21話:雪女は幻
村の毛皮屋から、温かい鹿の革のマントを貰った。保存食も干し肉、ソーセージなどの他、固形スープの素も揃えてくれた。
「こんなにいいんですか?」
「北限への旅は、体温や疲労との戦いだ。これでも少ないくらいさ。獣や魔物は狩れるんだろう?」
「そういう修業はしてきたつもりです」
「ビバークしている間に魔物や獣が襲ってくることもあるから、しっかり雪でかまくらを作る方法を覚えておきな」
「はい」
厚手のテントも持って行くが、かまくら作りは重要なようだ。
「雪が積もっている場所でテントは役に立たない。断熱のためにも雪や氷で家を作る方法を学ぶことだ。一応、夏の間に使っている小屋もあるから地図を持って行くといい」
スコップとノコギリは必須だというので、スペアも含めて貸してくれた。
3人で寝られるような大きいかまくらを作らないといけないので、近くの雪山にいって教えてもらった。
「空気がなくなると酸欠で死ぬから、入口は穴を掘るように作ってくれ。雪は螺旋を描くように積んでいけばいい」
髭の生えた爺さんが、熱心に教えてくれる。今は村に定住しているが、この爺さんの祖父は、食糧難の時に口減らしのために自ら死への旅路に向かったという。当時はそれほど珍しいことではなかったのだとか。
「昔は食料を求めて旅するような生活をしていたんだけど、冒険者ギルドが宿を作ってくれて、徐々に村に定住するようになったのさ」
「時代が違えば、村はなかったんですね」
「そうだな。もし、旅の中で他のかまくらを見つけても中に入らないようにな。爺と婆に魂を黄泉の国へと持って行かれるから」
「わかりました」
不思議な忠告を受けて、俺たちは翌朝北限へと出発した。
村から少し枯れ葉の多い森を進むと、積み石を見つけた。平たい石を積んだ道標だが、どこまであるかわからない。それでも地図通りの道を歩いているとわかるだけ安心する。
行けるところまで行って、その日はテントを張って野営。人の気配はないものの、獣の足跡は無数にある。まだここは生き物の領域だ。
その日の夜中、急に冷え込みだし、見上げれば雪がちらついてきた。
朝には薄っすら雪が積もっている。靴の底を村で言われた通りに変えた。雪道は滑りやすく、地面を噛める靴底を用意してくれていたのだ。
「意外に雪が早かったな」
ケシミアは革の鎧の上に毛皮を羽織っている。
「冬が来たんだろう」
「この眼鏡はまだいいんでしょうか?」
コルベルは細い穴が空いているだけの眼鏡を用意していた。日光と雪の反射を浴び続けると目の網膜が傷つくことがあるらしい。これも村人たちが俺たちに用意してくれたものだ。
「曇っているし、木の陰だから、逆に魔物が出た時に見えなくなるぞ」
「森がなくなったら付けよう」
寝るべく日が暮れないうちに進んだ。雪も1日だけで、その後積もっていた雪は解けてしまった。
「暖冬か」
「まだ、地図にある場所だからだろう」
俺とケシミアは枯れ枝を補給しつつ、ゆっくり歩いていた。コルベルは寒い地方に来たことがないと興奮して、疲労を溜めている。魔物の痕跡があれば狩ろうとするし、植物の実を毒味して腹を壊したりしている。
「無理をするな。ここは未知の場所なんだから、慌てずに確かな道を進もう。別の場所では香りのいいハーブも、ここではもしかしたら毒があるかもしれない。野草はパッチテストをして、少し食べて、時間をかけて確かめていけばいいから」
「わかりました」
コルベルには、旅の間に何かやり遂げたいという目標があるらしい。
「お二人は『天使の一献』がなかったら、どうするんです?」
「どうもしないよ」
「普通に帰るさ。元々、小説のアイテムだろう。なくて当然。何もなかったということがわかればそれでもいいんだ」
「本当に?」
コルベルが疑わしいとケシミアを見た。
「たとえなくても、ミストが千里眼の魔法を使えば、何かしら見つかるかもしれない。さすがに北限の氷だけ持って帰ってきたら、パトロンの冒険者ギルドも怒るだろ」
「なるほど、幻惑魔法があれば最悪の事態は避けられるわけですね」
もしかしたら、冒険家に幻惑魔術師がいる理由は、それだったのか。
「日が短くなってきた。そろそろ地図から道も消える……」
地図に描いてある最後の積み石を通り過ぎると、雪原が現れた。『あまりにも広く平らな雪原は湖だから避けるように』と注意書きもある。
俺たちは平らな雪原を避けて、北へと歩く。
日が出てくると、細長い穴が空いているだけの眼鏡をかけて紫外線を避け、イエティが出たら恐怖魔法で追い返し、ウサギが出たら狩って捌く。わずかな低木から枯れ枝を採取して、薪にした。
夜になる前にかまくらを作り始める。教えてもらったことがことごとく役に立った。
「村に寄らなかったら大変な目に遭ってたなぁ」
「テントだけだったら、死んでたんじゃないか」
「お二人は運がいい」
脂の乗ったウサギを焼いて、固形スープを液状に戻した。かまくらの中は雪でできていると思えないくらい温かい。
入口からの風は塞がれているものの、音が聞こえてくる。
「なにか女の人の声に聞こえませんか?」
コルベルが幻聴を聞き始めていた。
パンッ!
手を打って、コルベルの正気を取り戻させる。
「疲れが出てるんじゃないか」
「いや、たぶん、外に魔物が出てるんだ」
入口から女の腕のようなものが見えていた。
「雪女か?」
「本物がどれほど強いか試してみるか」
ケシミアはナイフを火にかざして温めていた。十分に熱くなった刃で、見えていた女の腕を切り落とす。
ギャアアアア!!
すぐに腕が消えて、外から叫び声が聞こえてきた。
俺たちはのっそりと入口から出て、辺りを見回す。
月明りに照らされて、意外に雪原は明るかった。なにもない雪原の上に雪女の群れがこちらに敵意をむき出しにしている。腕を切り落とされた雪女は口を耳元まで広げて、真っ赤な口を開けている。
「身体は人間の女を模してはいるが、雪の亡霊だろう」
「幻覚とどれくらい違うのか楽しみですね」
「二人とも、一瞬耳を塞いでくれ」
ケシミアとコルベルが耳を塞いだのを確認。狂乱の魔法を放った。
ボフッ!
一斉に、雪女たちが雪原で氷の魔法を全力で使い、四方八方から雪の礫が飛んでくる。
「同士討ちを始めましたよ!」
「ミスト、なんてことをするんだ!」
「雪玉は当たっても、それほど痛くはない。ほら、興奮の魔法だ。思いっきり潰すぞ!」
俺はケシミアとコルベルに興奮の魔法をかけて、一気に畳みかける。
混乱した雪女は紙のように薄く、コルベルが投げたナイフが胸の奥深くに突き刺さって、そのまま突き抜けていった。
後には、小さな魔石と雪の塊が落ちているだけだ。
「コルベル、ナイフは投げなくても大丈夫だ。幻覚よりも、ずっと防御力がない!」
ケシミアは、ナイフ一本で次々に雪女を倒していた。
俺も樫の杖で雪女の争いに入っていき、頭を潰していった。ただ、頭を潰したくらいでは雪女は死なない。核になる魔石がある胸を潰すと、あっさり身体が崩れていった。
幻覚とは違い、雪女の魔法は呪文を唱えないと放てないらしく、その場に立ち止まっている雪女も多い。魅了魔法らしきものを放ってくる雪女もいたが、幻惑魔術師の俺には効かなかった。
数十体いた雪女は、どんな魔法が使えるのか確認する前に、俺たちの前で雪の塊へと変わっていた。
「いい運動になったな」
「ナイフの刃こぼれもないです」
「まだ、雪原でも浅いところだ。油断するなよ」
魔石だけ回収して、俺たちはかまくらに戻った。
「いつも通りだ。幻覚の方が強い。やっぱりミストの想像力はおかしいんじゃないか?」
「そうかな」
コルベルも、少し自信がついたようで旅の不安も抜けたのか、すぐに鼾をかいて眠っていた。
翌朝、かまくらを壊してから、先へと進んだ。
遠くの山脈を目指していたが、あまりにも雪原が続くため方向感覚を失ってしまう。
「この辺に、夏に使う小屋があるらしいんだけど……」
地図を広げて、こちらを見た。
「道がわからないのに、小屋の場所なんかわかりっこないだろう?」
「千里眼で探してくれって話だ」
「ああ、そうか」
千里眼の魔法で小屋を探すと、かなり近い場所に小屋が埋まっていた。湖畔に立っていて、夏には魚や獣を獲るために使うらしい。
「俺たちが泊まれるスペースはあるみたいだな」
「あ、薪がありますよ! よかった!」
枯れ枝も少なくなっていた。薪を補充できたのはありがたい。
「この樽は何の樽だ?」
ケシミアが小屋の奥に積まれた樽を指した。ワイン樽のようでもある。
「中には何が入ってる?」
酒だったら、嬉しいところだ。
「空だよ。臭いは凄いけどね」
「魚醤かな?」
「いや、魚臭くはない。あんまり嗅いだことがない臭いだけど……。黒い油だ」
「古い防腐剤みたいな臭いがする」
バウッ!
小屋の外から、獣の鳴き声がした。臭いに反応したのか。
「犬です!」
コルベルが叫んだ。
「いや、狼じゃないか?」
小屋から出て確認すると、犬がこちらに向かって吠えている。
俺とケシミアが表に出てくると、犬はすぐにどこかへと走り去ってしまった。
「犬がいるってことは人が近くにいるってことだろう?」
「誰かが死出の旅路に向かっているのかもしれない」
「この時代に口減らしはないだろう」
「でも、ここは国境線を越えているかもしれませんからね」
俺たちはしばらく犬がいた雪原を見つめていた。




