Side蓮見桂④
ユミはすっかりしょげている。
言い終わってから肩を落としてしばらく沈黙し、唇を噛んでいた。
ユミ、泣いているのか? 体を小刻みに震わせて……なんて可愛いいんだ。
ユミがこんななのに、俺、ユミがいじらしくて仕方ない……抱きしめてしまいたい。
「ユミ……」
声をかけると、ユミはそろりと俺を見上げた。
「蓮見、俺こんなんだけど、せめて友達でいてくれないか? もう変なことは絶対にしないから……わっ」
懇願する瞳に我慢の決壊が崩れ落ち、ユミを引っ張り上げてベッドの上に乗せた。
ありったけの力でぎゅうぅぅと抱きしめる。
「……友達に戻るなんか、もう無理だよ」
「……蓮見?」
「俺……ユミが好きだ」
言ってユミの口にかじりついた。そして、あの火よりも大きく口を開き、舌でユミの唇を割って、夢中で舌を中に差し入れる。
ユミは俺の背にしっかりと掴まり、同じように舌を絡ませてくれた。
ちゅ、くちゅり、と濡れた音が耳の中に響く。口の中は互いの温かいぬめりが混ざり、溶けたチョコレートよりも甘い味がした。
どれくらいそうしていたのか。閉まっているドアの向こうで生徒の声がして、我にかえる。
ゆっくりと唇を離すと、ユミはとろけそうな顔をしていて、半開きの唇の端からは、どっちのものかもわからない雫がついていた。
うーわー。なにこれ、めちゃめちゃ可愛いんだけど。なんだ、この顔。
「蓮見がすごく好き」ってもろに伝わってくる。
「もっとキスして」にも見えてくるし……こんな顔を見たら、独占欲がむくむくと湧き出てきてしまうじゃないか。
「ユミ、もう俺以外の男と絶対にキスしたらダメだからな。俺、誰にもユミを触らせたくない」
「だから誰ともしてないって……俺も蓮見が初めてなのに……」
俺に顔を挟まれているユミは、照れて目を反らしがらも唇を少し尖らせた。
そのアヒル口が可愛くて、今度は軽く唇を当てて、吸った。
「は、蓮見……」
さらに照れて頬を紅く染めるユミ。あぁ、可愛い。可愛い。どうしてあの日までこの可愛さに気づかなかったのだろう。
俺はユミを腕で包み、頭に頬ずりをした。
ユミは俺より小さな子供みたいになって、俺に身を任せている。いつもは勝ち気なユミがこんなふうに甘えるなんて、これがツンデレってやつなのだろうか。
「ユミ、可愛い……好き……」
「……ばか。……でも、俺の方が蓮見が好き……」
ユミが俺の体操服の背側をきゅ、と握る。
──くぁぁぁ。やばい。理性が飛びそう。とりあえずもう一回キスしていいかな? でも……待て、俺。
俺にはまだ不安要素が一つあるじゃないか。
「なぁ、ユミ。確認だけど、成瀬の"ユミ大好き"ってなんだよ。あいつ、本当に隙あらばユミを落とそうとしてるんじゃないのか?」
「ばっか。なら協力するわけないじゃん。成瀬は情がすごく深いんだよ。俺がカミングアウトしたときも一緒に泣いてくれて、俺に好きな男ができたら絶対応援する、なにがなんでも成就させてやる、って……そしたら本当に俺より張り切っちゃってさ。だから蓮見が聞いたのもそういう話しだと思う」
「なるほど……」
なにがなんでも成就って、過激と言えば過激発言だけど、それなら辻褄が合う。
だけど……つまり俺は、あいつらにいいように転がされていたわけだ。やってくれるよな。おかげでとんだ遠回りをしてしまったじゃないか。
とはいえ、こんなに痛いほどの恋心に気づけたのも、あいつらのおかげか。
初恋が幼稚園の先生の「恋愛旧石器時代」の俺だ。ユミへの恋心に気づいたところで、そのうち男相手に恋をしていることに悩み、自分からは行動できなかったかもしれない。
そうだ、今だってユミから思いを聞かせてくれたんだから。
ユミは過去も、悩んだことも全部全部打ち明けてくれて、俺をずっと好きでいてくれたことも教えてくれた。
キスも……ユミから仕掛けてくれなければ、俺はこの恋心を知ることさえできなかったかもしれない。
「ユミ……マジで好き。めちゃめちゃ好き。離れたくないくらい好き」
ユミが心を隠して頑張ってくれた分、何回でも伝えようと思った。俺を好きになってくれてありがとう。勇気を出してくれてありがとう。俺、これからたくさん「好き」を還していくから。
ユミは俺が「好きだ」と言うたびに、俺の胸の中でうん、うん、と頷いて、鼻をすすっている。喜んでくれているのがわかって、また何度でも伝えたくなる。
けれど……。
「なあ、ユミも言ってよ。聞きたい……」
ユミの可愛い顔で言ってほしくて、つい強欲になってしまう。
「蓮見、なんか人格変わってない……? でろでろに甘いんだけど……そういうキャラだっけ……」
ユミは顔を赤くして視線を斜めに落とし、顔を俺の胸から離した。
だけどもう逃がすもんか。俺はユミのうなじを引き寄せ、顔をさらに近づけた。
「ユーミ。言って」
「──好き! 好きだよ、もう充分わかってるくせに!」
「主語述語がない。なんなら形容詞まで入れて」
「お前なあ……」
赤い顔のユミが、あきれたように溜息を吐く。
けれどすぐにまっすぐに俺を見た。
「……俺は、蓮見が、好きだ。」
決意表明みたいな、強い口調。俺の腕を掴む手にも、力が入る。
くーーーー!! これだよ、これ。これが両想いってやつ!
俺はユミの頬を挟む手に力を入れて、またユミにキスをした。
柔らかい唇を幾度も重ね、下唇を甘噛みし、ちゅるりと吸う。ユミがねだるように舌でつついてくると、俺も舌を伸ばしてユミの舌を撫でる。そのうち、互いの唾液が同じ温度と粘度で混ざり合って、心も身体も一つになっていく。俺たつ二人、蕩けてキスに溺れていく……。
「……ん、はす、み…ぁ、ん……待って、なんか、冷たい」
「ん? ……いいとこなのに……わ、本当だ。ユミ、ほっぺたから血が出てる!」
ユミの右側の頬に、赤い血が滲んでいた。俺、頬を強く挟み過ぎた?
「違うって。蓮見の左手だよ。ほら~興奮するから、傷がまた開いたんだろ。これだから恋愛旧石器時代人は」
「うっさい。ユミも同じようなものじゃないか。……ていうか、マジで痛いかも。さすがに二回も傷が開いたらヤバイよな」
言いながら、また目の前がチカチカして、目の前に暗幕がかかった。
「蓮見!? 蓮見! 大丈夫か……!」
「ユミ……」
ユミの声が遠退いていく……。
***
結局このあと、ユミに付き添われて病院に行き、四針縫う羽目になった。でもずっとユミが居てくれたから、得した気分だ。
こういうの、怪我の功名っていうんだっけ? そうだよな。この怪我がユミの気持ちを聞くきっかけを作ってくれたのだから。
だからこのケガは必然だ! ……ということにしておく。
「あ~。もう日が落ちちゃったな。遅くなってごめんな、ユミ」
病院から出たら、外はもう夕焼け色だった。
十一月の夕方の空気は少し冷たくて、俺たちは自然と肩がくっつくくらいに体を寄せて歩いている。
「全然。それより痛む? しばらく不便だな。手伝えることがあればやってやるから、言ってよ」
ユミが左手をさすってくれる。包帯ごしなのに気持ちいい。それに、顔が近くて幸せ。ユミはやっぱり可愛いし、いい匂いがする。
「うん。まぁ、左手だしなんとかなるよ……あ、でもサキが言ってたよな」
「うん?」
ユミが猫目をくりくりさせて、俺の言葉の意味を理解しようと見つめてくる。だけどぴんとこないみたいで……。
「誰かやってくれる子いるの? って。ユミ……俺がもしたまったら、やってくれる?」
恋愛旧石器時代の俺がこんな下ネタを言えるようになるなんて。だけどちょっと意地悪して、頬を紅くするユミを見たいから、にやりと笑って言ってみた。
「……蓮見、マジで人格変わってない?」
ユミはぴたりと歩みを止め、俺の左手にデコピンならぬ手ピンをした。
「いったあ! ユミ、酷い!」
「調子に乗るからだよ」
そう言って、ふん、と鼻を鳴らしたけど、そのあとユミは立ち止まったまま顔を下げ、考え込むように黙った。
「ユミ?」
しばらくの間が開いた。
下ネタはやっぱりまずかったかな。どうしよう。とにかく冗談だよ、って謝って……。
「……蓮見、ホントにいいのか?」
「え? なにが?」
思ってなかった言葉に、今度は俺がユミを見つめて聞き返す。
「……俺……男なんだけど……」
消え入りそうな小さな声。ユミは弱弱しく肩を落としている。
「……なんだよ今さら。知ってるよ」
ユミが言いたいこと、ちゃんとわかってる。男同士である俺たちには「普通の付き合い方」は難しいのかもしれない。他人からの目が、全く怖くないわけじゃない。
けれど俺は、身構えずに思っていることを素直に伝えた。
「俺さ、ユミが初恋なんだ。もちろん両思いっていうのも初めて。だから正直わかんない。この気持ちがどうなるのか、これから俺たちがどこへ向かうのか……けどさ、それはユミが男だからってわけじゃない。俺がまだ、恋愛初心者だからわからないだけだと思うんだ。……だからさ、ユミ、こっち向いて?」
ユミは俺の言葉に、おそるおそる顔を上げた。まだ怯えるような顔をしている。でも、そんな表情は学校でも見たことがなくて……きっと、成瀬やサキも知らないだろう。
ユミが、ユミの好きな俺だけに見せる顔。大事にしたい。そして、笑顔に変えてやりたい。
大きく息を吸い込む。ありったけの思いが届くように、言葉に心を込める。
「ユミ、俺と付き合ってください。これから毎日を俺と過ごして、先のことも一緒に考えて行こ! 俺、ユミと一緒にいたい。ユミと色んな経験したい。わかんないことは、全部ユミと知って行きたい。だから……俺と一緒にいよう!」
途端に、ユミの顔が夕焼けと同じ色になる。今にも泣き出しそうな、俺にすがるような表情で。
あー可愛い。可愛い。可愛い。笑顔もいいけど、こういう表情もやっぱり堪らない。結局俺は、ユミのどんな表情も好きなのだ。
だけど今は、とりあえず安心して笑ってよ、ユミ。
「ユミ」
「ん?」
「好きだよ。大好き。無茶苦茶好き。宇宙一好き。言っても言っても足りないくらい好き!」
これが、今の俺の嘘偽りない気持ち。だから、声を大にして言える。
ユミは一瞬キョトン顔。
それから。
弾けるように笑った。
──カスミ草、満開。
小花が一斉に開いたかのようなユミの笑顔が眩しすぎて、夕日さえ白く霞む。凄い威力だ。
そして思う。
オレの青春はユミそのものだ。青でも黒でもなく、ユミ色だって。
俺、さっき「先のことはわからない」ってユミには言ったけど、頭の中にはカスミ草の花言葉が浮かんでいた。
カスミ草の花言葉は「清らかな心、永遠の愛」
俺の隣を笑顔で歩くユミを見ながら、俺はこの可憐で清らかなカスミ草を、俺のそばで永遠に咲かせ続けようと強く心に誓ったのだった。
❁アオハルはカスミ草の色❁
終わり