第25話 東恵
「……最悪だ」
鏡に映る自分の顔を見て、私はそう呟いた。
顔色悪いし、目の下にクマができてるし、今日の自分はイケてない。
見た目も最悪なら気持ちも最悪。
なんでこんなことになってしまったのだろう。
私の人生は、終電まで続く電車に乗車するように、何も考えず気にもする必要は無かった。
子供の頃から手のかからない子供だと言われ、気が付けば人気者。
女子ながら、私はクラスの中心人物であった。
小学校低学年から、私を守る男の子たちがいて、私を慕う女の子たちがいて。
クラスの端にいるような子たちと比べ、楽な人生だなって。
上機嫌で電車に乗っているだけでいい。
そんなことを考えていたっけな。
他の皆は幸せのために、乗り継ぎをしなければならない。
あの子と仲良くするより、あっちの子と仲良くしないと。
あの子に嫌われたらいけないから、こっちに付かないと。
小学校高学年にもなると浮かないように、周囲をよく観察することを強要される。
でも私はどうだ。
自分が中心だから、変化を必要としない。
困ったら誰かが助けてくれるし、私が変わると周囲がこちらに合わせてくる。
乗り換える必要など一切無い。
中学になってもそれは変わることなく、しかしその頃になると色んな変化が訪れた。
男女が互いを意識し始め、異性として見るようになる。
私は特にその対象となっていたようで、何度も告白された。
ヤンチャな子や調子のいい子。
真面目な子からも告白されたな。
そんな状態が三年も続き、だが私は持ち前の明るさで、告白してきた子が気にしないように立ち回る。
おかげで平和な日々を送ることができた。
告白は何度もされたが誰かと付き合う気にはなれず、フリーのまま高校に入学することとなる。
恋愛というか、男子を好きになるという感覚が分からなかったのか、あるいは好きになれるほどの人がいなかったのか。
今思えば、後者だったのだろう。
事実、私は恋をすることになるのだから。
相変わらず自分を中心に世界が動いており、私は私らしく生きていればそれで幸せになれるはず。
そう考えていたし、そうだと確信していた。
高校二年になり、友人と遊んでいて帰りが遅くなった帰り道。
私は運命の出会いを果たす。
円城裕次郎。
彼と出会ったのだ。
男子から助けてもらうことなんてこれまで何度もあった。
でも胸がときめいたのは初めてだ。
私の運命の人。
そう信じて疑わなかった。
だけど私に近づくもう一人の男。
根鳥修二。
初めて乗り換えの電車に乗ったような気がする。
そしてそれは間違いであった。
それに気づき、元の電車に戻ったつもりであったが……
私は鏡から目をそらし、更衣室を後にする。
「恵。朝ごはんは?」
「いらない」
「珍しいわね」
リビングで母親が朝食を聞いてくるが、私はそれを拒否をした。
朝食を食べないのは、17年の人生で初めて。
いや、小学校の時に熱を出して一日寝ていた時にも食べなかったか。
とにかく、これまでで一番気分が落ち込んでおり、朝食など食べる気にはなれない。
自室に戻り、登校する時間までベッドで横になる。
どうしたらいいんだろう。
私は自分に起こったことを誰にも相談することができず、気が付けば一週間が経過していた。
友人たちに話すことができない。
彼氏である裕次郎くんにも相談することもできない。
どうすれば……
乗り換えなど必要無い人生。
電車に乗っていたら終着点まで運んでくれるはずだった。
でもたった一度の乗り換えが、私の人生を大きく狂わせてしまったのだ。
激しい後悔と、困惑。
そして将来への不安を覚えながら、私は一つの決断をした。
私はその日、学校の屋上へ向かう。
昼休みの時間、皆は昼食を食べている頃だ。
学校の屋上は立ち入り禁止となっているが、とあるグループは合鍵を持っていて入ることができる。
誰かが屋上にいると考えていない教師たちも立ち寄ることのない、ある人たちにとっての聖域。
誰にも邪魔されない、秘密基地のような場所。
屋上に到着すると、そこには根鳥くんがいた。
彼は私の顔を見ると、驚いたような表情を浮かべる。
「恵……どうしたんだ」
驚きの次は、嬉しそうな顔。
私は重たい気持ちのまま、彼の元へと歩いていく。
「根鳥くん、話があるんだけど」
「俺も話があるんだ。俺、恵のことがマジで好きでさ……別れ話を切り出されてから、ずっと落ち込んでたんだ。だからここに来てくれて嬉しいんだよ」
「そうなんだ……本当にそうなの?」
根鳥くんを信じる気持ちと疑う気持ち。
その両方を抱く私の胸中は複雑に、そして気分を悪くさせる。
それでも話をしなければ。
だってこれは私一人の問題じゃないから。
「マジだって! マジでお前のことが好きなんだよ」
「……じゃあ、受け入れてくれるの?」
「受け入れるって……何をだよ?」
「…………」
私は俯き、悩む。
私は裕次郎くんと幸せな未来を築く。
そう決めたはずなのに、とんでもないことが舞い込んできてしまった。
間違えて電車を乗り換え、目標が大いに狂ってしまう。
私は大きなミスを犯してしまったのだ。
それは受け入れがたい事実であるが、だが現実にそうなってしまっている。
もうどうしようもない。
これからどうするのか、当事者同士で話をしなければ。
私は意を決し、根鳥くんの顔を見た。
「妊娠したの、私」
「……本当か?」
一瞬狼狽える根鳥くんであったが……歓喜の満ちた表情で私を見る。
高校生で妊娠なんて、最悪な出来事が起きてしまったが、もしかして彼が救ってくれるのかも。
根鳥くんの笑顔を見て、私は愚かにもそんな風に考えていた。




