど大きさはおせち料理が入れられたお重ぐらいだろうか。重量もそれぐらいありそう。


「緑より預かってまいりました。小娘と悟様にだそうですよ。僕が世話になるからだと。そんな気づかいは無用だと言ったのですけどね。僕が小娘の世話をしているので。あっ、ちなみに中身は地獄名産の一つです。それなら人間でも食べられるからと、持たされました」

「……名産」

固形物なのか、液体なのか、はたまたそれとも生き物なのか。

地獄土産と言われても、どこぞの県の特産品のように、すっと頭に絵を描きこめるほどの人生経験を積んでいない。とりあえず動くものだと困るので、私は無言で大原に縋った。


――ごめん、虫とか苦手なの。もしそういう系なら、絶対に絶叫するし。


私がそれを大原に差し出せば、「いいよ」と預かってくれた。

しかし、何だろう。さっき持った感覚はずしりとはしたけど、それほどではなかった。

あれなら五百ミリのペットボトルの方が遥かに重い。


「開けるぞ」

その言葉に私は大きく首を縦に動かした。

大原の手によりゆっくりと丁寧に紐解かれていく。

ゆっくりと布が取り払われ、姿を現したのは武皮に包まれた何か。

それをまた1枚1枚剥がして目にしたものに、感嘆の声を二人であげた。


「お饅頭だ」

それは艶のある丸い手の平サイズより小さめのお饅頭。

ふっくらとしているというよりは、ひらべったい。数は十五個ぐらいだろうか。


「地獄にも饅頭ってあるんだな」

「はい。ちゃんと食事をする種族もいますので」

「ねぇ。緑ちゃんにお礼の手紙を書いたら、むっくんが届けてくれる?」

「もちろんですよ。緑もきっと喜びます。一人で寂しい思いをしているから」

「一人……?」

大原からお饅頭を受け取りながら首を下げ小鬼をみれば、あいつは珍しく悲しそうな表情をしていた。

まるで泣くのを堪えるような。


「えぇ。以前にも言いました通り、緑は元々人間でした。しかも緑は自ら選んでこの道を選んだのです。そのせいもあってか、周りの者達と上手くいっておりません……だからこっちに来るまでは、僕が緑の世話をしていたんです。だからでしょうか。情が湧いて妹のように……今はむっくんにお願いして、たまに様子を見て貰っています」

「緑ちゃんみたいに元々人間って居ないの? そしたら人間同士で話せないかな」

「いますが稀です。閻魔庁当たりに行けばもっと数はいますが。進んで地獄に来るような者は希少です。それに緑は、自分以外の人間が怖いんですよ。僕以外と話す様になったのも、ここ最近なんです」

「そっか……じゃあ、小鬼が居なくなって寂しいだろうな」

「はい。ですがこれもいい機会です。緑にとっては……おそらく閻魔様もそれを見越し、この間緑に人間界への使いとして送り込んだのでしょう。少しずつ他人に慣れるようにと」

小鬼はきつく手を握りしめると、無理やり笑みを浮かべた。

その歪む口元を見て、小鬼ってなんだかんだで良い奴だったんだって思った。


緑ちゃんはどんな気持ちで小鬼とのお別れをしたんだろうか。

きっと大原の言う通り、今寂しく不安だと思う。

だって今まで一緒に居てくれた人が、仕事とはいえ急に居なくなったのだから。

人間界ではテレビ電話とかあるのだけれども。あちらは地獄。インターネットが繋がってないだろうから、パソコンで電話とか出来ない


――何かないかなぁ。いつも一緒にいる感覚になるやつ。


あれこれ思案していると、ふと浮かんだのは、千鶴が前に言っていた言葉。彼氏が部活で忙しくて会う時間がないとか愚痴っていた風景だった。

『これだと一緒にいるみたいにならない?』そう言って千鶴に差し出されたのは、スマホの画面。その時の恋する乙女思考の幼馴染みの事を想いだした。


――よしっ!


私は鞄の取手を掴み、立ち上がった。

「緑ちゃんに渡すお返し買いに行こう!」

「は?」

突然何を言うんだとばかりに、大原と小鬼は怪訝そうにこっちを窺っている。


「だからね、小鬼の写真撮ろう。それをフォトフレームに入れてプレゼントしようよ。そうすれば、少しは寂しさをなくせるかなって。小鬼だってたまには地獄に戻れるから、それまでの間というか。その短時間の間だけでもね」

「小娘。たまには良い事言いますね」

「でしょ」

小鬼とハイタッチしていると、「あのさ」という大原の言葉が遠慮がちに間に入り込んできた。


「考え自体は賛同するよ。でも水差すようで悪いが、小鬼って写真に写るのか?」

「――あ」

どうやら私は肝心な事を忘却の彼方へと置き去りにしていたらしい。

小鬼は、物の怪とかと一緒の類いだった。

うな垂れる私に射し込んだのは、小鬼の希望の言葉だった。


「問題ないですよ。ただしこの体では無理ですけど。ここだと人に見られるので場所移動して貰っていいですか?」








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