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Side蓮見桂①

「なあ、蓮見(はすみ)って男友達としたことある?」


 放課後、クラスの友人ユミの部屋。手にはゲームのコントローラー。机の上にはポテトチップスとチョコと炭酸飲料。

 俺たちのいつもの日常、いつもの空間。そして、いつもと同じ、言葉足らずな問いかけ。


 だけど男子高校生なんてみんなそんなもん。俺たちには主語や目的語は重要じゃない。

 文法なんてものは、受験の時にテスト用紙に全部置いてきた。

 5W1H? いちいち考えながら喋らない。だから、わかんなかったら聞くだけ。


「なにを?」


 ゲーム対戦なら今してる。

 ホントのタイマン? それはもう不良漫画の中だけ。

 勉強……はまあ、それなりにやってるかな。


 あとは……。

 

 俺が「したことがあること」というと、改めて聞かれるとパッと答えられない。予想されうる答えを探したものの、俺の脳内キャパシティから出たのはそれくらいで、ゲームのコントローラーを忙しく操作しながらユミの言葉を待った。


 すると、衝撃の疑問文が発せられた。


「蓮見は男友達とキス、したこと、ある?」

「…………は?」   


 おそるおそるユミの顔を見る。手に持っていたコントローラーは、ガコンッと音を立ててフローリングに落ちた。


「あ、おい、やんないの? 俺勝っちゃうけど。……ょしっ! ウィン!」


 俺の驚愕をよそに、ユミはいつもの勝ち気な表情でゲームをクリアして、リモコンを置いて俺を見る。


「……うわ、蓮見、ブサッ。口開いて馬鹿面してんじゃん。どうしたんだよ」

「どうしたもこうしたもない! ユミ、今、自分がなんて言ったかわかってるか?」


 ユミは形が整った眉を軽く寄せてから、思い出したように言った。


「ああ、キス?」

「ああ、キス?」 


 ユミのあっけらかんとした表情、軽い言い方を真似てみる。


「じゃねーよ!」


 それから、お笑い芸人みたいな突っ込みをしてしまう俺。 


「ユミ、頭大丈夫か? 寝ぼけてんのかよ」


 俺はユミの肩に両手を置いて、緩く揺すった。


 ユミこと、堀内弓人(ほりうちゆみと)は、高校に入って一番最初にできた友達だ。


 俺たちが通う大学附属校は、小中高まで男子だけのエスカレーター式で、小学校からの「上がり」が特権意識みたいなのを持っている。

 たから高校から入学した数少ない俺たち「新顔」は「上がり」に距離を置かれがちなのだけれど、ユミは「上がり」で既に大勢の友達がいるのに、入学式後の移動のときに、俺に気さくに話しかけてくれた。


◆◆◆

 

 五か月前の四月。

 入学式を終えて、教室に戻る渡り廊下の途中。桜の花びらが通路の両端にレーンを敷いていたのを覚えている。


「蓮見っていうの? 下の名前は?」


 そう言って俺の名札に触れたユミの第一印象は、男だけど"可憐な子"。

 かと思えば猫目をくりくりとさせて好奇心いっぱいに俺の顔を覗き、菱形フォルムの長めの髪を春風に揺らしながら、屈託なく微笑んだ。


 だからかな。見るからに平凡顔のモブキャラな俺が、明らかに陽キャでキラキラしているユミに対して、気構えずに答えられた。


「桂。はすみ、けい。でも女みたいで好きじゃないから蓮見って呼んで」

「はは。じゃあ俺なんかどうなんの? ユミ、って呼ばれてるよ、俺。堀内弓人。だからユミ。よろしくな、蓮見」


 手を差し出して、はじけるように笑ったユミ。そのときユミの後ろで、小さな花がポッポッポッと咲いた気がした。


◆◆◆


 小さな花。そう、花束に必ず入ってるあの花、可憐なカスミ草。

「フラワーショップはすみ」の跡取り息子の俺は、男女関係なく、人間を植物に結びつける癖がある。

 

 クラスには棘のある薔薇みたいに気障な生徒、向日葵みたいな元気な生徒、変わりどころのラフレシアみたいな生徒もいて……ユミは、メインを張るような派手さはないけれど、いつも自然にそこにいて、仲間内の空気をまとめるような存在感がある。


 カスミ草ってメインの花の引き立て役みたいに思われているけれど、そんなことはない。あの清らかで可憐な花があるからこそ、まとまりのある美しい花束ができ上がるのだ。


 なのに、男友達同士でキスなんて! せっかく可憐なイメージを持って生まれてきているのに、なんてナチュラルにおかしな疑問を投げかけてくるんだ。


「寝ぼけてないよ。キスくらいで過剰反応じゃない? ……えっ、蓮見って、もしかして女子とも経験ないとか!?」

「ぁがっ!?」

「……あーー。そっかぁ、そうなんだぁ。ごめんごめん。うん。聞いて悪かった」


 ユミはそう言いながら、肩に置いた俺の手を解き、生温かい視線を向けてくる。


「やめろ! その憐れむみたいな目!」

「憐れんでないって。蓮見が純情で、俺はすこぶる嬉しいよ!」


 にこにこと微笑みながら俺のグラスにサイダーを注ぎ、飲めとばかりに手渡してきた。

 俺はそれを奪うように受け取り、乾ききった喉に通す。

 シュワシュワ感がいつもよりも鳩尾に染みる気がした。


「マウント取りやがって……ユミは経験があるってこと? もしかして……彼女、いるのか?」


 友達になってから一緒に放課後を過ごすことが多く、彼女がいるような素振りは見せなかったのに、俺が知らなかっただけなのか。


「んーん。今はいない。合わなくて、すぐ別れちゃったから」


 なんと……すぐに別れてもやることはやっているとか、万年モブキャラ・陰キャの俺には理解ができない。

 これだから今まで陽キャは苦手だったんだ。


「あっそ……。でも、女の子と経験があるなら男とやる必要ないじゃんか。それに、キスって神聖なものだろ。もっと大事にして、本当に好きな子としろよ」


 そうそう。キスとは、思い思われ、両思いになった男女が互いの溢れる気持ちを行動に表す神聖なる愛の儀式だ。

 きっと甘くて爽やかで、摘みたてのゼラニウムみたいな香りが漂うはずた。


 俺は高尚な説法をユミに説いてやった。そなたも純朴なアオハル恋愛をするがよい、と。


 けれどユミは一瞬キョトンとしてから、涙を流しもって大笑いをした。


「神聖、とか! はー、笑いすぎて腹痛い。キスが神聖とか何時代の人? 昭和? 大正? 旧石器時代?」

「なっ……!」


 なんでここまで馬鹿にされなきゃ駄目なんだ。

 そうだよ、悪いか。こっちは両思いさえ経験無しのモブキャラなんだ。恋愛旧石器時代でなにが悪い!


 俺が言葉を出せないでいると、ユミは目尻の涙を拭いて続ける。


「へぇ。まじでやったことないんだね。公立の共学ってそんな感じなんだ。俺らってさ、ずっと男ばっかりだったから、彼女とするときのために練習〜とかって普通にやってたんだよね。だいたいさぁ、軽いキスとか男アイドルとかもライブでやってんじゃん。仲良しのコミュニケーションみたいなもんだろ?」


 いや、いやいやいや。

 共学も男子校も関係ないし、俺たちはアイドルでもない。男友達同士で仲良しキスなんて、どこにそんな理論がまかり通る日常世界があるんだよ。


 ……いや、うちの学校にはあるってこだよな。マジか……男子校って、それが通常モードなのか……?


「いや、やっぱ、ないわ……俺のファーストキスは、絶対に好きな子と……」


 自分を抱きしめ、身震いをしながら発する。

 すると、ユミはとてもとても不服そうな顔をして、じわりじわりと俺に寄ってきた。


「な、なんだよ」


 あぐらをかいたままの姿勢の俺は、上半身だけを後ろにそらせてユミと距離を取ろうとした。

 けれど失敗してバランスを崩し、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。


「……いっ、てえ……」


 ひっくり返った拍子に、頭をベッドの枠でゴツン。


 打った頭のてっぺんを両手で押さえ、目をギュッと閉じて痛みが過ぎるのを待つ。

 けれど……目を閉じていてもわかる、覆いかぶさってくる影と人の気配。


 片目を開けて様子を窺う。


「ユミ……? ……えっ!?」


 ユミの顔が至近距離も至近距離にある。

 鼻がもう、こすれそう。


 なんだこれ。ユミ、ちょっと待……。


「んむっ!?」


 ちょっと待て、と言う言葉も出ないまま、ユミの唇が俺の唇に重なった。


「んーー! んーー!!」


 パニックに陥る。

 柔道の授業では、俺より少し背が低くて細っこいユミに気を使いながら寝技をかけるのに、今、必死にユミの身体を押してみても、ユミを退かせることができない。それどころか全体重をかけて身体に乗られ、手首を掴まれて動けなくなった。

 

「んーー、んっ……んん……」


 なのに……次第にユミの唇の柔らかさや熱さが心地良くなって。

 何度も何度も角度を変えてキスされているうちに、力んでいたのが徐々に取れてきて……。


 俺は。

 いつの間にか。

 ユミにされるがままになっていた。


 ***



 ふにふにとした唇の柔らかい感触。こすれる鼻や、顔を包む手の暖かさと滑らかさ。


 ──気持ちいい……頭ン中、真っ白になる。


 十六年間彼女ナシ。女の子と手を繋いだ最後の記憶は小学校の運動会。中学のときに男女混合のグループで遊びに行ったことはあるけれど、いつも端っこで愛想笑いを浮かべていたモブキャラの俺だから、知らなかった感覚に流されてしまったのかな。

 

 キスの仕方も知らないくせに、ユミの唇が一度離れたとき、無性に寂しくなって……ユミの首を引き寄せ、自分から緩く開いた唇を重ねた。


 ユミは最初、驚いたのだろうか。驚くよな……肩を少し揺らした。でも、ユミも同じだけ唇を開いて、そのままキスを続けてくれた。


 ────いったいどれくらいそうしていたのか。初めてのキスに溺れた俺は、酸欠を起こしかけていたらしい。

 

「蓮見、大丈夫? ちゃんと息、しないと」

「……あ……?」


 気づいたらユミの顔はすっかり離れていて、俺は陸に上げられた魚みたいに口をはかはかと動かしていた。


 頭がぼうっとして、目の奥ではちかちか光る渦巻き模様がぐるりぐるりと回っている。


 そのせいか視界が歪み、ユミの表情が泣いて歪んでいるように見えた。


「ジュース飲む? ……お茶の方がいいか。持ってくるからそのまま横になってていいよ」


 耳の中もボワンボワンとしているせいか、それともユミも息苦しかったからなのか、ユミの声まで鼻声に聞こえてくる。


 けれど、ユミは大丈夫か、とか、気の利いた声はかけられなかった。


 ユミは、ふぅ、と息を吐いたらすぐに起き上がって、部屋を出て行ってしまったから。


 パタリとドアが閉まる。


 ────はっ!? 俺、今どうしてたんだっけ……!


 一人になった部屋で急に冷静になって、自分がしでかしたことを認識する。


 やった、やってしまった。男友達とファーストキスを経験し、あまつさえ気持ちよくなっちゃって、自らチュッチュッチュッチュッと。


 身体を起こし、唇を押さえる。


 ──こんなこと普通じゃない。


 そう思うのに、ユミの唇の感触を思い出すと顔や胸が熱くなり、また頭がぼんやりとしてしまう。


「お待たせー」

「ふ、んわっ」

「えっ、なに!?」 


 太陽の位置が変わって日が差さなくなった仄暗い部屋の中。置物のように正座して唇に触れていた俺は、ユミの声で我にかえった。


 ユミは驚いた俺に驚いて、グラスの中の麦茶を揺らした。


「な、なんでもない……」

「あ、そ……」


 小さなテーブルにグラスが置かれる。でも、なんとなく手が出せず、声も出せず、気まずい空気を発してしまう。


 重い沈黙を破ったのはユミ。


「蓮見……キス……いや、だった? 気持ち、悪かった?」


 体育座りで隣に座ったユミが、膝の上に乗せた顔を俺に向け、赤い顔をして辿々しく聞いた。


 えっ。ユミって照れたりするんだ。カスミ草みたいに可憐なイメージでも、どっちかっていうといつも勝ち気な方なのに……なんか、ギャップかわ……。


 って! 待て、俺。今なにを思いかけた? ファーストキスに酔って、正常な判断ができなくなってるんじゃ……我ながらなんてチョロさだ。


「蓮見、ごめんな、俺……」


 ──! か、か、か、かわいい。ユミが可愛い。

 赤い顔をして泣きそうに眉を寄せるユミを初めて見て、俺の胸はまた熱くなってくる。


「い、いや、大丈夫。嫌じゃなかった。気持ち悪くなかった。どっちかっていうと、良かった!」

「……」


 ば、ばか。俺、またもやなにを。

 でも……。


「……そっか。良かった……」


 ユミが、あんまりにもホッとしたように微笑むから。

 ユミが、あんまりにも嬉しそうに笑うから。


「うん。嘘じゃないから」


 なんて言って頭を撫でてしまった。

 そしたらユミ、カスミ草が開くように顔をくしゃっとして笑って、それだけでも可愛いのに。


「……じゃあ、またしよーな」


 って、頭を俺の肩にこてん、と置いた。


 その瞬間、胸の真ん中になにかが「とすん」と刺さった。まずい。俺はこの感覚を知っている。


 これは、幼稚園のとき、ひまわり組の先生が散歩の途中で俺にたんぽぽを手渡してくれたときのあれだ。


 心臓がとくとくと音を立てる。胸がじわじわと熱くなり、血液が全身を駆け巡る。


 どうしよう。どうしよう。俺、なんて単純。本当にチョロすぎる。相手はユミで男だぞ。


 落ち着け、落ち着くんだ──


 けれど心臓の拍動もその熱さも、ユミの家を出るときにも取れなくて、目にも熱が回っているのか、白い霞がユミの回りにかかって見えた。


「蓮見、また明日な」

「おお……」


 帰り際、玄関の外まで見送ってくれたユミは、俺が曲がり角を曲がるまで笑顔で手を振ってくれた。


 ああ、やっぱユミってカスミ草系男子。咲き誇るカスミ草の花束みたいに俺の目を白く霞ませて、帰り道の夕日をいつもより感傷的に見せた。

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