第17話 ラーメン屋と事実
「裕次郎、どうかした?」
「え、ああ……ちょっと」
恵の首元にあったキスマーク。
あのことが気になり、星那がいるのに俺はボーッとしてしまっていた。
現在、休日の午前中。
雨が降りそうな天気の中、星那が行ったことが無いというラーメン屋に行くことになり、目的の店近くのデパート前で待ち合わせをした。
そこから歩いて店を目指していた途中であったが……やはりあのことが気になってしまう。
「裕次郎、私には話せることは話してほしい。裕次郎のことなら知っておきたいし、何を言われても驚かないから」
「…………」
星那に話をするかどうか、俺は悩んでいた。
俺の勘違いかも知れない。
そんなあやふやな情報を話していいのだろうか。
すると星那は俺の試案を理解したかのように、頬を染めて話を始める。
「私、昔から友達がいないの。根鳥の友達とか、そういうのは少しだけ付き合いがあるけど、何故か友達ができないんだ」
「そうなんだ。でも星那には良いところがあるし、それを皆が分ってくれたら友達なんかすぐにできるさ」
「……そんな風に言われるとは思わなかった。自分がちょっと恥ずかしいって思ってること、話しただけなんだけど」
友達がいないのが恥ずかしい。
それは星那の感覚からすればそうなのだろう。
そしてそんな自身の恥部を話してくれたのは、俺にも恥ずかしがらずに吐き出せという意味が込められているのだろう。
俺はそれが分かり、少しだけ気が楽になって笑った。
「恥ずかしいことじゃないんだけど……ちょっと気がかりなことがあるんだ」
「気がかりなこと?」
「うん。恵と根鳥のこと」
「詳しく聞かせて」
俺は喫茶店での出来事と、恵の首元にあったキスマークのことを星那に伝えることにした。
すると星那の顔色がみるみるうちに赤くなり、怒りに歪んいく。
「最悪……あいつやっぱり最悪だわ」
「まだ確定したわけじゃないんだけどさ」
「キ、キスマークが付いてたって、そんなの確定でしょ」
そうとしか考えられないよな。
でもキスマークなんて初めてみるから、あれがそうだったのか疑わしいところもある。
もしかしたら虫刺されだったのかも。
それを確認するには直接聞くしかないが……そんなことを聞いたら恵が傷つくかもしれない。
浮気をしていたらそりゃ許せないけど、もしそうじゃなかったとしたら話がややこしくなってしまう。
そうならないため、でも確実にそうだという証拠を見つけることはできないだろうか。
「とにかくまだ分からないから、少し知り合いに頼ってみるよ」
「知り合い? そんなの調べられる知り合いがいるの?」
いつの間にか立ち止まって話をしていた俺と星那。
目の前に郵便局がある場所で、俺は携帯を取り出す。
「ああ。情報通というか、情報集めが得意な知り合いがいるんだよ」
「でもどうやって聞くの? キ、キスマークが付いてるのって、本人たちにしか分からない問題でしょ?」」
キスマークという言葉に抵抗があるのか、星那は恥ずかしそうに口にする。
「キスマークのことは分からなくても、浮気をしているかどうか。その事実は確かめられると思う」
「そっか。浮気の件で調べたらいいんだ」
ポンと手を打つ星那。
その間に俺は連絡を済ませ、携帯をズボンにしまう。
「すぐに連絡は来ないだろうし、予定通りラーメンを食べに行こうか」
「うん。そうしよう」
再び歩き出す俺たち。
星那がいるので、恵のことを今は忘れたい。
初ラーメンなのだから、それを楽しませてあげないと。
「ラーメン初めてって言ってたけど、これまで行く機会無かったんだな」
「うん。一人じゃ入りにくいし、外食って基本的にしないから。友達もいないし」
「友達いないの強調するなー。ま、友達いない同士で仲よくしよう」
ようやくちょっとだけ嬉しそうな顔をする星那。
こういう顔をしていた方がいいよな、やっぱり。
ラーメン屋に到着すると、多くの人で行列ができていた。
ここは人気店なのだが、まさかこんなに並んでいるとは。
休日恐るべしだな。
「ラーメンってどんなのが出るんだろ。もう楽しみなんだけど」
「ここはとんこつベースのラーメンで、濃厚だけど大丈夫か?」
「濃厚じゃない方を知らないから分からない。ここの食べてから判断する」
初めてなんだから、分からなくて当然か。
いつもより笑みが多いように見える星那。
だが突然彼女の顔が、落ち込んだものに変わる。
「どうしたんだよ、いきなり」
「うん。東さんと根鳥のことを考えたら、やるせなくて」
忘れていても思い出してしまう。
一番怪しんでいる時期なんだから、そりゃそうか。
かくいう俺も恵たちのことが頭によぎっていたので、同じなんだけど。
「考えても仕方ないんだけどな。そしてこれだけ人に負の感情を植え付ける行為。実際にどうかまだ分からいけど、浮気とか人を傷つけるのは良くないな」
「うん。私は絶対に無理。自分たちだけの問題だったらいいけど、それをすることによって傷つく人がいる。自分の欲望を抑えられない人って信じらんない」
俺も星那とは同じ考えで、たとえ性欲が爆発したとしても浮気をしない自信はある。
我慢すればいいだけの話なんだし、付き合っている人のことを考えられるなら、そんなことするはずないだろ?
きっと浮気できる人は、他人の気持ちより自分のことを優先する人ばかりなんだと思う。
そして優しい人は、自分のことより他人のことを真っ先に考えられるような、そんな人のことなんだ。
星那は自分よりも俺の気持ちを先に考えてくれている、優しい女性。
自分では気づいていないようだけど、こういう人といると気持ちがいい。
「よし。でもここからは自分たちの欲望を解放しようか。ラーメンを楽しもう」
「うん。ラーメン楽しもう」
ようやく自分たちの順番が回ってきて、席に通される。
星那は毎度の如く、除菌スプレーを椅子に噴射してから席に着く。
「へー、こういう店なんだ……割り箸は無いんだ」
店にあるのは普通の黒い箸。
同じ物が何本もあり、適当に二本取って使うようになっている。
それを確認した星那は、カバンの中からマイ箸を取り出す。
そうか。潔癖症って、こういうお箸を嫌がるんだな。
「マイ箸っていつも持ち歩いてるんだ」
「うん。使うこともほとんどないけど、念のため」
「ああそうだ。紙エプロンもあるから、星那の分を頼んでおくよ。服にかかるの嫌だろ」
「ありがとう。裕次郎は使わないの?」
「うん。付けるの面倒だし、付けたこと無いな」
俺は店員にラーメンと紙エプロンを注文する。
先に紙エプロンが到着し、それを首からつける星那。
俺は紙エプロンを付けた星那を見ながら、少し笑う。
「うん。よく似合ってる」
「それ、バカにしてるよね?」
「してないしてない。いやー、星那って何でも似合うよな」
「なんだか誤魔化されてるような気がするんだけど」
上目使いでこちらを見てくる星那。
睨んでいるつもりはないのだが、睨んでいるように見える。
その可愛さに心が打たれるが、周囲にいる男たちもそんな星那を見て見惚れているようだった。
「あんな美人と食事に来たいもんだな」
「あれはレベルが高すぎる。絶対に緊張するよ」
「日本人だよな、あの子。でも日本人離れした美貌だよなぁ」
星那は周囲からの視線に気づくことなく、運ばれて来たラーメンに目を丸くしていた。
「わぁ……想像してたラーメンと違う」
「これがこってりのラーメン。麺に絡みすぎるぐらい絡むから、是非堪能してくれ」
髪をゴムで束ねる星那。
俺の前の席に彼女は座っているのだが、その様子が美しく、ラーメンより彼女に目が行ってしまう。
そして熱を冷ましながら、音を立てずにラーメンを口にする星那。
「うわ、本当に濃厚。これがラーメン屋さんのラーメンなんだ」
「今度はあっさりラーメンも食べに行こうか。なんだったらこの後でも――」
喜ぶ星那に、俺はまたラーメン屋に行くことを提案しようとするが、そのタイミングで携帯が鳴る。
連絡は、恵のことを調べてもらっていた人物からだった。
「…………」
「何の連絡?」
「恵と根鳥のこと」
ラーメンを食べていた星那の手が止まる。
「それで、何か分かった」
「ああ。どうやら浮気確定みたいだ。あの二人」
「…………」
楽しんでいたはずの星那の顔が曇る。
外では雨が降り始め、俺は携帯を見下ろしながら歯をかみしめた。




