第四章~⑬
「私達なんかよりずっと高給取りなんですから、これまで通り真面目にお仕事をし続けて下さい。ここまで来るのに、相当な努力と苦労をされたのではないでしょうか。しかし人が落ちる時はあっという間です。ほんのちょっとしたきっかけで、大きな過ちを犯してしまうのが人間です。私達はこれまで、そういう犯罪者を沢山見てきました。その中の一人にならないよう、お気を付けください」
「わ、分かりました。申し訳ありませんでした」
ようやくどんな状況に追い込まれていたのか、気付いたのだろう。もしここで逮捕などされてしまえば久弥は会社を首になり、これまで築き上げてきた地位や名誉を失い、財産すらなくなってしまったかもしれないのだ。松ヶ根達はそれを食い止めてくれたと言える。
だがそこでずっと抱いていた疑問を口にした。
「あの、そう言えば警察というのは犯罪が無ければ動かない、というか動けないのではありませんか。民事不介入という言葉を聞いたことがありますけど」
これには松ヶ根が答えた。
「よくご存じですね。しかしあなた達が三郷さんの目を盗み、指輪やバッグをこっそり置いた件は厳密に言えば犯罪です。また久弥さんが佐知さんに名前を偽り近づいた件も、限りなく詐欺行為に近い。ただ本来現在の段階でなら私達は動きません。ちなみに鑑識が指紋を調べたりはしていません。さすがにそこまでは出来ませんから」
「な、なによ。私達を騙したって言うの」
「申し訳ありません。そう言わなければ、簡単に自白してくれないと思ったものですから」
「どうしてそこまでするのよ」
「今回は例外です。複数の案件が絡んでおり、またその発端となったのは、弥之助氏の死による遺産整理からです。三郷さんには、弥之助氏の遺志を忠実に果たすという使命がありました。私達は隠された謎を解く過程で、そのお手伝いをしたに過ぎません」
彼らは直子の母に会い、バッグや宝石の以前の持ち主が義母だったと確認したのは本当だが、久弥の行動を防犯カメラで確認したのも嘘だと白状した。
叔父が残した調査書等に目を通し、推理を働かせた結果らしい。本当にそこまで分かったのかと首を傾げたが、それ以上に疑問を持った為に尋ねた。
「すみません。よく分からないのですが、どういう意味でしょうか」
「そうですね。例えば弥之助氏は久弥さんが、調査会社を使い周辺を探っていると気付いていました。それなのに何故それを本人に直接伝えなかったのか。その上佐知さんにも黙ったままでした。気付かれていると知っていれば、久弥さんは調査を辞めていたのではないですか。そして佐知さんからも離れたはずです。違いますか」
「そ、それはそうなっていたと思います」
久弥の答えに頷いた彼はさらに続けた。
「それは弥之助氏の遺志だったのではないか。そう三郷さんはおっしゃっていました。最初はお金目当て、または復讐のつもりだったのかもしれない。ただ久弥さんは多くの資産持つ独身である点は確かです。そして佐知さんも息子さんをようやく社会人になるまで育て上げた。もしお二人が本当に気持ちを通わせ合っていたのなら、その邪魔はしない方がいい。弥之助氏はそう考えたのではないでしょうか。だから何も言わなかった」
「お、俺を応援するつもりでいたってこと、なのか」
愕然とした表情を浮かべていた久弥に、彼は頷いた。
「そう三郷さんは推測しております。彼女は一年半という短期間ながらも、弥之助氏と最後まで膝を突き合わせて接した方です。しかも多額の資産の運用、管理を任されるだけでなく、死後の整理まで完全委託されていました。全幅の信頼を寄せていなければ、そこまではしないでしょう。それほど見込まれた彼女が言うのです。間違いないと私達は思っています」
「叔父さんは、俺を疑っていただけじゃないのか」
「はい。そして直子さん。先程離婚を考えていると我々の前で口にされたのでお伝えしましょう。あなたについても、弥之助氏は調査会社に依頼していたようです。ご主人やお姑さんと上手くいっていない件をご存じだったようですよ」
「え、そうだったの」
突然話を振られただけでなく、その内容に動揺せずにはいられなかった。
「はい。しかしお姑さんが亡くなり、一番下の息子さんも無事大学に合格され家を出られたので安心をしていたようです。これであなたは自由になれると」
「自由だなんて、そんな」
頭の中には夫の顔が浮かび、思わず眉を顰めた。だが彼は意外な事を言った。
「もしあなたが離婚を決意し、残されたお母様と暮らし始めた場合、どうすれば良いかと弥之助氏は考えていた形跡がありました」
「ほ、本当ですか」
「はい。ただその内容をここで申し上げることはできません。離婚を勧めている訳ではありませんからね。ただ私達が言いたかったのは、弥之助氏はあなた達の父親と確執があったようですが、お二人を憎んではいなかったという点です。それどころかとても気にかけていたのではないでしょうか。但し晩年になってからだと思われます。十三年ほど前、第一線を退き佐知さんと出会われた頃からでしょうか」
私達を? にわかには信じられない発言に、直子達は戸惑った。
「そ、そんなはずがない。だったら何故遺産を渡してくれなかったんだよ」
久弥の言う通りだ。直子も頷いたが、松ケ根は首を振った。
「お金はないよりある方がいいのも確かでしょう。ただあれば余計な火種を産む恐れだってある。弥之助氏があなた達に残さなかったのは、敢えてそうしたのだと思いませんか」
「そんな綺麗ごとは聞きたくないね。どうしてそう思うんだよ」
「想像して下さい、久弥さん。もし遺産を受け取っていたら、あなたはどうされていましたか。額にもよるでしょうけど、弥之助氏の遺産の半分を手にしていたなら、会社など辞めていたのではありませんか。私だったらその可能性はあります。だって今後一生かけて働いても稼げないお金を受け取るのですからね」
「そ、それは、そうかもしれないが」
「それだけではありません。佐知さんと真剣にお付き合いする気も起きなかったのではないですか。弥之助氏はそうした点を危惧されたのだと思います。幸い大会社の役員にまでなり、経済的には全く困っていない。そんなあなたに大金を残せば、かえってその後の人生を狂わす恐れがある。それより本当に困っている人達を、一人でも多く援助することを優先されたのではないでしょうか」
「兄さんはそうかもしれないけど、私はどうなるの」
思わず直子が問うと、彼は頷いた。
「あなたに今お金があれば、直ぐにでも離婚を決断させてしまうでしょう。大金であればあるほど、旦那さんには渡したくない。そう考えたはずです。違いますか」




