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遅恋

作者: 林 広正


   遅恋


 私の初恋は遅かった。

 もっと早くに伝えていればよかったとの後悔はもう遅い。


 好きな人ならいた。

 けれど分からなかった。

 恋と呼ぶには幼い感情だったのかも知れない。

 それでもずっと、あの日までは好きだった。

 私には兄がいる。両親もいるし、親戚も多い。おかげで出会いは多かった。

 父の実家は牧場で牛を育て、畑にはイチゴを植えている。祖父の実家では北海道で牛と馬を育てていた。その影響で私は冬休みは北海道に行き、春休みには遅めのイチゴを刈りに行く。

 母の実家は海と山に挟まれた民宿を経営していて、祖母の実家は海なし県でお寺を運営していた。夏休みは民宿に行き、シルバーウィークなどにはお寺で紅葉を眺めていた。

 先祖代々の両親共に兄弟が多かったため、全国のあちこちどころか世界中のあちこちに親戚が散らばっていた。だから海外旅行デヴューも早かった。

 その中でもイタリアでの思い出は忘れられず、もう一度行きたいと願っていた。

 母方のおばさんがイタリア人と結婚をしてイタリアで暮らしていた。

 その家は田舎の都会のような街にあり、私は来訪初日に子供のスリと出会った。

 奪われたのはお財布だけ。心までを奪えなかった責任は向こうにある。

 同じ年の可愛い男の子だった。イタリア人のくせになのか、イタリア人だからなのかは知らないけれど、その子に恋心は感じなかった。積極的ではあったけれど、心が薄っぺらかった。

 私が恋に落ちそうになったのは、夏休みの民宿でお手伝いをしている時だった。

 歳の離れた兄がアルバイトをしていて、私は付き添いで手伝いをしたり遊んだりして過ごしていた。

 あの子は可愛いだけでなく、カッコよかった。私よりもチビっ子で年下だったけれど、頼りになる背中に心が動いた。

 好きだったのは間違いない。

 恋に落ちる寸前だった記憶もある。

 けれど私はバカじゃなかった。好かれてもいない相手を好きにはなれない。

 あの子は優しい。死んでしまったサワガニを平気で触り、そっと土の上に置いていく。

 偽善じゃない優しさを見るのは初めてだった。

 夏休みに毎年会えるのが楽しみではあったけれど、進展はなかった。あの子はまるで私に興味がない。昆虫やら魚介類が大好きだった。

 たった一度のチャンスはあった。その続きがあったなら、私は確実に恋に落ちていた。

 そうはならなかったことが良かったのか悪かったかの判断はできていない。

 数年間の片思いは、妄想ばかりが膨らんでいく。私の想いが迷子になる。

 あの日は早い時間に海亀がやってきて、浜辺はちょっとしたパニックになっていた。

 あの子が声を出したのがきっかけではあるけれど、私も悪かった。あっという間に人集りができ、海亀は海に去っていった。

 手を繋いでくれたことが嬉しかった。二人で見送った海亀は、きっとまた戻ってきて無事に産卵しているはず。あの子の手からはそんな未来が伝わって見えた。

 その後の会話はとても楽しかったけれど、少しショックでもあった。

 あの子はまるで私のことを覚えていないように振る舞う。初めて出会ったかのようなトキメキは、純粋には喜べない。

 けれどとても楽しかったことだけは否定できない。

 次の日も遊ぼうねとの約束は叶わなかった。あの子は私を探していたようではあるけれど、すれ違いのまま時間が過ぎていき、家に帰ってしまった。

 次の年に会えることを楽しみにしていたけれど、あの子がやって来ることはなかった。

 あの子が泊まっていた隣の民宿も私の親戚が経営している。だから私はそれとなくその住所を聞いて知っていた。

 同じ街に住んでいることは以前からなんとなく知っていた。あの子にはお兄さんがいて、とてもお喋りだったから。

 私にも兄がいる。

 あの子との距離は、意外な程に近かった。

 兄とあの子のお兄さんは高校の先輩後輩にあたる。二人がどうのようにして出会ったのかは知らないけれど、いつの間にか仲良くなり、民宿でだけでなくて家に帰ってからもよく会っているようだった。

 私は何度か二人が一緒に歩いているのを見かけている。兄は私よりも七つ上だ。あの子は私よりも年下でお兄さんは年上だった。二人が仲良くしているのは少し不思議だった。

 兄はいかにもな山育ちで、あの子のお兄さんは都会っ子丸出しだったからだ。

 兄は卒業後も高校に顔を出していた。野球部のコーチをしていたからだ。上手ではないけれど、面倒見は良かった。

 あの子のお兄さんは野球部ではなかったけれど、兄と再会をして仲を深めた。

 私は何度か彼と会ったことがある。兄がいる時もそうでない時も、一緒にいて苦痛は感じなかった。

 二人での時間を彼はデートと呼んでいたけれど、私は黙ってやり過ごした。

 楽しかった感情はダダ漏れだったけれど、彼は思いの外鈍かった。

 彼にも兄にも言っていないけれど、あの子を街で見かけたことがある。しかも数度。

 あの子はその度に違う女の子を連れていた。

 話しかける勇気はなかったけれど、わざとらしくすれ違ったりはしている。

 あの子は無反応だ。

 あの子の認識が分からない。

 けれど私は、ずっとあの子を好きだと想い過ごしていた。

 いつもの夏休み、既に社員と化していた兄のアルバイトに付き添って最後のつもりの夏休みォ楽しんでいた。

 あの子が来なくてももう、寂しさは感じない。

 私は自覚し始めていた。まだ恋と呼ぶには幼い感情ではあるけれど、あの子への想いは完全に途絶えていた。その代わりに新しい恋が芽生えていた。

 水路から這い出てくるサワガニを見ていると、懐かしい気分になる。

 私は思い出す。

 あの子の影にはいつでも彼がいて、私を優しく見守っていた。今でも感じるその視線が心地よい。

 その温かい視線の理由が、今の私にはよく分かる。それは、目の前のサワガニにも伝わっているようで、その感情までもが手に取るように伝わってきた。

 彼は男の子で、奥さんがいる。子供達をお腹に抱えたまま道路を渡ろうとしているようで、そこには危険もあるから引き返してくれと叫んでいた。

 私が視線を向けると、そこには確かに一匹のサワガニがいた。

 彼の声ははっきりと聞こえていたけれど、反応する余裕はなかった。

 私は急いで駆け出していた。

 そしてサワガニを捕まえ、彼の足元にいる男の子に向けて差し出した。

 嬉しそうにハサミを振っていた。

 私までもが嬉しい気持ちになる。

 そうだ! 彼の気持ちに応えなくっちゃ!

 感情のままの笑顔を届けた。

 そのつもりでいた私。何故か泣き喚く彼が走ってくる。助けたはずのサワガニが潰されている。その傍には血だらけで横たわる私の姿。

 私はようやく気がついた。

 ずっと前から、彼に恋をしていたってことに。


 始まることない恋 終わることもない恋

 いつまでも宙ぶらりん 可哀想な彼


 恋は恋でも変わらない恋

 いつまでもこのままぷかぷかぷか

 いつまでも私はここにいて

 あなただけを待っている


 愛してなんていなくてもいい

 この恋はまだ始まったばかり

 側にいて 話をしたい

 あなたのことをもっと知りたい


 そこにいることが当たり前すぎて

 気が付かないこともあるでしょ

 居心地のいい空間に 甘えていただけの私

 ここから一歩を踏み出したい

 気付いた想いはもう隠せない

 最高の感情は きっとあなたに伝わっている


 こんなに素直になれることなんて

 きっと今しかない

 こんなに心が透き通るなんて

 きっと今しかない


 始まることない恋 終わることもない恋

 いつまでも宙ぶらりん 可哀想な彼

 いつまでも宙ぶらりん 可哀想な私

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