9話:その幻は最恐か
「塔なんてどこにある? ああ、これかぁ」
ジブロは俺たちのホームである塔を見つけられなかった。幻惑魔術師がいないと見つけにくくなっている。
「それで? ジブロが作業するにしても、鉄床もなければ、ミスリルを溶かす炉だってないよ」
ケシミアが、ジブロを塔へと案内した。
「いや、それがあるんだよ。塔の裏手に金床も炉もある。水は池から汲めばいい。たぶん、俺の先輩がこう言うこともあるだろうと、用意してくれていたんだ」
「どういうこと?」
裏手に回って、ジブロに鉄床を見せた。枯れ葉に埋もれてはいるが、掃除をすれば使えそうではある。
「これなら十分だ」
「炭はないから、村で買ってきてくれ」
財布から、銀貨を数枚渡しておいた。冒険者ギルドからの支援があるので、田舎で使って少しでも金の流れを作っておいた方がいい。
「お、おう」
ジブロは荷物を塔に置いて、村へと獣道を下りていった。一応、道に迷うといけないから、樫の杖を地面に差して、道標にしておいた。
「私たちも準備しないとね」
「そうだな」
いつも幻覚と戦っている1階ではなく普段生活している3階で、机に地図を広げた。
鞄の荷物も一度、全て取り出して、何が必要で何が要らないのか、しっかり確認していく。
「食糧にしたって、携帯食を作らないといけないだろう?」
「現地の物も食べるだろうから腹下しの薬は必要だね」
「薬は全部持っていくと鞄に収まらないぞ」
「旅をしろって言われても、寝袋を使った野営かな? 私、野営なんかしたことないよ」
「え? ダークエルフって草原とか森で暮らしているんじゃないのか?」
「うわっ、すごい偏見。それ何時代?」
「ごめん。ケシミア、そんな格好してたら虫に食われるぞ」
「ああ、虫除けの薬も必要なんだ。ゴブリン討伐の時に買ったよね」
「でも、どこに行くかにもよるか……」
「え?」
「だって、寒いところ行くなら、虫除けなんて要らないし」
「じゃあ、目的地から決めないといけないってこと?」
「とはいえ、国を出たら何が起こるかわからないだろう?」
俺たちは面倒くささで、頭がパンクしそうになった。
「一旦、ジブロを手伝おう」
「そうしよう」
こうして俺たちは現実から逃げ、目の前の作業を何も考えずにやることにした。
鉄床と炉周りの枯れ葉を掃除。ジブロが炭を村から買って帰ってきたので、作業の様子をじっと眺めていた。
「なんだ? お前たちは自分の準備を進めなくていいのか?」
「うん。まぁ、少しずつやっていくよ」
「時間が遅くなるって言ってたけど、どういうことなんだ?」
「一日が繰り返すって感じ」
「はぁ?」
「まぁ、落ち着いて」
そう言って、ジブロに鎮静化の魔法をかけた。
「これで、明日も炭を買いに行くことになる」
「えぇ、そうなのかぁ」
ジブロは怒りたいのに、気持ちが穏やかになって、「まぁ、仕方ねぇか」と納得していた。
「酒は飲まないようにね。俺の能力が影響して、魔物の幻覚が現れるかもしれないから」
「そうなのか。楽しみがちょっと減るなぁ」
「俺もそう思う」
「でも、ダメだよ。ミストが酒を飲むと、即死攻撃しか使わない魔物が出てきちゃうから」
「せっかく王都で買ってきたのに」
「ジブロがいるうちは無理だよ。付いていけない」
冷静なケシミアが、禁酒を宣言。ジブロのことを考えると従うしかなかった。
ジブロはさっそく炭を熾して、鉱石から純粋なミスリルを取り出していた。
俺たちにはあまり手伝えない作業だから、結局、3階で持っていくものを考えることになる。
「結局、鞄に詰めても明日にはバラバラになってるんだから、意味ないよ」
「いや、鞄に入る量も考えて、携帯食の試作品を作ろう。あと、今日ケシミアは池の周りで野宿ね」
「えぇ!? ミストもでしょ?」
「そうしようか。塔があるのに、誰も泊まらないなんてな」
ロープとシーツを持って外に出る。
ロープを木の間に結び、シーツを掛けてタープを作った。
「屋根があるだけで、結構違うだろう?」
「そうね。雨がしのげるから、ちょっと安心する。厚手の方がいいんじゃない? シーツの布じゃあ、雨粒を弾けないよ」
「そうだな。あ、国を出る前にやっておいてよかった」
「確かに。これ、魔物が出たらどうするの? 塔みたく、わからないようにできる?」
「それを布に仕込んでおけばいいのか」
やってみないとわからないことは意外と多い。
カンカンカン。
ジブロが鉄床を叩く音が聞こえてくる。
「魔法で焚火に火をつけてよ」
「だから幻惑魔術師は幻惑魔法しかできないんだって。ケシミアだってエルフの端くれだろう?」
「それも偏見だよ。魔力と魔法は違うんだから」
ケシミアは、魔力を使えても、魔法は使えないらしい。
「じゃあ塔の暖炉から、火付け棒を持ってくるしかないな。松の枯れ枝でも拾っておいて」
「なにするの?」
「火を点けるんだ。薪を割っても火は点けないのか」
「だいたい皆、魔法で点けるから。見てただけ」
「つくづくすぐに出発しなくてよかった」
焚火をつけて、持っていくものに火付け棒を追加。火に鍋をかけて、スープづくり。塩とハーブが数種類しか使えないが、池の魚を入れて煮込む。
「やっぱり、この魚なのか」
ケシミアは散々食べたので、飽きている。
「ハムとか持って行った方がいいかもな」
「それはそうだね。固形のバターとか調味料は必要だよ」
「確かに。飯がマズいと気分が落ち込むからな」
「うん、ジブロを呼んでくるよ」
ジブロを呼んで3人で夕飯。食べられなくはないが、美味しいというほどでは決してない。
「なぁ、失敗したものって明日には直ってるのか?」
ジブロが火傷した手に薬草を貼りながら聞いてきた。
「元の通りに戻っているはずだよ」
「ならいいか。実験を繰り返さないと、竜骨と定着しなそうでさぁ」
ジブロは空に瞬き始めた星を見上げながら、考え事をしていた。俺たちが騒いで邪魔しない方がいい。
俺たちはとっとと池の畔に寝袋を敷いて眠ることに。寝袋は先輩が使っていた古いもので臭かった。明日から、洗って使うことに。
翌朝、ジブロが鉄床を見て叫んでいた。
「そうか! 作ったものもなくなっちまうのか!」
目の前には枯れ葉にまみれた鉄床と炉がある。
「わからなかった?」
「ああ、勘違いしていた。だったら、今日は幻惑魔法を使わないでくれ」
「わかった。これから夕方、もし失敗してたら幻惑魔法を使うことにしよう」
「それで頼む」
ジブロは急いで炭を買いに行った。
俺とケシミアは鉄床と炉の枯れ葉を掃除して、タープ用の厚手の布に透明化の魔法陣を描くことに。
「幻惑魔法なら魔法陣を知ってるの?」
「うん。魔法学園で学んだことは逆立ちしてもできる」
「だったら、地面に同士討ちさせる魔法陣を描いて、魔物の群れを追い込む罠も作れるってこと?」
「できなくはないけど……。魔物が群れで来たら、地面に書いた魔法陣は足跡で消えるんじゃない?」
「ああ、そうか」
カンカンカン。
ジブロが鉄床を叩く音が響く。
人が作業をしているのに、こちらでアホな会話をしている場合ではない気分になってくる。
夕飯は、村の酒場でハムと野菜を買ってきたので、美味しかった。
「今日はどうする?」
ジブロに1日進めるかどうか、聞いておく。
「大丈夫だ。上手くいった。幻惑魔法は使わないでくれ」
「わかった」
翌早朝、すでにジブロが作業をしている。
俺たちは、村まで行って酒場の店主から固形スープの作り方を教わる。材料さえあれば、誰でも作れるらしい。
「誰でも作れても、誰のでも美味しいとは限りませんから」
材料を買い込んで、塔の暖炉で固形スープの素を作る練習。塔の中がすごい臭いになった。
「寝袋が美味しそうな匂いになっているよ!」
桟橋で干している寝袋を見ながら、ケシミアが言った。
「食うなよ」
「食うか!」
「すまん! ミスト、幻惑魔法を使ってくれ!」
今日のジブロは失敗したらしい。
そんな風にして、現実では1週間ほど、体感ではひと月ほど経ったある日のことだった。
俺たちは結局寝袋を自作し、美味い固形スープの素を作り、鞄の中身も軽量化。あとは行先を決めるだけになっていた。
桟橋で寝袋を干していたら、ジブロが裏手から剣を両手で持って現れた。
「やっとできた。これが、竜骨とミスリルの剣だ」
柄は竜骨。刃はミスリルと鉄の合金。魔法が使える者が扱えば、魔法を付与した剣になるという。
「すごい! やり遂げたね!」
「おお、たぶん今できる最高傑作だな。これで借金はチャラだ」
「おめでとう!」
「いや、どうにか間に合いそうだ。助かったよ」
夕飯は村で買ってきた牛のステーキと、作り過ぎてしまったスープ、それに柔らかいパンでお祝いした。
美味しく平らげて、塔を眺めながらお茶まで飲む。
「こうして外で食べるのも今日で終わりだ。俺は明日、王都に帰るよ」
「ああ、すごい偉業だよ」
「本当にこれで引退するの?」
ジブロは最高傑作を作って引退する予定だった。
「ああ、もう何年も弟子を待たせてある。鍛冶場は譲って教える側に回るさ」
「いいなぁ」
俺たちもそろそろ旅に出ないと、冒険家としての準備期限が迫っている。
「せっかくだ。今夜くらいは飲ませてくれ!」
きゅぽん。
ジブロは自分で持ってきた酒を開けて一口飲んでしまった。
「な! 酒は飲むなって言っただろ!」
「なんだよ。今夜くらいいいじゃないか」
「よくない! ジブロは下がってな!」
俺とケシミアは急いで武器を手に取り、塔の中を覗いた。
風音もしない静寂の中、ぺた、ぺた、という誰かが裸足で歩いている音が聞こえてくる。
扉を開けると、白い服を着た壮年の女性がこちらを振り返った。
「フローラ!」
ジブロが女性の名前を叫んだ。
「何をやってんだい! あんたはまったく……」
フローラと呼ばれた幻覚はジブロを見るなり叱った。
ジブロの顔はどんどん青ざめていく。
「2年前に死んだはずじゃ……」
「そうみたいだね。仕事はちゃんとしているのかい? まさか剣闘士に入れ込んで借金でも作ってないか心配になって、帰ってきたんだ」
「いや……、そのぅ」
「ほら、図星じゃないか! 人様に迷惑かけて、立派な仕事ができるもんか!」
「でも、俺、やったんだ! 作ったんだよ。竜骨とミスリルの剣さ。見てくれよ」
ジブロはできたばかりの剣をフローラに見せた。
「ふーん。魔法剣士しか使わなそうな剣だね。いったいいつになったらあたしの包丁を作ってくれるんだろうね!」
「ああ、ちょっと待ってくれ! フローラが死んだ後、作ってはいたんだ。今だって鞄にしまってある……。研いでないけど……」
「あたしだから研がなくてもいいってわけじゃないだろうね! 研いでない物を客に渡す鍛冶屋がいるかい!」
「すまん」
ジブロは急いで自分の鞄から布に包んだ包丁を取り出して、研ぎ始めた。
桟橋から池の水を汲み、研ぎ石を濡らして、そっと刃を研いでいく。
褐色の刃は鉄とは違うようだ。
「なんの鉄だい? それは……」
フローラが塔の中から、ジブロに聞いた。
「オリハルコンと鋼鉄の合金だ。方々手を打ってこれだけ手に入れたんだ。ドラゴンが踏んでも壊れないし、肉も骨ごと切れる。料理上手なフローラなら使いこなせると思って打ったんだ」
「料理上手な嫁さん、貰っておいて、包丁一つ作らなかったじゃないか?」
「悪かったよ。いつか孝行しようと思ってたんだ。すまなかった」
ジブロの涙がこぼれ落ちた。
「人様にまで迷惑かけて、随分、情けない年の取り方をしているようだね」
「ああ、言い訳はしねぇよ。その通りだ」
「弟子に鍛冶場を譲ったらどうだい。耄碌してるんだろう」
「王都に帰ったら譲るよ」
「借金取りにぶん殴られるんじゃないか?」
「覚悟の上さ」
フローラの小言を、ジブロはすべて受けていた。
「指輪一つ貰ったことがない。鍛冶屋だから何でも作れるだろうに」
「ああ、指輪を作るのは得意じゃないからな。センスがないだろう」
「仕方ないね。産道からやり直した方がいい」
「できるもんなら、そうしたいよ。ほら、研げた」
ジブロはフローラに研ぎ終わった包丁を見せた。
「俺が一番時間をかけて作った包丁だ。構想40年。フローラと出会った時から考え続けた人生を賭けた一本だ。全部終わったら墓前に供えるつもりだった。受け取ってくれ」
「いらないよ、そんな重い包丁。誰が受け取るっていうんだい?」
「ほら、見ろよ。なんでも切れそうだろう?」
「だったら、あんたを始めに捌こうかね!」
フローラは包丁を手に取り、ジブロに刃を向けた。
ジブロは黙って笑っている。
「自分の作った包丁で、愛した女に捌かれるなら本望だ」
「死んだ女に殺されてどうする? 包丁はそんなためにあるんじゃないよ! 鍛冶屋だろ!?」
「はい」
「私の墓前なんかに捧げてないで、ちゃんと使いな」
「わかった」
「もう、みっともない真似して、若い人たちに迷惑かけるんじゃないよ!」
「ああ」
「じゃあ、あたし、もう行くから」
「うん」
「風邪ひくんじゃないよ」
「フローラも」
「あたしは死んでるから風邪ひかないよ。バカなことしないように見張ってるからね!」
「ありがと」
「すみませんけど、バカな夫をよろしく頼みます」
フローラは最後に俺たちに頭を下げて、消えていった。
「ああ、恐ろしかった……」
この塔の影響か、俺の目の前で酒を飲むと、その人の最恐が現れる。
ジブロにとって最恐は最愛でもあった。
翌朝、泣きはらした目をしたジブロは王都へと帰っていった。去り際にジブロは、大量に作ったミスリルの剣をくれた。失敗作だと言っていたが、どれもすぐに使えそうなほど刃が輝いている。
「フローラに会えて、ようやく向き合えたよ。帰ってケリをつけてくる」
幻覚に会って、現実と向き合えることがある。
俺たちも、そろそろ現実と向き合って、国を出て旅に出る決心がついた。