第一章~⑪
玄関に行く前のリビングでそう伝え扉を開けて出た所、二人は既に靴を脱いで廊下に上がりこんでいた。その為慌てて止めた。
「ちょっと、これ以上は駄目よ。勝手に上がってこないで」
しかし彼はにこりともせず、真剣な面持ちで口を開いた。
「お入り下さいと言いましたよね。失礼しますよ」
なんと真理亜の顔を見て驚きもせず、その上押しのけてリビングにまで入ろうとしたのだ。そこで抵抗しようと試みたが、後ろにいた吉良の手が肩にかけられ止められた。
「三郷さん、ご無沙汰っすね。薄化粧でナチュラルな顔立ちなのに、相変わらず可愛いじゃん。美魔女っぷりは衰えてないってカンジ? 金持ちの客に言い寄られて大変なんじゃないっすか。といっても大抵はおじさんを通り越した爺さんばっかりで、ウンザリってパターンっしょ」
「何で今更、私にチャラ語を使っているの。どんな事件が起こったか知らないけど、強引過ぎるでしょ。ここは私の部屋じゃないから」
そう言っている間に松ケ根が中に入ってしまったので、その後を急いで追った。吉良も続き後ろからついて来た。
するとリビングの中ほどで立ち止まった松ケ根が、辺りを見回してからこちらを向いた。
「知っています。あなたの顧客だった高岳弥之助氏の部屋ですよね」
思わず目を見開いた。おかしい。何故そこまで知っているのか。しかも二人は真理亜の顔を見ているのに、全く動揺していない。つまりはここに居ると知った上で訪ねてきたのだろう。松ケ根の舌が滑らかだった理由はその為だったのか、と腑に落ちた。
先程彼はマンションにいる人から通報が、と口にした。つまり住民の誰かが真理亜の行動を不審がり、警察に連絡したのだろうか。
いや、それは考え難い。ここへの出入りはこれまで何度もしている。初めてではないし、業者や直子達を招いた時と違い今日は一人だ。その上他の住民と顔を合わせた記憶はなく、外へ聞こえる程の大声を出したりもしていない。
嫌な予感がする。そうしたこちらの警戒を察したのか、先に松ケ根が言った。
「この部屋に不審物があるとの匿名の電話が、こちらにかかってきましてね。それで所轄の刑事課にいるこいつと一緒に来たんですよ。なんせ私の管轄ではありませんから」
そう言いながら、吉良に任せず話を進める彼の様子に違和感を持つ。それでも聞かずにはいられなかった。今更挨拶など必要ない。
「匿名って言ったよね。それは男、それとも女?」
どう考えてもここに犬の遺体を置いた犯人の仕業としか思えなかった。バッグや指輪、また他人名義の通帳が発見されても、不審物ではない為言い逃れが出来る。よってそれらを置いた奴なら、警察を呼ぶ真似などしないはずだからだ。
しかし彼は静かに首を振った。
「それは教えられませんね。ところで不審物というのはもしかするとこの中かな」
さすがに目ざとい。数多くの段ボール箱が置かれているが、二つを除き全て業者の用意した同じものだ。それらと古さも違うので彼は直ぐに気が付いたのだろう。
答えられずにいると、彼はポケットから手袋を取り出して嵌めしゃがんだ。後ろにいた吉良もいつの間にか前に出て、同じ動作をしていた。
「ちょっと待って。許可なく人の物に触らないで」
だが動きを止めた松ケ根は、ゆっくりと顔を上げて言った。
「三郷さんの物でもないでしょう。ただあなたの管理下にあるのは確かのようだ。そこまでおっしゃるなら、申し訳ありませんが開けて頂けませんか」
頭がくらくらした。これはまさしく犯人の罠に嵌められたとしか思えない。
もちろん彼らは逮捕状など持っていないだろうから、あくまで任意の要望だ。かつてそれを盾に、また顧客に対する守秘義務があると突っぱねたことがある。
しかし今更不法侵入だと言い張り、彼らを部屋から出すのはそう簡単ではない。ここまで立ち入らせた状態だとまず動かないだろう。
第一不法侵入とは正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する、というものだ。
まず人の住居に侵入する行為は住居侵入罪、次に人の看取する邸宅、建造物、艦船に侵入する行為は建造物侵入罪、そして退去の要求を受けたにもかかわらず、これらの場所から退去しない行為は不退去罪に当たる。
この部屋の所有者ではないが、真理亜は委任を受けて管理している者だ。よって彼らに出ていくよう申し渡す権利を持っていた。
けれどそもそもの前提として、正当な理由がない限りとの文言に当て嵌まらなければならない。彼らはこの部屋に不審物があるとの匿名の通報を受けたのなら、それを確認するという正当な理由が存在するのだ。
もし爆発物があった場合、直ちにマンション住民を避難させなければならなくなる。そうなれば大騒ぎになる為、不審物の有無や正体を見極めなければならない。
よって真理亜は松ケ根の指示に従うしかなかった。そう観念して前に進み、迷わず犬の遺体が入った箱の蓋を開けた。