その29:撫子の贈り物
かつて白藤が浅葱のワイシャツを繕うと、布地を買いに行ったら鴉羽が駄々をこねた話を覚えているだろうか。
あの一件以降、市街地の面々から同情を受けるようになった撫子は、頼れる伝手を作ることが出来た。
これも何もかも、鴉羽がアホだったおかげである。
「できたわ!ワイシャツ!どう?綺麗に出来ているかしら!」
「むっすー!」
ワイシャツの繕いも、洋裁の先生をしている人と伝手が出来たことで、完成を想定以上に早めることが出来たとか。
ボタンを留め終え、完成したワイシャツを抱きしめながら、撫子は部屋の中をぴょんぴょん跳ねて、全身で喜びを表してくる。
普通なら可愛い光景だが、全ては浅葱が影響している事象。
鴉羽からしたら面白くない光景だった。
「むすすのすっ!」
「鴉羽様。評価をしてほしいの!貴方から見てどう?綺麗にできたと思わない?」
「ぶっすー!」
「もー。ずっと頬を膨らませて。リスさんみたい。食べちゃうわよ」
「リス…撫子、私の事、リスみたいに愛らしくて、食べちゃいたいぐらい好きって」
「鴉羽様、リス好きなの?私もよ。淡泊で美味しいわよね」
「食用でしか見ていないのか君は!全く!なんだいその貧乏精神は!ちなみに僕は牛肉が大好きだ!」
「あら、高級…食べたことないわ」
「撫子が食べたいなら、手配してやらないこともないぞ…?」
「でも高いもの食べたら、拒絶しちゃうのか、腹を下すことが多いのよね。遠慮しておくわ」
「…むすっ」
「あら、またリスに戻った。で、お肉のことはいいから、ワイシャツのこと。どう思う?」
「…むすん」
「もういいわ。これ、浅葱に渡してくるから。いい子でお留守番してるのよ」
「ぶー…」
「ふてくされたって、新しい本は買ってきませんからね」
母親の様に必要事項だけさっとつけた撫子は、浮き足で浅葱の元へ向かう。
鴉羽は布団にダイブして、今回限りは撫子の不幸を願ってしまった。
同時に、そんな自分へ軽蔑を覚えた。
◇◇
「浅葱!出来たわ!約束のワイシャツ」
中央広間で駒回しをしていた浅葱を捕獲した撫子は、完成されたばかりのワイシャツを彼女へ押しつける。
浅葱はそれを持ち上げ、撫子に見えないように微妙な顔をしつつ…嬉しそうな声を無理矢理上げた。
「おー。ありがとー。早速着てもいい?」
「ここで?」
「ん」
「馬鹿、ここで脱ぐなよ」
「羞恥心どこに置いてきたの?未踏開拓軍の前線?」
一緒に遊んでいた新橋と東雲に小言を言われつつ、浅葱は撫子のワイシャツを身につけようと腕を通す。
しかし、サイズは全然合っていない。
「…私、まだまだ成長しているみたい」
「そんな…そうよね。浅葱は育ち盛りだもんね…数ヶ月で体格が変わることだってあるわよね…」
「ごめんよ、私の筋肉が…。あ、このサイズなら鴉羽様とか行けるんじゃね?ね、新橋」
「私に振るな」
浅葱の高速ウインクが新橋と東雲に飛んでくる。
それを見た二人の反応が呆れから真剣なものに変わる。
浅葱が送るのは、立派なアイコンタクト。
『これを受け取ったら鴉羽に嫉妬で殺される』
『あえてサイズを鴉羽サイズで申告した』
『とりあえず、撫子を悲しませない方向で話合わせて』
いつもの二人ならここで浅葱を嵌めにかかるのだが、今日は事情が事情である。
流石の新橋と東雲も、最年少の撫子をいじめる趣味はない。
「まあ、確かにそれぐらいの体格だった気がするねぇ…」
「き、着れる人間に贈った方がいいだろう。せっかく作ったんだ。それに、作る工程もずっと見ていたのだろう?なら、喜ばれるさ」
「そう…わかったわ。三人とも、ありがとう。鴉羽様に渡してみるわ。浅葱は今度また新しい服を作るわね!」
「待ってる」
撫子を見送る浅葱の横で、新橋と東雲が悪い顔をしつつ浅葱を見上げる。
「これで貸し一つな〜」
「わかっているな、浅葱」
「…厄介な奴らに恩を売っちまったぜ」
項垂れる浅葱がその後どうなったか、撫子が知る由もない。
◇◇
その後、浅葱に繕ったワイシャツは浅葱が着れなかったという理由で鴉羽に贈られた。
鴉羽は嬉しそうに撫子が作ったワイシャツを身に纏い、部屋の中をぴょんぴょん跳ね回る。
「私のサイズになっていたなんて、撫子は終始私のことが頭から離れないんだな」
「そうねぇ…そうかも」
鴉羽のことが頭から離れないから、鴉羽サイズになっていたと思うと、撫子の中でも不安がよぎる。
いっそのこと彼女の事を忘れたらいいのか、と思い至り…金糸雀の権能を利用し、鴉羽のことを一時的に忘れようとした撫子を、鴉羽が必死に止めることになるのは、そう遠くない話。




