side堀内弓人
「ユミって、蓮見のこと好きだよな」
成瀬にそう言われたのはゴールデンウィークが開けてすぐのことだった。
学校が始まり、まだ一緒に出かけるほどには仲良くなかった蓮見と久しぶりに会えたのが嬉しくて、俺は蓮見にまとわりついていた。
エスカレーター式のこの男子校では、小学校から一緒の幼馴染には俺の気持ちがすぐにバレてしまうらしく、成瀬だけじゃなく、マクやスイカもわかってた、って。
サキに至っては「ユミは俺の内縁の嫁にしたかったたんだけどなぁ。残念」なんて言う始末。
なるか、この色ボケ。
「うん。前に話した花屋の人が蓮見なんだ」
俺が打ち明けると、成瀬はポロポロと涙を流し出し、しまいには男泣きに泣いて仲間を引かせた。
「良かった、良かったなあ。ユミ。お前に好きな人ができて……俺、本当に嬉しいよ」
◆
俺が、自分は女の子を本気で好きになれないと気づいたのは中学ニ年生の頃だ。
今まで女の子をかわいいな、とか普通に思ってきたし、男友達を恋愛対象に見たことなんかなかった。
ただ、小さい頃から女の子が見るテレビ番組が好きで、出てくるヒーロー役に憧れていた。
今ならわかるけれど、俺はヒーローになりたかったんじゃなくて、ヒーローに恋をして、ヒーローに愛されるヒロイン役になりたかっんだ。
初めて付き合った子は申し分ないくらい可愛かった。
いっつもニコニコしてて、一生懸命に俺を好きだと言ってくれた。だけど、いざ恋人らしいことをしようしてわかった。
俺は彼女が好きだと思ったんじゃない。こんなふうに、好きな男の前で素直に愛情を伝えられる女の子が羨ましくて、自分を彼女に投影していたんだ、って。
だからって俺は、女の子になりたいわけじゃない。ただ、ありのままの俺で、好きになった人に好きだと言いたいだけだ。
でも、そんなこと、胸を張って言えることじゃない。親や友達が知ったらどう思われるかを考えたら夜も眠れなくて、悩みに悩んだ。
女の子が恋愛対象じゃないって言っても、まだ本気で好きになった男もいない。せいぜいタイプの俳優に憧れる程度。
俺の心はどこに向かうこともできなかった。
そんなふうに八方塞がりで落ち込んでいた頃だ。祖母に見舞いの花を持っていくために入った花屋で、蓮見桂に出会った。
当時名前も知らないその人は、どう見ても同い年くらい。なのにエスカレーター式の学校のぬるま湯にいて甘やかされている俺とは違い、真剣に店の仕事をやっていた。
俺が滞在したのはほんの三十分弱なのに、そのあいだちっともさぼらず、甲斐甲斐しく花に話しかけ、世話をし、花屋の店先で足を止めて通りすぎるだけの客にも丁寧に対応していたのだ。
俺は、鉢の花の点検を始めた蓮見に吸い寄せられるように近づいた。
俺の足に気づいて顔を上げた蓮見は、花の話をたくさんしてくれた。
本当に花が好きだとわかる、とても優しい表情だった。
それから、花束の種類を長い時間悩んでいる母親にも声をかけると、あっときう間にばあちゃんのイメージどおりの花を集めて花束を完成させ、切り落として残ったカスミ草で小さなブーケを作り始めた。
その姿はまるでマジシャンみたいで、俺は蓮見にすっかり見とれていた。
ブーケを完成させた蓮見は満足げに頷くと、まるで、俺が今悩んでいることを知っているかのように声をかけてくれた。そして「カスミ草の花言葉は『永遠の愛』『清らかな心』ですよ」とつけ加えて、カスミ草のブーケを俺に手渡し……柔らかく笑った。
◆
俺は多分、あの瞬間に蓮見に恋に落ちていたんだ。
「この人に振り向いて貰えなくてもいい。ただ、俺が真っ直ぐ好きであればいい、ずっと」ってさ──カスミ草の花言葉、そのままに。
それからときどき、フラワーショップ蓮見に足を運ぶようになった。店には入らない。店頭にいる蓮見の姿を遠くから見て、優しい目で花びらをくすぐり、観葉樹の葉を撫でる蓮見の手に、まるで自分がそうされている植物であるかのような想像をする。それで充分だった。
そうして、秘密の一方的な逢瀬を重ねるうちに、心が満たされ悩み苦しむ気持ちが薄れている自分に気づいた俺は、ずっと俺が塞いでいるのを心配してくれていた幼馴染の成瀬とサキにカミングアウトをした。
このときも、成瀬は男泣きに泣いた。それはもう暑苦しいくらいに俺を抱きしめ、鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔を押し付けて。
「一人で抱えて辛かったな。俺、ユミの味方だから。ユミとはずっと友達だから、辛いときは頼ってくれよ」と。
サキは元々バイだからなんとなくわかってた、って。
いつも通り最高級イケメンの顔で「俺を好きになってもいいんだぜ? ユミならいつでもウェルカムだよ」なんて言うから、悩んでたのがバカみたいに思えて……力が抜けて、結局俺も泣いたっけ。
それから俺は、中学からの仲がいい奴には隠さなくなった。
スイカは最初、ちょっと複雑な気持ちだったみたいだけど、俺と変わりなく過ごすうちに偏見がなくなった、って。
マクもそんな感じかな。一時期距離はあったけど、俺は俺のままなんだとわかってまた一緒にいるようになった。
ともすれば非難され排除される存在に成りうるのに、みんな暖かい。
俺は皆の友情に感謝している。
────そして、高校生になった四月。俺は蓮見桂と再会する。
教室に入ってすぐに気づいた。
あの人だ……!
蓮見の周りだけ、まるでグリーンの緑葉樹に包まれたように、マイナスイオンが出ている気さえした。
意を決して入学式後の渡り廊下で声をかけた時、俺に気づくかとドキドキしたけど空振り。
でもそれでも良かった。蓮見が近くにいる。これから高校の三年間、あわよくば大学でも同じ学部に上がれば、友達としてそばにいることができる。
これ以上に幸せなことがあるだろうか。
これ以上望んではいけないとも思った。思った……のに。俺の恋心はどんどん加速し、ゴールデンウィーク明けの俺の蓮見への態度を見た上がりの仲間に、恋心は簡単にばれた。
そして「協力してやる」と皆が言ってくれて、蓮見も含んだグループになってじわじわと距離を縮め、少しずつ二人で過ごす時間を画策して貰うようになると、贅沢にも欲が出てくる。
もっと一緒にいたい。
もっと近づきたい。
──蓮見にも、俺を好きになってほしい。
そう思うようになってしまったんだ。
そしてあの決戦の日。
俺は緊張でガチガチだったけれど、サキの教えどおりに余裕の表情を演じ、蓮見に仕掛けたのだ。
「それで俺、あの日に蓮見にキスを持ちかけて……当たり前に否定されたけど、蓮見が"キスは本当に好きな子としろよ"って言うから、じゃぁ俺としてよ、って泣きそうになった。笑ってごまかしたけど、蓮見の中で俺が"好きな子"じゃないのが悲しくて、蓮見を煽るような嘘をついて……」
蓮見の右手を握りながらことのあらましを話す。でも、後ろめたくて顔を見ることができない。
男に無理やりキスされるなんて。反対の立場なら、俺も相手を突き飛ばして殴ったかもしれない。
でも、あのとき。
蓮見は初めこそ驚いて抵抗していたけれど、俺が思いを込めて何度も唇を啄むと、力を抜いて目を閉じ、俺のキスを受け入れたように見えた。
「蓮見、さ……俺がいっん口を離したら、今度は蓮見からキスしてくれたじゃん。しかも口を開けるし……あれで俺、もしかして蓮見も俺が好き? とか自惚れちゃって……」
「う……それは、その……」
蓮見の右手がピクッと震える。声がとても恥ずかしそうだ。
「それにさ、聞いたら蓮見、"むしろ気持ちよかった"って、頭、撫でてくれただろ……?」
あの瞬間、俺は喜びに震えた。
本当に好きになった人とキスをして、受け入れて貰えた。植物を撫でている優しい手で、俺にも触れてくれた。
唇も……たった皮膚一枚の触れ合いだ。それなのに、どうしてこんなに気持ちがいいのだろう。暖かくて柔らかくて、少しだけ感じた蓮見のぬめりは植物の活性剤のように俺に力を注いで、身体中を幸せな気持ちで満たした。
それで俺が「またしよーな」と言うと、蓮見は今みたいに恥ずかしそうにして、ぎこちなくも頭を縦に振ってくれた。
また、心が震えた。本当は叫んで走り出したいほど嬉しかった。
蓮見も俺と同じように感じてくれたのだ。
このまま何度かキスを続けていれば、いつか本当に俺を好きになってくれるかもしれない──
「けど、次の朝サキに言ったら、今は蓮見は快楽に流されてるだけだ。恋愛未経験な奥手は快楽に流されやすいから、このまま続けてもそれだけの関係になる。次はしばらく引いて、アメムチ作戦で行くぞ、って」
蓮見にはないだろうけど、蓮見を好きな女の子が現れて、同じようにキスしてきたら蓮見はすぐにそっちに流されて行くぞ、と脅しが入ったのは蓮見には内緒にしておこう。
でも、俺は、その言葉で「女の子が蓮見をさらっていったら」と真剣に怖くなって、そのままサキの作戦に乗っだのだ。
「えぇ? それで俺を避け始めたのか? 俺、地味に傷ついてたんだけど……しかも奥手は快楽に流されやすいとか、マジで信じちゃったわけ? 一体俺をなんだと……い、いや、反論はでき……」
蓮見は最初、拍子抜けしたように声を出したけど、最後の方は俺が聞き取れない声でなにかを呟いた。
そうか、俺、蓮見を傷つけていたんだな。そりゃ、人に避けられたらそうなるよな。
だけどあのとき、俺だって必死だったんだ。
翌朝「いつも通り、いつも通り」と自分に言い聞かせて学校に行ったら、蓮見は顔を固まらせて俺を見ている。
挨拶しても目をパッとそらしてさっさと自分の席に行き、俺がいる輪には近寄ろうとさえしなかった。
不安を訴える俺に、マクやサキは「大丈夫、作戦通り。ユミを意識してる証拠だから」と、徹底的に「ムチ作戦」を遂行するよう動いた。
俺はとても不安だったけれど、もう動き出してしまった。ここで種明かしをして告白でもしようものなら、蓮見は俺といることに悩んで離れて行くかもしれない。
蓮見はいい奴だから、あからさまに偏見の目は向けてはこないだろうけど、男友達からの恋心を受け入れられずに距離を取るような、そんな気がした。
それだけは嫌だ。
俺が「キスなんかなんでもないことなんだよ」の態度を貫いて、せめて友達としてでもそばにいられるようにしないと。
だから作戦だけじゃない。俺は自分の動揺を蓮見に知られない為にも、俺の方から蓮見と距離を取るようになったのだ。
けれど、そうしているうちに蓮見は新顔とつるみ出すし、怪我した蓮見に駆け寄った俺の手を迷惑そうに振り払うし……。
俺の不安は最高潮を迎えていた。
そして、そんな俺と蓮見のギクシャク感に成瀬が気づいて「サキと相談しておく」と言っていたのが、今日の体育の前だ。
「流れはこんな感じて……ごめん。避けたりしてホントにごめん! でも、蓮見だって俺が避けたからって、新顔とつるみ出したじゃん。そのうえ、俺のことは気にしなくていいよ、なんてあっさり言うから、俺だって傷ついたんだ! 」
「いやいやいやいや、それおかしいだろ。避けられたらそう言うしかないじゃん」
そうだよ、おかしいよ。自分でだってそんなのわかってる。だけど、俺、本当に不安で。
「こっちは必死だったんだよ。どうにか蓮見と元どおりになりたいのに、蓮見がどんどん遠くなる気がして。自分のセクシュアリティに気づいたときより悩んだんだから!」
情けないけど、俺は半泣きなり、必死で蓮見に訴えた。