10話:遠い異国で探すのは太古の幻か
ラーミアのいた沼地を過ぎ、遥か彼方にあった山脈を越えて、俺たちは異国へと入った。
国境線があるわけでもなく、警備の衛兵がいるわけでもない。ただただ寒い荒涼とした谷があるだけ。
地図にはその谷を「竜の腹」と記載されている。
「ドラゴンがいるのかな」
ケシミアは両側の壁を見ながら進んだ。
赤土の砂嵐が吹き、隣にいるのに聞こえないほど風が吹いている。
壁の裂け目で休憩し、風が止むのを待つこともあった。
魔物もいないし植物も生えない土地だ。誰も通るものなどいないと思っていたが、壁の裂け目に、古い梯子がかかっていることがある。おそらく谷の上に出るための梯子なのだろうが、木材が劣化していて体重をかけるとパキンと割れてしまった。
「人の痕跡があるということは、生き延びられるということだ」
「人が自然に負けた跡とも言うよ」
俺たちはスープを飲みながら、風が止むのを待った。過酷な場所だ。一人だけで進んでいたら、すぐに諦めていたかもしれない。ケシミアがいてよかった。
夜になると、風が唐突に止んだ。
「今がチャンスだろう」
「荷物をまとめて」
急いで裂け目から出て、谷を進む。
夜の空気は澄んでいて、息は白くなっていた。
走り続けていると谷から垂直に伸びる割れ目に、仄かな明かりが見えた。
「ランプの明りかな?」
「盗賊か?」
割れ目を覗くと、青年と老人が穴を掘っていた。こちらを振り返って驚いている。
「盗掘か!? ここには何もないぞ!」
老人が大声で叫んだ。
「いや、冒険家です。遠い国からやってきました。ここは『竜の腹』だと聞いたのですが……」
「いかにも、そうだが。何をしに来た?」
「竜を見に来たんですけど」
青年と老人は互いを見合わせて笑った。
「異国の人よ。この谷が竜の亡骸だ」
「え? どういうこと?」
ケシミアは正直に聞いた。
「つまり、この谷はひっくり返った竜の腹さ。内臓を食われ、植物が育ち、肉は土へと変わり、秘宝を求めた者たちにより戦争が起こって、3000年以上経つ」
青年が得意げに答えてくれた。
「秘宝があるんですか?」
「こら、余計なことを言うな!」
老人が青年を怒った。
「別にいいじゃないですか。この人たちは盗賊には見えません」
「秘宝があるんですか?」
「興味を持っても、そう簡単には見つからんぞ。土へと還るか、風化している」
「じゃあ、2人は何を探しているの?」
「それはそのぅ……」
秘宝なのだから答えられないのだろう。
「遺跡だ。死んだ竜の心臓近くにあると言われているが……」
「竜の死体の中に遺跡があるの!?」
「竜が死んだ時期と時代が違うっていうことだろう。3000年も経ってるんだから、そういうことですよね?」
「いや、そちらの娘さんが正しい。ここまで大きな竜だ。古代には竜の背で生活していた者たちがいたらしい」
「そんな……」
ガルルルル……。
獣のうめき声に気づいて振り返ると、黒い狼がこちらに赤く光る眼を向けていた。身の丈は牛のように大きい。
「ブラックハウンドだ! 逃げろ!」
老人と青年は一目散に壁に垂らされた梯子を登り始めた。
俺とケシミアは一瞬たじろいで、距離を取る。
すぐに戦闘態勢になり、幻惑魔法を放った。ブラックハウンドは興奮しているようなので鎮静化させようと思ったが、魔法が効いている様子はない。
「耐性を持ってるのか?」
「いや、それ以上に興奮してるってことだろう」
バウッ!
威嚇をしてきたが、こちらには効かない。
身体の構造的に前足で攻撃してくることはわかっている。あとはどのくらい想定外の動きをするかだ。
ザンッ!
ケシミアはブラックハウンドの前足攻撃を誘っておいて、左前足を切り落としていた。
ギィイイアア!!
血が地面に滴り落ちていく。血だまりを見てさらに興奮していた。
ガブルゥウウ!!
噛みついてくるが、前足よりも遅いので鼻に鉄の杖を突っ込んで、脳みそに向けて直接恐怖の幻惑魔法を放つ。
ガフッ……。
一瞬ブラックハウンドが動きを止めた。それを見逃さずに、ケシミアは首を切り落とす。
首が斬られているのに、目に光が宿り、なおも俺に噛みついてこようとした。力がまるで落ちない。
思わず、灯の魔法で目つぶしをして横へ逃げるしかなかった。
ブラックハウンドは首だけの状態で、地面に血をまき散らしていた。
ドクンッ!
ブラックハウンドの心臓の音が未だに聞こえる。
俺たちはしっかり心臓を切り刻んで、とどめを刺した。血が集まって復活しても、すぐに反撃できるように警戒する。
「おーい! 大丈夫か!?」
逃げた老人が谷の上から声をかけてきた。
「はい! 薪か何か燃やせるものありませんか!?」
数秒後、薪と火付け用の布が落ちてきた。
ブラックハウンドの頭と細切れの心臓を燃やして、しっかりと焼いた。肉の焼ける匂いがものすごく臭かったが仕方ない。
ブラックハウンドの討伐部位がどこなのかは知らないが、腹の中にあった魔石だけ回収。
俺たちも谷の上へと梯子を登った。
「血まみれじゃないか?」
老人に言われて、自分たちを見ると確かに血まみれだ。
「魔物を倒したばかりなんでね。どこかに水辺があれば洗い流したいんですが……」
「そうか。そうだな。こっちだ」
谷の上は草のある草原で、細い木も少しは生えていた。
草原の低木が集まっているところに、老人たちは拠点を作っていた。採掘に必要なつるはしやスコップ、袋が積んである。
「水辺は少し東に行ったところにある。採掘屋に気を付けてくれ」
「奴ら、ただの盗賊なんだ」
教えられたとおりに東に行くと、くるぶしほどの水深しかない川が流れていた。
布で体を拭き、ローブを洗う。ケシミアも胸当てを洗っていた。
「ブラックハウンドなんか、聞いたこともなかったね」
「ああ、しぶとさってなかなか幻覚ではわからないものだな」
「うん。あのまま血が魔物になるんじゃないかと警戒したけど、首だけで襲い掛かるなんて思いもよらなかったよ」
「ああ、やっぱり現実は予測不能だ」
二人とも着替えて、拠点へと戻る。
「夫婦で旅をしているのか?」
「いや、冒険家の仲間だ。2人だけのパーティー……」
話し始めた頃、俺たちがいた川の辺りになにか影のようなものが動いた。血の臭いに誘われて、また魔物でも来たのだろうか。
「どうかしたか……?」
「なにかいる。とりあえず、消音と透明化の魔法をかけておくから、あんまり大きな声は出さないでくれ」
俺は周囲に魔法をかけた。しばらくは保つだろう。
「それで? そちらはトレジャーハンターか?」
「あぁ、どうだろうな」
「ザラス博士は考古学者だ。俺は見習い」
「ギオルくんは発掘のパトロンでもある」
ザラスとギオルはお互いのことを紹介した。
「パトロンってその年齢で?」
「ああ、昼間は違う仕事をしているからね。そちらは魔法使いのようだけど」
「幻惑魔術師だ。ミストという」
「戦士のケシミア。遥か西の国から来た」
「では、あの山脈を越えてきたというのか?」
ザラスは西の山脈がある方を指さした。
「そうだ」
「先生、それってかなり遠いんじゃ……」
「ああ、歩いてくるのに何日もかかる。ずいぶん遠くまで旅してきたな」
「まだ見ぬ現実を見にきた。早速ブラックハウンドみたいな魔物を見れたから、旅の成果としては無駄足じゃなくなったよ」
「見れたって、普通は出会ったら死ぬんだけど、異国の人は強いな。身体を強化する魔法でも使っているのか?」
「いや、俺は幻惑魔法しか使えない」
「幻惑魔法ってほとんど役に立たないって言われているアレな魔法か?」
こちらの国でも幻惑魔法は不遇なようだ。
「え? じゃあ……」
「ブラックハウンドを倒したのはただの実力だよ」
ケシミアは、軽くそう言って、人差し指を立てた。静かにしろという指示だ。
川にいた何かが近づいてきているらしい。焚火を消そうとしたギオルを手で止めた。
ブフーッ。
ブラックハウンドよりも大きな獣が、荒い息をしながら近づいてくる。臭いを辿ってこちらに近づいてきているようだが、こちらが出している音は聞こえないし、見えてもいないはずだ。
だからと言って、俺たちがいなくなったわけではない。
ズシン。
一歩巨大な獣が踏むたびに、地面を振動が伝わる。
ズシン、ズシン。
ゆっくりと優雅に歩いていく。塔に出現する幻覚はあくまでも動けることを想定しているが、この巨大な獣は塔ごと破壊できてしまうだろう。おそらくブラックハウンドでも捕食できないのではないだろうか。
焚火の明かりに照らされた獣の顔はナマケモノに似ている。
ブフーッ。
鼻息で土埃が舞う。
そのまま巨大なナマケモノは俺のすぐ横を通り過ぎていった。
十分に距離ができたことを確認して、ザラスが口を開いた。
「あれはメガテリウムだ。血の臭いに反応したのだろう。あれも見つけたら、絶対に逃げろと言われている魔物だ。刺激してはいけない」
「今日は運がいい。本当なら二回は死んでた」
ギオルは出会いに喜んでいるようだ。
「これでも幻惑魔法はアレな魔法か?」
「いや、考えを改めるよ。こういう場所では、必要な魔法だ」
ザラスがそう言って、焚火にポットをかけてお茶を淹れてくれた。
砂糖をたっぷり入れた甘い茶色のお茶で、香り高い。星空を見上げながら飲む。
ようやく人がいる場所まで辿り着いて、ほっとした。




