その8:月白の宝物
彼女の意志を察した…否、察することを強要された朱鷺が撫子にホラを吹いたところまで遡ろう。
未踏開拓軍に同行し始めた朱鷺の言葉に疑いを抱くこともなく、撫子はその助言通りに清掃班へワイシャツの処分を依頼した。
しかしその清掃班は既に買収済。
撫子が捨てた浅葱のワイシャツは、朱鷺の部屋へ横流しして貰った。
勿論朱鷺自身、浅葱に助けられた身ではあるが、心酔はしていない。
露草と浅葱が引き抜かれた後の未踏開拓軍でも名前が挙がる「猟犬」
凶暴で獰猛。露草が手綱を握っているから一安心だが、その「何をしでかすか分からない精神」が仲間にも危機感を与えるほどの強者。
戦闘慣れした男でも単独で制圧できる女に心酔する余裕は朱鷺にはない。
むしろ恐怖を覚えている。奴に逆らうと何があるか分からないぐらいには恐れている。
自衛手段は持ち合わせているが、浅葱も決して馬鹿ではない。
朱鷺が守れない対象を人質に取るぐらいはするだろう。
例えば、目の前にいる彼女とか…。
「ふんふんふ〜ん」
「気持ち悪っ」
「仕方ないじゃない。私はあの親子が大好きなの」
「椋は?」
「浅葱が家族判定していないから、私も家族じゃない判定よ」
「そっかぁ…どういう基準なんだろうな、これ」
「自身が守られるべき存在は守れない」朱鷺の能力で唯一守れないのが、ワイシャツ一つではしゃぐ女。
無邪気な子供の様にはしゃぐ月白の姿を見て、朱鷺は小さくため息を吐いた。
自分の父親を名乗る男も能力で守護できなかったから、間違いなく月白を襲い、浅葱に半殺しにされた襲撃犯も自分の父親なのだろうとも理解できる。
同時にまた、あの時守れなかった月白も同様に。
月白は乾かした浅葱のワイシャツを丁寧に折りたたみ、加工された枝と自身が常に身につけているピアスを収納していた箱を収めた私物用の棚に直しこんだ。
「さて、朱鷺。今回はよくやったわ」
「はいはい」
「ご褒美は何が言い?」
「私に使う予算はもうないんじゃなかった?」
「嘘に決まっているでしょ?」
「だと思った…」
「それになくなったとしても、私のポケットマネーがあるわ」
「潤沢にあるの?」
「一公務員の貯蓄程度にはあるわよ」
「なんか生々しい…」
「まあ、若い頃から籠守をしていて、身支度金とか、特別手当とか受け取っているし…。その辺の同年代よりは金を持っているわよ」
「そんなにあるなら、籠守やめれば良かったじゃん」
「まあ、考えた事もあるけれど…あの男を降格処分させる代償に、自分の子供が朱鷺の候補になるって聞いたらそうもいられないでしょ?」
「…」
「あの男は色鳥社もそう簡単に手を出せるような家の出身ではなかったの。降格処分させるまでに、色鳥社も相当手を焼いたと聞いているわ」
「…けれど、その苦労を得ても、あいつの相手…朱鷺候補の母体を逃がしたくなかった」
「そういう事。朱鷺候補を見つけるのは他の恩寵を受けし者に比べて難しいと聞くわ。胎内で自我を得る時から、母親を守りたいと願う子供なんて…平和な環境では産まれないもの。歴代はご丁寧に未踏開拓軍を買収して作らせていたと聞くわね。貴方の存在ってかなりレアなのよ」
「…えぇ」
朱鷺には母親の胎内にいた時の記憶がある。
暴行を受け、自分を孕み、毎日のように泣いていた母の姿を知っている。
そんな彼女を支えたのが、彼女にピアスを贈った歌姫だと言うことも…ちゃんと知っている。
でも、顔はつい先日まで知らなかった。
なんなら、自分は母親に憎まれ、捨てられたと思って憎み続けていたぐらいだ。
産まれたとすぐに、名前を贈る前に引きなはされたことは、知らなかった。
そして自分が成長する姿を、罪を犯す姿を…手を出せない場所で見守り続けていたことを、今は知っている。
月白は過去を振り返り、暗い顔を浮かべた朱鷺を抱きしめる。
「…その母親は輝かしい経歴を、私が産まれたことで失ったんじゃない?」
「そうでもないわ。貴方がいたから、得たものも多いのよ」
「…心の傷とか」
「そんなちっぽけなものは得た内に入らないわ。その人が…私が得たかけがえのないもの…茜様と淡藤さんに巡り会えた時間。貴方に巡り会えた時間。沢山の記憶を貰ったもの」
「…ん」
「失った時間は多い。でも、それを取り戻せるように…私はもう貴方の隣を離れたりしないわ」
「…そうしてね。もう引き離されないように努力してよ」
「私を誰だと思っているの。それぐらい、もう造作はないわ」
「もう、小娘じゃないから?」
「そうね。それもあるけれど」
「…?」
「——貴方のお母さんだもの。貴方を守るためだったら、なんだってするわ」
「…権能を使う事態にはもうならないでね。貴方には、使えないんだから」
「努力はするわ」
親は子供を守るもの…だから朱鷺は、親だけは絶対に権能で守れない。
その仕様で苦しんだ過去があるから、彼女の無事を心から願い続ける。
お互い、もう傷つかない未来を信じて———寄り添い続けた。