プロローグ
「ああ、どうしよう。死んじゃうかもしれない」
そう思いながらも、私は車を止められなかった。それどころかアクセルを強く踏んでいた為、現場からどんどん遠ざかっていく。心の中で、正義感より恐怖心や不義理な性根が優ったからだろう。
それだけではない。いつも通う道から外れ、出来るだけ人通りの少なく防犯カメラが無さそうな場所を選び進んでいた。もう無意識ではなかった。もはや完全に逃走の意図があっての行動だ。
朝晩は冷え込み始めたが、晴れていれば昼間は日差しがまだ温かいこの季節、車内の暖房は点けていない。なのにハンドルを握った手はひどく汗を搔いていた。さらに震えが止まらず、再び事故を起こさないようスピードを緩め、慎重に車を走らせた。
ここで自損事故を起こし騒ぎとなれば、後に疑われてしまうからだ。もしあの人、いやあの人達が亡くなれば刑務所行きになるかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
今の時代、新聞やテレビ等のニュースに取り上げられれば、間違いなく周囲から手酷いバッシングを受ける。そうなれば今いる地域で住んではいられず、どこかへ逃げなければならなくなるだろう。
いや、でも私が一方的に悪い訳ではないはず、と思い直す。今からでも遅くない。引き返そうか。あの周辺は人通りが少ない為、まだ誰も助けに来ていないはずだ。戻って救急車を呼び、一命さえ取り留められれば、最悪の事態は避けられるかもしれない。
しかし手遅れならそのまま逮捕されはしないか。そう言えば以前、事故現場から一度離れた後に戻った某有名人が、逃げたじゃないかとかなり叩かれていた。あの時、言い訳など一切通用しなかったはずだ。
そう考えるとブレーキが踏めなくなった。それにもうかなりの距離を走っている。これからあの場所に辿り着くまで、結構時間がかかるだろう。だったらこのまま逃げるしかない。
結局そう決心したが、胸中はざわついたままだ。それでも遠回りしつつなんとか運転し続け、とうとう自宅に到着した。
玄関を開け部屋の中に入った途端、張り詰めていた緊張が解けたのだろう。足の力が抜けしゃがみ込んでしまった。
立てないまま呆然としていたが、しばらくしてあの時の情景が頭に浮かんだ。そこで全身に戦慄が走り、両手で体を抱きしめた。
「取り返しのつかない事をしてしまった」
その思いは翌々日に現実となった。あの場所のあの時間に倒れていた人が死亡した、との小さな記事を新聞で発見したからだ。これで私は殺人犯になったのだと茫然自失した。
だが幸か不幸か、いつまで経っても逮捕されることはなかった。それでも罪の意識は決して消えない。だからだろう。一生償うと決め、自ら進んで茨の道を歩み始めたのである。