第27話 キス
学校帰り、俺は腕を組んで歩いていた。
大勢の生徒が同じように帰宅するために歩いており、全員が駅の方角へと向かっている。
「裕次郎」
「星那……」
星那が走って来て、俺の隣を歩く。
腕と腕が当たるぐらいの距離感。
周囲から見たらどうということの無い距離だが、星那の性格を考えれば相当近い。
「どうかしたの? 悩み事?」
「悩みってほどじゃないけど、考え事」
「前も言ったけど、裕次郎のことなら聞いておきたい。悩みじゃなくても聞きたいから、話して」
「じゃあまた恥ずかしい話してくれる?」
「うっ……それはしないけど」
前回、自分の恥ずかしい話をしてくれたのを思い出し、星那は頬を染める。
「それで、どんな話?」
「星那には言いにくいんだよ」
「言いにくいって、何が?」
その内容が、だ。
話をできないこともないが、星那にはあまり聞かせたくない内容。
俺はどうすべきか悩みつつ、話をしないことにした。
「話にくいから話せない。だから今回は止めておくよ」
「えー、気になるじゃん。聞かせてよ」
「機会があれば」
「今がきっと良い機会!」
「そんなこと無いでしょ」
今回に関しては良い機会なんて来ることは無いだろうし、星那に話すことは無いだろうと俺は考える。
だが星那は何かを察したのか、半目をこちらに向けながら言ってきた。
「東さんと根鳥のことでしょ」
「……正解。よく分かったな」
「ま、裕次郎の悩みはそれぐらいしか分かんないけど。でもそうあってほしいと思ったから」
「そうあってほしいって、どういう意味?」
「あの二人の問題であったなら、私も無関係じゃない。だから裕次郎には私に話す義務がある」
こんなことを言われたら話をした方がいいのかと考えてしまう。
だけど内容が内容だからな。
「聞かない方がいいと思うけど」
「え、怖い話?」
「うーん、気持ち悪い話?」
「……聞く」
俺は深くため息を吐き出し、意を決して彼女に話し始めた。
「根鳥の悪趣味って知ってる?」
「悪趣味? 知らない。そう言えばあいつのこと全然知らない」
どうやら星那は、根鳥の趣味や好きなものさえも認識していないらしく、ましてや悪趣味なども分かるはずもなく首をかしげている。
「あのですね……わざわざ彼氏がいる女を狙って、それから彼氏に対して、彼女をいただきましたって動画を送るんだって」
歩きながら話を聞いていた星那の足がピタリと止まり、顔色を青に染める。
「え、キモッ……」
「な、気持ち悪いだろ」
「え、そんな動画を送ってどうするの? 意味わかんない」
「相手が苦しむのが面白いんだってさ。最低な人間だろ」
「うわぁ……元々付き合ってるの恥ずかしいと思ってたのに、そんなのが彼氏とか最悪なんだけど」
星那は頭を抱え、今にも吐き出しそうな表情。
最低最悪な彼氏の趣味を聞いて、気分を害したようだ。
「聞かない方が良かっただろ」
「聞かない方が良かったけど、聞いて良かった」
青い顔のまま俺を見つめる星那。
「最低なやつはやっぱり懲らしめてやらないと。これまで何かできなかって悩んでたけど……ああ、でもやっぱり思いつかない」
根鳥の行動を許せないらしく、星那は怒りを露わにしていた。
今更、恵と根鳥の動画を送られてきたところで、俺の感情を揺さぶることなどできない。
だからどうでもいいと言えばどうでもいい問題なのだが……星那としては見逃すことができないようだ。
「裕次郎にも送るつもりなのかな?」
「信用できる情報からすれば、毎回そうしているからそうだろうな」
「本当にクソだよね、根鳥」
星那は眉を吊り上げ、見えない根鳥を睨むような目つきで続ける。
「何か仕返し考えようよ、二人で」
「仕返しって言ってもな。殴るとかそういうのは無理だ。俺、空手の黒帯だから喧嘩できないの」
「黒帯だったら何で喧嘩できないの?」
「黒帯のことを有段者って言うんだけど、有段者が喧嘩をしたら不利になるんだよ。だから喧嘩した場合、こっちが悪くなる可能性がある」
「へー。喧嘩してほしいと思っても無かったけど、そういうのがあるんだ」
絶対的に不利になるわけでは無いらしいが、有段者であれば危険な結果を予測できるはずだと、そういう評価を受けるようだ。
どちらにしても師範である叔父から、喧嘩は禁止されているので手を出すつもりもないのだけれど。
星那も望んでいないし、俺も喧嘩をするつもりはない。
なので彼女が望む仕返しというのは、難しいものだな。
口喧嘩は無益な言い合いになるだけだし、どうしてやろうか。
「だけど考えれば考えるほど難しくなるよな。仕返しって言っても、何をしたらいいか……」
準備自体は進んでいるのだが……根鳥にもっとダメージを与えてやりたい。
どうしてやるかな。
「うーん、やり返しなぁ……」
「じゃあ、動画でも送り返してやる?」
「え?」
星那の言葉に俺はポカンとしてしまう。
動画を送り返すって……どういう意味だ?
「目には目を、歯には歯を。動画には動画を。そういう動画を送ってやれば根鳥にも仕返しになるかなって」
「いや、それはそうだろうけどさ……」
「根鳥って、本気で私のこと好きそうじゃない? だからダメージもでかいと思うんだよね」
「そうかもだけど……それをするってことは、星那もそういう動画を撮るってことだぞ」
「あ……そうだよね」
星那はそこでようやく、自分が言ったことを認識する。
動画に対して動画を送り返すということは、星那が動画に出演するということ。
遊んでるような動画をイメージしていたのか、内容を想像して彼女は顔を真っ赤にしていた。
「えっと……」
「ああ。止めておこう。仕返しのために星那がそんなことする必要無い」
「…………」
星那は頬を染めたまま俯く。
そして何か悩んでいるようで、そのまま何も喋らなくなってしまった。
「星那?」
「…………」
沈黙が続くこと二分。
星那は急に顔を上げて、とんでもないことを言い出す。
「撮ろうよ、動画」
「え、本気?」
「本気も本気。冗談なんて言ってない」
「でも動画を撮るってこと、その……俺とそういうことをするってことだけど」
「前倒し!」
「前倒し?」
興奮した様子で星那は言う。
「この前の話、覚えてるでしょ。全部終わったら話すって」
「ああ」
「将来的に私たちがそういう関係になるとして、将来することを前倒しで先にそ、そういうことする」
「でも星那、そういうの嫌だろ?」
「嫌じゃない。むしろそういうの裕次郎とはやってみたいかも……潔癖症だし、このままじゃいつまでもできないだろうから、荒療治の意味も込めてやりたい」
星那は星那なりに真剣らしく、迷いの無い瞳で俺を見つめている。
俺は緊張しながら、彼女を見つめ返した。
「状況が状況だから、浮気にもなるんじゃない、一応」
「浮気じゃなくて本気だから。それにもうお互い関係は破綻してるんだし、その辺も前倒しってことで宜しくお願いします」
「こ、こちらこそ」
星那の勢いに飲まれてしまう俺。
本気か……俺の気持ちもそうだ。
浮ついてなんていない。
他の誰かに気持ちが揺らぐことなく、真剣に想っている。
それに目には目を……相手も浮気をしているから、この場合はお互い様か。
ようやく俺も覚悟が決まり、首肯でもう一度星那に応える。
彼女も首を縦に振り、こうして動画を撮影することが決定した。
◇◇◇◇◇◇◇
俺は星那を連れて、自分の家に帰って来た。
家族は誰もいない。
兄貴も妹も稽古に行っている。
星那は俺の部屋を見渡し、どこか感動しているような様子だった。
「これが裕次郎の部屋……狭いんだ。あ、ごめん。自分の部屋と比べちゃった」
星那は申し訳なさそうに頭を下げるが、俺は気にもしてないので「いいよ」とだけ答える。
「えっと、じゃあ動画の撮影しよ……っか」
「あ、ああ」
星那は俺のベッドに腰かける。
緊張しているようで、固まったモチのように体がガチガチだ。
かく言う俺も緊張をしており、心臓が今にも爆発しそう。
俺は息を飲み、星那の隣に腰かける。
「い、言っとくけど、こういうの初めてだから」
「俺もそうだけど」
「……東さんとしてないの?」
「してない。そういう雰囲気になったこと無いから」
「そうなんだ……ちょっと嬉しいかも」
口角を上げる星那は美しく、俺は呆けて見惚れてしまう。
星那は手袋をした手で、そんな俺の頬に触れる。
「うん。顔に触るのはできた。裕次郎なら大丈夫」
「俺が触れてもいい?」
「……うん」
星那の頬に触れる。
一瞬星那は目を閉じるが――ゆっくりもう一度開いて俺を見た。
「大丈夫か? 嫌なら止めてもいいし」
「さっき言ったみたいに荒療治。強引に先に進んだら、もっと触れ合えるような気がするの。だから続けて」
「分かったよ」
携帯を机の上に置き、撮影の準備をすでにしていたのだが……星那はその携帯を見つめながら、何度も深呼吸する。
「うん。覚悟決まった」
「無理そうなら、否定してくれていいからな」
「否定なんてしない。裕次郎となら嫌じゃないから」
俺も深呼吸し、覚悟を決め、携帯の撮影を開始する。
撮影が始まると、俺と星那は真面目な表情を作り、演技がかった声で話し始める。
「根鳥くん、見てる? 今からお前の彼女とイチャイチャします」
「根鳥。私、裕次郎のこと好きなんだ」
耳の裏にまで響く心臓音。
星那の手は震えている。
俺の手も同じように震えているが――気持ちも同じだ。
星那の『本気』と覚悟を受け止め、そして自分の想いを伝えるように唇を重ねる。
ピクッと星那の体が跳ねるが……徐々にリラックスしていく。
柔らかい。
そしてなんという幸福感。
これがキスなのか……脳から全身に快感が広がっていく。
一度顔を離し、星那を見つめる。
彼女はボーッとした顔で、もう一度キスを求めてきた。
当然、それに応える俺。
唇と唇が触れ合うだけのものだが、俺たちにはそれで十分だった。
指と指を絡め、何度もキスをする。
気持ちが通じ合う。
言葉さえも必要無い。
ただ想いを伝えあう行為が続いた。
「あ、これ以上は見せるつもりないから。この後も楽しむから、じゃあ」
「根鳥。あんたより裕次郎の方が1000倍良い男だよ」
星那は画面に向かって真顔を決める。
俺はそこで動画を止め、大きく息を吐いた。
「はわぁぁあああ……頭がフワフワしゅる」
星那が倒れるようにベットに横になる。
顔は真っ赤に染まり、気絶しそうなほどクラクラしているようだ。
「お、お疲れ」
「…………」
蕩けるような視線をこちらに向け、何故か少し睨んでくる星那。
「責任、取ってくれるよね?」
「取ります、責任。必ず」
星那が俺の枕に顔を埋める。
潔癖症のこと忘れてるんだろうか、そんなことをできた彼女に俺は密かに驚いていた。
そこで星那は何か考えたのか、またこちらに視線を向ける。
「動画はできたけど、今更ながら、根鳥と喧嘩になるんじゃ……」
「その点は大丈夫だと思う。対策は考えてあるから」
「? 安心していい?」
「星那を不安にさせるようなことはしない。だから星那は何も考えず、普通に過ごしてくれたらいいよ」
こちらを見る星那がとんでもなく愛おしく思え、俺は彼女に微笑を浮かべる。
すると星那は突然起き上がり、俺の眼前で目を閉じた。
「撮影とか無しで、も、もう一回だけ。今なら勢いでできそうかも」
「あ、ああ」
もう一度キスをする俺たち。
すでに星那の震えは止まっていた。
俺たちは幸福な時間を過ごし、そしてこの翌々日。
根鳥から動画が送られ、俺から動画を送り返すことになる。
◇◇◇◇◇◇◇
動画を送り返した後、ゲームのために外を歩いていると通話の着信が鳴る。
「はい」
『てめえ、絶対にぶっ殺す!!』
「あ、動画観てくれたんだ。最高だっただろ?」
『ああ、最高だよ。お前を本気で殺すだけの理由が出来たんだからな! いいか、明日指定した場所に来い。逃げるんじゃねえぞ。てめえを地獄に叩き落としてやるからな!』
それだけ言うと通話を終了される。
わざわざメッセージで場所と時間を指定され、俺は苦笑いを浮かべた。
それからゲームを再開させて散歩をしていると、もう一度着信が鳴る。
今度は誰からだろうと、携帯に映し出された名前を確認した。
「……恵」




