第二章~⑥
考えたが見当もつかない。その為利也が首を振ると彼は言った。
「通帳を受け取ってから十年間、毎月九万円前後のお金が入金されていました。それが積もり積もってそれだけの残高になったようです。高岳氏がネットバンキングしていた履歴を調べたところ、通帳の口座に振り込まれていたと分かりました。その上金額は一定でなく、時期も少しずつずれていたようです」
まだ意図が理解できず、首を傾げていると今度は吉良が教えてくれた。
「本来決まった額を決まった口座に毎月振り込む場合、手数料無料の定額自動送金サービスが利用できます。でも高岳氏はそれをせず毎月微妙に金額を変え、送金日も十日だったり二十日だったりとバラバラにしていました。だから最初我々は裏金作りかと疑いましたが、高岳氏の遺産管理者に対する依頼から考慮するとそれは考え難い。結果、別の思惑があると判断しました」
「何ですか、それは。税金逃れに使っていたんじゃないんですか」
適当にそう言うと、彼は意外にも頷いた上におかしなことを聞いてきた。
「税金逃れという意味では、当たらずとも遠からずです。ちなみに利也さんが高岳氏の隠し子、という可能性はありませんか」
「あ、ありませんよ。妊娠中だった母はある日転倒して大量出血し、私を出産した直後に亡くなったと聞いています。それに杁中保というちゃんとした父がいました。事故死したので今はもういませんけど、私が五歳の時でしたから記憶がありますし、間違いありません」
ちなみに母の出産は、元々流産のリスクがあったらしいとも耳にしていた。その為ある意味起こるべきして起きたともいえるが、利也の出産を諦めていれば、母の命は助かっていたかもしれない。
そういった経緯を知ってから、利也は実の母に申し訳なく思ったこともある。だが佐知からは、その分しっかりと生きなければならないと言い聞かされていたこともあり、これまで必死に頑張って来たのだ。
気付いた時には長い間お守りとして身に着けてきた、左手首の時計バンドに触れていた。これは利也が生まれるより前の九十年代半ばに広まった、色とりどりの刺繡糸を何本も併せて編み模様のミサンガでできている。佐知が利也の為に作ってくれた世界に一つしかなく、実の母とも繋がりがあるものだ。
「そうですよね。すみません。こちらでも戸籍を確認したところ、保さんと杁中早苗さんの間に生まれたのが利也さんだと記載されていました。ですから間違いはないでしょう。その頃、早苗さんと高岳氏との接点は無いはずなので、隠し子だったとは考え難い」
「あ、当たり前ですよ。どうしてそんな馬鹿な事を聞くんですか」
「あなたは高岳氏の子でない。ならば彼から遺産を受け取る権利も、本来無いはずですよね。なのに何故か贈与という形で、決して少なくないお金が残されていた。これをどう考えたらいいでしょう」
想像もしていなかった言葉に、利也は面食らって声が裏返った。
「贈与、ですか。そんなはずありません。私はそんな話、聞いていませんし、さっき言っていませんでしたか。高岳さんの遺産整理を依頼されていた人も、通帳については知らされていなかったって。つまり、私に遺産を渡す指示など無かった証拠でしょう」
「そうとも取れますが、法的に見ると一千万円超はあなたのものになります。しかも贈与税や相続税など税金がかからないよう、上手く工夫されていた。そういった観点からすれば税金逃れであり、また整理する遺産とは別に、あなたへ残したお金とも言えるのです」
そこから彼が語ったのは、少し難しい話だった。どうやら人にお金を渡す場合は贈与税がかかるけれど、基礎控除が年に百十万円なのでそれ以内なら非課税だという。つまり月に九万円を十二カ月に分ければ合計百八万円となり、その範囲内に収まるらしい。
この方法で毎年計画的に行えば、一人十年間で約一千百万円を無税で贈与できる。そうした節税効果があるから、ある意味税金逃れだと吉良は言ったようだ。
もしある資産家に子供や孫が十人いれば、生前の内にそうした手続きを取っていれば年に一千百万円、十年間で一億千万円も無税で贈与できるからだろう。
けれど、税務署もそう簡単には許さないという。例えば一定期間、一定の給付を目的に贈与を行っている場合は定期贈与と見なされてしまう。その場合、全期間一括して合計した額に贈与税がかかる。それを避ける為に行うのが、無計画に見せる方法らしい。具体的には毎月九万円前後と同じ額でなく微妙に変え、また送金日もばらばらにする手だ。
さらに毎年の合計額も、少しずつ異なるようにしておけば定期贈与と見なされ難い。つまり高岳が利也名義の口座に対し行ったやり方が、まさしくそれだった。
「どうしてそんな手間のかかることをやったのか。そう考えると、高岳氏は利也さんにどうしても遺産の一部を渡したかった、としか思えません。だから最初は隠し子の可能性を疑いました。でも違った。それが分かれば、彼の利也さんや佐知さんに対する想いは単なる同情や施しといった、簡単な言葉で表せるものでないと私達は判断したのです」
利也は戸惑った。当たり前だ。
「ちょっと待って下さい。私は高岳さんの邪魔をしたんですよ。それなのにそんな大金を残すなんて。とても信じられません」
「信じられなくても、利也さん名義の通帳に一千百万円ほど入金されているのは事実です。それに高岳氏が亡くなった今、この通帳は元の持ち主に返すしかありません。彼から依頼を受けた遺産管理人も、他人名義のお金にまで手は出せない。もしそんな真似をすれば、手が後ろに回ってしまう」
また彼の説明によれば、遺産管理人も通帳の存在は知らされていなかったけれど、遺言書や指示書の中に生前贈与している旨は書かれていたそうだ。
しかしその相手が誰なのかは詳しく伝えられていなかった為、当初は判断に苦しんだという。だが利也の存在と背景を調べる内に、その意図が分かってきたらしい。よってもし利也が贈与税等の問題を抱えるようなら、相談に乗るとまで伝えられたのである。
というのも遺贈の現金贈与に関しては、もう一つ注意点があるそうだ。今回のように口座の通帳や印鑑を名義人以外が管理していた場合、単に名義を借りただけの“名義預金”とみなされ、贈与にあたらないと判断される可能性も否めないという。
あくまで贈与とは、あげました、貰いましたという双務契約なので、貰った人が自由に使えない場合は贈与が実行されたことにならないからだと説明された。
例に挙げると、子供に贈与したけれど無駄遣いしてしまうので、親が通帳と印鑑を管理するといったケースだ。これは贈与ではなく名義預金だと判断され、相続税の税務調査でよく問題となるらしい。
双務契約とは、物の売買や部屋の賃貸借契約などのように、契約当事者双方が互いに対価性のある債務を負担する契約を指すという。
良く分からなかったが、要するに細かい税務調査員が厳密に判断した場合、無税とはならない可能性があるのだろう。その場合、先程顔を見せられた女性に任せればいいという話までは理解できた。
「まあ話によると、今回の遺産整理に関しては普通の相続と違うから、税務調査が入るとは考え難いようだけどね。だから利也さんは細かい事なんか気にせず、高岳氏の遺志を素直に受け取ればいいんじゃないのかな」




