4、誓約
誓約。その文字通り、誓い約束すること。だが口約束でしかないのであれば無理をしてまでそれを果たす必要は無いだろう。
無理をしてまで果たす必要があるのは、それを世界へと誓った場合である。
世界に対し誓約を宣言した場合、それは果たさねばならない義務として誓約者を縛り付ける。誓約が果たされなかった場合には誓約時に宣言した罰則を世界が課し、果たせた場合には誓約時に願った報酬を世界から受け取ることができる。
無論、誓約の内容と願った報酬が釣り合わぬ場合、世界がそれを認めない事もある。世界が誓約を認めた場合、鎖のような痣が誓約者の体のどこかに浮かび上が利成立したことを示すのだ。
「……主殿は、一人で竜狩りを行う事を世界に対し誓った、と?」
「竜狩りだけじゃないけれど。一人で提示された条件をすべて満たす、って言う内容で誓いを宣言したのは確かだよ」
「それが果たされなかった場合、どうなる?」
「……“おんなのこをしあわせにできない”」
誰かを真似るような、何処か舌足らずな調子で言われた言葉にアクィスは思わず唖然とした表情を浮かべた。ルトが何を言っているのか、理解することを脳が一瞬拒否したようだ。
少しの空白を置き、包帯に隠されていない左目を閉じてアクィスは額に手を当て、大きく溜息を吐いた。
「主殿、訳が解らん。なんだその罰則は」
「すまん、ガキの頃の話だったから罰則の内容を正確には覚えてないんだ。そもそもなんでそんなことになったのかすらよく覚えてないんだけど……ちょっと煽られちゃってさ。『るとにはできないよ』なんて言われたら男の子として出来るって言いたくなるもんだろ?」
「人の姿のみならず、竜としても私は女であるのでな。男の子として、などと語られても理解する気にならない」
「出来ないんじゃないのかよ」
あまりにもきっぱりとした拒絶の言葉に思わずツッコミを入れてから、ルトは己の頬をかく。正直、幼い頃のことであるだけに語るのは恥ずかしいのだ。ぶっちぎりで黒歴史に叩き込みたい過去でもあるのだし。
「……まぁ。一人で竜を狩れないと、女の子を護る事も幸せにすることもできない、っていわれてな。つい出来るって誓っちまってさ」
「……よくもまぁ、それで誓約を成立させれたものだな。そのような流れだと、期間の指定もなしであろう?」
「うん、無い。この手の無茶ぶりを、何時までにとか、幾つまでに、なんて子供は言わないからな。だから助かってる、って言う所はあるんだが」
実際、期間の指定を二十歳までにとされていたら、ルトには到底達成は出来なかっただろうという自覚はある。今の時点ですでに二十を超えているのだから。
ルトがした誓約の内容に呆れてものも言えない、という様子を見せるアクィス。だが、深呼吸一つで気分と表情を変える。半ば以上戯れではあるが、それでも現在はルトを主と呼んでいる以上はその誓約を果たす、あるいは無効化する方法を考えてみる事にしたようだ。
「……もういっそ、誓約を果たすのを諦めればよいのでは無いだろうか、主殿。内容を聞く限りにおいて、主殿個人に悪影響があるわけではないようだし」
考えた結果、投げた。
実は、アクィスは魔に落ちかけ暴走状態となっていた時の事をすべて覚えている。その時の事を思い出して評価をすれば、ルト一人での竜狩りは不可能ではないと判断できた。特殊な加工がおこなわれているわけでもないただの鋼の剣で竜の鱗を砕き、竜の牙すら切り落として見せた技量があるのだ、より強い武具を得られたなら竜を殺すことも不可能ではないだろう。
そも昨日のあの戦闘後に、少女一人を抱えて魔物が住む森を駆け抜けて見せたのがこのルトと言う青年である。竜と戦ったというのに、疲労さえ回復出来たならば戦闘に支障がない程度の負傷でしかなかったという事である。
だが。正常な竜ではなく、魔物へと変生した竜を一人で狩るとなると途端に難易度が上昇する。魔物へと変生することで竜が強化されるというのも理由の一つだが、それだけではない。
竜の魔物という存在が危険すぎるため、報告があれば直ぐに集会所が人を集め、送り込むからだ。第一発見者にでもなれない限りは一人で相対するというのは難しい。
最終的にたどり着いた答えは、現実的ではない、の一言に尽きた。
「いや、まぁ、確かに俺自身に悪影響はないに等しいけどさ。でも放置はしたくないんだよな」
「……何故?」
「女の子を幸せにできないって、それ、俺生涯独り身確定みたいなもんじゃないか。さすがにそれは嫌だ」
キリッとした真顔でのルトの発言に、アクィスは無言で額を抑え、想う。いかに傷が治るまでの間とはいえ、この男を主と呼ぶのは速まってしまったかもしれない、と。
アクィスは竜であり女であるが、一生恋人ができないという事がどうやら人間の男にとっては辛いらしい、という知識はある。そんな風に嘆く声はよく風が拾ってくるからだ。
女にモテる為ならば苦行に耐え、無茶ぶりにすら挑むのが男というモノだ、などという信じられないことを真面目に語る者たちがいる事も知っているし、本当に苦行に耐えきり、無茶をやり通すのは半ば敬意すら抱く。
……だが、そんな男を主と呼びたいかと言われると。ルトの言葉ではないが、それは嫌だ。
竜の中には逆にそんな男をこそ主と呼び慕うものもいるらしいのだが。例えば数代前の勇者に従った竜とか。アクィスからすれば理解したくない話である。
「……竜に戻り、山に帰るべきの気がしてきたのだが」
「無事たどり着けるならいいんだけれどその傷だと道中で何が起こるかわからないのでどうか勘弁してください」
即座に床に両手をつき、土下座を行う主の姿を見てアクィスはまた深く溜息を吐き。
不意に、気付いた。
「……主殿」
「なんだよ、さすがにこれ以上の謝罪の仕方はしらな――」
「何故、私を助けた?」
問いかけられた言葉に込められた感情が真面目であり、本心からの疑問であったが為に、ルトは一瞬答えに詰まった。
アクィスは、確かに堕ちかけていた。嫌な予感から巣を離れ、周囲に仲間がいない状況で堕ちかけていた。あのままルトと会うことがなければ。ルトに助けられなければ。間違いなく堕ちていた。
ルトが何もしなければ、討伐すべき魔物の竜がそこに誕生していたのだ。ルトの望む、一人で挑める状況で。
否、それ以前に。初期段階とはいえ魔化し始めた時点で、竜を狩ったとしても誰も咎めはしないだろう。同族である竜達は堕ちる前に死なせてくれたことに感謝を口にし、彼女を守護竜と敬愛するこの町の住民たちですら彼を恨みはしないだろう。
そもそも、魔化という現象が発生した時点でその存在は堕ちる事が確定した、と言われているのだから。
そんな千載一遇の機会を棒に振った青年は、少しだけ困ったような表情で頬をかく。その様子は、けれど、決して悔いるようなものではなく。
「……だって、殺さなくても何とかなるって思ったし、実際何とかなったしさ」
その言葉はどこか誇らしげに、それだけだと口にする。
そんなルトの様子は、アクィスに興味を植え付けていく。彼の取った行動と今の様子が、そうと認識させずに竜の本能に揺さぶりをかける。
「……だが、千載一遇の好機だとは思わなかったのか? 誰憚る事無く、竜を一人で狩るという誓約を果たせる絶好の機会だったのだぞ」
「アクィスは助けられたくなかったのか?」
「既に礼を述べたとおり、助けて頂いた事には心より感謝を抱いている。だからこそ、私は貴殿を一時的にでも主殿、と呼ぼうと思うたのだから。だが、だからこそそれで良いとは言えぬ。自分が生き残ったことが主殿の負担になっている、というのは……」
「アクィス」
包帯で隠されていない左の瞳、その眉尻を下げ、どこか悔いる様な表情を浮かべていたアクィスは、これまでにない強い意志を込めて呼ばれた己の名に言葉を途切れさせた。
アクィスを見る灰の瞳は、こうして話し始めてから初めて見る深い色を宿し。アクィス自身には自覚できぬ何かをさらに揺らしていく。
「ちょっとした事に悔いてばかりの俺だけどさ、取り返しのつかない後悔はしたくないんだ」
言葉はどこか軽く、けれど、その言葉を紡ぐ声も、言葉を放つ表情も真剣に。
伝えたいと思うこと、伝わってほしいと願う事。それを強く心に描き、意識しながらルトは言葉を繋ぐ。
「だから。俺は後悔しない為の選択として、君を助けた。君を殺さずに、死なせずに済んでよかった、って心から思えるから。それが自信になりこそすれ、負担になると思うか?」
真剣なままのルトに、アクィスはただ魅入られたように小さく首を横に振ることしかできず。
アクィスが返した答えに、ルトは嬉しそうに表情を綻ばせ、けれどすぐに気を取り直すように咳払いを一つ。
「見捨てるほうが後味が悪いし、本気で後悔することになって負担になるんだよ、俺の場合。なんてーか、馬鹿だから」
「……確かに、主殿はお人よしの馬鹿のようだ」
照れ隠しだろう、先ほどまでの調子を振り払って声も態度も軽くとぼけたように零すルト。少しだけ遅れて、アクィスは仕方ない、とでも言いたげにため息を吐きながら同意した。
言葉そのものはアクィスの本心である。目の前の青年が誰かを見捨てるという事に精神的負荷を感じる程度にはお人よしであり、それを回避するために行動してしまう程度には馬鹿なのだ、と彼女は理解したのだ。
だが。思わずルトが、扱いひどくね? と零してしまうようなアクィスの態度は偽りである。そんなお人よしの馬鹿の方が好ましく、愛おしい。
しばし、なんだかショックを受けている様子のルトを眺めていたアクィスだが、ふと首を傾げ。
「……時に、主殿」
「何さ、追撃ならいらないぞ?」
「追撃となるかどうかは知らんが。『主殿』と呼んでいたので特に困らなんだが、気づけば私は主殿の名を知らぬ」
真顔でアクィスが言えば、ルトは一瞬呆けた顔をした後、天井を見上げる。そういえば確かに名乗ってもらいはしたが、その時に名乗り返す事を忘れていた気がする。
やらかしてしまったことに気づき、ルトはばつが悪そうに頭を掻いた。
「……悪いな、忘れてたよ。俺の名はルト。姓は亡くした」
「そうか。……覚えたぞ、主殿。呼ぶ機会があるかは不明だが」
「不明なのかよ」
思わずと言うようにツッコミを入れるルトに、アクィスはただ笑ってみせる。
……当たり前の様に名の後に続けられた『亡くした』という言葉の意味を、少女は知っていた。貴族で無い人間が名乗る時、姓は出身村や町の名を名乗るものだ。亡くしたとは、その名が地図上から消え失せたことを意味しているのだと。
故に少女はそこについて問うことなく、ただ、まったく違う事をルトへと口にした。
「さて、主殿。だいぶ打ち解けたところで一つ問いたい事があるのだが」
「打ち解けたと言って良い物かどうか迷う所ではあるんだが、うん、聴こうか」
「元竜とは言え、今の私は人間の少女と同じであるというのは解って頂けていると思う。そこで、だ」
「……うん、そこで?」
「私は何時まで下着無しのぶかぶか服でいればいいのだろうか? 竜の姿の時は鱗が服のようなものなので気にならぬが、この状態だと流石に羞恥を覚えるのだが」
実にイイ笑顔で「主殿の趣味か?」何ぞと付け足されては、ルトに返せる言葉は只一つしかない。
故に、散在する遠くない未来を思って、ルトは溜息を吐くしかなかった。
「……買いに行くか、剣も調達しなきゃいけないし、な」
* * *
アークィスファルの街の家々は、基本的に石造りとなっていた。ルト達が泊まる宿兼酒場の出入り口が面しているのは街を貫く石畳が敷き詰められた大通りであり、多くの宿や商店がこの大通りへと戸を向けて店を構える。街の真ん中には噴水を吹き出す大広場が存在し、噴水の中心には魔除け……魔物の侵入を防ぐ結界を張る為の魔晶石が埋められていた。
裏口に回れば裏通り、大通りほどの広さはなく人通りもまたあまりないのだが此方も石畳が敷き詰められ、警備兵が警邏に歩く程度には治安が維持されている。裏通りだからと放置していたら、街中で魔化を発症し、魔物へと堕ちてしまった人が居たためだ。その時には豚鬼が発生し、警邏隊とハンターが到着するまでに、十数人の住民が犠牲になったと言われている。
人通りが少ない事もあって裏通りにはあまり店は無いのだが、しかし、無いわけではない。探せばあらゆる種別の店がちゃんと存在しているのは裏通りを生活圏とする住人が少なからず存在しているせいなのだろう。
「とはいえ、まさか裏通りの衣服店を利用する機会が来るなんて夢にも思わなかったんだけどな」
「仕方なかろう。私のあの格好で表通りの衣服店なぞ入れば、即座に御用となるぞ」
「胸を張るこっちゃないからな?」
えっへん、と平均よりやや豊かな胸を張って見せるアクィス。その姿は顔の右半分や左手などに包帯を巻いたまま、けれど服装はその辺りの街娘と遜色ないモノとなっている。
麻の長袖のシャツに、同じ素材のロングスカート。色合いは髪や瞳と合わせた様に緑を基調としたものを身に着けており、落ち着けば外見不相応の雰囲気を纏う事だろう。とはいえ今ははしゃいで見せている為か、包帯を巻いた痛々しさは明るさによって中和されていた。
晒される肌が最小限となるような服装を選んだのは、それがアクィス自身の好みであるというのも理由の一つではあるだろうが、同時に隣を歩く青年を気遣い包帯を見せぬ為の理由もあるのだろう。今の二人ならば、表通りを歩いても即御用と成るほどの外見的危険さはない。
なお、下着についてもしっかりと買って着ている筈だが、それを確認する勇気はルトにはない。
「次は主殿の剣、か。表通りの方で探すのか?」
「いや、このまま裏通りで探すよ。土人の鍛冶職人はあまり表に店を構えないからな」
「ふむ?」
土人が作成した武器を取り扱う武器屋であれば表通りにも存在し、普段であればルトもそちらを利用するのだが、今回はただ武器屋で剣を買うだけではなく頼みたいことがあった。
「……あぁ、私の牙か」
「正解。あのときにも聞いたけど、意識半分胡乱だったかもしれないからもう一度確認する。貰ってもいいんだよな?」
「己の牙を折ってのけた強者に『その牙私のなの! 返して!』などと言うほど竜を止めておらんよ、私は」
やれやれ、とでも言いたげに軽く肩を竦めて見せるアクィス。足を止めぬままにルトは思わずアクィスをじっと見つめてしまい、視線に気づいた少女は青年を見上げて不思議そうに首を傾げる。
「うん? どうした、主殿」
「……いや、別に」
アクィスの声音は元が竜であるが為か少女としては少し低めなのだが、先ほどの寸劇の瞬間だけ少女の声を作って見せ、それがやたらと可愛らしい声にルトに耳に聞こえた。
その事に吃驚してしまったというだけなのだが、ルトはそれを口にする気は無い。単純に恥ずかしい。
「なら良いが。しかし、どうやって土人の鍛冶屋を見つけるつもりだ?」
「ん? あぁ、鍛冶屋なら多分、炉の温度を保つために何らかの魔法を使ってると思うから……」
言いながら、ルトは足を止め軽く目を閉じ集中する。意識が広がる感触とともに、周囲の魔力の流れが知覚された。その中、感じる魔力の属性ごとに色分けした流れの中で赤……火の魔力が一定以上用いられている場所をピックアップし、頭の中で大まかな街の地図と重ね合わせる。
後は自分が居る筈の場所を想定し、最も近くの場所を探ればいい。
「ん、多分こっちの方に鍛冶屋はある、と思う」
「……なぁ、主殿。一応言っておくが、仕事に火の魔法を用いるのは鍛冶屋だけではないと思うのだが、それは考慮に入れているな?」
「一応、魔力の強さで絞り込みもかけたから、たぶん大丈夫じゃないかなー……なんて、思ったりしてるんだけど……」
ルトが指差した方を確認してからのアクィスの問いかけに、ルトは横に立つ少女を見下ろし、何処か誤魔化すような笑みを浮かべた。そんなルトをじと目で見上げ、溜息を吐くアクィス。
ただ火の魔力だけでなく、強弱による絞込みもかけたのであれば確かに大分絞られる事だろう。だが、それだけで鍛冶屋が絞られるとは限らない。
さらに言えば、『土人の鍛冶屋』を絞れるとは思えない、というのがアクィスの正直な感想である。
と言うか。ルトが魔力を探っている間に風に聞いていたアクィスは土人の鍛冶屋の場所を知っており、それが指差した先にないという事を知っていた。
「……主殿。いくら街中は基本安全とは言え、少々思いつき任せが過ぎると思うぞ?」
街、と言うよりは結界の外に出た場合はこうでは無いのだろうと信じながら、アクィスは呆れた調子で苦言を呈したのであった。
鍛冶屋まで入れる積りが、入れていると長くなりそうなので鍛冶屋を次回に回します。
掛け合いは楽しく筆が乗るのですが、あまりやりすぎると話が進まなくて困ります……。