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第一章~②

 頭を痛めるには理由があった。

 弥之助は遺産のほぼ全てを指定した団体等に遺贈すると決めたからこそ、漏れが無いよう詳細で完璧な遺産目録の作成に取り組んでいたからだ。

 何故なら甥や姪には遺留分がなくとも、亡くなった兄が受け取れたであろう遺産の代襲相続権がある。その為遺言書や指示書通り遺贈すると謳った以上、そこから漏れたものがもしあれば、彼らは相続の権利があると主張しかねない。そうした余計なトラブルが無いようにと、弥之助自身も相当注意していたはずなのだ。

 またブランドバッグや指輪はともかく、全財産の管理を任されていたはずの真理亜が知らない隠し財産があったとなれば、担当者としての沽券(こけん)にかかわる。もちろん遺贈の分配にも影響を及ぼす。

 一体いくらあるんだと半分憤りながら通帳を手に取った時、違和感と同時に既視感を持った。その正体が分からないまま広げて中身を見たところ、これまた想定外だった。

 記帳された入金額の数字はそれぞれ少なく、また十数行しかない。さらに合計金額はたった十万円余りだ。その上預入日が古く、最後は十年も前の年月日が印字されていた。

「何よ、これ」

 一度閉じて表紙を見た瞬間、先程持った違和感の意味が分かった。高岳弥之助ではなく、全く別人の名が記されていたからだ。印鑑もその人物の名で、通帳の中の銀行印と同じように見える。

 また奇妙な事に、その名義の下に間違いなくふりがなでもない、「えむ(・・)()しよ(・・)ねな(・・)

という意味不明なひらがなが、鉛筆でうっすら書かれていた。

 その為再度じっくり表紙を眺め、銀行名と口座番号を頭の中に浮かべる。そうして彼の資産等を管理していた際、様々な金銭取引の記録を見た記憶を引き出し、ようやく既視感の正体も掴めた。

 けれどこれが何を意味するかはまだ分からない。それに真理亜の覚えが正しければ、これを記帳したらそれなりの残高が印字されるはずだ。ならばこれも、弥之助による遺贈の対象となるだろう。

 確かに遺産整理の為の遺言状や指示書の中に、具体名は挙げられていなかったけれどある記載があったと思い出す。ただ既に処理済みだとしか言い渡されておらず、あまり気に留めていなかった。

 ではどうすればいいかと悩みながら、もう一つの閉まった箱を無造作に開けたのがまずかった。

「ぎゃっ」

 自分でも驚くほどの悲鳴を上げ、先程とは別の意味で仰け反り後退(あとず)さった。

「何よ、これ」

 だが部屋には真理亜しかいない。高級分譲マンションの為、壁も厚く防音もしっかりしているので、外に声は漏れていないはずだ。といってこの状況で、今更誰か助けを呼ぶ訳にもいかない。その為意を決し、恐々としながら再び箱に近づきゆっくりと覗き込んだ。

 やはり見間違いではなかった。そのグロテスクな中身は変わっていない。それでも透明なビニール袋に入れられたその黒い物体を、じっくり十分ほどは眺めていただろうか。その後、思い切って指で突つき感触を確かめ、やっと正体を予想した。

 恐らくこれは動物の遺体だ。しかもなるべく腐らないよう処理されたものらしい。また真理亜の推定では犬だと思われた。

 やはり世の中にはうまい話などないのだろう。真理亜は今日何度目かの深いため息をついた。

 一年半前、突然真理亜の評判を聞きつけたという弥之助から指名を受け、多額の資産管理と運用を任された。

 その期間のほとんどは、言われるがまま資産の全容把握に時間を使ったといっても過言ではない。確かに運用も行い一部の資産増大プランを成功させ、そこから成功報酬を数百万円程は得られた。

 けれど弥之助が余命僅かな病に罹っていると判明してからは、死後の遺産処理対策に多くのエネルギーを費やすようになった。

 ほんの短期間でかなりのマージンを手にしていた為、他の同僚達にはかなり疎まれた。ただでさえ真理亜は他に担当している優良顧客から得た高額の収益により、それまでも好成績を維持し続けていたからだろう。よって日頃からやっかまれやすい状況にあったのだ。

 その上低身長で童顔の真理亜の外観から、三十代と見まがう美魔女とまで揶揄(やゆ)されていた為、女の武器で顧客を誘い操っているのではないか、との下衆な噂まで立てられていた。弥之助の担当になった時もそうだ。

 これまでPA社だけでなく、他のPBなど全く利用した形跡がなかった彼が、突然会社に現れ面識のない真理亜を指名したのだから、そう勘繰(かんぐ)る輩がいてもおかしくはない。

 ほぼ飛び込みの客だった為、いくら資産家といえども万が一裏に反社勢力がいた場合は会社の信用にかかわる。よって所長同席の元、真理亜からいくつか質問をした。

「どうして我が社を選ばれたのですか」

 当時七十四歳だった弥之助はグレーヘアーが良く似合い、カジュアルだが一見して高級ブランドと分かるジャケットやシャツを身に着けていた。腕に一千万円は優に超える腕時計をはめ、履いていた靴もオーダーメードもので数十万円はすると直ぐに分かった程だ。

 白髪が混じる薄っすらと生やした顎髭を撫でながら、彼は言った。

「いや驚いた。予想以上に若く見えるね。難解な殺人事件を解決した凄腕の美人PBがいると耳にしていたけど、それがあなたかな」

 その第一声で、またかと心の中で呟いた。

確かに彼が言うように、かつて顧客が惨殺される事件の犯人逮捕に貢献した経験がある。真理亜はその容疑者候補の一人に名を挙げられていた為、止む無く担当するS県警の刑事達に協力した結果だ。それが業界内に広まったせいで、興味本位と真理亜の外見も相まってか、その後助平(すけべい)爺達が担当してくれないかと駆け付けていた。

 もちろんきっかけが何であれ、会社としては優良な資産家であれば喜ばしい。よって一時期、真理亜は客寄せパンダの役目を負わされていたのである。

 日本の富裕層と超富裕層を合わせた世帯数は、二〇一九年時点で約百三十二万と全体の約二%強を占めていた。だがPBに運用を任せる人となれば限られ、また大手銀行等の他社との競合も激しい。とはいえ金持ちならどんな客でもいいか、となれば話は別だ。他の顧客との関係もあり、最低限のマナーを備えた質が求められる。

 よって提携する優秀な調査会社により確認し、PA社として掲げる一定条件をクリアした者だけが契約締結できる体制を取っていた。そうなると噂に惑わされ集まった者など、品や資質のない輩が多かった。その為止む無くお断りする事例が後を絶たなかったのだ。

 ようやく最近はそうした客が激減し、胸を撫で下ろしていた。そんな時に弥之助が現れたのだから、当然会社としても危惧していた。

 しかし調査結果が出るまで、一応顧客候補なのは間違いない。また名前や経歴などからネットで調べた範囲でも、相当な資産保有者だと確認できたので、眉間に皺が寄らないよう注意して話を続けた。

「具体的にどういった噂をお聞きになったか分かりませんが、恐らく私だと思います。ご指名頂いたのは、そうした理由でしょうか」

 すると彼は意外にも首を振った。

「それもあるが、あなたの資産運用や管理等の腕を見込んだからだ」

 そうして真理亜が担当する人物名を挙げた。顧客による紹介となれば話は変わってくる。調査は行うが、単なる飛び込み客とは信用度が大きく違うからだ。

 最初からそう言えばいいのにと思ったが、彼は紹介という形を取りたくなかったらしい。自分の目で見て確かめ、大切な資産を預けられるかを見極めた上、場合によっては断わる可能性もあったからだと口にした。その場合、紹介者に迷惑をかけるので飛び込みを装ったという。

 しかしそこで疑問が湧く。

「それなら何故、今教えて下さったのですか。まだ私とはほとんどお話をしていませんよね」

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