第20話 星那と海
恵たちのことが発覚してから、1ヶ月ほど経過していた。
色々と動いてはいるものの、準備はまだ整っていない。
まぁ焦ることはない、着実に事は進んでいるのだから。
「お待たせ、裕次郎」
本日は晴れた休日。
星那の要望で海に行くことになった。
季節的に泳ぐこともできないが、突然見たくなったようだ。
これも幸せ探しらしいし、俺はそれを快諾し、二人で出かけることにした。
現在駅の改札前で、彼女は笑みを浮かべて登場する。
「待ってないよ。1時間しか」
「えっ、そんなに待った!?」
「冗談。今来たところ」
俺の冗談に頬を膨らませる星那。
生真面目な彼女は冗談を何でも本気で取ってしまう。
可愛いけど、こういうことはやり過ぎない方がいいな。
「それで、東さんとのことどうなってるの?」
「順調だと思うよ。今も彼女とは普通にお付き合いさせてもらってるから」
「お付き合いって……でもこの後どうなるんだろう。前に浮気した時は噂話を聞いたからだけど、東さんとの話は一切聞かないじゃない」
「慎重に付き合ってるんじゃない? でもそのうちボロが出るよ。悪いことなんて隠し通すことなんてできないんだから」
ホームに向かいながら、俺たちは会話を続ける。
しかし駅には人が多いので、やはり星那を見る男性がちらほらと。
星那はこういう視線には全く気付かず、スルーしているかのように普通に歩く。
ただその歩き方と姿勢はモデルのように美しく、隣を歩くのが少々恥ずかしくなるほどだ。
「悪いことか……根鳥はいい死に方はしないだろうな」
「迷惑を沢山かけてるみたいだし、碌な人間じゃないな」
ホームに到着するもまだ電車は来ていないようで、俺たちは立って待つことに。
「あの二人のことは置いておいて、海、楽しみだな」
「うん。修学旅行で行ったことはあるけど、今はどうなんだろうって」
「どうとは?」
「また違う景色が見えるのかなって。裕次郎となら」
頬を染める星那。
俯き加減の彼女に、ドキッとする。
「一人で見る景色と、誰かと見る景色じゃ違うんだろうな。そして一緒に見る人によっても違う」
「うん。だから凄く楽しみなんだ。私の……」
「うん?」
「ううん。何でもない。ほら、電車来たよ」
星那との距離が、日に日に近づいているような気がする。
最近は俺に触れられるようになったらしく、指先ではあるがこちら服を引っ張った。
潔癖症の彼女から触れられるのは、自分が特別なような気がして胸が高鳴る。
電車に乗って、星那は席に座ることなく窓際で立つ。
つり革や手すりに触れることもなく、申し訳なさそうに俺の服を摘まんでいた。
「ごめん。掴ませてもらってる」
「好きなだけ掴んでもらっていいよ。なんだったら手でも繋ぐ?」
「そ、そんな恥ずかしいことできるわけないじゃない」
顔を真っ赤にする星那。
見た目ギャルで中身は純情。
電車と共に俺の気持ちも揺れ動く。
壁に手を付き、揺れから彼女を守る形を取ったのだが……星那の顔が眼前にある。
あまりの距離の近さに、俺たちは顔を背けあった。
「あはは……近いね」
「離れようか?」
「別にいい。嫌じゃないから」
目的の駅に到着し、改札から出るとすぐに海が見える。
駅から階段を降りると砂浜となっていて、星那はキラキラした顔で走り出す。
「海だ」
「海だな。でも海しかない」
「海しか無いね。でもそれがいい!」
周囲には数件飲食店があるだけで、他には何も無い。
季節外れなので泳ぐ人もおらず、ただただ広い海が目の前に広がっていた。
水に触れるか触れないかの距離まで星那は接近し、近づく海水に大はしゃぎする。
ここまで楽しそうにしてるのは珍しいな。
喜ぶ星那の横顔を見ながら、俺はその場にしゃがみ込む。
サラサラの砂に、温かい太陽。
夏になれば砂はもっと熱くなるのだろうが、まだ少し生ぬるい。
シーズン外ではあったが、でも海に来れて良かった。
心が落ち着く。
根鳥や恵のことは、完全に忘れて穏やかな気持ちで海を眺める。
「アホー!!」
「ええっ!?」
星那がいきなり叫び出す。
何ごとかと彼女を見てみると、何故か瞳には涙がたまっていた。
「星那?」
「なんだろう、急に泣けてきちゃった! 広いなって」
「確かに広いけど」
「そして私はちっぽけだなって」
星那は海から二、三歩離れ、しゃがんで海を見る。
「きっと私たちの問題なんて、世界からすればどうでもいいことなんだろうね」
「そうだな。恵と根鳥が浮気しようが、世の中に変化なんて起きないよな」
「私たちの小さな世界で起きている事件なんだね。海を見てたら、なんだかもうどうでもいいかなって」
「その気持ちは分かる。俺もあの二人のこと、どっちでもいいって思い始めてるから」
俺と星那は顔を合わせ、そして笑う。
「でも許してあげないけどね」
「ああ。星那を悩ませたことの償いは取ってもらう」
「違う違う。裕次郎を傷つけたことの償いでしょ」
「いいや。星那のことだよ」
「あはは。私たちって、ちょっと似てるかもね」
星那は一度立ち上がり、そして俺の隣に座る。
そして俺の指を使い、砂に文字を書き始めた。
「おい。俺の指を使うなよ」
「だって、砂触れないし」
手袋から感じる星那の体温。
全身からいい匂いがし、俺は密かに緊張をしていた。
砂には何を書いているのだろうと見てみると、『ゆうじろう』と書いていた。
「…………」
「……何で俺の名前?」
「だって裕次郎が隣にいるから」
「そっか。他のことは思いつかないか」
「うん。裕次郎のこと以外は何も考えられないかな、今は」
星那の耳が火をつけたように真っ赤に染まる。
「誰も他にいなんだもん。仕方ないでしょ」
「あそこに見知らぬおばさんがいるけど」
「あんなのはカウントしないの!」
犬を連れて砂浜を散歩するおばさん。
星那はツッコミを入れた後、大笑いする。
「ああ。こんなに笑うのは初めて。触れても大丈夫な人も初めて。裕次郎は初めて尽くしだね」
「それで、俺と見る海の景色はどうだった?」
「そうね……控えめに言って最高かな」
俺たちは立ち上がり、自然に見つめ合う。
波の音、それから鳥の鳴き声。
潮の香りに気持ちのいい風。
ゆったりとした静かな時間が、俺たちの間には流れていた。
「あっ――」
そんな時、突風が吹き、風に押されるようにして星那は体制を崩し、俺の胸に飛び込んで来る。
体に感じる星那のぬくもり。
突然の出来事に、俺は思考を停止していた。
「……星那?」
「…………」
潔癖症の星那はすぐに離れると思っていたが……ずっと俺の胸の中にいる。
目を閉じ、俺の体から何かを感じ取ろうとしているような、そんな顔をしていた。
「ありがとう、裕次郎。また私の好きな物が見つかった」
「ああ。海、綺麗だよな」
「うん。でもそれだけじゃない。もっと大事なものを見つけることができた。私の幸せ探し、順調だよ」
「…………」
星那が言うそれは何なのか。
俺は聞けないままで、彼女が胸に顔をうずめる様子を眺めていた。
このまま時間が止まればいいのに。
そんなことを考えながら。
「そろそろ行こっか。今から帰っても、夜になるよね」
「ああ。門限があるんだっけ?」
俺から離れ、首を縦に振る星那。
「また来ようね」
「星那が来たい時にいつでも」
「じゃあまた来月」
「分かった。来月にまた来よう」
「その頃には根鳥のことは終わってるかな」
「そうだといいけどな」
俺たちは駅に向かって歩き出す。
だがその場から離れるのが名残惜しく、ゆっくりと。
星那は俺の服を掴んでいる。
指先で摘むのではなく、ギュッと強く。




