赤いマフラーの話ばかりだったように思う
*****
夏休みを目前としたその日、生徒会の長たる俺は口の字型に配置された机――黒板を背にした上座につき、副会長の鈴木はというと、上座から最も遠い端っこの席に座っていた。鈴木は副会長なのだから隣に座ってもらっても――とは思うのだが、そこには彼女だけにしかわからないルール、ポリシーがあるのだろう。だが、驚くなかれなかれ驚け、ああ、くそっ、俺はどうしようもないいかんともしがたい無駄な思考を巡らせているな、たまにはこういうことがあるんだな、くっそ。
些細なようで極端な迷惑事を背負いこんでいる。
いまの俺は、そういう男なのかもしれない。
*****
生徒会室からそれぞれみながはけていく。フツウ、みなが物言わずいなくなればと思うのだが、彼らは口を揃えて、「今日も楽しかったです! 会長!!」などと元気に述べてゆくわけだ。楽しかった? まあそれすなわち、生徒会活動が興味深かったということなのだろう。それならそれでいい。組織を預かる身としては誇らしいというものだ――なんてな。そんなことは大嘘だ。俺は俺のことしか考えていないし考えない。そんな俺のことを誰か盛大に嫌って叱ってもらいたい、蔑んでもらいたい、呪ってもらいたい。そこに紆余曲折が発生しようと、どうあれ俺はどんな意見でも受け容れてやるのだから。
さて――我が生徒会室に居残ったのは俺と副会長の鈴木である。まさに平時、どうでもいい状況だが、鈴木にはそれなりに訊ねておいても損のないことがある。俺は席を立ち、それから「おい、鈴木」と中小企業の中間管理職が部下の名を呼ぶがごとく声をかけた。鈴木はというと彼女も席から腰を上げ、それから難しい顔をして「なんですか、会長」などと問うてきた、やっぱり至極難しい顔をして――それ以前にメチャクチャ偉そうだし――それ以上に不機嫌そうなのはどうしてなのか? 否、そもそもこの暑い最中に赤いマフラーをしているのはもっとどうしてなのか? ――嘘をつくな、俺。俺にはじつは鈴木のすべてがわかっているはずだ。わからないふりをすることでそれなりに楽しんでいるはずだ。
「どうあれまあいい。良かった。止まってくれたな。おいてけぼりにされたらどうしようかと気を揉んだ」
「おいてけぼりにするわけないじゃありませんか。私は会長の部下なんですから。ああ、ほんとうに気持ち悪いです。でも部下なんですからどうしようもありません。ほんと、どうしようもありません。くそったれです、会長。あなたはくそったれです。死ねばいいのになって思います、っていうか死んでください、心の底からよろしくお願いいたします、ダメですか? ダメならダメな理由を速やかかつ二十字以内で述べてください、条件の中で私を納得させてください、そのへんどうかお願いします、できるはずです、だってあなたは生徒会長なんでしょう? 違いますか? そうなんでしょう?」
あいかわらず、鈴木の早口のツッコミや罵倒は憎たらしくもかわいらしいのだ。そのへん理解していないと「恋人」のやりようなんてない。
こちらが、自分でもそれとわかる優しい目をして見つめていると、鈴木は「うぅぅーっ」と唸って、上目遣いで見つめてきた。俺は鈴木とうまくやれると思っているからこそ、そのへん信じるし、それだけだ。
*****
わけのわからない話――そう言ってしまうとそれまでなのだが、夏休みに突入しても鈴木と一緒にいることが多く、またその時間も長かった。近所にまこと古めかしい駄菓子屋があって、そこに設営されているベンチでガリガリ君のソーダ味をかじることが多い。
ベンチの上にて二人して座りながら――。
目立つのは鈴木の首に巻きついている赤い布であって――。
「くれてやったその赤いマフラーではあるが――」
「なんですか、なにか文句があるんですか、だったら速やかに言ってください、言ってくれなきゃ怒りますよ、タイフーンか線状降水帯のようにめいっぱい怒りますよ?」
「だから何度も言わせるな。秋冬には役に立つだろうがマフラーはこと夏には機能しないものだ。だからはずしたほうが――」
「うるさいです。私はいろいろとマフラーをしているほうが調子がいいんです。そういうヒトもいるんです。そのくらいわからないんですか? ホント、会長は愚かですね、頭がお悪いですね。目眩も吐き気も覚えます」
「そんなはずはない」
「言い切るんですか?」
「せめてもの抵抗だよ」
いつも赤いマフラーであるいは必死に口元を隠しているものだから、マフラーをいちいち下げながらガリガリ君に食らいつく鈴木である。ガリガリ君はとても爽快なフォルムをしているのに。だったらなりふりかまわず食らいついたらいいのにと考える。
「私は確かに受諾いたしました。なにをっていろいろとです。それにしても会長はほんとうにバカですねウザいですね死ねばいいのに。いちいち私の誘い――私の蜜に吸い付いてくるんですからバカですしウザいですね。やっぱり死ねばいいのに。間違いですか? ダメですか? それこそウザったらしいですか?」
「蜜とは助平な表現だ」
「たたっ、たとえばの話です」
「わかった。明日死のう」
「へっ?」
「明日死ぬと言った。不満か?」
「でででっ、ですから不満ではありませんよ! あるわけないじゃないですか!!」
「だったら死のう」
「ふ、ふぐっ」
「それよりだ鈴木」
「ななっ、なんですか?」
「センパイか会長か、どっちなのかと思ってな」
すると鈴木はガリガリ君をまさにがりがり噛み砕いて立ち上がった。
その赤いマフラーの上に、水色の氷のくずがぽろぽろ落ちる。
「会長はセンパイはくそったれですっ。悔やみません、死ねばいいのに!!」
俺は微笑ましく思いながら、実際、微笑んだ。
「だから、おまえが望むなら、いますぐにでも死のう」
鈴木は「馬鹿ぁっ、死んじゃえ! センパイの馬鹿ぁっつ!!」と言って、赤いマフラーをなびかせあっという間に向こうへと駆けていった。
どうやら現状、「会長」という呼び名よりは「センパイ」という感覚のほうがプライオリティが高いらしい。妙な気づきだ。とはいえ貴重な体験と言える。
鈴木の姿がすっかり見えなくなってから、LINEを入れた。「明日、プールはどうする?」という確認の内容だ。「行くに決まってるじゃないですか!!」。
最近ほんとうにデレの部分が増えてきたなぁ。
*****
市民プールだからあちこちそれほど飾り気はなく、むしろ無愛想と言えば無愛想だ。水着に着替えて待っていると、そのうち鈴木が現れた。頬はおろか顔を真っ赤に染めながら、バスタオルを肩に掛ける格好で上半身を隠し、現れた。
俺の姿を見るなり、鈴木は「ひゃああっ!!」と叫び声を上げたのである。鈴木は顔を両手で覆い、「ひゃあっ!」、「ひゃあぁっ!!」と繰り返した。
「ひひひっ、卑猥です、センパイは著しく恐ろしく凶悪なまでに卑猥です! 鼠径部が特に劇的に卑猥です!! 警察のお世話になってもいいんですか!?」
鼠径部か。さすがだな、鈴木。おまえは難しい言葉をきちんと正しいかたちで心得ている。
――にしても。
「こちらのほうがうひゃあだ」
「な、なにをおっしゃりたいんですか?」
「いや、だって、白いビキニなんて着けてくるとは思わなかったからな」
鈴木はメチャクチャ顔を真っ赤にした。顔はおろか、首元や身体までピンクに染まったくらいだ――小ぶりながらもまあるい乳房は愛らしい。ちょっと触ってやりたいなくらいに考える。
「わ、私、そのへんで待っていますから、焼きそばでも買ってきてください」
「ほぅ。この俺に焼きそばを買ってこいと?」
「センパイは何様のつもりなんですか!」
「その質問、そのままおまえに投げ返したい」
「くっ、くぅぅぅぅっ」
俺は笑った、朗らかに。
「どうした、鈴木、らしくないぞ。いつもならもう少し冷静なはずだ」
鈴木は顔を俯ける。
「だって、だって……っ」
俺は再び笑った、先程よりも朗らかに。
「まずは飲み物だろう。メシの時間にはまだ早い」
「で、でしたら、とっとと飲料を買ってきてください!」
「だから、買ってきてやる。待っていろ」
「待っています!」
「ああ。待っていろ」
――カップに入った飲み物を買って戻ったら、鈴木がナンパされていたのである。しかも多少乱暴なナンパに見えた。鈴木の腕を引っ張って、どこぞに連れて行こうとしているのだ。相手は三人いる。のんきに飲み物をお運びする場合ではないだろう、とにかく駆逐すべきなのだ、しかも先制攻撃にて。俺は両手に持っていたカップを地に叩きつけ、駆けた。鈴木の手を掴んでいた男に飛び蹴りを浴びせ、残り二人は右足を強く踏み出し威嚇することで退かせた。
だいじょうぶか――?
そう問いつつ、振り向いたところで、鈴木の真白の肌を見た。鈴木は身の前で両腕を交差させ、最大限、身を隠そうとしている。「ううぅ、うぅぅぅぅ……」などと唸っている。
「すまなかった、鈴木。俺が迂闊だった」
「馬鹿言わないでください。買い物をお願いしたのは私じゃありませんか」
「いや、それでもな――」
鈴木は俯き、すまなそうな顔をした。
「ジュース、ダメになっちゃいましたね……」
「かまわない。もう一度買ってくれば済むことだ」
いきなり鈴木が顔を上げ――その顔は明らかに怒っていた。
「だからっ、センパイは! いつもそうやって!!」
なにかに怒っているようだった。
その目標、なにに対して怒っているのかは、ある程度、見当がつく。
「俺は自分が冷たいニンゲンだと知っている。だがな鈴木、いや、だからこそ、おまえには優しくありたいんだよ」
鈴木はますます怒った顔をして――。
「どうか軽蔑してください!」
「ほぅ、なにについてだ?」
「私はアニメを観るんです!!」
「それだけでは軽蔑しないが、そしてそれがどうしたんだ?」
「どうしてアニメに出てくるキャラクターは揃って胸が大きくて、しかもイヤラシイ恰好をするんですか!?」
「言ってみれば、需要と供給のバランスだろう?」
「くっ、うぅっ、センパイは私をなんだと思ってやがるんですか!!」
「うどん屋の娘だ。そして俺の恋人だ」
「くっ、くぅぅぅぅっ!!」
しつこいな、おまえも。
俺はそう言ってから、鈴木の細い身体を抱き締めた。真白の肌はまるで吸い付いてくるようで、その感触が気持ち良くて、だからしばらく人目もはばからずに抱き締めていた。鈴木は俺の胸の中でぐだぐだ言っていた。そのへん含めてかわいらしいわけだ、当該少女は。
「ちくしょうです。しかし、いまはセンパイの赤いマフラーが……」
「訊いてなかったな。俺のマフラーのなにが好きなんだ?」
「……匂いって言ったら変態的ですか?」
「そうでもないとかんがえる」
「……色です」
「色?」
「はい。私、赤色が好きなんです」
*****
夏休みの最中のことだ。生徒会の集まりがあり、その場でまた鈴木と出くわした。出くわした――。毎日連絡は取り合っているし、あるいは毎日のように顔を突き合わせているのだが。すっかり恋人同士と言っても過言ではないのだが、「もう大っぴらにも恋人同士でいいだろう?」と進言すると、鈴木は「嫌です」と大仰に首を横に振る。まあ、そのへん含めてなんだかかわいい。主導権は間違いなく俺が握っている。ただ、時折相手にそれを譲ってやるのも面白い。そういうものなのだろう、男女の関係というものは。
その日は帰りに鈴木の家に寄った。うどん屋だ。うどんが食べたかった。家の手伝いをしている鈴木がきつねうどんを運んできてくれた。白い三角巾も白い割烹着もかわいらしい。
「センパイ、いいんですか? 汗びっしょりですよ?」
一生懸命にうどんを掻き込む俺の額の汗を見て、鈴木はそんなふうに言った。俺はずるずるっと小気味良く食べながら、丼に顔を突っ込むようにして出汁を飲む。やはり老舗の味。めっぽううまいのだ。
食べたら食べたでとっとと金を払って店を後にする。――とだ。商店街を練り歩くべく表に出たところで、後ろから「センパイ!」と声をかけられた。鈴木は追いついてくると両膝にそれぞれ手をやりしきりに息を継いだ。
どうした、鈴木?
そう訊いてみた。
「おうどん、おいしかったですか?」
「ああ、すばらしいな」
「また偉そうに」
「それはすまなかった」
鈴木は俯き、それから思いきったように――。
「明日もまた、来てくださいますか?」
俺はきょとんとなり、それから笑顔を見せた。
「来るさ。明日は奮発して天ぷらうどんにしよう」
鈴木は確かに笑った、笑ったのだが、それからムッとした顔を見せ。振り返り、家路を行こうとする。そこを呼び止める格好で左腕を掴み、こちらに無理やり振り向かせた。鈴木は刹那驚いた表情のあと、難しい顔をした。――なお、笑えることに、割烹着の上からでも赤いマフラーを巻いている。そこに愛を見ても良いのだろうか? たぶん、オーケーだろう。
「このへんで甘い物を出す店はないか?」
「はあ?」
「食べたいんだ。おまえと、一緒に」
マフラーの色くらい、真っ赤になった鈴木。
「奢ってやる、鈴木」
「い、いいです。自分の分くらいは自分で――」
「いいんだよ。俺にもそれくらいの余裕はある」
「でも――」
「いいんだ」
鈴木はぎゅっと目をつむり、それから思いきったように、すがりつくようにして、左腕にしがみついてきた。
「大好きです、センパイ……っ」
赤いマフラーの話ばかりだったように思う。