2.ハンターの少女達
この大陸に生息する数多の種族のうち、人間と称される種族は七種ある。
平人と呼ばれる、耳が短ければ背は高くも低くもない、特徴が無い事が特徴と言われる種族。
森人と呼ばれる、長く尖った耳と整った顔立ちを有する種族。全体的に身長が高めであり、器用さと魔力の高さが種族の特徴としてあげられる。
土人と呼ばれる、小柄だが筋肉質な肉体を有する種族。その外見は、土人の大人でも平人の成人前に見えるほどに小柄だが、膂力と器用さは平人よりも高い水準を誇る。
獣人と呼ばれる、獣の特徴を有する種族。外見に猫や狼、熊や狐の特徴を持つ者たち。外見に表れる特徴に能力も引っ張られているらしく、平人に次いで多種多様な能力を持っている。
鬼人と呼ばれる、精悍な肉体と額に角を有する種族。人間の中でも特に頑丈な肉体と強固な精神力を持って居るが、どちらかと言えば温和な性格の者が多い。
竜人と呼ばれる、四肢の一部に鱗と耳の上から高等部へと伸びる角を有する種族。四肢の鱗は竜の鱗と同等の強度を持ち、膂力もまた高いが、それ以外の能力は平人とさして変わらないと言われる。
血人と呼ばれる、わずかに尖った耳と鋭い牙を有する種族。肌や髪の色が色素が無いかのような色の者が多い。他者の血液を飲むことで己の魔力を強化することが出来、魔力と精神力が高い。
種族ごとに置いての上下関係は存在しない。世界で一番よく信じられている神話に置いて、神が『全ての人間種族は等しく平等である』と仰せられたと言われているからだ。だが、種族ごとに住み易い気候があり、その為に大陸内でそれぞれが住み易い場所に集まっていくのは当たり前の事と言えた。
結果、大陸内で興る国々は、種族ごとの特徴が大きく活かされたものになる事が多い。その国において多数派である種族が、少数派である種族に対し露骨なまでではなくとも軽度の優越感を抱いてしまうのも仕方がない事だろう。
だが、それでもそれぞれの種族に上下は無く、各々が協力して暮らしていく。人間同士の戦となったとしても、相手の国の多数は種族に対して憎悪を抱く事はない。誰もが心底では協力し合わなければ生き残れないと知っているのだ。
この世界には、同族よりもよほど危険であり、排除すべき存在がいるのだから。
その存在を、魔物、と人間は称し。
その魔物を狩る人々は、魔狩人……『ハンター』と呼ばれている。
* * *
大陸西部。鬱蒼とした森と、荒地、そして山が国土の多くを占める、平人では生活しにくいだろう領域にある国、ドライオス。
竜人が最も多く住むこの国でも西方に位置する場所にその街はある。
竜が住む山まで森一つ、荒地一つ分の距離しかない街の名はアークィスファル。もっとも人と親しき竜と呼ばれる翠竜の名をとって着けられたとされている、翠竜の加護をもって成立している街だ。
運が良ければ山から飛び立つ竜が見えると言われ、さらに竜が近くに住むことから街周辺での魔物による被害も多くはない土地柄、それなりに街を訪れる者も多い。
この町にしかない物品、というものはないが。この町であれば手に入りやすい物品、というのは多いのだ。比較的安全に探索し、物品を仕入れることが出来るのは商人たちにとっても有難い事である。……もっとも、森に隠れ住む小鬼や豚鬼まで竜が狩ってくれる訳ではないため、安全度は他と比べれば高い、という程度でしかないのだが。
その為、この町はそれなりの数の宿や酒場が存在しており、昼間空でも酒を飲んでいる男女の姿を見ることもできた。恐らく彼らはどこかの商隊の護衛で、必需品の補給を済ませてしまい、次の町に向かうまでの間は暇なのだろう。
そんな賑やかな、とある一階が酒場となっている宿屋にて、一人の平人の青年が困ったような表情で手にもつカップを傾けていた。
年は二十を少し過ぎたくらいだろうか。薄めの灰色の髪に、濃い灰色の瞳。よく見れば釣り目となっている目の形と、顔の形を崩さぬ程度には高く、大きくはない鼻。引き締められた唇も厚くはなく、全体のバランスを損ねない。
顔の各パーツそれぞれを取り出せば整っている、と言えるだろう。けれど、何故かそれが顔の上に配置されると目立たず地味な印象を受けてしまう。青年自身が纏う、何処かけだるい気配の所為もあるのかもしれない。とにかく、その青年は目立つような容姿をしているわけではない。
椅子に座っている為にその背の高さも解りづらくはあるが、それも中肉中背、平人としては少々高いかもしれない程度。身に纏う服装は暗色系、特に黒を主体としている。
腰のベルトには二つの鞘が下げられているが、その鞘の中身は空だ。ここが街中の酒場であり武器を持ち歩くには向かないとは言え、鞘だけ下げて歩くようなものも珍しい。というか、普通はしない。
鞘に収まるべき剣が無い事が青年の表情をゆがめさせているのか、どうか。それは不明なまま、青年はやはりまたカップを傾ける。中に残っていたエールを半分ほど喉に流し込み、そのままなんとなく目線を天井の方へと向ける。
「……あれ? ルト?」
不意に耳に飛び込んできた声が自分の名を呼んでいる事に気づいて、青年は天井へと向けていた視線を声が聞こえた方へと向けた。
今先ほど酒場の入り口から入って来たばかりなのだろう、二人の少女が青年を見て驚いたような表情を浮かべている。見知ったその顔に青年……ルトは思わず眉を寄せた。知り合いではあるのだが、あまり陽がある時間に会いたい相手ではない。
「久しぶりだね、ルト。相席良い?」
「……席なら別に他にも空いてるだろうに」
しかし、ルトの名を呼んだ少女は彼の様子に気付きながらも気にした様子はない。己がつくテーブルの空いた椅子を指さして問いかけられ、ルトは仏頂面のまま応じた。
その返事はまるで拒むようなものであるが、しかし彼が本当に拒む時は回りくどい言い方をせず直接『座るな』と言うと知っている少女達は苦笑を浮かべながら同じ卓につく。
「でも、ルトがこの時間にこんなところにいるなんてね。また武器壊したの?」
「……イーシャ、お前の中で俺は一体どうなってるんだ。ただ休んでるだけとか思わないのか」
「え……。どうしよう、ウツホ、これルトのボケかな? ツッコミ入れるべきなのかな?」
「いえ、ルトは本気で言っているようですよ、表情を見る限りでは」
丁度通りかかった給仕へとエールと軽食を注文した少女二人はさっそくとばかりにルトへと声を掛け、返された言葉にイーシャと呼ばれた少女は心底から反応に困ったような表情を浮かべ、ウツホと呼ばれた少女は仕方なさそうに笑う。そんな二人の様子に、だから会いたくなかったんだ、とルトは片手で顔を覆った。
そのまま、ルトは瞳でまず自分から見て右側の少女を視界に収める。まるで陽の光のような肩に掛かる長さの金色の髪は、少女が頭を動かす度にサラサラという幻聴が聞こえてきそうなほどに細く綺麗で。大きくぱっちりと開かれた碧の瞳は今この状況に対する興味を隠さずにきらきらと輝いている。白い肌に通った鼻梁に、薄桃色の薄い唇は柔らかく見え、長く尖った耳は楽しい、という感情を隠すことなく揺れている。これぞ森人だと言えそうな、整った容貌を持つ少女がイーシャ。
今度は左側の少女を視界に収める。背に掛かるほどの長さの真っ直ぐな蒼い髪は艶を持ち、滑らかに少女の動きと共に揺れる。ぱっちりと開かれる瞳は眉じりが下がるたれ目の形を成しており、氷青の色の瞳はその色の印象とは異なり、暖かい光を宿している。黄色の肌に目立ち過ぎぬ、けれどしっかりと存在を主張する鼻梁、その下の小さな口唇は薄紅色でやはり柔らかそうに。髪を割るように額から突き出る角は、けれど、愛らしさすら感じさせるような。どう見ても鬼人という特徴を有する愛らしさを持つ少女が、ウツホ。
イーシャは緑を基調にした長袖の上着に、裾が長めのスカートを履いている。街中故におしゃれを優先したであろう服装だ。ウツホの方は、ほぼ常と変らぬ白の上衣に赤の下衣。彼女の国で『巫女』と呼ばれる神職の者が身に纏う服装らしい。
何となく視線を下げれば目に入る、布を押し上げる膨らみは、ウツホは並みや平均というところか。イーシャは少し目に毒なくらいに強く主張をしている。
――鬼人はともかく、森人はスレンダーな体型の者が多い筈なんだが。
などという思考をルトが顔に出すことなかった。
「ルト、本気で言ってるならもうちょっと自分を見つめ直したほうがいいよ。君は、朝起きたら魔物を狩って、朝御飯の後に魔物を狩って、昼御飯の後に魔物を狩って、晩御飯の後に魔物を狩って、体を拭いて寝る、なんて生活送ってたんだし」
「ウツホ、お前の相方が相当酷いことを言ってる気がするんだが、止めてくれないか?」
「……イーシャの言葉に誇張があるのであれば、私も指摘できるのですけれど」
詰め寄ってくるイーシャから逃げるようにウツホへと振ったルトだが、しかし、そのウツホも困ったような表情を浮かべ、頬に手を当てて首を傾げるものだからルトも黙るほかはない。
実際、酷い言われようなどと言ってはいるものの彼自身自覚はあるのだ、自分の生活のほとんどが魔物を狩る事に充てられている、という事に。
魔物を狩る事により、その魔物が体内に溜め込んでいる魔素と呼ばれるモノを奪うことが出来る。これは魔力の源であると言われており、実際に魔物を狩り魔素を奪って体内に溜め込むことで、個人の持つ魔力はその純度を高めていく事が解っている。
そうして純度を高められた魔力は魔法の威力を増加させたり、発動に必要な魔力量を軽減したり、あるいは身体能力を向上させる事に用いられている。
なお、狩られ魔素を奪われた魔物は死後数分の間をおいて魔晶石と呼ばれる魔力の結晶体へと変化する。魔晶石は死した魔物の体が魔力変換され結晶化した物であり、魔晶石となる前に魔物から素材を剥ぎ取った場合、その大きさや質が若干悪くなることが確認されている。剥ぎ取った分の素材は消える事はない。
「そんな君がただ休んでるだけ、とかありえないよね。どうせまた武器壊したんだよね?」
「……まぁ、壊したってのは本当なんだけどな」
イーシャの問い詰めに観念したようにルトが零す。ほら見なさい、とでもいうかのような表情を見せるイーシャを、落ち着きなさい、と小声でたしなめてからウツホはルトに向き直った。
「今度は何に挑まれたのでしょうか。貴方が小鬼や豚鬼、風犬如きに後れを取るとは思えませんし」
「地魔獣でも出たの? 熱魔獣はこの辺じゃ発生しないし、生息もできないよね」
真顔で問いかけてくるウツホ。まだ口調には少しからかうような色を残しながら、しかしその表情を真剣なものに変えてイーシャも強く興味を示してくるのに、ルトは困ったように頬を掻いた。
彼も彼女達も、魔物を狩るハンターである。そして、ハンターにとって自分たちが今いる場所に生息する魔物の情報は生死に関わるほどに重要なものだ。
自分達で対処できる魔物だけならば良い。だが、自分達では対処できない魔物であれば他の対策手段をとらねばならない。そして、その魔物があまりにも強大な存在であるならば各国の首都にある、ハンターの集会所に報告し対策をとらねばならない。
イーシャもウツホもルトがハンターとしての責務を放棄し、集会所への連絡をさぼっているとは思っていない。たとえ武器を失うほどの強敵だったのだとしても、ハンター一人で狩れるような魔物を報告する必要はない。
だが、ルトならば一人で狩れるとしても、イーシャとウツホの二人でも勝てるとは限らない。
この男は少女二人よりも強いということを、二人はよく知っていた。
故に、彼女達は真剣にルトに問いかけているのだ。ここに住む魔物に、今イーシャが名を挙げたような危険なモノ達がいるのかと。この問いかけを無視するには、ルトは彼女達に近づき過ぎていた。
……もっとも、例えそこまで仲が良い相手で無かったとしても応える事は吝かではない。むしろ、彼女達だからこそ応えにくかったりする理由があったりする。
「実は、魔物との戦闘で壊したわけじゃないんだ、今回は」
「え、そうなの? 魔物じゃないのなら、何に挑んだら……」
困惑の色を多く乗せたイーシャの言葉が途中で切れる。そっとルトがその表情を伺えば、怪訝そうに寄せられていた眉が徐々に吊り上っていくところだった。
――やっぱ気付くよなぁ。
イーシャの表情の変化の理由を正確に理解し、ルトは溜息を一つこぼす。さて、どう逃げたものかと考えようとし始めたところで。
目の前の森人の少女は、横にいた鬼人の少女と同じタイミングで溜息を吐いた。
「……ルト、念のために聞くけれど。挑んだ相手って、竜?」
「あぁ。その、一応目標がソロでのドラゴンハントだからさ。魔物ではない竜を狩る気は無いけど、戦闘時の参考に相手してもらえたらな、って……」
「……馬鹿でしょう、貴方は。いえ、今更申し上げても無駄な事ではありますし、こうして五体無事にいる以上何を言うのもお門違いではあるのですけれど……」
竜に挑む。それは、戦う力を持ち、それを鍛える事を望む者たちの悲願の一つである。強者の代名詞、それが竜と言う種族なのだから。
そも、竜とはこの大陸の生物の中で最強に君臨する種族である。無論、竜の種族によってその強さに差があるとは言え、種の平均として比べれば他の種族では追随することなど敵うはずもない、生物としての格が一つ違う存在なのだ。
その、竜に挑む。いくら挑む相手となる竜に、気性が穏やかだったり弱者を育てる事を好むものを選んだとしても、それでも力量差から事故が発生する可能性は否めない。
決定的なまでの差があれば、竜も手加減をしやすいだろう。だが少女二人の認識として、この青年はある程度竜に本気を出させることが出来るだけの能力を有してる、と判断していた。
故にこそ、危険なのだ。絶対の差が無いからこそ、竜の咄嗟の反撃を引きずり出したり、本気となって手加減を誤ったりという事故を呼び起こしそうで。
とはいえ、そんな心配も不安も既に過去の事。もう挑んだ後であると言われてしまえば怒鳴る気にもなりはしない。もはや怒鳴ったところで何の意味もないのだから。
「……それでも、これで何度目となるかももはや数えてはおりませんが、申し上げます。ルト、あまり無茶な事、無謀な事はしないようにお願いします」
「君から、あるいは周囲からそんな話を聞くたびにこっちは心臓が止まりそうになるんだからね」
何かを飲み込むような溜息の後、静かな声で告げられた言葉と。本当にどうしようもない、というかのように崩れた笑みを向けられて、ルトは困ったように頬を掻く。
少女達はこうしてルトを心配する。たとえ無事だろうとわかっていたとしても、それでも気にしてしまうのだ。それを解っているから、こういう時にあまり本当のことを話したくない、と思ってしまうのだ。
とはいえ、本当のことを言わない、という選択肢は彼には存在しない。少女達がルトを心配するのと同じように、ルトも同じハンター仲間である彼女達を気に掛けているのだから。故に、虚偽を口にして彼女達の判断を誤らせるようなことはできない。
「……まぁ、気を付けるよ。約束はしないけど」
肩を竦目ながら返す言葉は、二人が望むものではないだろう。そうわかっていてもルトは自分が無茶をしないとは確約できない。ルト自身の目標が一人で竜を狩る事なのだから。
深い溜息を吐く二人から逃げるように、食事代を置いてルトは席を立つ。呼びとめようとしたイーシャだが、丁度運ばれてきたエールと軽食にその機会を潰されてしまった。
肩越しに片手を振りながら立ち去ろうとするその背に、けれど、そのまま逃がすものかとばかりに問いかけを放つ。
「ルト! それで、勝てたの!?」
「……牙を折ったけど、剣は二本とも砕けた。どっちかって言うと負けだよ」
振り返り、中身のない空の鞘をイーシャに見える様に持ち上げて見せてから、改めて二人に背を向けてルトは歩き出した。酒場の入り口の脇にある階段をのぼり、宿の二階にある自分が今借りている部屋へと向かう。
――失敗した、な。彼女たちに余計な心配かけたか。
竜に挑んだということそれそのものを後悔することはない。けれど、少女たちに心配をかけてしまったという事は青年にとって悔やむに足る事だった。内心でぼやきつつ、丁度目の前の部屋から出てきたフードを深くかぶった人影とすれ違って自分の部屋の扉を開ける。
未だ日は高く、窓から差し込む日差しは明るいまま。
日差しをベッドに腰掛けて浴びている翠色の少女が其処にいる。痛々しいほどに全身に包帯を巻かれ、顔も右半分を包帯で覆われた少女は扉を開く音に気付いてその顔を向け、ルトへと微笑んで見せた。
「お帰り、主殿」
「ぁ、えっと……」
向けられた微笑と言葉に、どう反応すればいいのかわからない、とでも言うかのように。立ったまま、ルトはまた困ったように頬を掻いた。