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夜のスーパー

作者: 通りすがり

平田は、今日も残業で遅くなり、重い足取りで家路を急いでいた。周囲は住宅街で、遅い時間のため人通りもまばらだ。あと少しで自宅というところまで来て、平田は「しまった」と小さく呻いた。買い置きしてあったカップラーメンを、昨夜食べきってしまったことを思い出したのだ。自炊をほとんどしない平田の冷蔵庫の中は、調味料と水のペットボトルくらいしか入っていない。このまま家に帰っても食べるものは何もない...。

平田の家の近所にはコンビニはなく、食料を手に入れるには駅前にあるコンビニまで戻るしかなかった。ここから駅までは徒歩で15分くらいかかる。ただでさえ疲れている体には、その道のりを引き返すのは拷問に等しい。だが、空腹を満たすためには他に術がない。諦めて駅に戻ろうかと一歩踏み出したその時、ふと、いつもは通らない隣の通りに小さなスーパーがあったことを思い出した。今まで一度も足を踏み入れたことはない。だが、あそこなら何か食料が売っているだろう。

時計を見ると、20時45分。もう閉店しているかもしれない。平田は一瞬躊躇したが、ダメ元で行ってみようと隣の通りを目指して歩き出した。

隣の通りに出ると、すぐにそのスーパーが見えた。古びた外観、薄暗い看板の電灯。だが、まだ明かりがついている。近づいていくと、店の入り口で、店主と思しき男が店頭の看板を片付けていた。閉店作業中だろうか。

平田は慌てて声をかけた。

「すみません、まだお店やっていますか」

店主は振り返り、夜遅くの客にも関わらず、妙に愛想の良い笑顔を貼り付けた。

「21時閉店ですので、まだ大丈夫ですよ」

助かったとばかりに、平田は店の奥へと足を踏み入れた。店内はこぢんまりとしており、品揃えも決して良いとは言えない。薄暗い照明が、どこか哀愁を醸し出している。

狭い店内を見渡したが客は平田の他に誰もいない。ただ妙な静けさだけが店内を包んでいた。店内には必要最低限のものが揃っており、店の奥には目当てのカップラーメンの棚もあった。

そこでカップラーメンを何個か選んでいると、棚のすぐ横に、古びた木製の扉があることに気づいた。その扉は、ほんの少しだけ開いている。そして、その隙間の奥に、小さな男の子が立っているのが見えた。

このスーパーは、外見から店舗と住居が一体になっているように見える。この扉はきっと住居への入口で、そこに住んでいる男の子が顔を出しているのだろう。そう思えば、あまりじろじろ見ていいものではない。だが、その男の子は、平田が視線を向けたことに気づいているのかいないのか、ただじっと、無表情にこちらを見つめているように感じた。その視線に、何故だか平田の背筋がぞくりと冷えた。

選んだカップラーメンを手にレジへ向かう。先ほど外にいた店主が、やはり愛想の良い笑顔でレジの対応をしてくれた。閉店間際に来て申し訳ない、と頭を下げると、店主は笑顔を崩さずに「全然大丈夫ですよ」と応える。

平田は、先ほど見た男の子のことが気になり、何気なく尋ねてみた。

「ここって住居兼店舗なんですか」

店主は笑顔のまま、少し首を傾げた。

「そうですが、どうしてですか」

「いや、今、奥の扉のところに男の子がいたんで、お子さんかなと思いまして」

平田の言葉を聞いた途端、店主の顔から、一瞬にして表情が消えたように見えた。貼り付いていた笑顔が、まるで能面のよう。だが、それは本当に一瞬のことで、すぐに元の愛想の良い笑顔に戻った。

「うちは私一人暮らしで、子供なんかいませんよ」

店主の言葉に、平田は違和感を覚えた。しかし、確かにそこに男の子がいたのだ。

「でも、さっき、あの扉のところに小さな男の子がいましたよ」

すると、店主はカップラーメンを詰めたレジ袋を平田の方に差し出し、笑顔のまま、しかし有無を言わさぬ口調で言った。

「料金は950円です」

平田はそれ以上何も言えず、ただ料金を払った。店主は「ありがとうございました」と、どこか事務的に言ってレジを離れていく。平田は男の子のことが気になったが、それ以上聞くこともできず、店を出た。

歩き出しながら、平田は無意識にスーパーの方を振り返った。薄暗い店の外に、先ほどの店主の男が、今度は一切の笑顔を消した真顔で、こちらの方を向いて立っているのが見えた。その視線は、夜の闇に吸い込まれるように、平田をじっと見つめている。平田は気持ち悪くなり、小走りでスーパーから遠ざかった。



後日、平田は近所の知り合いに、あのスーパーの店主の家族構成についてそれとなく聞いてみた。その知り合いは昔からこの街に住んでいて、スーパーもよく利用しているようだった。

その知り合いが言うには、昔スーパーは今の店主の男の両親が営んでいたが、数年前に両親が続けて他界したという。店の後を継ぐため、今の店主が引っ越してきた。その時は、店主には奥さんと子供も一緒にいたらしい。だが、一年前くらいに離婚したとかで、奥さんと子供は出て行っていなくなった。だから、今はあの店主一人暮らしのはずだと。

その話を聞いて、平田はもしかしたらあの日は子供が遊びに来ていたのかもしれない、と思った。しかしそう考えると、あの店主の不自然な態度がやはり気になる。結局、よくわからないまま日は過ぎていった。

スーパーのことを忘れかけていたころ、その知り合いから連絡があった。どうやらあのスーパーの店主の子供が遊びに来ているらしい、と。以前平田からスーパーにいた子供について訊かれていたことを覚えていて、わざわざ連絡してくれたようだ。

ちょうど仕事が休みで自宅にいた平田は、どうしても確認したくなり、その子供を見に行ってみた。スーパーに着くと、ちょうど店主と一緒に子供が店の中に立っているのが見える。仲良さそうに話しているところを見ると、あれが店主の子供のようだ。

平田は一瞬、安堵した。やはり、ただの勘違いだったのか。だが、その安堵は、すぐに冷たい恐怖へと変わった。

その子供は、どう見ても女の子だったのだ。

平田は目を凝らして、その女の子を見た。愛らしい顔立ちで、店主に何かを話しかけている。しかし、平田が以前見たのは、確かに小さな男の子だった。あの無表情な、じっと平田を見つめていた男の子とは、まるで違っていた。

平田が立ち尽くしていると、女の子がふと、店主の背後、あの木製の扉の隙間の方をちらりと見た。その視線は、まるでそこに誰かがいるかのように。しかし店主はそれに気づかない、あるいは気づかないふりをしている。

「ねぇ、お兄ちゃんは」

女の子が、無邪気な声で店主に尋ねた。平田の心臓が跳ね上がった。

店主の顔から、一瞬にして血の気が引いた。貼り付いていた笑顔が、今度こそ崩れそうになるのを、彼は必死に堪えているのが見て取れた。店主は無理に明るい声を出した。

「お兄ちゃんはいないよ、さぁ、奥に入ろうか」

店主はそう言って、女の子の手を強く引いた。女の子は少し不満げに、もう一度だけ扉の方を振り返り、そして店の奥へと消えていった。

平田は、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。あの時見たのは、幻ではなかった。あの少年は、このスーパーに、この場所に、今も囚われているのだ。そして、あの店主は、その事実を知りながら、あるいは知らぬふりをしながら、その呪われた場所で一人、店を営んでいる。

平田はそれからは二度とあのスーパーには近づかなかった。そして半年ほど経った頃に知人からスーパーが閉店したという話を聞いた。

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― 新着の感想 ―
行を追い、つづきが気になるストーリーが良かったです。次作また読みます。
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