*1 運命を感じた私
あの人に逢ったのは、王都で催された祭りの道端だった。
押し潰されそうな人混みに酔ってしゃがみ込んだ私に、手を差し出してくれた親切な人。
吐き気が治るまで側にいてくれて、礼を告げるとあっさりと立ち去ってしまった。名を聞きそびれてしまったと、後になって気づいた。
一目惚れだった。
多少の険のある物言いでは隠れない柔らかな声も、背中をさすってくれた大きな手も、性格を殊更に表す甘いミルクティーのような瞳も。
緩くうねる渋いブロンドの髪すらあの人の一部になると品が漂っていた。
初恋だった。
初恋は叶わないと知っている。
それでも、何年経っても記憶が薄れることはなく。想いが消えるわけもなく。思い出の中で、ずっとあの人に助けてもらっていた。
だから、運命だと思った。
尖った口調でありながら柔らかな声。色素の薄いベージュの瞳。緩くうねる、落ち着いたブロンドの髪。差し伸ばされた分厚く重量のある手のひら。
あの頃と何一つ変わらない。
そんな彼を好きになった。
*
「アレクセイ様! おはようございます〜」
朝一番。
教室の扉を開けた彼の姿を目にした私は、真っ先に駆け寄る。
彼にいち早く朝の挨拶がしたくて、決まっていつも扉のすぐそば、最前列の廊下側に私は座る。
最前列は目立つからと敬遠されがちな席を、私は好んでいた。
一番に彼の目につく席。
一番に彼に挨拶ができる席。
私の特等席だった。
「……おはよ、ミラーさん」
奥歯にものが挟まったように言葉を詰まらせた後、彼が挨拶を返してくれる。
これも毎日のことだった。
彼はたとえ苦手意識を持っていても、ひとを無視できる人柄ではないのだ。
挨拶をすれば、次なる展開に身構えても必ず立ち止まって返してくれる。
かといって、長話をする気概はない。
早く友人の元へ行かせてくれとばかりに視線が移ろう。
私に見せつけるように、彼はそれを意識していた。
「私、アレクセイ様に良いお話を持って参りました!」
そんな彼を離してあげないとばかりに私は会話の導入を捲し立てる。
「……何?」
彼はやっぱり、後頭部に手を当ててながらも渋々会話を続けてくれた。
「お父様から、とある武具工房の新作発表会の優待チケットをいただいたのです」
「へえ? なに、俺にくれるとか?」
「はい! アレクセイ様は弓での狩猟を好んでいるとお聞きしました。弓も多く取り扱っている有名店なんですよ!」
途端、彼の眼光が強まった。
彼は朝が弱いらしい。
昼食を食べ終える頃からは友人と笑い合う活気に満ちた声も聞こえてくるが、朝はいつも瞼が半分落ちている。
誰が見ても「眠そう」と思う彼の朝。
そんな眼差しに爛々と光が宿った。
「それってさ、もしかして、ベルトマ工房?」
私と彼が過ごすこの王都で随一の人気を画す武具工房の名だ。
武器や防具の型は決まっているが、細かな点を使用者に合わせて造るセミオーダーメイドの工房。職人の数が少なく、普段は注文の予約も滅多に受け付けていない。
けれど、毎年の新作発表会でお披露目した武具は、その場で注文が可能なのだ。
値段はお手頃価格から高価な一点ものまで幅広く、儲かる算段は誰の目からみても明らかなのに販路を富裕層に絞っていない点が、平民からも厚い支持を集めていた。
人が殺到してどうにもならないと事前に来場チケットを配布するようになっているのだが、これがまた手に入らない。
抽選が外れたと仲の良い友人に肩を落として話していた彼の声が耳に届いた時、反対に私は喜んだ。
「はい! そうなんです!」
「まじで?」
「はい! 疑いようもなく、本物ですよ!」
机上に裏返して置いていたチケットを、彼の目の前に両手でかざす。
チケットには細かいラメが艶をみせる鈍色の刻印がされている。ベルトマ工房のシンボルマーク。深い色合いの刻印は、多分、偽造ができない。
「うわ、すげ…………。本気で? くれるの」
「はい!」
「ミラーさん、ありが――」
彼の手が幻を掴むように恐る恐る伸びてチケットに触れそうになった時に、私は掲げていた両手を下ろした。
そのまま背後に回して、チケットを彼の視界から消す。
「当日、お迎えに上がりますね! 開催は一時からですが、チケット制でも混むようなので、十時頃には向かいませんか? 工房の近くで食事でもしながら、待ちましょう」
見るからに戸惑っていた。
表情がひくひくと引き攣っていて、嫌だと言わんばかりに強張っている彼に私はにこにこと微笑み続ける。
結局、誘惑には勝てなかったらしい。
「分かった。俺が迎えに行くから、家の住所教えてくんない」
「はい! 楽しみですね、アレクセイ様!」
こうして私は、初めてのデートの約束を取り付けたのだった。
*
「アレクセイ様! おはようございます! 天気に恵まれて良かったですね」
約束の日。
早々と身支度を済ませて窓に張り付いていた私は、厳かな装飾も色味もない、かといっておんぼろで質素でもない、良くも悪くも普通の箱馬車が我が家の玄関が面する通りに止まったのを確認して飛び出した。
「……ああ、うん、おはよ」
馬車から出ようとしていた中途半端な体勢の彼は、まだ呼びもしてない私の登場に驚き、逡巡したのち馬車の踏み台を踏む。
「私服だと雰囲気変わるんだな」
私の前に降り立った彼は開けた口の形を何度か変えてから、そう告げた。
褒めてくれたのかどうか悩ましい台詞だが、彼は気まずそうに視線を逸らしだす。
言わなきゃ良かったと恥じらって見えて、私は有頂天になった。
「そう仰っていただけて嬉しいです〜!! アレクセイ様も素敵ですよ。髪型が変わると違った良さがありますね。格好良くて魅入ってしまいますもの!」
普段はシャツの第一ボタンまで締めている首元が開けていて骨張った首のラインが見えるから大人びた色香を感じるとか。けれども爽やかな夏らしい色合いで青年らしさが第一にあるとか。
色々と目につく所はあるのだが、真っ先に注目したのは髪型だ。
中央で分けた前髪を後ろに撫で付けているので、すっきりとした直線的な顔の輪郭が露わになっていた。
前髪に隠れてきた凛々しい眉が見えるからか、朝でも眠そうな雰囲気を感じない。
「……あんがと」
照れ臭そうに後頭部に手を回した彼は、せっかくセットした髪が崩れるのを危惧したのか、今度も逡巡して首裏に置いていた。
「では早速向かいましょうか! 私今日をとても楽しみにしていたんです〜」
「その前にさ、お父さんって居る? チケットの礼言いたいんだけど」
「お父様は仕事でいないんです。帰ったら、私から伝えておきますね!」
「ん、ありがとな」
言うなり、彼は手を差し出した。
それを見下ろした私は両目をまんまると見開く。
「……あのさ、恥ずかしくなってくるから早くしてくんない」
エスコートの習慣は私たちが属する階級には根付いていない。
貴族の中でも上流階級と呼ばれる層の日常的なマナーであるとは聞いたことがあるけれど、一代限りの貴族や成金と呼ばれる新興貴族は大衆の面前でしかしない人もいるらしい。
貴族の枠に入らない私たちにはそれこそ縁遠いと思っていた。
ぶっきらぼうな物言いなのに、彼の振る舞いは丁寧で、優しい配慮がある。
運命を感じとった日と同じだった。
奇跡的な彼との出逢いに感謝して。
私は差し出された手をとった――