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鳥の声と蜂の羽音と風の音と、叢から時折聞こえる何かが蠢く音と、そういったものに身を竦ませながら歩いていたとき、出会ったのが貴女だった。
貴女から私の好きな音楽が響いていて、もしや同じ趣味なのかしらと嬉しくなったのを覚えている。突然声をかけることなんてできずにすれ違ったあのときは、ただなんとなく残念に思っただけだった。
次に会ったのは、同じ場所ではなかった。私は小川の脇を走る小道を散歩するのが好きだけれど、そのときは湿原を見渡せる小高い丘の裾に座り込んで足元を見つめていた。汚れるのが嫌でお尻を浮かせていたから、最近すこしきつくなったジーンズが、太ももに食い込んで少し痛かった。
「なにかいるの。」
背中からおもむろにかけられた声に驚いた、なんていうのは自分への嘘で、人通りのないここでは、もちろん近づく気配を感じ取っていた。でも声を掛けられるとは思っていなかったというのも本当。
「蝶だか蛾だかわからないものが一匹。」
「こんなに寒いのに可哀想。」そして
「餌なんてあるのかしらね。」
振り返って見た貴女は、黒い服を着て、背が高くて、白い肌と尖った顎が鋭利で冷たい印象を与える人だった。薄い唇が人当たりのいい柔らかい声を紡ぐのはちぐはぐな印象があって、すんなりとは耳を通過してくれない。
「こっちよ。」
いつの間にか腕をとられ、引き上げられるように立たされていた。とても足が速くて、その体勢で走り出されたときにはついていける気がしなかった。でもぼうっとしているうちに何故か見知らぬ空き家について、そして私の傍には貴女はいずに、日記帳だけが傍にあった。水色の合成皮革でできた、少し年季の入ったくすみのある表紙。
「姉さんなの」
私は頁を捲った。
*
本当に幼い頃、車から降りて家の玄関につくまでの間、田舎の夜は暗くて湿っていて生き物とそうでないものの気配が溢れていて、数メートルの距離であっても大層怖いものだった。
「ねえ、お化けなんていないよね。全部ひとの作ったお話だよね。」
「さあどうかな。もしかしたら……。あっ、そこっ。」
すぐ隣でガサっと音がした。今思えば、庭に植えられた菖蒲の葉が、なにか重くて背の高い葉が揺れただけの音だったのだろう。人に驚いた飛蝗が飛び乗るだとか何かして。
「手をつないで、お願い。」
「本当怖がりだなあ。ほら手え出しな。」
すかさず握ろうとした手は届かない、姉の頭の上へと上げられてしまう。
「つないで欲しかったらわかってるでしょ、いうことをひとつ聞くんだよ。」
「この前だって聞いたのに。」
「文句言うんだったら別にいいのよ、繋がなくても。」
「わかったから、お願いだから。」
そういうとやっと手を降ろしてくれた。ふたつ離れた年齢では、そうしてくれても、手は少し高い位置にあったけれど、湿った空気に負けないくらいじっとりして温かみのある掌に、すがるようにして寄り添った。
そんな二人に、両親が気づくことはなかった。