第16話 恵と喫茶店にて
「うーん……重い」
朝目覚めると、俺の布団の中で妹が眠っていた。
可愛い寝息を立てて、天使のようだ。
普段、妹と寝ることは無いのだが……兄が学校を停学になったので、俺の部屋に避難している。
兄は妹のことが大好きで大好きで、溺愛している妹バカだ。
そんな兄貴が毎日休みとなると、夜遅くまで妹にべったりで困り果てた結果、こうして俺の部屋に逃げてきたというわけである。
「おはよう、裕兄」
妹が目をパチッと開き、小さなあくびをしながら挨拶をしてくる。
「おはよう。てっきり兄貴が乗り込んで来ると思ったけど、来なかったな」
「来たら絶交って言っておいたから」
「……それが通用するなら俺の部屋で寝なくても良かったのでは?」
「だって私が裕兄と寝たかったから」
なんて言って、抱き着いてくる小百合。
まさかこちらがしてやられていたとは……
妹のしたたかさに苦笑いが出る。
「兄貴とも添い寝してやったら、何でも奢ってくれると思うぞ。その辺、上手いことやったらいいじゃないか」
「一緒に寝なくても何でも奢ってくれるから問題無し」
相変わらず妹には激甘対応なんだな、兄貴は。
二人の関係に笑いながら、俺は布団を出るのであった。
それから朝食を取って学校に行き、星那との会話を思い出す。
恵と根鳥の繋がり。
彼女が誰と付き合おうと文句は無いんだが、根鳥は流石に止めた方が良さそうだしな。
恵にこれ以上悪影響が出ないようにしないと。
教室の自室で曇り空を見上げながらそう思案し、恵と話をする機会を伺う。
普段、学校で話をしないからどうやって声をかけたらいいのか難しいところだ。
どうすべきか悩んでいるうちに昼休みになって恵は友人たちと昼食を食べ始め、俺は遠くから彼女を眺めながら弁当を食べる。
「おい、ちょっと来いよ」
そんな時、山本が同じクラスの大人しい男子と教室を出て行くのを発見する。
眼鏡をかけた黒髪の男子、名前は確か杉浦だったかな。
どう考えても友人には見えない。
まさかイジメでもしてるのか?
俺は立ち上がり、止めようとするが――同じタイミングで恵が席を立つ。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
笑顔で教室を出る恵。
彼女と杉浦とどっちを選ぶべきか。
俺は悩みに悩んで動けないでいた。
しかし急を要するのは杉浦の方だろう。
恵とはいつでも話はできるし、最悪、電話で通話もできる。
ここはやはり杉浦と山本の方に行こう。
「おい」
「お前……なんだよ、これから用事があるんだよ」
廊下に出て、俺は山本に声をかける。
こちらの顔を見て、苦虫を嚙み潰したよう表情を浮かべる山本。
「用事って、杉浦と仲がいいわけじゃないだろ」
「何を根拠にそんなこと言うんだよ?」
「タイプが全然違うだろ。優等生と猿ぐらい違う」
「誰が猿だ、誰が!」
俺に掴みかかろうとする山本であったが、前回、俺が周りに助けを呼んだのを思い出したのかすぐに思いとどまる。
「とにかく杉浦にちょっかい出すなよ。イジメ恰好悪い」
「……イジメてねえよ。なあ杉浦?」
「う、うん……」
俯く杉浦。
眼鏡をかけた彼の表情はよく見えない。
だが彼の本意から出た言葉とは思えないな。
「イジメてないなら俺も付いて行く。いいよな?」
「なんで付いて来るんだよ」
「付いて来られたら困ることでもあるのか?」
「ちっ、面倒くせえやつだな。もういいよ」
山本は俺に悪態をついてその場を立ち去って行く。
杉浦は安堵の表情を一瞬浮かべるが、辛そうにため息を吐き出した。
「なあ、本当はどうなんだ?」
「どうって……どうもないよ」
「どうもないって顔じゃない。イジメられてるなら、抵抗すればいいんだかさ」
「……君は強いかも知れないけど、皆そうじゃないんだ。そんな簡単に言わないでくれ」
杉浦は今にも泣きそうな顔で教室の方へと走って行く。
だけどこちらに視線を向けて、会釈をする。
「どう見えてイジメられてるよな」
杉浦の後を追うように教室へ戻ると、恵はすでに元の場所に戻っていた。
皆に囲まれて楽しそうに会話を交わしている。
これは放課後まで待つしかなさそうだな。
そして放課後になり、俺は恵の席まで行って彼女に耳打ちをする。
「ちょっと話したいことがあるんだけど」
「え、うん。分かった。じゃああそこで待ってて」
恵とよく落ち合う場所がある。
そこは学校の最寄り駅の裏にある喫茶店だ。
普通のコーヒーショップもあるにはあるのだが、そこは俺たちの学校の生徒が数多く使用している。
逆にその喫茶店は古くからある店で、生徒はほとんど立ち寄ったりしない。
隠れて付き合っている俺たちにとって、好都合の場所なのである。
喫茶店は長いカウンター席とテーブル席が三つある、細長い店。
俺は一番奥にある席に座り、恵が来るのを待った。
「お待たせ。あ、すいません、アイスコーヒー下さい」
恵は来店してすぐ男性店主に注文を済ませてから、俺の前の席に座る。
「珍しいね。裕次郎くんから誘ってくれるのって」
「ああ、どうしても話したいことがあってさ」
嬉しそうな表情の恵。
先日の怒りはどこへ行ってしまったのやら。
「えっと。まず先に言っておきたいんだけど、怒らないで聞いてくれ」
「……また英美里の話?」
「違う。でも似たような話」
笑顔から一転、こちらを睨む恵。
「根鳥のことだ」
「……根鳥くん?」
俺が根鳥の名前を出すと、恵は明らかに動揺を見せた。
根鳥と付き合いがあったことがバレた。
そんなことを物語っている顔だ。
「ね、根鳥くんがどうしたの?」
「友達から聞いたんだよ。根鳥と恵が関係あるって」
「……確かに関係はあるけど、普通の友達だよ」
少しの会話だったが、何故か安堵する恵。
俺は彼女の様子に違和感を覚えていた。
「あ、もしかして嫉妬してる?」
「そういうんじゃない。ただあいつは悪い噂が多いだろ? だから付き合いは控えた方が――」
「別にいいじゃない! 普通の友達なんだから!」
バンッと机を叩く恵。
庄司の時と同じパターンだな。
会話は成立しそうにない。
「なんで友達付き合いに文句言うの? 私が浮気でもしてるって思ってるんでしょ!」
「そんなことは無いけど」
「じゃあなんで疑うの? もしかして裕次郎くん……浮気してんじゃないでしょうね」
「バカ言うな。浮気なんてするはずがない」
「だったらおかしいじゃない。友達付き合いに口をはさむなんて」
やはり話は通じないか。
俺は呆れ返りながらも言葉を続ける。
「彼女を心配することはおかしいことか?」
「大丈夫だって。根鳥くんって、噂ほど悪い人じゃないし」
「噂ほど悪い人じゃないって、どれだけ根鳥のことを知ってるんだよ。根鳥のことを知り尽くしているほど、仲が良いのか?」
「そんなこと無いけど……」
「俺は心配してるだけだ。恵が悪い道に進まないように」
その言葉で恵が再び激高する。
「悪い道って何よ! 前も言ったけど、人にとやかく言えるほど、裕次郎くんだって人間出来てるわけじゃないでしょ!?」
「ああ、そうだ。でも底なし沼に落ちそうな人の手を引っ張り上げてやるのは、当たり前のことだろ。それが彼女となれば猶更だ」
「だから、なんで私の友達が悪いって決めつけてるの?」
「……もう話にならないなら、彼氏である俺の話を聞く気もないなら、これ以上関係を続けるのは難しいな」
恵がハッとする。
ようやく自分の状態を冷静に見れたようだ。
彼氏である俺を罵倒し、否定し、怒る自分の姿。
友人との付き合い、そして彼ら彼女らのことを優先する自分に気が付いた様子。
彼女はオロオロしながら席に着き、深く頭を下げる。
「ごめん……裕次郎くんと別れたくない。そうだよね。根鳥くんとの付き合い、止める。裕次郎くんが望むならそうするから」
「そうしてくれるとありがたい。火の無いところに煙は立たないって言うだろ。ああいうのには近づかないのが一番だと思うから」
「うん。そうする。私、どうかしてたんだ……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
何か後悔しているような恵。
俺は反省してくれている彼女の態度に、ため息をついて笑みを浮かべた。
「……?」
こちらに頭を下げていた恵……頭を上げた彼女の顔は青白くなっていたが、それよりも気になることがあった。
それは恵の首元にあったもの。
そこには――キスマークのようなものが見えた。




