第26話 動画
おいおいおいおいお。
マジか。マジかよ!
恵が妊娠って……最高じゃねえか!
根鳥は大いに喜ぶ。
それは妊娠したことに対してではなく、裕次郎に仕掛けるチャンスが舞い込んだからだ。
このまま恵を言いくるめることができたら、元の目標も達成できる。
このチャンス、逃すもんかよ。
神、ありがとう。
最高のシチュエーションを用意してくれるなんて、気が利くじゃねえか。
「妊娠って、ちゃんと確認したのか?」
「うん。間違いない」
根鳥と縁を切ったはずの恵であったが、運命は二人を再び近づける。
恵はまだどうすべきか迷っているが、しかし根鳥はここで攻めを見せた。
「産むんだろ?」
「え?」
「俺、今メチャクチャ嬉しいんだよ。ちょっと早い……いや、クソ早いかもだけど、俺と恵の子供ができて泣きそうなぐらい嬉しいんだ。子供、産んでくれるよな?」
根鳥は恵の体を抱きしめる。
恵は彼の体のぬくもりに、安堵の涙を流した。
一週間以上悩み、苦しんでいたが、自分を受け入れてくれる人がいる。
こんなことなら、最初から相談しておけば良かった。
「でも裕次郎くんのこともあるし」
「そんなの別れればいいじゃねえか。どうせこのままじゃ、続けるのは無理だろ」
「でも……」
「でももクソもねえ。お前は俺のそばに居ろ。一生俺と居るんだ」
恵の涙が止まらない。
悩みから解放され、救われたような感覚。
妊娠などしてしまったらこれから先、裕次郎くんと過ごすことはできない。
ならば彼より私のことを好きと言ってくれている根鳥くんを選んだ方が幸せになれる。
もしかしたら乗り継ぎは間違いじゃなかったのかも知れない。
恵は根鳥の胸の中で、そう思案していた。
「でも根鳥くんも、彼女さんのことあるんじゃないの?」
「それはもう仕方ないだろ。本当に好きな女が俺の子供産んでくれるんだ。別れるよ。それに……」
「それに?」
悲痛な面持ちで、根鳥は言う。
「……俺の彼女、浮気してるんだよ」
「え、浮気?」
根鳥は言いづらそうな表情を作り、チラッと恵の顔を見る。
恵はその意味深な顔に、嫌な予感を覚えていた。
「根鳥くん、彼女さんは誰と浮気したの?」
「言いにくいことなんだけどな……お前の彼氏にだよ」
「裕次郎くん!?」
驚きを隠せない恵。
口元に手を当て、目を大きく見開いている。
「ああ。恵がいるってのに、俺の女に手を出してたんだよ……俺も人のこと言えないけど、でも俺のことより、恵のことを裏切ってたのが許せなくてさ」
「…………」
「一度話し合いをしたんだけど、全然話にならねえんだ」
「裕次郎くんは何て言ってたの?」
唖然としたまま、根鳥の顔を見ている恵。
根鳥は申し訳なさそうなに俯きながら彼女に言う。
「バレなきゃ大丈夫だって。最低だろ。恵に知られなかったらこのまま付き合い続けれるし、俺の彼女とも付き合える。そんなこと言ってたよ」
恵には思い当たる節があった。
最近の裕次郎はどこか素っ気ない。
それは今考えると、他の女にうつつを抜かしていたからでは。
そう考える恵であったが――もちろん彼女の思い違いだ。
しかし恵の中で裕次郎は『自分を裏切った男』として認識されつつあった。
さらに根鳥はここで涙を流し始める。
肩を震わせ、恵の体を強く抱きしめた。
「くやしいよ、恵……あいつのこと許せねえ」
「根鳥くん……」
「確かに俺だってあいつの彼女である恵と陰で付き合ってたさ! でも俺たちは被害者だと思わないか?」
「被害者?」
「ああ。だってそうだろ。こっちは傷ついてるんだから。恵だってそうだろ?」
「そうなのかな? 浮気してたのはお互い様だし……」
恵の頭の中は混乱していた。
だが自分も浮気をしていたので、物事を俯瞰できるぐらいの冷静さはある。
「恵は俺と縁を切って、あいつを選んだんだ。だからお前は違う。あいつに真剣だったんだよ。それは俺もそう。恵に真剣に向き合ってるからこれだけムカついてるんだ」
「…………」
「でもあいつはどうだ? 適当な気持ちで恵と付き合って、浮気がバレなきゃいいなんて言ってた。実はこの件の口止め料ってことで、あいつから5万手渡されてたんだ。ほら、これがその時の金だ。こんなの使いたくなかったから、そのままにしておいたんだよ」
根鳥は財布の中から5万円を抜き取り、それを恵に見せる。
もちろんそんな事実は無く、根鳥が脅迫で手に入れた金だ。
「恵との付き合いに対して5万なんて、ふざけてるだろ! これを付き返してやろうと思ったんだけど、あいつ逃げやがった。恵に言ってやろうと考えたけど、その時にはお前はあいつを選んじまったから」
「そんなことがあったの……」
根鳥の嘘に次ぐ嘘に騙されている恵の胸には、沸々と怒りがこみあげていた。
恵は自分がやったことを忘れ、裕次郎に対して真面目だった気持ちが踏みにじられたと感じる。
根鳥は恵の気持ちに変化が起きたことに気づき、あと一押しだと察した。
「だけどさ、復讐はしてやりたい気持ちはあるけど、俺たちが幸せになるのが一番の復讐だよな」
「復讐?」
「ああ。恵を騙してた男を痛い目に合わしてやろうって。まぁそんなことより、これから俺たち幸せになろう。あいつのことはもうどうでもいいじゃねえか。恵も復讐なんか考えないで、生まれてくる子供と三人で暮らしていこうぜ」
「三人で幸せに、か」
「それだけでいいだろ、正直あの男にはムカムカしっぱなしだけど、恵が幸せならそれでいい。俺もこれから働いて、中卒になるけど頑張るから。とにかく俺は恵のことが最優先だってことは覚えておいてくれよ。もし復讐したいなら力を貸すけど、そんなバカな考えは止めておくんだ」
自分では否定しておきながら、恵に『復讐』という言葉を刷り込んでいく。
何度も繰り返される言葉に、恵の頭の中に『復讐』の一文字がグルグルと回る。
「……復讐って、例えばどんなの?」
「そんなことする必要なんて無い。恵が怒る気持ちも分かるけど、俺は止めておいた方がいいと思うぜ。恵を傷つけたあのクソ野郎は許せねえけど、復讐はよくない」
「確かに許せないよね。私の気持ちを弄んだ」
「おいおい、マジで復讐しようと考えてるのか?」
「方法にもよるけど。やり返したいって気持ちは少しある」
かかった!
歓喜を胸に感じる根鳥であったが、表情に出すことなく会話を続ける。
「そうだな……例えば、動画なんてどうだ?」
「動画?」
「ああ。あいつは恵にマジみたいだからさ……俺と付き合ってるって動画を送ってやったら、精神的にダメージを与えれるんじゃないか? 本当なら殴りたいところだけど、今、暴力問題を起こして恵に迷惑をかけたくない。いや、違うな。恵とお腹の子供にだな。問題を起こして一緒に暮らせなくなるのはダメだから。だからそのぐらいの復讐なら……って考えてるんだが、どうだ?」
「…………」
「別れ話をする代わりに俺たちが愛し合ってるって証拠を動画にして送る。相手も諦めるだろうし、いい復讐になると思うんだよ。まぁ俺は復讐なんてよく無いとは思うけど、恵がやりたいならとことんまで協力する」
少し悩む恵。
自分のためではなく、彼女のために協力をしてくれるという根鳥。
それに感動を覚えながら、裕次郎に対しての怒りがヒートアップしていく。
根鳥との付き合いで影響された部分、負の感情が増大する。
許せない。
私を裏切ったことを許すことができない。
「俺たち、これからずっと一緒だろ? もし復讐するなら一緒にやっていいんだぜ?」
「……うん」
『ずっと一緒』。
根鳥が喋ったのは、裕次郎に自分から言った言葉。
あの時は適当にはぐらかされたような気がした。
それは裕次郎の浮気が原因だったのかと勘違いし、恵の中の激しい怒りが際限なく燃え上がる。
陰で私のことを笑っていたんだ。
あの最低な男に復讐してやりたい。
恵は憤怒し、まともに思考できない頭で根鳥に強く頷く。
「根鳥くん……私、あいつに復讐する」
「でも後悔しないか? 後から恵が引きずるようなことがあるかもって考えると、やっぱりやらない方がいいかもな」
「ううん、大丈夫。心配してくれてありがとう。根鳥くんは優しいんだね」
「分かった。恵の気持ちを尊重する。復讐してやろう」
いつの間にか恵が率先してやるような形にして、引き返せないようにした根鳥。
決意をした恵を優しい顔で見て、胸のうちでこき下ろす。
バーカ。
嘘に決まってんだろうが。
扱いやすい女で助かったぜ。
ってかもっと早く動画撮らせろって話だ。
それやらこんな三文芝居する必要も無かったってのによ。
怒りに満ちている恵の表情と、悪意の満ちた計画を決行しようとする根鳥。
こうして裕次郎に送るための動画撮影が、決定するのであった。
◇◇◇◇◇◇◇
翌日。
いつも通り屋上で集まっていた根鳥たち。
中には山本もおり、バカな話で盛り上がっている。
根鳥は上機嫌で、ニヤニヤしながら皆の話を聞いていた。
「そう言えば、庄司はどうしたんだ?」
「庄司は幸田と行動してる。最近仲がいいみたいだな。ってか根鳥、なんだか機嫌がいいみたいじゃないか。何かあったのか?」
「まぁな」
根鳥の様子に、皆が笑いながら彼に詰め寄る。
「もしかして、幸田の件が上手くいったか?」
「いいや、幸田じゃねえよ」
「幸田じゃないとすると……東か!?」
「ああ、正解だ。ようやく動画を撮らせてくれたんだよ」
まるでスポーツの試合で勝利したかのように、大いに盛り上がる面々。
根鳥が恵との動画を撮影したことに、興奮した顔を見せる。
「で、いつ送るんだよ?」
「いつにしようか……今日が水曜日だから、明後日辺りがいいな。休み前なら土日はイライラしながら生活しなきゃらならないだろ? 相手にとっては、一番嫌なタイミングだと思わねえか?」
「根鳥はやっぱエグいよな。動画だけでも地獄なのに、話し合いもできないまま土日を過ごさせる」
「最高じゃね? もちろん結果は教えてくれるんだろ?」
「ああ。あのムカつく野郎に、ようやく一泡吹かせてやれる。目にもの見せてやるぜ」
根鳥の目がギラギラ光る。
動画を送る日は明後日。
その時のことを想像し、根鳥は醜悪な笑みを浮かべるのであった。




