第1話 名前も知らない君へ
もし自分がもっと強かったら。
もし自分が、あの時すぐに反応できていたら――。
死ぬのは、僕のほうがよかったんじゃないか。
何度、そう思っただろうか。
ほんの少しでも力があれば、彼女を助けられたんじゃないかと。
「――――ありがとう」
最後に彼女が残した言葉が、今も耳に残っている。
「はっ!!」
目が覚める。見慣れた天井が目に飛び込んできた。
身体は汗でびっしょりだった。
「……はぁ、またか」
何度見ても慣れない、昔の記憶。
夢だとわかっていても、胸が締めつけられる。
重たい空気を振り払うように、布団を出て洗面台へ向かう。
冷たい水で顔を洗い、スマホを見ると時刻は5:26。
いつもよりずっと早い。こんな時間に起きたのは久しぶりだ。
「まぁ……いいか」
制服に袖を通し、朝の静かな街を歩き出した。
今からおよそ一万年以上前。
この世界に「隕石」が落ちた――そこからすべてが始まった。
その隕石から広がった未知の物質「魔質」は、環境や生態系を大きく変化させた。
もちろん、人間も例外じゃない。
それに適応した人間たちは「適応者」と呼ばれた。
どんな能力を持つかは人それぞれ。
だがすべての適応者が力を合わせれば、世界すら作り変えると言われている。
「おはよう!」
「おはよう」
教室に入って席に着くと、前の席の男子が振り向いた。
「どうした? 湊。今日はいつもより元気ないな。てか、眠そうだし」
僕の名前は月城 湊
どこにでもいる、ごく普通の高校生。
アニメで言うならモブ3、良くて主人公の横に立つ脇役ポジション。
「そうか? 俺はいつも通りだと思うけど。……それより日向、お前こそ今日テストだぞ? 大丈夫か?」
「マジか!? 今日テスト!? 完全に忘れてた! 教科書見せて!」
慌ててカバンを漁る彼の名前は日向
僕と同じく適応者ではないけど、クラスではそこそこ目立つ存在。茶髪に、なぜか頬にいつも絆創膏。
理由を聞くと「カッコいいから」と言い張る、ちょっと変わったヤツだ。
「はいはい。ほら、これ」
そんな感じで日常が過ぎていく。
僕は部活に入っているから、帰宅はいつも遅くなる。
この日も気づけば辺りは真っ暗になっていた。
「早く帰らないと。まだ宿題残ってるし……」
そう呟きながら、自転車のペダルを力いっぱい踏み込む。
少しでも早く帰るために、普段は使わない裏路地を選んだ。
その道は古びた家が立ち並び、人通りもない。
けれど、その日だけは――違っていた。
「……あ、やべっ!」
横の細い路地から、突然”何か”が飛び出してきた。
咄嗟にブレーキを力強く握り、自転車の動きを止める。とそこで飛び出してきた”何か”が目に入った。
「......子供?」
汚れた白いローブ。ボロボロの裾。素足。
確かに、あれは“子供”のように見えた。背丈は小柄で、顔の半分はフードの陰に隠れている。
――――――普通じゃない。
直感がそう告げる。しかしそう思ったときにはすでに子供に声をかけていた。
「大丈夫か?」
走り去ろうとした子供にそう言うと子供は振り向いて顔をあげた。
(え!?)
月の光に照らされてローブで見えなかった子供の顔が見えた。
そこには白い髪に金色の目をした少女がいた。口元には血が付いている。
「―――――湊!」
彼女の顔を見た瞬間、頭の中に1人の笑顔の女性が浮かんだ。
「......たっ......」
彼女が何かを言おうと口を開くが、口をつぐむとそのまま去っていってしまった。
彼女が路地にまた入っていくと、彼女が先程出てきた路地から黒いローブを着た男性が2人出てきた。
「チッ!どこいったあのガキ」
「まぁ落ち着け。"あれ"がある限り逃げることは出来ねぇよ」
“あれ”? ――まるで、彼女が何かを持っているような言い方だ。
そう言うと、男たちは僕には目もくれず、闇に溶け込むように細い路地へと消えていった。
静寂が戻る。だが、胸のざわめきは消えない。
(関わらない方がいい)
そう思おうとしても、心の奥に残るモヤモヤがそれを許さない。
さっき見た彼女の怯えた顔が、焼きついたように頭から離れない。
ここで何事もなかったようにやり過ごすこともできる――けれど、それでいいのか?
しばしの沈黙のあと、自分に言い聞かせるように、小さく声が漏れた。
「……よし」
ペダルを力強く踏み込む。
僕は再び自転車にまたがり、彼女が消えた路地へと走り出した。