第五章~⑧
後は何を言っても知らない、言えない、諦めろ、帰れ、といった言葉しか聞けなかった。
ただ彼女が両親達に対し龍太を悪く言っていなかった点と、どこかで元気に暮らしているということだけが知れ、安心はできた。というのも個人的に責められることはなく、失踪届も出されていないと分かったからだ。
つまり他に好きな男が出来たか、または遺品整理業者という職に就く龍太との結婚を許してくれなかった親の説得に折れ、姿を消したに違いない。そうとしか考えられなかった。
結局なす術もなく、龍太は諦めるしかなくなった。当然納得はしていない。それは八年余り経った今も同じだ。けれど恐らく彼女は同棲している間に、二人が結婚した後の将来を不安視したのだろう。
実際給与が上がったとはいえ、一人の稼ぎでやっていける程の額ではなかった。よって結婚後も共稼ぎになっていたに違いない。
けれど子供が生まれれば、やがて彼女は会社を休むか一時的には辞めるしかなくなる。そう考えた時、これでいいのかと不安に感じたとしてもおかしく無かった。しかも遺品整理業を始める会社は年々増え、競争が激しくなり始めていた頃でもある。順調な状況がいつまで続くか分からない。それこそ以前と同じように、会社が潰れるかもしれないのだ。
もしそうなれば、瞬く間に経済的に困窮する家庭となるだろう。まさしくかつて龍太が経験してきたことだ。幸いにも何とかここまで生活してこられたが、同じような苦労を自分の子供にはさせたくない。彼女だってそう思っただろう。龍太の生い立ちはほぼ全て話していたし、その辛さを理解していたはずだ。
対して彼女の家は裕福とまでは言えずとも、ごく平均的な家庭環境にあった。そうした境遇ならいざ自分が同じ目に、または子供がそうなると想像した時、我慢できないと思うだろう。
世の中、好きだという感情だけでは生きていけない。やはりある程度の落ち着いた経済環境でなければ、途轍もない苦労を強いられる。女性は男性よりも現実的だというが、それは決して悪い事ではない。
命を賭して子供を産むという、男には絶対出来ないことをするのだ。子孫を残す母性本能がそうさせたのなら、誰だって責められるはずもない。龍太は真剣にそう考えていた。
一番悪いのは、やはり甲斐性のない自分自身だ。そう思うしかないと踏ん切りがついたのは、彼女がいなくなってから三カ月後だった。一人では広すぎ、また賃料を払い続けるのも厳しくなった現実があったからだろう。その為引っ越しを余儀なくされた。
それでも残されたチロに罪はない。そこでペット可の物件を探し、ようやく見つけたのが今住んでいるアパートだった。古く安い分、色んな条件が緩かったからだ。周囲から聞こえる生活音は以前より相当煩くなったが、それも止むを得ない。それに仕事で疲れ、ほぼ寝に帰るだけの生活に戻った為、段々と慣れていった。
犬の世話に、そう手間がかからなかったのは幸いだったと言える。彼女と同棲中も、互いが仕事をして留守にする時間が長いことも多かった。その為部屋で静かに過ごせるよう躾をしていたからだ。また遠隔操作の監視カメラを設置し、三年積み重ねた努力がここで生きた。
当初はチロの姿を見る度、彼女を思い出してしまう時もあったが、それも徐々になくなった。仕事に忙殺され、日々生きていくだけで必死だったからだろう。
ただそれから時が経ち、龍太の考えは変わっていった。
それまでは、自分の努力がまだ足りなかったからだと反省していた。けれども年を取ると共に、世の中には自分の努力だけでどうにもならないことが多い、と痛感させられたからである。
金持ちと貧乏の格差が拡大するばかりの、こんな社会が悪いのだ。持っている者ばかりが優遇され、持たざる者はただ懸命に足掻き苦しみ続けるしかない。そんな世の中にうんざりし始めるようになったのである。
そう考える大きなきっかけとなったのは、世界中を襲ったコロナ過だ。そこから社会的不安は募り、様々な分断が起こった。しかも人との接触を極力避けなければならない為、大半の企業の業績は下落。遺品整理業者もその影響を大いに受けた。
やがては一部の浅はかな国が始めた戦争によるあおりと、何一つ過去の過ちから学ばない稚拙な政治家達の愚策による円安や物価高などで、日々の生活はどんどんと苦しくなった。
ここ最近ではようやく行動制限が解かれたことで、仕事は少しずつだが増え始めている。それでも潰れてしまった同業者は少なくない。龍太の会社も決して安泰ではないのだ。
その上徐々に体力は衰え、以前のように働けなくなった。そんな状況なら四十歳間近のロートルに高い給与を払うより、もっと若い連中を数多く雇った方がいい。通常の会社ならそう考えるに決まっている。
コロナ禍前では外国人労働者を雇い、安い賃金で対応する同業者も増えていたほどだ。今後再び海外から人材が流入してくる時期がくれば、いつ首を切られるかわかったものではない。
そんな不安に苛まれていた昨年、とうとう飼っていたチロが亡くなった。原因は老齢による心臓疾患だ。
犬の寿命は十年から十三年といわれ、飼い始めた頃が生後三カ月ほどで十年経っていた為、その範囲内だからと諦めはついた。悲しかったけれど、苦しみから解放させられたという安堵感もあった。
ただ正直言えば、餌代も馬鹿にならないし世話だって手間がかかるようになっていたから、内心ホッとした点は否定できない。
本来なら自治体に申し出れば、無料で遺体を引き取ってくれると確認してはいた。けれども龍太はそれが出来なかった。死は受け入れたものの、何故かすぐに手放す気になれなかったのだ。
コロナ禍の真最中だったことも影響したかもしれない。そこでネットで検索し、どうにか腐らせずに置けないかと思い付き、剥製にしようと考えた。
お金を払えば、そうした処理を施してくれる業者の存在は知っていた。だが脳を含めた内臓を取り出し、防腐処理をすれば何とかなりそうだと試したのが間違いだった。素人の浅知恵で、碌な装備もないまま行ったからだろう。当然ながら失敗をしてしまい、慌てて真空パックで密封したものの、やや腐らせてしまったのである。
それでも今更捨てる訳にもいかなかった。既に動物愛護保護法違反をしている、との意識も働いていた。よってずっと押し入れの奥に仕舞ったままだったのだ。
けれどいつか廃棄はしなければならない。そのチャンスを窺っていた。それこそ仕事でゴミ屋敷のようにして亡くなった人の遺族から依頼があれば、その処分に紛れ込ませようと考えていたのだ。
とはいえなかなか適した案件には当たらなかった。そんな時、高岳弥之助が亡くなり、その自宅の遺品整理をする仕事を受けたと知ったのである。
龍太はこれぞ運命だと思った。高岳は以前勤めていた会社を潰した出資者に名を連ねていた一人だ。しかも今の社長がかつていた会社を潰した際も、彼が関わっていたと後に聞いた。
彼は関東を中心に様々な会社を経営し、潰しては新たに立ち上げるなどして資産を形成してきた人物として名を馳せていた。もちろん全て彼のせいだとは言わない。けれど龍太や社長が苦労させられてきた責任の一端は、少なからずあるはずだ。
そこで本人は亡くなってしまったけれど何か復讐できないかと考えた時に思い付いたのが、高岳の部屋に処理し損ねている犬の遺体を放置することだった。




