第2話 力の代償
(逃げなきゃ。逃げなきゃ)
月明かりも届かない薄暗い路地を、少女は必死に駆けていた。
ボロボロのローブが風を切り、素足を打つアスファルトには、赤いしずくがぽたり、ぽたりと落ちてゆく。
「はぁ......はぁ......」
苦しい。体がどんどん重くなっていく。そのたびに視界も狭くなっていく。音もない静かな夜に彼女の息遣いだけが残る。
この世界に堕ちてからずっと追われている。
かろうじて残っていた力を使って今日まで逃げ続けたがもうその力はほとんど残ってはいない。使えてもあと一回、この分を使っても逃げることができないのなら私はもう終わりだろう。
「待てぇ!!」
後ろからは荒々しい声が聞こえてくる。足音も段々大きくなっている。
「!!」
路地を走っていると目の前に大きめの建物が見えてきた。窓は割れており、壁もぼろぼろだがそこに逃げるしかない。
「うぅ...しょ」
壁の壊れた隙間から中に入り、身を隠す。
(ダメ……もう、限界……)
壁にもたれながら、少女はゆっくりと身体を滑らせてしゃがみ込む。
肩で荒く息をしながら、薄く開いた唇から小さなうめき声が漏れた。
「……っ、はぁ……はぁ……」
全身が鉛のように重い。
走り続けた脚はとうに限界を迎えていて、血のにじんだ足裏からはまだ体温が抜けていく。
頭がぐらぐらと揺れ、瞼が勝手に落ちようとする。
(……だめ。眠ったら、ここで終わり……)
そう思っても彼女にはどうすることもできない。
残りの力を使ってもすぐに追いつかれてしまう。回復するにしても足りない。
「ここに入ったぞ!!」
外から足音と声が聞こえてくる。
体を縮こませてバレないように影に潜む。
幸いここにはたくさんの箱があるおかげで隠れる場所はある。
「こっちにはいねぇぞ!」
「そっちか?」
箱を蹴り飛ばしている音が聞こえる。少しずつこっちに近づいてきているのがわかる。その度にどんどん心臓の鼓動は大きくなっていく。
しばらく経つと音がしなくなって静けさが戻る。
(いなくなったのか......)
肩を撫で下ろし深呼吸をして落ち着こうとする。
「...みぃつけた」
「!?」
上を見上げると顔に大きな傷がついた厳つい男がいた。
「おらぁぁ」
「うっっ!」
お腹に強い衝撃が入ると同時に体が吹き飛ばされた。
「おいおい、このままじゃ死んじまうぜぇ?生け取りが必須なのによ」
「大丈夫、大丈夫手加減してるって。多少痛みつけといた方が後々楽なんだよ」
男達のその声を聞きながら少女はお腹を抑える。口からは血が垂れて床に滴る。
「だれ...か助け...て」
彼女の声は近くの男達にも聞こえないほど小さく掠れていた。
「さっさと回収して、依頼主に渡すぞ。もう三日三晩働いてクタクタしてんだ」
「そうですねぇ。この仕事の報酬でしばらく休みましょうや」
痩せ型の男が手足に紐を結びつける。
彼女にはもう抵抗する力なんてなく、抗うことはできなかった。
そしてもう1人の男によって担がれそうになったとき、入り口付近から音が聞こえてきた。
「何してる!お前ら!」
そこには逃げてるときに会って声をかけてきた青年がいた。
【湊視点】
青年――湊の目の前には、今まさに白髪の少女を担ぎ上げようとしている2人の男。
その片方がゆっくりとこちらに振り向いた。
ギラついた目、肩幅の広い厳つい体。
もう片方は痩せ型で、どこか狂気じみた笑みを浮かべている。
(うわ……ヤバい。完全に、アウトなやつらだ……)
湊はごくりと喉を鳴らし、心の中で自分を叱り飛ばす。
(なんで飛び出した! いや、そりゃ助けたくて……って、でも相手武器持ってそうだし! どうすんだよ!)
手には何もない。武道の心得もなければ、喧嘩もまともにしたことがない。
それでも、身体はもう動いていた。
さっき見た少女の、怯えきった顔。血を流し、声も出せず倒れこむ姿。
あれを見て、見て見ぬふりなんて、できるわけがなかった。
「おい、なんだこいつ?」
「……お前、こいつの知り合いか?」
屈強な男は痩せ型の男に少女を任せてじりじりと近づいてくる。
(あ、やっばい。近づいてきた。これ完全に詰んだやつじゃん!?)
湊の頭の中では、すでに「逃げる」「叫ぶ」「突っ込む」など複数の選択肢がぐるぐる回っていたが、どれも絶望的だった。
助けたいという気持ちだけが暴れて、でも身体はどうしていいか分からない。
膝は震え、心臓が爆発しそうだ。
どうして俺は飛び出してきた? こんな奴らに敵うはずないのに――
「おい、さっさと消えろ。ガキのヒーローごっこに付き合ってる暇はねぇんだよ」
厳つい男が一歩踏み出す。
刹那、足元の床板がギシリと鳴った。
(くる――!)
本能的に分かった。次に動かれたら、一瞬で倒される。逃げる? 叫ぶ? 飛び込む?
どれも無意味だと分かってる。だけど――
「……ッ!」
そのときだった。
「たすけ.....て」
彼女がそう呟き、手を僕に向けて伸ばした。
そのとき、体に"何か"が流れこんできたのを感じた。
そしてそれが体に馴染むように全身に広がってきた。
「おらぁぁ!」
男が拳を振り上げ殴りかかる。
いつもの僕なら何もできず殴られて気絶しただろうが、この時は違った。
(見える!)
顔に当たる瞬間、体を横に動かし、ギリギリで避ける。
そしてその流れのまま、右手に力を込めると、"何か'が溜まるのを感じてそのまま腹に向けて――――殴りつけた。
「うぐぅぅぅ」
拳が腹にめり込むと、男は吹き飛ばされて壁に衝突し意識を失った。
「ひっひぃぃ」
少女を見ていた男が壁に倒れ込んでいる男を見て後ずさる。
湊は自分の手を何度も開いたり閉じたりしながら、震える呼吸を整えていた。
(さっきのは……何だったんだ……?)
けれど考えている余裕はなかった。まだもう一人、残っている。
「て、てめぇ……化け物かよ……!」
少女を見ていた男が怯えながら後ずさる。だが湊はその目を逸らさず、一歩踏み出した。
「く、来るなぁぁ」
そう言うと痩せ型の男は倒れた少女を気にせずにどんどん後ずさっていく。
(今なら......倒せる!!)
そう思って一歩一歩踏み込んで相手に近づく。
しかし、ここで湊の身に異変が起きた。
「っ……ぐああああっ!!」
骨が砕けるような痛み、神経が焼かれるような熱が一気に湊を襲う。力が、体から逃げていく――そんな感覚だった。
「あっあぁぁぁぁ!」
足がもつれ、湊の身体はその場に崩れ落ちた。地面に膝をつき、そのまま横に倒れる。
「ど、どうしたんだ?」
痩せ型の男は湊の悶え苦しんでいる姿に困惑するが、ゆっくりとナイフを懐から出す。
「い、今なら......」
男は鋭いナイフを抜いて、倒れ込んでいる湊の方へと近づいていく。少女は必死に男の動きを止めようとするが体が動かず、何も出来ない。
「ば、化け物め……死ねぇぇぇ!!」
男はそう叫びながらナイフを高く振り上げ、湊めがけて振り下ろし、鮮血が宙に舞った